2.
(意外と時間かかっちゃった……)
小走りで昇降口を目指すわたしは、ついさっきまでクラス委員の子に頼まれてアンケートの集計を手伝っていた。七限目が終わるまでに片づけて、那智くんと一緒に帰ろうと思っていたのだけど、これが思いの外時間がかかってしまい、その結果が今の状況だ。
七限目終了のチャイムは十分ほど前に鳴った。まだ帰ってしまっていなければいいのだけど……。
やがて昇降口に着き、靴を履き替える。
出たところで待っていようと体を出入り口に向けたとき、ガラス扉の向こうにすでに那智くんの姿があった。
そして、その隣にはこの学園のものではない制服を着た女の子も――。
「……」
頭は特徴的なツインテール。小柄な那智くんよりも背は低く、年下で――悔しいけどわたしよりも那智くんにはお似合いな女の子。
名前は確か、そう、
わたしが見ている前で那智くんは、最初、迷惑そうな顔で対応していたけど、次第にその表情を和らげていく。
急に――体が重く感じられた。
那智くんと知り合ってから、わたしは自分がヤキモチ焼きだったり独占欲が強いことを思い知った。最初は戸惑ったけど、最近はそんな自分にも折り合いをつけて、彼が女の子と一緒にいても少しは落ち着いていられるようになった。
だいたい那智くんからしてあの通り男女問わず仲よくなってしまう性質なのだから、いちいち気にしていたら身が保たない。
でも――、
でも、なぜその子なの?
その子はわたしたちを引っかき回した子じゃない。
那智くんがその子と一緒にいたら、わたしが嫌だってわかってよ。
「……」
何と声をかけようか迷っているうちに、ついに那智くんは彼女に笑顔を見せ、ふたり一緒に校門の外に向かって歩き出す。
結局、那智くんはわたしに気がつかず行ってしまった。
わたしが、こんなに近くにいるのに――。
翌日、授業も上の空でわたしは考える――。
那智くんはなぜあの子と一緒にいたのだろう。あれだけわたしたちを引っかき回した張本人と、なぜ一緒にいられるのだろう。わたしがあの子を好きになれなくて、那智くんがあの子と一緒にいたらわたしがいやだって、わからないのだろうか?
……。
……。
……。
(わからないんだろうなぁ……)
思わずため息が出る。
那智くんはいい子だから誰にでも優しくて、誰とでも仲よくなってしまう。でも、つき合っている女の子がその姿をどんな気持ちで見ているか、きっとかわかっていない。一度、きちんと言った方がいいのかもしれない。
これも年下のかわいい男の子とつき合っている女の子の苦労だと思っておこう。
そう自分を納得させていると――放課後、いきなり彼女と出くわした。
終礼を終えて外に出ると、校門のそばに宇佐美さんが立っていたのだ。
先に気がついたのはわたしのほう。一瞬、回れ右して裏門から出ようかと思ったけど、考えているうちに見つかってしまった。
「あ、片瀬先ぱーい!」
笑いながらこちらに向かって手を振る。その笑顔は無邪気と言えば無邪気。でも、面白いことを見つけた悪戯っ子の――いや、もう少しばかり悪意をもった笑み見えた。
無視するわけにはいかず、仕方なくわたしは彼女に近づいていった。
「こんにちは、宇佐美さん」
不機嫌丸出しの挨拶。
「こんにちはっ、片瀬先輩」
対する宇佐美さんは、わたしの気持ちなど知ってか知らずか無視してか、明るく挨拶を返してくる。
「今日も那智くんに会いにきたのかしら?」
「あ、わかります?」
舌を出しながら彼女は言う。その仕草は憎らしいほどかわいらしい。
「その通りです。宇佐美、お兄……じゃなくて、那智先輩に会いにきたんですよー。ホントは明日の約束だったんですけどね」
「約束、してたの……?」
わたしは思わず聞き返していた。
「ええ、そうなんです。と言っても、一緒に帰って、その途中でちょっと寄り道につき合ってもらう程度ですけどね」
彼女はそれがさも楽しいことのように語った。
その気持ちはわたしにもわかる。そんな何でもないことも好きな人となら楽しいと思えるのだから。
「『明後日なら司先輩も先に帰ってるだろうから』って言ってたんですけどね、待ちきれずにきちゃいました」
「……」
……何よ、それは。それではまるでわたしに見つからないようにしてるみたいじゃない。
「それから、あと、お父様に会ってもらう日取りも決めたいんですよねー」
「は?」
「あ、別に宇佐美と那智先輩が結婚するのでお父様に挨拶を、とかじゃないですから、ご心配なく♪」
誰もそんな心配してないけど。
「ふふん~。実はですね、宇佐美のお父様が那智先輩のことを気に入ったみたいなんですよー。先輩のほうもお父様に興味をもってくれて、じゃあ今度ゆっくり話でもってことになってるんです。あぁ、楽しみ」
「……」
わたしの知らないところでいろんな話が展開している。わたしの好きな那智くんと、わたしの好きになれない女の子の間で、わたしに隠すようにして。
それが言いようもなく不安だ。
と、そこでそれまで未だ見ぬ未来に期待するように、楽しげに笑顔を浮かべていた宇佐美さんが、きっ、とわたしを睨んだ。
「……おもしろくない」
そして、ぽつりとそう言った。
「え? な、なにが……?」
「先パイ、余裕なんですね。私がこれだけ言ってもぜんぜん動じないなんて」
言葉の意図が掴めない。
それでも宇佐美さんはそんなわたしにかまわず続ける。
「それは那智先輩に愛されてる、最後に勝つのは自分だっていう自信ですか?」
「……」
ああ、わかった。この子は不安に駆られている。さっきまでの言葉はわたしを揺さぶるためのものだったのだ。それが目に見える効果がなかったから不安になったのだろう。
「さぁ、どうかしらね」
それならわたしはここで謙虚な言葉でもって彼女の神経を逆撫でさせてもらうことにする。実際には、頭は充分にパニックなのだけど。
「宇佐美さん、かわいいから那智くんがあなたに乗り換えることもあるんじゃないかしら」
途端、彼女の顔はみるみるうちに赤くなっていった。照れているのではない。そこにあるのは怒りの感情だ。
「ええ、そうよ。私は那智先輩に無条件にかわいがってもらえる。でも……それでもあなたには勝てない。どうあっても最後に選ぶのはあなただものっ」
彼女は荒い口調で一気に捲し立てた。
顔は、少し泣きそうになっていた。わたしがここで自信満々な言葉で軽く追い打ちをかければ、それだけで決壊してしまいそうなほどに。
でも、彼女を見ているとそうすることは躊躇われた。
そのとき――、
「あれ? 奈っちゃん、……と司先輩?」
那智くんの声がした。
……あ、マズい。
わたしの名前のほうが後だったことは、普段ならどうってことはないけれど、今のわたしにとっては
でも、それは顔に出さないようにして振り返る。
視界の隅では宇佐美さんが一度背を向けて、一拍おいてから同じように振り返っていた。
「なっち先輩!」
もう立て直している。素直に感心した。
「なに、この珍しい取り合わせ!?」
那智くんはわたしたちの顔を見て驚いていた。
それはそうだろう。わたしだってさっきまでは彼女と一対一で話をすることなんて絶対にないと思っていた。
「えっと……奈っちゃん、明日、じゃなかったっけ?」
那智くんはちらちらとわたしのほうを窺いながら、言いにくそうに問うた。その言葉は先ほどの彼女の言ったことが本当だったことの証左に他ならない。
今日は水曜日。特進クラスも他のクラス同様、六時間授業だ。すなわち、わたしと会う確率がぐんと増える。約束とやらを明日にしたのもそれを避けるためなのだろう。
「宇佐美、待ちきれなくて、今日きちゃいましたー」
隠そうとする那智くんとは反対に、彼女は聞こえよがしに大きな声で言った。
さすがにこれ以上ここにいるのは苦痛でしかない。
「人に聞かれたくない話みたいだから、わたし、先に帰るわね。……じゃあ、また明日」
そう言ってわたしは逃げるようにその場を後にした。
§§§
この後ふたりがどうしたかは知らない。聞いてもいない。
ただ、後になって振り返ってみれば、那智くんの運命を変える大きな流れは、このときすでにはじまっていたように思う。
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