第16話 支配
千冬の父親はその頃、車の中から彼女のアパートの様子を窺っていた。
千冬は全く気付いていなかったのだが、彼女の父親はとっくに千冬を見つけ出しており、ここしばらくの間、千冬の家の周りを始終車でうろついて、二人のことを監視していた。
彼は今、どうやってまた千冬を支配してやろうかと思案しているところだった。夜月という青年が邪魔だったが、なんとなれば彼のことは殺してやってもいいと思っていた。
父親は昔から、家ではともかく、世間的には善良な人間を装い、本性を上手く隠せていた。しかしながら、千冬と妻が出て行ってからは、彼はストレス解消の道具を失ってしまった感が強く、今まで上手くやっていた筈の家の外でもしばしば苛々するようになった。以前であれば、家に帰ればきっちりと衝動を満たすことが出来ていたので、外で苛立ちを見せるようなことは一度だってなかった。
内なる憤懣をぶつける対象を失ってしまった彼は、それを、次第に会社の部下などに当たるようになった。そうなるのが必然だった。社内では段々と、彼は人が変わったみたいだという噂が立ち始めた。当然ながら、彼の人間性に対する評判もそれにつられて悪くなった。
数年も経つと、父親は部下に怒鳴り散らすのが日常になった。そんな彼に周囲の人間達は辟易し、誰も彼には寄りつかなくなってしまった。そんな折り、会社では、不景気の煽りを喰って人員削減が計られることになった。妻子が家を出ていかず、以前のままでいられたなら、彼はなんとか職を失わずに済んだ筈だったが、その時は既に、社内での彼の評価は最悪で、彼はすぐに退職者候補のいの一番に挙げられてしまった。そうして、不本意ながらも彼は退職に追い込まれた。退職の際にある程度の退職金は得られたものの、職を失って、彼は窮地に立たされた。また、再就職も難航し、元々堪え性など無いに等しかった彼は、もはや真っ当に働く気力をなくしてしまっていた。
退職金を切り崩しながら、酒を飲んでは女を買うといった毎日。貯金はまだまだ残っていたものの、それにしたってこの先数年で底が尽きて、いずれ近い将来に火の車となることは目に見えていた。お陰で彼の気違いじみた苛立ちは、日増しに鬱積していった。
二ヶ月程前、憂さ晴らしのつもりで、彼は風俗情報誌に載っていたある遠くの町の風俗店に行ってみた。
その店で官能の一時を楽しんだ後、店を出てからぶらぶらしていた彼は、思いもかけずばったりと、それまで所在が分からなくなっていた千冬に再会したのだった。その場では千冬に逃げられたが、彼がそんなに美味しいチャンスをみすみす逃す筈がなかった。昔のように、また千冬を痛めつけて楽しめると思い、彼は狂喜した。
あの路地で千冬を取り逃がしてから、彼は一旦自分の家に戻り、車に乗ってこの町へ戻って来た。それからは、車の中で寝泊まりしながら徹底的に千冬を探し回った。
彼は、千冬に逃げられた地点から半径約二十分以内の場所をひたすらうろつき回って、そしてとうとう近くのコンビニで、男と一緒に連れ立って買い物をしている千冬を見つけ出すことに成功した。
彼女を見付けてからも、父親は気長に二人のことを探っていった。彼らの状況を詳しく掌握した上で、時間をかけてたっぷりと楽しみながら、千冬の生活をゆっくりと壊しにかかるつもりだった。そういう点においては、彼は執拗で、かつ慎重であった。
千冬、お前のせいで俺はあんなにもストレスが溜まって、それで会社もあんなことになってしまったんだ。お前があの馬鹿女と一緒になって出て行ったからだ。俺のおもちゃだったくせに、つまらない事しやがって。俺の生活が狂ってしまったのも、全部お前のせいだ。これからは、たっぷりとその償いをしてもらうからな。お前がどれだけ俺の人生を滅茶苦茶にしたか、お前に思い知らせてやる!
彼は時には、千冬でなく夜月の後をつけて、夜月が何をして働いているのか、毎日の生活パターンはどういう具合になっているのか、といったようなことを詮索し続けていった。
若造が。たいして能力もないくせに、まんまと仕事にありつきやがって。その上さらに、あんな馬鹿小娘をたらし込んで毎晩ヤリまくりのままごと遊びか。いい気なもんだな、おい。だがまあ、せいぜい今の内に楽しんでおくがいい。もうすぐお前の生活も終わる。俺が味わっている不幸のどん底ってものを、お前にも分からせてやる。
更に彼は、夜月が町中を駆けめぐって、赤い鞄なるものを探していることも調べ上げていた。
この町の人間でなかった彼は、赤い鞄の言い伝えがどういうものなのか全く知らなかった。そこで、夜月が訪問した人物の中の一人を選び出し、後日そこを訪ねていって、相手を拷問責めにした挙げ句、中に何が入っているのかを聞き出そうとした。拷問している間、千冬以来、久々に誰かを痛めつけられることへの快感に、彼の胸は躍った。相手は見知らぬ人間なので、彼はなんの容赦もしなかった。何度も相手を殴り、蹴り飛ばし、最終的には骨を数カ所折るところまでいった。けれども、父親のそんな暴力にも、相手は口を割らなかった。何をやっても白状しないので、彼は苛立って、とうとう相手を殺すことに決め、ナイフでその相手の胸を深々と突き刺した。だが、そこで彼は、驚くべきことに相手が不老不死の身体であることを知り、そうして、赤い鞄の中身が何であるかということを、夜月よりも先に突き止めてしまっていた。
その後、彼は夜月を自由に泳がせておいて、夜月が赤い鞄を手に入れた時点で、それを横取りするという計画を画策した。
夜月の動向からすると、赤い鞄はもうすぐ見つかりそうな雰囲気があった。父親は、そろそろ千冬に接触を計って、彼女の意識を徐々にずたぼろにしていってやろうと思い立った。
今朝、夜月が仕事に出たのを確認して、しばらくしてから彼は、千冬に電話での初めての接触を試みた。近くの電話ボックスに入り、公衆電話からダイヤルする。千冬が家に居るのは分かっていた。けれども、電話は留守番電話に切り替わるばかりで、千冬は出なかった。
居るのは分かってるんだ!
何で出ないんだ? 寝てるのか?
もう二、三回試みてみたが、全く出る様子は無い。彼はとりあえずその留守番電話に、脅しのメッセージを入れておくことにした。
……これがあいつの、不幸の始まりだ!
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