第二章 デートとその始末記

1.

(なっちん、ピーンチッ)


 自分のことをなっちんと言っている辺り余裕があるように見えるが、それこそが錯乱している証拠なんろうな、きっと。





 日曜日――


 僕は片瀬先輩を待っていた。


 待ち合わせ場所は我が家から電車で一時間近くかかる地下繁華街。ずいぶんと遠い。


 その繁華街の真ん中にある噴水前を指定された。駅の改札から少し離れてはいるが噴水と呼ぶにはあまりにも前衛的すぎるオブジェがあって、待ち合わせをするにはわかりやすい。ただし、わかりやすいが故に人が集まり、相手を見つけにくいという微妙に本末転倒な状況が起きているが。


 未だにどういう話の流れでこんなことになったのか謎だが、今日、僕は片瀬先輩と会って出かけることになっている。聖嶺一の美少女、学園のアイドルと称される、あの片瀬司とだ。本当にわけがわからない。


 軽い興奮状態で思考能力が低下していたのか、僕がここに来たのは約束よりも一時間も前だった。うまい具合に噴水の淵が空いていたのでそこに腰掛ける。到着から三十分が経ち、バカみたいに早くきた自分を呪いはじめたころ、事件は起きた――


「ねぇ、君、今ひとり?」


 そう声をかけられて顔を上げる――と、そこには二人組の女の人がいた。濃いめの化粧と派手な服装。大学生だろうか。もし高校生だとしたら、速攻、生徒指導室ものの化粧だ。


「暇だったらさ、一緒に遊びにいかない?」


 あぁ、つまり逆なんちゃらってやつね。面倒なのに引っかかっちゃったな。


「いえ、人を待ってますので」


 ここは日本人らしく曖昧な表現で丁重にお断りしておこう。


「えー、いいじゃん。待たせるやつなんかほっといちゃえ」

「もしかして相手は女の子?」

「……」


 相手は日本語の美点を解さない人種だった。人の話を聞けよ。それにふたりの連携もとれてないし。素晴らしく会話が噛み合わない。僕はどっちと話をすればいいのでショッカー。


「全部こっち持ちでいいから。ね?」


 要するに奢りってことらしいが、そういう問題ではない。


「いや、あのですね……」


 僕は次の言葉が出てこなかった。

 何せ僕の人生でここまで勝手で強引な人間に出会ったことがなく、いったいどんな対処がベストなのかわからないのだ。


(なっちん、ピーンチッ)


 で、冒頭につながるわけだ。


 この人語を解さない未知の生物に、どう言ったら納得してもらえるのだろうか。これまでの短い人生の中で習得し、蓄積した語彙の中から最適な言葉を探す。……あー、その、なんだ。考えてる間にだんだん悪口フォルダからランダムに取り出してぶつけたほうが手っ取り早くお引き取り願えるような気がしてきたぞ。


 と、そのとき、僕と二人組の間に誰かが割って入ってきた。


 軽くウェーブした、ふわふわと柔らかそうなハニーブラウンの髪が僕の視界に広がる。見間違えるはずがない、片瀬先輩の髪だ。


「人の友達を勝手に連れていこうとしないでくれます?」


 ぴしゃりと言い放つと、片瀬先輩は相手の反応も見ずこちらを振り返った。


「行こ、那智くん」


 そして、僕の手を握ると足早に歩き出した。


「えっ? あ、あの……。ええっ!?」


 言葉がうまく出てこない。周囲から音が消えた。視覚情報と思考がリンクしない。つまり平たく言うと……パニック?


 まずは状況確認だ。


 先輩が僕の手を握っている。先輩の手はすごく綺麗でやわらかい。けれど――


(めっちゃくちゃ痛い……)


 握っているというよりは無造作に掴んでいる感じ。歩調は荒く、僕を引っ張ってずんずん突き進んでいく。


 僕はおそるおそる聞いた。


「せ、先輩、もしかして怒ってます……?」

「怒ってます!」


 うわあ、丁寧語だ。


 片瀬先輩は僕のほうへ振り返りながら即答した。合わせて僕の足も止まる。まるでダルマさんが転んだのようだ。掴んでいた手が離れた。


 片瀬先輩は顔を突き出して、僕に迫ってきた。反射的に僕は頭を後ろに退く。それから先輩は右目だけで見るようにして、僕を睨んでくる。ものすごーく睨んでいるが、もとがかわいいのでどこか迫力に欠ける。怒っているというよりも拗ねているように見えた。


 先輩は綺麗な指を僕の鼻先に突きつけて言う。


「気をつけなきゃダメよ。那智くんかわいいから、ああいう変なのがすぐに寄ってくるんだから」


 その注意はどうかと思う。僕は子どもか?


「えっと……」

「わ・か・り・ま・し・た・か!」


 一音ごとに指を振って、先輩の指がさらに近づいてくる。仰け反った上体を起こせば鼻に突き刺さりそうだ。これで今何か反論したら本当に指で鼻っ柱を突かれかねない。鼻ならいいが、目だったらさぞかし痛そうだ。


「……ごめんなさい。気をつけます……」

「はい、よろしい」


 そして、破顔一笑。


 先輩はいつもの先輩に戻り、僕はほっと胸を撫で下ろした。


「じゃあ、いきましょうか」

「え? いくって、どこにですか?」


 僕が訊き返すと、すでに歩きはじめようとしていた先輩が再び振り返った。くるりんくるりんと何度も向きを変える先輩の動きがコミカルで少し面白かった。


「そうねぇ。じゃあ、まずは約束を守るとしましょうか」

「約束?」


 なんだったけな? と首を傾げる僕に、片瀬先輩はただ微笑んでみせるだけだった。





 そうしてつれてこられました地下街のファッションエリア。


「ここがよさそうね」


 ひと通り回ってから、片瀬先輩は一軒のショップを選んだ。選考基準は不明。先輩に続いて中に入り、ようやくそこがメンズファッションの店だと判った。


「ところで那智くん。今、そのブラウスの下はどんなの着てる?」


 ふいに神妙な顔で先輩は妙なことを聞いてきた。


 因みに、本日の片瀬先輩は、すらりとスマートなパンツルック。一方の僕はというと、無難にワークシャツ姿だった。


「ただのプリントTシャツですが?」

「ふうん」


 そのまま先輩は僕の胸のあたりを見つめて考え込む。体をじっと見られるのは、顔を見つめられるのとはまた別の恥ずかしさがあるな。


「ちょっと見せて」


 そう言うと先輩は僕のワークシャツに手を掛け、ボタンを外した。


「ななな、何を……」

「はい、ちょーっと動かないでねぇ」


 慌てふためく僕をよそに先輩はとめていたボタンをひとつずつ外していく。三つ外したところでシャツが左右に開かれ、英字のプリントが露わになる。


「地味過ぎず主張し過ぎず。なかなかいいチョイスだと思うわ」


 たかがTシャツをここまで真面目に誉められたのは初めてだ。先輩はそれだけ言ってから商品に目を向け、物色しはじめた。やがてアイテムをいくつか選び出してきて、僕に差し出してきた。


「じゃあ、まずはこれから」

「……何です、これ?」


 わけがわからず僕は思わず訊き返した。


「何って……ほら、前に言ったでしょ? わたしに服を選ばせてくれるって約束」


 そう言えば確かにそんな話があった気がするけど、あれって約束ってほどのものだったっけ? でも、まぁ、先輩が完全にその気になっているし、仕方なく僕はフィッティングルームに入った。こんなことなら脱ぎにくいバッシュなんて履いてくるんじゃなかったな。


 それからが大変だった。僕が着替えて出ていくと先輩はすでに次の服を持って待っていて、「次はこれね」「今度はこっち」「上だけこれと替えてみて」と、次から次へと渡してくるのだ。脱いだり着たりするだけだが、三十分もやればかなり疲れる。しかも、途中から店員までが加わって「あら、かわいい」「これなんてどうでしょう?」なんて、明らかに楽しんでる様子。これじゃまるで着せ替え人形だ。


(しかも、セーラーカラーのマリンルックって、絶対ネタだろ……)


 で、結局、ストバスでもやりそうなストリートファッションに収まった―――のはいいんだけど、ボトムがハーフのカーゴパンツってのはちょっとな。いや、似合うやつは似合うんだろうけど、背の低い僕が着るとまるで子どものようだ。


「よく似合ってるわ、那智くん。じゃあ、それはわたしからのプレゼント。今日はこれでいきましょ」

「えっ? いや、そんなの悪いですよ」


 さすがにそんなわけにはいかない。試着を繰り返していれば値札にも目がいく。ひとつひとつを見れば目が飛び出るほど高いわけではないけど、合わせればそこそこの値段になるはずだ。


「いいの、気にしないで。服を選んであげるっていうのは、そこまで責任を持つことだと思ってるから、わたし」

「でも……」

「じゃあ、この前助けてもらったお礼。それならいいでしょ? ……店員さん、あとお願いします」


 押しつけるようにして言うと、先輩は精算にいってしまった。僕も後を追いかけようと思ったが、タグやら値札やらを外すのに店員に捕まり、動けなくなった。あそこまで言われて断るのは、先輩の気持ちを考えていないようで逆に失礼なのかもしれない。ここは素直に受け取っておくべきか。今日これから、このお返しのできる機会があればいいけど。


 やがて先輩が戻ってくるのとほぼ同じくらいに、僕も解放された。


「はい、わたしからもうひとつプレゼント。えいっ」

「わあっ」


 いきなり先輩に乱暴にキャップをかぶせられ、僕の視界が真っ暗になった。


「何をするんですか、もう……」


 顔を覆うほど深くかぶせられたキャップを上げると、目の前に先輩の顔があってどきっとした。


「ふふっ、那智くんに似合いそうなのがあったの。……貸して」


 だからってそんないたずらをしなくてもいいと思う。


 片瀬先輩はキャップを手に取ると、もう一度ちゃんとかぶせてくれた。が、そこにもこだわりがあるらしく、角度を変えては顔を引いて全体像を確認してまた角度を変えるを何度も繰り返した。


(うわー、うわー、うわー)


 一方、僕は、先輩の顔が目の前にあるせいで、心臓が早鐘を打っていた。視線が頭に向けられているのだけが救いだ。


「よし、できたっ」


 ようやく納得できる位置に落ち着き、先輩は満足そうに笑顔を浮かべた。しかし、まぁ、何だ。いよいよキッズファッションじみてきたな。


「お似合いですよ」


 店員はニコニコと笑顔で言うが、僕は何となく微妙な気分だ。姿見を見る限り、似合ってなくはない。だからこそ男としては微妙なわけで。こういうスタイルも似合う恰好いい男になりたいものだ。


「嬉しいわ。ありがとう」


 僕が素直にお礼を言えずにいると、先輩が先に返事をした。やはりコーディネイトした本人としても誉められることは嬉しいのだろう。


(何かどっと疲れた……)


 店を出て、地下街を歩きながら僕は思った。


 先輩と合流して、服を選んでもらった。言葉にすればただそれだけのことなのに、何だろう、この疲労は。やっぱり片瀬先輩といることで緊張しているのだろうか。


 時間はようやく正午。まだまだ先は長そうだ。





 何でこんなことになったんだろうと、本気で思う。


 四月に聖嶺学園高校に入学してから、僕には憧れている先輩がいた。片瀬司という名のその先輩は聖嶺一の美少女ともっぱらの噂で、実際に間近で見ると本当に人形のようにかわいらしい人だった。


 だけど、しょせん憧れは憧れ。

 先輩は触れることの叶わない高嶺の花で、僕の高校生活には何の関係もない人だと思っていた。


 なのに、その片瀬先輩が僕の横にいる。


 何でこんなことになったんだろうと、何度も思う。


 ――僕たちは今、ファーストフード店にきていた。


 昼食時で店内は混んでいて、二階の窓際に設置されたカウンタのような席に並んで座っている。目の前は全面ガラス張り。眼下には往来を行き来する人の姿がよく見えた。


 そこでハンバーガなどを頬張っていたりするわけだ。


「やっぱり那智くんは小さくても男の子よね。そんな大きなハンバーガを食べられるなんて」


 面と向かって小さいって言っちゃいますか。

 まぁ、確かに体は小さいが食欲は旺盛。それに見合うだけの胃袋もあるようで、僕は店でいちばん大きなハンバーガを食べている。反対に片瀬先輩が頼んだのはいちばん小さなやつだ。


「ほら、那智くん、こぼしてる」

「んお?」


 言われてやっと気づいた。本当だ。ズボンのところにパンくずがこぼれてる。僕は慌ててそれを払い落とした。幸いソースなんかはこぼれてなくて、先輩に買ってもらったばかり服が汚れるようなことはなかった。


 だいたいこのハンバーガ、パンとビーフが二層になっていて、日本人向けのサイズのじゃないんだよな。食べ方がどうしても豪快、且つ、乱雑になる。小さなハンバーガを小さな口で上品に食べている先輩と大違いだ。


 やがて僕は巨大バーガーを食べ終わったが、先輩はまだ三分の一ほど残っていた。


「ポテト、食べる?」


 ジュースをストローで吸っている僕に片瀬先輩が聞いてきた。先輩はバーガーショップお決まりの三点セットを注文していたが、僕は巨大バーガーとジュースだけだった。


「いいです。もうお腹いっぱいなんで」

「そう?」


 納得していないような先輩の返事。


 今の僕ってそんなにまだ食べ足りないような顔をしてるんだろうか――そんなことを考えてると目の前に、すっと先輩の手が伸びてきた。その指にはポテトが一本。


「ホントに? ホントにいらない? 食べちゃっていいのかなぁ? ほらほらー」

「……」


 目の前でポテトが揺れ、それがゆっくりと口のほうに寄ってくる。


「……はむっ」

「きゃあ、釣れた釣れた!」


 ポテトに食らいついた僕を見て大喜びする先輩。


(釣られてしまった……)


 片瀬先輩って何でこんな子どもっぽいことが好きなんだろう? 先輩のことを聞いて回ったときにはそんな情報はなかったけどな。一夜が言うように三年生からも話を聞いておいたほうがよかったのかも。


「那智くんにあげるわ。ぜんぶ食べていいわよ」

「……いただきます」


 先輩がポテトを丸ごとトレイに置いてくれたので、僕はそれを遠慮なくもらうことにした。





「ごちそうさまでした。……さぁて、次はどこに行こうか? 那智くんはどこか行きたいところある?」


 ようやく食べ終えた先輩が訊いてきた。


「いえ、僕のほうは特に。先輩は?」

「わたし? そうねぇ、候補としてはゲームセンタにカラオケ、あと、最近行ってなかったからボーリングとかも行きたいかな?」


 指折り数えながら候補を並べていく。


「意外と普通なんですね」

「うん、普通よ」


 先輩はさも当然のように、さらりと言った。


「わたしのこと何だと思ってたの?」

「何って……」


 なんだろう……?


 片瀬先輩は僕の憧れで、聖嶺一の美少女。

 でも、今、僕の隣にいて、みんなが遊びにいくようなところに遊びにいこうとしている。


 ああ、そうか……。


(僕は片瀬先輩を『片瀬先輩』としか見てなかったんだ)


 聖嶺一の美少女、学園のアイドルと呼ばれる片瀬先輩を僕は心の中で偶像化し、理想を重ね、勝手に近寄りがたい存在にしてしまっていたのだ。


 だけど、何てことはない。


 実際は僕と同じ高校に通う先輩で、ふたつ年上の女の子。ファーストフードで昼食をとるし、ゲームセンタにも行く。普通の女子校生なんだ。


 僕は何だか嬉しかった。


「やっと笑った」


 ふと、先輩が言う。


「え?」

「今、那智くん、笑ってた」


 どうやら僕は嬉しくて、顔から自然と笑みがこぼれていたらしい。


「心配してたの。那智くん、わたしの前ではぜんぜん笑わないから」

「……」


 そりゃあ片瀬先輩の前だもの。緊張してぎくしゃくして、笑う余裕なんてなくなる。でも、それだけじゃなかったんだろうなと今は思う。


 いきなり、大人の顔で先輩は言うのだった。


「近くで見る那智くんの笑顔、とても素敵よ」

「……」


 あー、えっと……


 先輩が特別な人じゃないとわかっても、真正面から見つめられてこんなことを言われるとどきどきするわけで。


(ホント、心臓に悪いなぁ)





 それから、僕らは遊び回った。


 ゲームセンタにも行ったし、片瀬先輩がやりたいと言っていたボーリングにも行った。カラオケは時間の都合でまた今度ということになった。……うん? また今度?


「次はね、スイーツのお店。那智くん、ケーキとかは大丈夫?」


 歩きながら先輩が次なる目的地について語る。


「ぜんぜん大丈夫です。甘いものはけっこう好きですから」

「そう、よかった。男の子だからそういうのはダメかと思った。そこはわたしのオススメ。このあたりにくると必ず行ってるかもしれないわね」


 自分で言っていて恥ずかしかったのか、先輩は照れたように笑った。


「ああ、それが目的だったんですね。今日の待ち合わせをここにしたのは」


 ちょっと茶化すように言ってみた。


 最初から変だと思っていたんだ。待ち合わせをするにしては、家から一時間というのは遠すぎる。もっと近くでもよかったはずなのに。


「え? あ、うん、そう。そうなのっ」

「……?」


 見事な狼狽っぷりだ。何を慌てているのだろう?


「先輩? ……わあ!?」


 突然、僕がかぶっていたキャップが先輩の手で思いっきり下げられた。ツバが視界の半分を塞いでいる。


「何を――」

「上げちゃダメ」


 僕の言葉を遮るように先輩が言い、僕は手を止めた。


 いったい何ごとかと思ったそのとき――


「あっれー、司じゃない!?」


 前方から女の子の声が聞こえた。目深に下げられたキャップを上げられないため、僕は顎を上げて前を覗き見る――と、そこにいたのはどこかで見た覚えのある二人組の女の子だった。僕の記憶に間違いがなければ、確か片瀬先輩のクラスメイトだったはず。


「何やってんの、こんなところで」

「うん、ちょっとね」


 曖昧な返事で誤魔化す先輩。


「ん? 後ろの子は?」


 が、ひとりが目ざとく僕を見つけた。まぁ、先輩の斜め後ろにいるだけで、隠れてるわけじゃないし。


「ふふん♪ わたしたち、どう見える?」


 質問に対して質問で返すのはいけないと思います。


「もしかして、彼氏……なわけないか。かなり年下っぽいもんね」

「あら、そうよ。今つき合ってる子」


 なぬっ!?


 何をあっけらかんととんでもないことを言いますか。


「シンヤくんって名前でね。年下も年下、まだ中学三年なんだから」


 だんだん意図がわからなくなってきた。おそらく嘘か冗談で逃げ切ろうとしているのだろう。辛うじてそれだけはわかる。


「うそぉ!?」

「とうとう司が!?」


 口々に驚く二人組。この反応からして、片瀬先輩には今も過去も特定の男がいないという情報は真実のようだ。


「ほら、シンヤくん、挨拶は?」

「あ、はい」


 ここは話を合わせておくのがベストだろう。


「南第二中のアイバシンヤです。どうも」


 かと言って、あまり喋るとボロが出そうだ。自然、口数も少なくなるし、キャップを上げて顔を見せることもできない。今の僕はさぞかし無愛想なやつだろう。


「あー、いたいた。人に買いにいかせておいて、なに勝手に移動してんのよ」


 と、今度はさらに別の人物の声が聞こえた。


 声は女の子のものだけど、話し方がえらくサバサバしている。気になって顔を上げると、器用にソフトクリームを三本持った女の子が近づいてくるところだった。


(あ……)


 こっちは二人組以上に見覚えがあった。赤毛のセミロングと長身はまだ記憶に新しい。この前、体育館で一夜に声をかけていた上級生だ。


 そのとき、僕の横で微かに「くはぁ」という、ため息にも似たうめき声が聞こえてきた。片瀬先輩のものだ。「なんで円まで……」とつぶやく。


「じゃ、じゃあ、わたしたち、もう行くわ。……行きましょ、那……じゃなかった、シンヤくん」


 そう言うと先輩は僕の手を掴んで、その場から逃げるように歩き出す。その様子は明らかに動揺していた。





「危険人物……ですか?」

「そう。危険人物」


 件のスイーツの店に入り、陽当たりのよい窓際のテーブルで注文を終えると、片瀬先輩が「彼女は危険人物よ」と言った。彼女というのは、先ほどソフトクリームを持って現れた赤毛の先輩のことらしい。


四方堂円しほうどうまどか。奇しくも小学校五年から中学の三年間までずっと同じクラスだった親友よ。わたしが美術科、あの子が体育科で入学したから聖嶺に入ってからは、当然別のクラスだけどね」

「体育科……」


 言われてみればそんな感じだった。長身でバランス感覚のよさそうな、しなやかな印象を受けた。


「親友なのに危険人物なんですか?」

「親友だから、よ」


 わかるようなわからないような表現だ――そう思っていると、店員が注文したものを持ってきた。先輩がカプチーノとティラミス、僕はアメリカンにモンブランだ。


 まずは喉を潤そうとテーブルにあるスティックシュガーを手に取る。向かいでは先輩がこの店のことをいろいろ話していて、それを聞きながら砂糖を次々と放り込む。


「ねえ、那智くん?」


 ふと先輩が僕の名を呼んだ。


「はい?」

「それで三本目なんだけど?」


 僕はスティックシュガーの封を切ったところで手を止めた。


「ダメですか?」

「ううん、ダメじゃないけど……ものすごいことにならない?」

「僕、これくらい入れないと飲めないんですよ。やっぱり高校生だからコーヒーくらい飲めないといけない気もするし」

「無理することないのに」


 先輩はおかしそうにくすくすと笑った。


「……先輩はティラミス、好きなんですか?」


 何だか形勢が不利になってきたので、僕は話題を変えることにした。


「ええ、好きよ。ずいぶん前にブームがあったらしいけど、わたしはそんなのに関係なく初めて食べたときから好きね」


 それで先輩はティラミスを注文したのか。僕のほうは、ただ単に店オリジナルのデコラティブで洒落たお菓子を見てもピンとこなかったから、オーソドックスなモンブランを頼んだだけなのだけど。


 それから少しの間、僕たちは黙ってケーキを味わった。


 片瀬先輩がカップを口に運ぶ所作はとても優雅で、僕はしばらく見とれていた。先輩が時折見せる大人の仕草が、どうしようもなく僕を魅了する。だけど、今の先輩は何か考えごとをしているようで、僕の無遠慮な視線には気がついていない様子だった。


「ホントはね、違うの」


 前触れもなく――先輩が口を開いた。


「え?」

「会う場所をこんなところにした理由。さっきはこのお店にきたかったからって言ったけど、あれは嘘。本当は那智くんと会ってるところを誰にも見られたくなかったからなの」

「……」


 そう言えば、以前に僕を学校で無視したときも同じ理由からだったな。普段から何かと注目される人だから、妙な噂が立つとやりにくくなるんだろうな。


「それなのにまさか友達と会っちゃうなんて。ホント、ツイてないわ」


 本当のことを白状して気が楽になったのだろうか、先輩は力の抜けた様子で口をへの字に曲げる。


「だからあんな嘘を?」


 僕は先輩が友達相手にしれっと吐いたさっきの嘘を思い出していた。


「ええ、そう」

「にしては、豪快な嘘でしたね」

「隠しごとをするときはね、嘘にホントのことを混ぜて、いちばん隠したいことを埋もれさせるのが巧いやり方なのよ」


 と、無邪気ないたずらっ子の笑顔で、先輩は笑った。


 そのまま僕を見つめてくるが、そんな先輩の表情に何度も痛い目に遭わされている僕は、その視線から逃れるように顔を逸らした。ていうか、どんな表情だろうと先輩の視線に耐えられるほど、僕は図太くできていない。


 ガラスの壁一枚隔てた表の通りに目を向ける。


「先輩? どうやら今日はいよいよツイてないみたいです」

「どういうこと?」


 先輩が聞き返してくる。


「僕の友人がいました」


 我が友人、遠矢一夜がいたのだ。


 表通りをひとり歩いている。今の一夜は、薄い水色のレンズのプライベート用の眼鏡をかけていて、相変わらずの知的美少年っぷりにクールさ三割増だ。


 幸いにして僕たちに気づいた様子はなく、通り過ぎようとしている。


「あれって遠矢くんよね?」


 先輩も僕と同じ方向に目を向けている。


「知ってるんですか、一夜のこと」

「あら、有名よ。三年生の間では一番人気だもの」

「一番人気? 何です、それ?」


 今度は僕が聞き返す番だった。先輩のほうを見ると、先輩はまだ一夜を目で追っていた。


「言葉のままよ。新入生の人気ランキング・ナンバー1」

「そんなのあるんですか!?」


 ちょっと呆れたが、同時にわからないでもない話だと思った。僕らの間で言っている『聖嶺一の美少女』だって、それと同じようなものだ。結局、どこも似たり寄ったりの話題で盛り上がってるってことなのだろう。そして、あの一夜が一番人気だというのも十分に納得できた。


 僕は純粋な興味で聞いてみる。


「因みに二番って誰なんですか?」


 瞬間、ぴたり、と片瀬先輩の動きが止まった。


「……さぁ? 知らないわ。わたし、そういうの興味ないから」


 一気に氷点下まで下がったような口調で先輩は言う。そして、もうこれ以上喋らないという意思表示なのか、カップを口に運んでその口を閉じた。


 気まずい沈黙が僕たちの間に降りる。


 その重い空気から逃れるように目を外に向けると、一夜の姿はもう小さくなってしまっていた。最後まで僕たちには気づかなかったようだ。僕としてはちょっと寂しい。せっかくこんなところで見かけたのだから、声くらいかけたかったのだけど。


 ちょうど一夜の背中が人混みに消えたところで、先輩がようやく口を開いた。


「三年の何人かが交際を申し込んで断られたらしいわ」

「え? ……ああ、一夜のことですか」


 一瞬何のことかわからなくて反応が遅れた、


「へえ、そうなんですか。ぜんぜん知りませんでした」


 いわゆるひとつの撃墜ってやつ? ……何だよあいつ、自分には縁がないみたいな顔して、僕の知らないところでそんなことをしていたのか。


「那智くんは?」


 片瀬先輩が問うてくる。


「何がです?」

「女の子からの告白。あるんでしょ?」


 まるであるのが当然のような口ぶりだが、


「うーん、残念ながら」

「ええっ!?」


 先輩はえらく盛大に驚いた。そりゃあもう、こっちがびっくりするくらいに。


「そんなに驚くことですか?」

「変ねぇ……」


 何が変なんだか。


 先輩は指で顎をつまんだまま、テーブルの上のカップに視線を落として考え込んでしまった。いったい僕には何がなんだか。


 仕方ないので、僕は本当のことを言うことにした。


「正直、中学のころは何度かありましたよ、そういうの」

「あ、やっぱり? そうだと思った」


 先輩の顔がぱっと明るくなる。


「でも、高校に入ってからはまだ一度も。まぁ、この先もそんなものないにこしたことないんですけどね」

「どうして?」

「好きでもない人から打ち明けられても、ね。しかも、たいてい僕の知らない人だったりするし。結局は断る以外ないわけですよね? それで相手に辛そうな顔されたらもう最悪。何だか悪いことした気になっちゃいます」


 僕がそう言うと先輩は、「那智くんらしいわ」とくすりと笑った。


「じゃあさ、告白してきた子がかわいくて一目惚れってパターンは?」


 興味津々といった様子で、先輩はさらに質問を投げかけてくる。


「ないですね。そういう先輩は?」

「わたし? そうねぇ、ある……かな? 相手は噂でだけ聞いていた男の子で、実際に会ったらすごく格好よかったの」


 となると、最初に惹かれたのは容姿なわけか。


「それから気になってその子のことを見てたら、いろんなことがわかってきた。笑顔がかわいいとか、何かに打ち込んでるときの一生懸命な顔が素敵だとか、ね。もっともっと知りたいと思った。ちょっと変則的だけど、これも一目惚れかしら」


 まぁ、カテゴリ的には同じフォルダに振り分けてもよさそうだ。


「それで? 結果はどうなったんですか?」

「さぁ? ナイショ」

「うわ、なにそれ。せめて先輩が好きになった相手だけでも。どんな人だったんですか? 同じ学年? それとも上級生? それっていつごろの話なんですか?」

「知らなーい」


 そう言って先輩は微笑む。素っ惚ける気満々だ。


「気になる?」

「なります」

「ふうん。でも、おしえてあげませーん」

「むう……」


 ずるいよな。そこまで聞いたら気になって当然じゃないか。


「あれ? もしかして怒った?」

「……別に。これくらいで怒るほど狭量じゃないつもりです」

「ほら、ティラミスあげるから機嫌なおして」


 先輩はティラミスの最後のひと口をフォークに乗せて僕に差し出してきた。つーか、それやめれ。


「美味しいよぉ?」

「……はむっ」


 僕、ダメすぎ……。





「今から帰ったら丁度いいかな」


 店を出るともう陽が傾きはじめていた。なにせここから我が家まで一時間はかかる。たぶん、家に着くころには真っ暗になっていることだろう。


「今日は楽しかったわ。いろんな那智くんが見れたし。……那智くんは?」

「僕もです」


 僕も遠くから見てるだけではわからない片瀬先輩を見ることができた。


「そう。よかったわ。……だからね、もう遊んでもらえないからって拗ねたらダメよ?」

「だっ、誰が拗ねたんですか、誰がっ!?」


 そういう子ども扱いは心外なので激しく抗議させてもらおう。


「おやー?」


 だけど、先輩はにっこり笑って僕の顔を覗き込んでくる。この笑いは僕の苦手なあの笑いだ。ものすごく嫌な予感がする。


「『かまってくれない先輩が――』」

「おっしゃる通りです。拗ねてました。僕が悪かったです」


 本当にヤな人だな。


「正直でよろしい。……いい? 今日のことは秘密よ?」

「そうですね。そのほうがいいと思います」


 片瀬先輩には片瀬先輩の事情がある。

 だから、秘密。


 変な関係だな。


 でも、ちょっと面白いかもしれない。

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