廻る学園と、先輩と僕 Simple Life

九曜

第一部

彼のプロローグ

 明日からゴールデンウィークという、そんなある日の昼休みだった。


「なっち、ちょっとつき合えよ」


 声をかけてきたのはクラスのトモダチ。


「残念だけど、僕には男と交際するような趣味はないぞ」

「違ぇよっ」

「そうか、違うのか。そりゃ安心した。あと、なっち言うな」


 まぁ、違うだろうなとは思っていたけど。


「んで、つき合えって、どこにさ?」

「もちろん、美術科だよ。三年の美術科。片瀬先輩を見にいくんだ。前に言っただろ」


 何で『もちろん』なのかわからないけど。


「そうだな……」


 僕は思案する。


 片瀬先輩の話は、僕がこの聖嶺学園高校に入学してすぐに耳に入ってきた。『学園一の美少女』だとか、『聖嶺のアイドル』だとか。一部ではそんなふうに呼ばれているらしい。


 そんな噂の先輩。


 一度見ておくのもいいかもしれない。


「よし。じゃあ、つき合おうか」


 思い立ったが吉日、善は急げ、だ。





 トモダチと並んで三年十組の教室を目指す。

 その途中、ふたりの体がそれぞれ別の方向を向いて、互いに足を止めた。


「あれ? こっちじゃないのか?」


 僕が行こうとしているのは下り階段。三年の教室が集まっているのは二階下のはずだ。対するトモダチは、廊下をそのまま進もうとしている。その先は別校舎へアクセスする渡り廊下だ。


「体育科と美術科だけは教室が離れてんだよ」

「あ、そうなんだ」


 トモダチの説明によると、美術科はその性質上授業で美術室に行く機会が多いし、体育科も体育科で体育館やウラウンドなど、教室外へ出ることが多いから、それぞれ都合のいい場所に配置されているのだそうだ。知らなかった。体育科にも美術科にも知り合いがいないからな。


 僕は納得して体の向きを修正した。


 渡り廊下を通って別校舎へ移り、階段を降りて――やがて美術家の教室が近づいてくると、トモダチが口を開いた。


「片瀬先輩、いなさそうだな」

「なんでわかるんだ、そんなこと」

「いや、だって、先輩がいたらもっと男子が集まってるはずだからな」

「……」


 そいつはすげぇや。


 それでもふたりとも、いないならいないでその目で確認しないと気がすまないのか、そのまま三年十組の教室まで足を進めてしまう。


「やっぱいねぇな」


 トモダチが中を覗いて結論した。


 美術科というのは机の数から察するに、ほかのクラスよりも生徒の数が少ないらしい。そして、今教室にいるのは机の数の半分ほど。その中に片瀬先輩の姿はないようだ。ちょっと残念。せっかくきたのに。


「ま、仕方ないか」

「んだな」


 確かにいないと納得すると、僕らは回れ右をする。





 はるばる別校舎まで出かけていったわりには、これといった成果もなく教室への帰路を辿る。


 トモダチは過去に何度か片瀬先輩を見たことがあるらしく、道々その魅力について語ってくれた。説明と表現が致命的に稚拙だから、イマイチ伝わってこなかったけど。


「くっそー。片瀬先輩見たかったなー」


 トモダチはよほど残念だったらしい。


「……まぁ、ね」

「こうなったら代わりに飛鳥井先輩でも見にいくか」


 ほかにもいるのか。そして、お前は何でもいいんかぃ。


 開いた口が塞がらず、突っ込む気にすらならず、僕は歩き続ける。

 すると、その前方に気になる光景が広がっていた。廊下にいる生徒のほとんどが窓際に寄って外を見ているのだ。

 UFOでも飛んでいるのだろうか。

 いや、違う。その視線は一様に下に向けられていた。下は確か中庭のはず。


「いたっ」


 その野次馬根性を遺憾なく発揮して、いち早く窓の外を確認していたトモダチが叫んだ。


「なっち。いたぞ」

「うるさいな。何がいたんだよ。あと、なっち言うな」


 僕も窓際に寄り、外を見る。


 かくして――そこにその人は、いた。


 中庭の芝生の上に置かれたテーブルを数人の女子生徒が囲み、お喋りを楽しんでいる。ただそれだけ。よくある風景。にも拘らず、その人が輪の中心にいるとわかる。


 僕は彼女を、まるで人形のようだと思った。


 小さな輪郭の中に各パーツが丁寧に配置された相貌。そこには年相応のかわいらしさと、大人っぽさが絶妙のバランスで同居していた。リボンのついた髪はハニーブラウン。とても柔らかそうだ。


 そう、それが片瀬司かたせ・つかさだった。


 僕が先輩を見るのはこれが初めて。どれが彼女だと誰にもおしえられていない。それでも僕には彼女が噂の片瀬先輩なのだと、ひと目でわかった。それほど彼女の存在は際立っていた。


 僕は衝撃にも似たものを感じて、目を奪われた。


「片瀬さーんっ」


 どこかのお調子ものの男子生徒が大声を上げた。それでも片瀬先輩は嫌な顔ひとつせず、校舎の窓に向かって手を振って、笑顔で応える。『聖嶺のアイドル』とはよく言ったものだ。これじゃ本当にファンの声援に応えるアイドルだ。


「片瀬先ぱーいっ」


 これは僕の横にいるバカの声。


 片瀬先輩は先ほどと同じように、今度はこちらに顔を向けて手を振り返した。





 そして――、


 その視線が少し横に移り、僕と目が合った。





「……」

「――」


 それはまるで永遠のような一瞬――というのはあまりにもチープな表現だけど、実際に僕はそう感じた。きっと片瀬先輩の大きな瞳に、吸い込まれるようにして見惚れていたからだろう。


 ……。


 やがて先輩がお喋りに戻り、視線が外れても、僕の心はあの深い色の瞳に囚われたままだった。


「おい、見たか今の。先輩、俺に手振ってくれたよっ」


 トモダチの声に、はっと我に返る。


「……あぁ、そうだな。でも、お前だけに振り返してくれたわけじゃないだろ」


 そして、僕もな。


 目が合ったことに特別な意味があるわけじゃないだろうし、第一それだって単なる気のせいかもしれない。錯覚は禁物だ。所詮は高嶺の花。僕ら一年にとっては、遠くから憧れるだけの人なのだから。


「ま、いいじゃねぇかよ。おかげでゴールデンウィークに何かいいことありそうな気もするしな」

「……お前のポジティブさには感心する」


 そうか。明日からゴールデンウィークだったな。僕は友達と遊びに行ったり、家の雑事に追われたり。


 でもって、休みが明けたら今までと同じ単調な学園生活に戻るのだろうな。まぁ、それくらいの方が平和でいいのかもしれない。

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