3.

 司先輩が家出してきて僕の家に乗り込んでくるという、神経が摩滅しそうなイベントが発生した翌日――つまり今日は先輩と一緒に夏祭りに行くことになっている。


 待ち合わせは、午後五時に駅前。


 駅と言っても先輩の家に近いほうの駅だけど、所詮離れているのはひと駅程度。夏休みで通学定期が切れていることもあって、僕はマウンテンバイクで突っ走った。


 到着したのは六時二十分。


 ……張り切って早く来すぎだ、僕。





 自転車はテキトーな店の前にでも停めておく。市に撤去されないように願いを込めて、二度ほど柏手を打っておいた。


 そして、先輩を待つ。


 夏祭りはこのあたりでいちばん大きな公園で開催されるので、けっこう人が集まってくる。見ていると浴衣姿の女の人が何人も改札から出てきていた。


(あの格好で電車に乗るのか。なかなか豪快だな)


 今日という日だから突飛な光景でもないんだろうけど。


 そう言えば、前に先輩を待っていて派手なお姉さんに掴まったことがあったっけ。いやなこと思い出しちゃったよ。思わずあたりを見回す。


「……」


 繁華街なら兎も角、さすがに地元であんなのは生息していないか。ほっと胸を撫で下ろす。


 と、そのとき――、


「お兄様ーーっ」

「……」


 ちくしょう。野良うさぎがいやがった。


 振り返るとうさぎこと宇佐美奈津がこちらに向かって走ってきていた。白に黄色をアクセントにしたパーカーに白のショートパンツ。健康そのものの足にはニーハイソックスとこれまた白のブーツ。走るのにあわせて頭のツインテールがリズミカルに揺れている。


 彼女は僕のそばまでくると、ぴょんと跳んで両足で立ち止まった。何か言ってほしそうににっこり笑ったまま待っている。


「出たな、元気うさぎ」

「誰がうさぎですかっ! ……って、指を指すなー」


 両の拳を上から下に振り下ろして、力いっぱい抗議された。


「いや、ほら、頭がそれだし、名前もうさぎだし」

「宇佐美です! う、さ、みっ」


 あ、ヤバい。こいつ反応がよくて面白い。


「ひどいですよぉ、先輩。そうやって会うなり宇佐美をいじめるなんて」


 今度は頬を膨らませてふくれっ面になる。


 確かに彼女の言う通りか。過去二回の接触によい印象がないとは言え、あまり邪険にすることもないか。


「ちょっと調子に乗りすぎたな。反省」

「では、これから宇佐美のことは奈っちゃんとお呼び下さい」

「君もあんまり調子に乗ってると刺すよ?」


 思わず笑顔で言ってしまった。


 とは言え、彼女のことをどう呼んだらいいのか決めかねていたのは確かだし、『奈っちゃん』あたりがいちばんしっくりくるのかもしれない。


「ところで、先輩はこれからどこかお出かけですか?」

「うん、学校の先輩とちょっと夏祭りにね」

「おおっ、夏祭り!」


 そう言って奈っちゃんは手を叩く。


 それから彼女はお尻のポケットから手帳を取り出すと、しゃがみ込んで何やら中を見はじめた。上から見ると予定らしきものが書き込まれている。その手帳を見て「これはキャンセルできるから」とか、「この予定を繰り上げて」とか、ぶつぶつと独り言を漏らしながら考え込む。


 やがて、ぱたんとそれを閉じて立ち上がった。


「奇遇ですねー。実は宇佐美もこれからそのお祭りを見に行くんですよー」

「嘘吐けっ。今、明らかに予定を調整してたじゃねぇかっ」


 ていうか、中学三年生にして何でそんなに多忙なんだ?


「行くのは勝手だけど、ひとりで行ってくれよ?」

「えぇ~、宇佐美も一緒につれて行ってくれないんですか~?」

「うん、まあ、そこはあれだ。大人の事情ってことで」


 要するに先輩とふたりのところを邪魔されたくないし、これをつれて行くと身の毛もよだつ災厄に見舞われそうな予感がしてならない。ホント言うと今すぐお帰りいただきたいくらいだったりする。


「むー。仕方がありません。今日は諦めます。せっかくのお祭りもこの格好じゃ風情がありませんし」


 そう言うとパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、僕に見せつけるようにして小さく胸を張った。

 その仕草は素直にかわいいと思う。


「その代わり今度、聖嶺の学園祭に招待して下さい」

「学祭? そりゃいいけど、そんなもの勝手にきて勝手に入ったらいいだけじゃないの?」

「違いますよ。招待状をくださいっていう意味です。……あれ? もしかして知らないんですか? 聖嶺の学園祭に入るには招待状がいるんですよ」

「ああ、思い出した」


 生徒が学園祭に招待できるのは親族以外には三人までということになっている。その際に配られるのが招待状で、裏には生徒の名前の記入が必要らしい。さすがは私立。管理が厳しい。


「しかし、まぁ、よく知ってるね、君は」

「もちろんです。宇佐美、来年は聖嶺を受けるんですから、これくらいの下調べは当然です」

「やっぱ受けるのね」


 今のまま卯月学園にいればいいのに、と思う。聖嶺とは比べものにならないくらい正真正銘の名門校で、高等部に上がる試験すらないのに。


「ん。わかった。かまわないよ、招待状くらい」

「やたっ。約束ですよ、約束。今度もらいにいきますからねっ」


 招待状ひとつでそんなに喜ばんでもよかろうに。


「約束を破ったら、畳針一本飲み込んでもらいますからね」

「リアルに痛そうじゃねぇか。……はいはい。わかったから、今日のところはお帰り」

「はーい」


 手を上げて元気よく返事をすると奈っちゃんはロータリィの方へ駆け出す。そして、そこに待たせていたらしい黒塗りの車に乗り込んだ。


「……」


 おいおい、大丈夫か? 実は誘拐されていて、本人にその自覚がないとかいうパターンじゃないだろうな?


「ま、いいか」


 あれで奈っちゃんも意外にしっかりしてそうだもんな。


「何がいいの?」

「うわあっ!」


 突然の背後からの声に驚いて振り向くと、そこに浴衣姿の先輩がいた。


 赤い浴衣姿。

 髪はいつも通りブラウンで、ふわふわウェーブにリボンふたつだけど、それでも不思議と似合っている。春過ぎくらいからデパートのショウウィンドウで、あまり日本人っぽくないマネキンが浴衣を着ているのをよく見かけたのを思い出した。、


「誰かいたの?」


 僕が見ていたロータリィの方に目をやりながら先輩が言う。


「ちょっと友達が。でも、用があるって帰りました」

「あ、そうなんだ。……じゃあ、行きましょうか」

「はい」


 そう答えて先輩とともに歩き出す。


 僕たちのように駅で待ち合わせ。もしくは、電車できて祭りに向かう人がけっこう多いらしく、その人の流れに乗って歩く。


「先輩? 二学期には学園祭があるんですよね?」

「ええ。毎年九月最後の土日がそうよ」

「やっぱりクラスで催し物とかやったんですか?」

「もちろん。一年のときは美術科らしいものをって絵の展示をしたんだけど、これがまた面白くなくてね。絵が好きな人がきて熱心に見てくれるんだけど、こっちはぜんぜん盛り上がらなくて……」


 当時のことを思い出したのか、先輩は微かにため息を吐いた。


「それを踏まえて二年ではクレープ喫茶をやったの」

「喫茶店……」


 と言うことは、先輩はウェイトレスの格好とかしたんだろうか。そんなことを考えてると頭に団扇が、ゴツン、と振り下ろされた。


「変な想像しないの。普通に制服にエプロンでした」

「う、うぃ……」


 縦は痛いです、先輩。


「それにわたしはクラブの方の出しものがあって、クラスにはほとんどいなかったわ」

「クラブ? 先輩、何かクラブに入っていたんですか?」

「那智くん、知らないんだ? 今年もやるつもりだし、じゃあ、当日のお楽しみってことにしておきましょ」


 そう言うと先輩は口元を団扇で隠して、楽しそうに含み笑いをした。


 こんな言い方をするくらいだから美術部なんてありきたりな答えじゃないんだろうな。先輩が入ってると意外なクラブってなんだろう? うーん、思いつかない。


 そうこうしているうちに目的地はもう目の前に見えてきていた。





 夏祭りは公園のグラウンドでやっていた。


 中央に矢倉が組まれ、それを囲んで盆踊りが行われ、グラウンドの淵に屋台が並んでいる。僕らはその屋台で射的をやったり、金魚すくいに挑戦したりして楽しんだ。


 それがひと通り終わり、今、僕たちはグラウンドの横のなだらかな斜面を登っていた。


 グラウンドを見下ろせる場所に芝生と小径で構成された公園があり、そこからあちこちに緑道が延びているのだ。


 祭りの締めには花火が上がる。それを見るために見晴らしのいい場所に行こうと思っているのだけど、考えることはみんな一緒。階段はもう人がいっぱいで座ることはおろか通ることもできない。だから、こうして斜面を登っている。


「先輩。こっちです」


 浴衣で歩きにくそうにしている先輩に手を差し延べる。


 危ないからと思って手を取っただけなんだけど、先輩が強く握ってくるものだから、手を繋いでいることを妙に意識してしまった。


 上に上がると、案の定、藤棚などのいい場所はとっくに取られていて、仕方なく僕らは斜面にハンカチを敷いて腰を下ろした。


 ほどなく花火がはじまった。

 観客からは歓声が上がる。が、やがて驚くことにも飽きて、次々と打ち上げられる花火にただ黙って魅入っていた。


 その最中、僕は先輩の横顔を見た。


 花火を見上げる先輩の顔はやっぱり綺麗だった。でも、その目は花火に向けられていて、だから当然、僕を見ていない。少し寂しさを覚えた。


 僕は再び花火に目を向ける。


 途端、先輩が身体を寄せてきた。体重を預けるように、僕の肩に頭を乗せるようにもたれ掛かってくる。


「那智くん、今、わたしを見てた」

「っ!? み、見てたんですか?」


 思いがけない言葉に驚く。


「わたしはいつも那智くんを見てるわ」

「……」


 何だろうな。この見透かされているような感じは。もしかしたら僕が寂しいと思っていたことも見透かされているのかもしれない。


「ねぇ、那智くん……」


 呼びかけられ僕は先輩を見た。先輩も僕を見ていた。


 それは初めて見る目だった。

 少し潤んでいるようで、熱っぽい視線。どんな魔力が秘められているのか、僕はその瞳から目が離せない。


「みんな上を向いているから……」


 そう言って先輩は目を閉じた。


 それがどういう意味なのか充分にわかっている。いつかはこうなりたいと思っていたワンステップ。だから、緊張することもなく、頭は奇妙に冴えていた


 そして、僕はそれに応えるように唇を重ねた。 

























 ドラマや小説はいいよな――僕はそう思った。


 だって、キスの後、場面が変わったり、そこで終わったりするんだから後のことは考えなくていい。でも、実際にはそうもいかない。その後も話は続く。


 初めてのキスの後――、


 今、僕はいったいどういう顔をして先輩を見ればいいのかわからず困っていた。

 それは先輩も同じらしく、前を向いたまま固まっている。


 花火はとっくに終わった。それどころか祭りの片づけすら終わっている。僕の時間の感覚を信じるなら、「あんたたち、花火はもう終わりよ」と、どこかのおばさんが親切に声をかけてくれたのが一時間と少し前。


 午後十時を過ぎている。

 それでもまだ僕らは動けずに同じ場所に座っていた。何だか殺るか殺られるかの世界みたいな緊張だ。


 ……ヤバい。


 このままでは朝になってしまう。

 最悪、朝になっても動けないんじゃなかろうか。


 何とかこの状況を打開せねば。


「ぁ、あー」


 タイミングを計るように声を出す。

 横で先輩の身体がびくっとわずかに跳ねた。けれど、それだけだった。それ以上の反応はない。


 じゃあ、ここは思い切って。


「せ、先輩っ」

「は、はいっ」


 先輩、声が裏返ってます。しかも「はい」って……。


「そ、そろそろ帰りましょうか」

「そ、そうね。私もちょうどそう思ってたところなの」


 お互い声を発したことで少し緊張がほぐれる。

 先輩の返事を聞いて僕は勢いよく立ち上がった。未だ座っている先輩の前に回り、手を差し出す。


 目が合った。


「ぁ……」

「ぅ……」


 やっぱりさっきのことを思い出して、お互い視線を逸らした。が、やがてどちらからともなく笑い出してしまった。


 何だか可笑しい。


 身体を寄せて、

 キスをして、

 それが終わってから恥ずかしがって。


 そんな僕たちがとても可笑しかった。


 ひとしきり笑いあってから、僕は改めて手を差し出した。


「さあ、帰りましょう」

「ええ」


 先輩を立たせる。

 そして、その手を繋いだまま僕たちは歩き出した。

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