挿話 見つめ合うふたり
話はやや前後して――
とある土曜日の夕刻、繁華街。
四方堂円がそこにいたのは、単に部活がオフで暇を持て余していたからだった。
遠矢一夜がそこにいたのは、単に本屋の帰りだった。
こうして円と一夜はばったり出会った。
「よっ、遠矢っち。奇遇だね、こんなとこで会うなんてさ。何やってんの?」
円は前から歩いてくる一夜に片手を挙げて言った。
が――、
一夜はかたちのよい眉を一瞬ひそめただけで、円などいないかのようにそのまま通り過ぎようとした。
「おっし、アタシを無視ろうなんざいい度胸だ。つき合いな」
だが、円は、がしっ、と腕を絡ませるようにして拘束すると、一夜を引きずって歩きはじめた。
体を前に向けたまま後ろに歩かされる一夜は非常に歩きにくそうだった。
十分後、ふたりは近くのファーストフードショップにいた。
「まさかこんなとこで先パイに会うとは思わんかったわ」
「アンタね、そういうことは会ったときに言いなさいね」
一度は無視して通り過ぎようとした一夜に、円は呆れた調子で言う。だが、一夜はそれにかまわず先を進める。
「で、何の用やねん」
「別に。特に用なんかないけど?」
「……」
「強いて言えば、無視して逃げようとするアンタがムカつくから?」
「いや、疑問形で言われても困んねんけどな」
今度は一夜が呆れる番だった。
「ん、わかった。もっと建設的な話しよっか。でも、その前に……、そのスイートポテトパイ、美味しそうね」
円は一夜が頼んだサイドメニューに目をやりながら言った。
「欲しいんやったらやるわ」
「マジ? じゃ、代わりにアタシのポテトあげるわ」
「いらん。両方喰って見るも無惨な姿になりさらせ」
一夜はわずかばかりの呪いを込めて言う。
「甘いね、遠矢っち。アタシが摂取した栄養はもっと別のところにいくのさ。……見なさい、この見事に歪んだTシャツのプリントを」
「……ほんで、建設的な話って?」
鮮やかなスルーだった。
「……面白くないやつ」
一夜の反応に円はつまらなそうにぼそっとつぶやいた。
しかし、すぐに気を取り直して話を続ける。
「山に登りたいのよ」
「また唐突に出てきたな」
「そうでもないよ。アタシの中ではずっと前から考えてたことだからね。丹沢とかさ、雪の槍ヶ岳、穂高連峰とかさ。いいと思わない?」
「そうやな。雪の槍は難所やけど、丹沢あたりは手ごろでええかもな」
「でがしょ?」
一夜の同意を得たことで円の気持ちが盛り上がってくる。
「問題はさ、アタシがまだ一度も山登りの経験がないことよね」
「何や、死にたかったんか。だったら富士の樹海でも行ってき。あそこやったらオールシーズンやわ」
「失礼な。ちゃんと知識はあるよ」
円は一度ジュースに口をつけ、喉を潤した。
「小さいときからの夢だったのよ。山岳写真とか見てさ、気がついたら写真だけじゃ満足できなくなってて、いつか直にこの光景を見ようって思ってたんだ」
「……」
「特に冬の雪山とか。雪をかぶった稜線を、さらに高い山から見下ろすのとか最高じゃない? もちろん厳しいのはわかってるんだけどさ。登りはじめたときは晴れてたのに、突然天気が変わって吹雪に見舞われたり。それでも根性でラッセルして、先に進んでるつもりが実はリングワンデリングしてて全然進んでなかったり。テント張ったら速攻飛ばされて、仕方ないから雪洞掘って、そのまま中で三日ぐらい足止め喰らったり。……いいと思わない?」
「……思うか」
呆れる一夜。
「そんなに怒るなよ。半分冗談なんだからさ」
「半分は本気やねんな」
いったいどこが境界なのだろうかと思わず考え込んでしまう。
「今年の夏がチャンスかなって思うんだ。夏の大会が終われば三年はクラブ引退だけど、すぐに受験に向けて勉強だしね。だったら、受験勉強に追われる前に一度くらい、ね」
そうしみじみと円は語る。
一夜は円に気づかれないよう小さなため息を吐いた。そして、渋々提案する。
「うちの別荘の裏に初心者向けの山があるわ。ハイキングの延長のつもりでも充分登れる山やから、手はじめにそこから登ってみてもええんちゃうか」
「え!? 遠矢っちの家って別荘持ってんの?」
「いや、そこは置いといてんか」
「いつまで置いとけばいい?」
「一生置いとけ。……兎に角、そこを登ってみたらええ。別荘の管理人には話つけとくし」
「一緒にきてくれないわけ?」
円が意外そうに聞き返す。
「誰が? 俺が? 四方堂先パイと?」
「いちいち区切って言うんじゃないわよ。……初心者ひとり登らせて、遭難したらどーするつもり?」
「大丈夫や。死にそうにない人間が死にそうにない山に登るんや。絶対に死なへんわ」
「……遠矢っちのケチ」
そう言うと円は食べかけで止まっていたハンバーガに口をつけた。
「……」
「……」
ふたりともしばらくは互いに黙ってトレイの上のものを食べ続けていた。が、やがて円がハンバーガを片づけ、スイートポテトパイの包みを開けながら言った。
「遠矢っちと行けば実践的なこと教えて貰えると思ったんだけどなあ」
当てが外れたかのように残念そうにつぶやく様は、見た目以上に真面目に考えていたのだろうと一夜に思わせるには充分だった。
「そこまで言うんやったら一緒に行ったってもええけどな。ひとつ問題がある。うちの別荘ってのがまた人里離れててな」
「へぇ、いいんじゃないの?」
興味を引かれたのか、円が目を輝かせる。
「何かの間違いで俺が先パイに襲いかかっても、周りに何もないからいくら助けを求めたところで無駄やで?」
「つまり、アタシが遠矢っちに襲いかかっても、周りに何もないからいくら助けを求められても大丈夫なわけか」
「……」
「……」
「……」
「……」
円と一夜は互いに無言で顔を見合った。
次第に周囲の空気が得体の知れない不穏なものに変わるのが、ふたりにはよくわかった。
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