熱砂東京、愛を告げる

ユーラシア大陸

Encounter in TOKYO Waste Land

第1話 Under The Sun

 運命や直感と言った曖昧なものには、案外知らないだけでしっかりとした理由があるのかもれない。それは、どこまでも突き抜ける青空と、我が物顔で地上を照らし続ける太陽によって乾いた世界と化したこの世界でも同じなのだろう。

 だからこそ彼女は、全てを終わらせるその間際に叫んだ。


 ――おぞましい見た目だからなんだ。人殺しの兵器だからなんだ。化け物だからなんだ。

 ――そんな声なんかに、アタシの存在を否定させやしない。そんな声なんかに、アタシの思いを否定させやしない。


 「アタシは……!アタシは……!」


 ――もし本当に神が人を作ったとしても、人が生み出した始祖計算機エニアックなんかにアタシがアタシたる所以を託してやるものか。


 故に彼女は、彼女自身の欠落を愛してやったのだ。

 自らの存在を証明するため、あらん限りの声で。


 「——アタシは!アヤメだ!」







  Welよ歓coうmeこ迎そtoそToト光u臨ウkyoキョ東ウu京へ





 焼け付く太陽の下、干からびた廃墟群を一人の少女が歩いていた。灰色のビルや崩れたバラック小屋を通り抜け、ひりつく様な炎天下で顔色一つ変えず歩みを進む。およそ少女が一人で歩く様な場所ではなかった。


 よく見れば彼女の顔つきは、切れ長の赤い瞳に鼻筋は綺麗に通り美しく整っているものの、まだ幼く、高く見積もっても十五歳が精々と言ったところだろうか。

 腰まで伸ばした黒い長髪も、本来は美しく磨かれたシルクの様であったのであろうが、廃墟群の中にあってはすっかり土埃まみれで薄汚れてしまっていた。

 衣服らしい衣服も着ておらず、肩口までフィットしたベストと、ぼろぼろに煤けたショートパンツのみを身に着けている。


 そして何よりも異質なのは彼女の衣服の先にある四肢である。

 一見、腕の形を模した義手には、巨大なライフルや鋭利な刀が備え付けられていた。あるはずの両足は鋼鉄で形作られた義足に挿げ替えられている。

 細く華奢な体には似合わない、異形の四肢には、どれも一様に泥や錆び、そして乾いた血がこびりついて固まっていた。


 「目標補足ターゲット・イン・サイト戦闘コマンドモード、アクティブ」


 長髪の異形少女は無感情に呟き、歩みを止めると、右目の瞳孔を何度も収縮させ、崩れたビル群の一角に視線を向ける。

 日の当たらないそこには、むき出しになった鉄骨や崩れて最早読めないネオン看板が今にも落ちそうになってぶら下がっているのみである。


 『戦闘コマンドモード了解。やれ』


 少女の脳内に低い男の声が響く。彼女はこめかみを二度、銃器と化した右手、その銃床で軽く叩いた。

 すると眼前の空中にはいくつもの光学ウィンドウが投影された。脳内に埋め込まれた積層網膜投影画面インプラントディスプレイだ。


 中でもひときわ大きい中央の円形ウィンドウに改めて右目を合わせる。彼女の瞳孔が動く度に円形ウィンドウが収縮し、その中に映し出されている風景をズームして見せた。

 目の前の廃墟、その中でも何の変哲もないコンクリート塀を円の中央に収めると、彼女の瞳孔は動くことを止めた。


「撃つよ」


 無感情に彼女が呟くと同時に、右腕を突き出す。

 次の瞬間、耳をつんざく轟音と共に、肘から猛烈な勢いで煌びやかな火炎が吹き上がり、砂埃を巻き上げる。手のひらに当たる銃口から黒色の弾丸が飛び出し、瞬く間に硬質音を響かせ、コンクリート塀をぶち抜いた。


 「オーケー?」

 『NG。テイク2』

 「オーケー」


 長髪を再度爆炎に揺らし、彼女は銃を放った。細分化されたコンクリート片がさらに細かく砕かれ、あたりに埃が巻き散らかされる。

 飛び散った鋭いコンクリート片が彼女の頬をかすめ、薄らと血を流す。だが少女は眉根をピクリとも動かさず、無機質な目で崩れた瓦礫を見据えた。


 少女は異形の足に力を込めると、人間業とは思えない勢いで飛び上がった。そのまま打ち抜いたコンクリート塀の上へと勢いよく飛び降りる。砕け散った瓦礫の下からはうめき声が聞こえてきた。


 「くそっ、てめぇ……MG《モディファイ・ガール》かよ」

 「そうだよ」

 「悪趣味なだぜ、糞がっ……」


 瓦礫の下には、すっかり黒く日に焼けた白髪の男が血を流して倒れ伏している。端正な顔つきを見ればまだ相当に若いが、右頬につけられた大きな傷跡を見れば、どんな生活を送ってきているのか、なんとなく察しがついた。

 ところどころ千切れた彼の黒いコートにも血がべったりと染みつき、最早元の色すらわからない。血を流しているのみならず、誰も来ないこの廃墟で瓦礫の下敷きとなっていれば、早晩助からないだろう。


 『おい、聞こえるか。首尾はどうだ』

 「聞こえているよ。目標鎮圧ターゲットダウン生命活動バイタルサインは低下しつつある模様。この後はどうする?」

 『そいつのスピーカーLANに接続しろ。持っていなければお前のスピーカーで直接話す』

 「イエス、ボス」


 少女は脳内に響く男の声に従い、目の前で倒れ伏している男の首元を漁る。短く刈り上げられた後頭部に埋め込まれたLAN接続口を探すのは容易いことだった。

 少女は薄い胸元から一本のコードを取り出すと、日焼けした男の後頭部に突き刺す。


 「ぐあっ……痛てえじゃねぇかこのアマ……こっちは死に掛けてんのによ……」

 『死に瀕しているのが分かっていながら豪胆なのは素晴らしいことだな』

 「あぁ……?誰だよテメェは……」

 『俺は近重。近重栄一郎ここのえ えいいちろうってんだ。なに、ただの雑用屋カウボーイだよ。お前さんに話が合ってちょいとお電話フリートークの時間をもらってんのさ。ハロー、どうだい天気の様子は?』

 「大雨だぜ……とりあえず俺の血管が氾濫してるから、せき止めるようニュースに流しておいてくれや……」

 『そりゃ申し訳ないが考慮してないんだ。お前が暴れまわる限りは。……この辺りを荒らしまわっている連中の頭、大河峰春樹たいがみね はるきだろう、お前?若いのに大した人望だ』


 倒れている大河峰の脳内に、近重と自称する男の声が響き渡る。その度に彼の後頭部の接続口が針を突き刺すように痛む。正規のLAN接続口手術を受けていない証拠だ。


 「だったら何だって言うんだよおっさん……荒くれ者の頭を殺してはい平和、それで終わりでいいんじゃねえのかよ……」

 大河峰は口から血を垂れ流しながら毒づく。しかし見る見るうちに寒気が彼の体を巡り、それが彼を心底ぞっとさせた。


 『お前に死んでもらっては困るんだよ。ちょっと荒っぽい手を使ったがな。まあ今まで散々好き放題やってきたんだ、因果応報カルマ・リングってやつだと思って勘弁してくれ』

 「ねえ栄一郎、いつまでも楽しいお電話フリートークをしてるとこいつ死んじゃうよ」

 『何日も追いかけ回して死んじまった、じゃ話にならんな。手術用キットで応急処置してやれ、アヤメ』


 長髪の異形少女、アヤメは僅かに表情を歪ませて溜息をつく。彼女の額に滲んだ汗は砂埃を吸って薄黒く滲んでいた。それをライフルを埋め込まれた右手で拭い去ると、刀そのものと化した左腕を倒れている大河峰に向かって突き出す。

するとは瞬く間に大ぶりの刃が二の腕に畳み込まれ、代わりに無数のメスや注射器、縫合用の針やガーゼが掌と前腕部の代わりとして出てきた。


 「本当にこいつを治すの?だったら最初から撃たない方がよかったと思うんだけど、アタシは」

 『目標は無力化してから拘束。それが鉄則バイブルだろ。アヤメが下手に撃たれて資材を使うのも勿体ないからな。何より、敵は元気じゃない方が危険は少ない。まあとにかく、そいつに処置したらキャンプに連れ帰ってきてくれ。』

 「とでも言うのが良いのかな?」

 『ああ、是非そうしてくれ』

 「イエス、ボス。


 アヤメはそう言うなり通信を切った。彼女の眼前には『通信終了トーク・オフ』と光学ホップアップが躍り出る。右目を二度ウィンクし、光学ホップアップを閉じると、足元で倒れすっかり縮こまっている大河峰を見下ろした。


 瓦礫に埋もれている大の男を難なく引きずり出すと、アヤメは傷口を探す。体中に降り積もった瓦礫を蹴り落とすと、右足の太腿に黒々とした銃創が一箇所だけ開けられており、際限なく鮮血があふれ出していた。


 「安心して、撃ったのは二発だけど、どっちも同じ箇所に通している。すぐ治せば死にはしないよ、多分」

 「ぐっ……そういう問題……かよっ……!おい操り人形、きっちり俺を治してくれよな……」


 もはや蚊の鳴くような声で大河峰は呟く。アヤメにはその声がよく聞こえなかったが、さほど気にすることもなく左腕から生え出た医療キットを傷口に宛てがう。

 「があああぁっっっ……!いてえ……!食糧探しに来てこんな目にあうなんてな……!」


 消毒液を含んだガーゼやピンセットが何度か体に開けられた穴を行き来すると、大河峰は額に大粒の汗を滝のごとく流しながら歯を食いしばった。

 傷口の洗浄が終ると、今度は薄いシートの様なものが太腿の傷口に張られる。真っ赤な傷口に張られた途端、それはたちまち銀色に変色し、流れ出る血を止めた。


 もう少し時間が掛かりそうだと見ると、左腕の施術をオートマチックモードに切り替え、アヤメは空を見上げる。

 どこまでも広がる青空に佇む、痛いほどに眩しい太陽は、しかし彼らのいるビルの一角だけは照らすことはなかった。代わりに彼らを包むのは、流されてきた砂埃のみである。


 「はあ……暑いなあ……」


 はるか遠くの空に見える鼠色の雲は雨を降らすことなど滅多になく、ただ空の片隅にいつも浮かぶのみだった。

 干上がった東京湾に程近いここには、今や潮風が鼻腔をくすぐることなく乾燥した熱風のみが吹き荒れる。

 行き過ぎた開発と、世界を襲った異常気象による極端なヒートアイランド現象が、東京から海を奪い取った。


 空から少し目線を落とすと鉛色の巨大な壁が遠くに見え、そこから壁より少しばかり高い、崩れかけた高層ビルの先端が飛び出して見える。

 今や東京は灼熱に蹂躙された跡地となり、ひっそりと巨大で歪んだ壁に覆われてその姿を消していた。


 ぼんやりと彼方に見える巨大な壁を見つめていると、左腕のリカバリーキットが施術を完了した旨を知らせるアラートを鳴らす。

 アヤメは面倒くさそうに左腕を引っ込めて髪をかき上げると、その腕の先端に付いた三本指のマニュピレーターで大河峰を軽々と持ち上げて担いだ。並の少女にはとても真似できぬ業である。


 「あがっ!てめぇこの……!化け物野郎、もっと丁寧に扱えってんだ……!」

 「アヤメだ。アタシは化け物じゃない」


 ぶっきらぼうに言い放つと、アヤメは大柄な大河峰の体を半分引きずるように抱えて歩き出した。その歩みに淀みは一切ない。むしろ、揺らされている大河峰の方が苦悶の表情を浮かべていた。


 「なあお前、何で俺をこんな目に――」

 「アタシはアヤメだ」

 少女は眉根を少し吊り上げ、語調を強めて言い聞かせる。


 「アヤメか。へっ、大した名前だな。なぁおい?人権もクソもねぇ、化け物の割に立派なもんだ。人殺ししか能がねえのによ」


 大河峰はわざとらしく大きな溜息をつきながらアヤメを挑発する。大怪我をしてもなお、その減らず口は塞がれないようであった。


 「そうか、ならアタシはその性分を全うしてもいいんだな」


 言うが早いか、アヤメは抱えていた大河峰を地面の上へ無造作に放り棄てると、右腕のライフルを構えた。その銃口は過たず彼の額に狙いを定めている。

 だが大河峰は、傷口に響いたのか、脂汗をかきながら包帯を巻かれた傷口を苦しそうに押さえ付けた。そんな様子を見て、アヤメは心底呆れたように溜息をつく。


 「そんな調子じゃ、手を出さなくても死にそうなんだけど」

 「うぅっ……ぐっ、痛ぇ……」

 「痛いのは分かったからさ、黙って連行されていきなよ」

 「畜生、畜生……そうしてやるよ……」


 つまみ上げる様に首根っこをつかまえると、また造作もなく彼を担いで歩き始めた。

 しかし大河峰が先程にも増して苦痛の声を漏らすので、余りうかうかとしていられないな、とアヤメは歩くスピードを上げた。彼女の鋼鉄の足から、金属の擦れる甲高い音が静かな廃墟に鳴り響く。

 歩き出してしばらくすると、苦痛の声を上げるだけだった大河峰が思い出したかのように口を開いた。


 「なあおい、さっき聞きそびれたけどよ……何で俺をこんな目に合わせてくれたんだ。何か用でもあるのかよ……」

 「用がなきゃこんな面倒なことしないよ。あんたに会う必要があったから。まあ、あんたが逃げ出したり反撃したりしてきたから、今こうして担がれている訳だけど」

 「じゃあその用事ってのは何なんだよ……」

 「それはアタシの母さんを――」


 アヤメはその問いに答えようとしたが、途中でやめた。目の前で男が、アヤメを待つように立っていたからだ。

 オールバックにした黒髪と、不精髭、そしてやけに達観した眼差しを見せる黒い瞳が、廃墟の中に佇む男として随分格好がついていた。薄いコートに身を包み、吹きすさぶ砂埃を意にも介さず立ち尽くしている。

 男は短くなった煙草を一つ吹かすと、さび付いた携帯灰皿をこじ開けその中に放り込んだ。


 「アヤメ、無事に着いたか」

 「何とか。ただいま、栄一郎」

 「ああ、おかえり」


 その男、九重栄一郎は、自分よりも遥かに身長の低いアヤメを見下ろすと、担がれていた大河峰の肩を取り、アヤメから引き剥がす様に受け取った。


 「アタシがテントまで運ぶよ。重いでしょ」

 「大丈夫だ」


 九重は大河峰を片腕で担ぐと、空いた方の手をひらひらと振った。だがやはり重かったのか、姿勢を崩してしまい、慌ててもう片方の腕で担ぎ直す。また悲痛な声が響いた。

 アヤメは心配そうな顔をしながら、九重の後ろをくっ付いて歩く。時折九重がよろめくたびに、手を貸そうか、と言うものの、彼はそれを断った。


 廃墟をいくらか進むと、崩れたビル群の隙間に張られた小さなテントが見えてきた。テントの周りには穴の開いた大きなパラソルや錆びたラジオ、壊れかけたテーブルとイスが並べられている。そこが九重とアヤメの生活拠点であった。


「よっこらせっ……と!」


 気張る様な声を出しながら大河峰をテントの入り口まで運ぶと、すぐさまアヤメがドア代わりに掛けられている薄布をめくり上げた。九重は倒れこみながら、担いでいた大河峰を粗末なベッドの上へ放り出す。大河峰は一際強い苦悶の声を上げた。


 「やっぱり大の大人を運ぶってのは骨が折れるな」

 「だから言ったじゃん。アタシが運ぶよって」

 「ああ、まあ何だ。女性に優しくするのが俺のポリシーなんだ。多分」

 「多分って……。廃墟の中に1人アタシを出向かせるのもポリシーなの?」

 アヤメはわざとらしく口を尖らせる。


 「そこはじゃあ、ほら、あれだ、適材適所ベストアサインだ。お前俺よりよっぽど強いだろう」

 「そりゃそうだね。弱かったらアタシなんてどうしようもないし」

 「まあ許してくれ。今回はちょっと腰を痛めて遠隔支援になっちまったが、次からはしっかり同行する」

 「すっかりおじさんだなぁ。次は一緒に行こうね!」


 そう言うと、アヤメはけらけらと軽く笑った。年端のいかぬ少女らしい可愛い仕草であった。もちろん、異質なその四肢の風体を除けば、だが。


 「アヤメ、今日の仕事はもう終わりだ。着替えてこい」

 「イエス、ボス」


 金属で塗り固められた足であるにもかかわらず、重さを感じさせない足取りでアヤメはテントからぱたぱたと飛び出していった。


 テントの中には、息を切らせる大河峰と、汗を拭きながらその様子を見つめる九重だけが残った。九重はすっかり血で濡れた悪党の顔を、擦り切れたタオルで拭いてやりながら問い掛ける。


 「大河峰、だっけか。荒っぽい手段に出て悪いね。まあおあいこだと思ってくれ。今まで散々盗みだの集落荒らしだのしてきたんだろう?それに、うちの可愛いアヤメも怪我をするかもしれなかったのだからな」

 「ふん、俺は盗みは幾らでもやるがな、ちょっと位盗まれたって屁でもねえ奴からしか盗まねえよ……義賊って柄じゃねえがな……。それよりもよ、MGなんざ人間様の鉛玉食らったってそれこそ屁でもねぇだろう……痛いとも言わねえし、眉ひとつ動かしゃしねぇんだ。あの化け物共は」

 「普通の人格調整されたMGならな。……あの子は、アヤメはそうじゃない。化け物じゃないんだ」


 懐からくしゃくしゃに握りつぶした紙巻きたばこを取り出し、九重は火をつける。

 深くフィルターを吸い上げると、勿体ぶりながら紫煙を吐きだした。


 「はぁ?……どういうことだよ。洗脳だか投薬だか知らねえが、それでMGって奴は機械みたいになってんじゃねえのか」

 「アヤメはかつて軍属のMGだった。東日本軍のな。だがある時、所属していた部隊が戦闘で壊滅、そのままはぐれちまった。おかげで継続して投薬やら洗脳で調整されるはずの人格が元に戻っちまったんだ」

 「そんなことがあんのかよ」

 「あるんだよ」


 九重は大げさに肩をすくめて見せると、そばに置いてあった欠けたコップに注がれていた水を飲んだ。

 底に少し残った水を、ベッドの上で横たわる大河峰の口に含ませてやる。だが途中で咳き込んでしまい、口に注がれた水の殆どが吹きこぼれてしまった。


 「ゲホッ…ゲホッ…それで、いったい俺に何の用があってこんな目に合わせてくれたんだ?俺の誕生パーティーでも開いてくれるつもりか、おい?」

 「ああ、それもいいな。丁度おあつらえ向きの酒がこないだ手に入ったんだよ。ギムレットでも作ってやろう。まあ、水も飲めない今のお前にはもったいない代物だが」

 「けっ……ギムレットには早すぎる、って言った方がおっさん的には好みかよ?」

 「ほう。お前とは良い酒が飲めそうだ。何もせずにだな」


 茶化すようにおどけて見せたが、大河峰は苦虫を噛み潰したような表情のまま押し黙ってしまった。額の際には大粒の汗が絶え間なく浮き上がっている。


 笑っていた九重は急に真面目な表情になったかと思うと、身を乗り出して横たわる大河峰に低い声で尋ねた。


 「本題に入ろう。お前、東京都内のMG研究所の場所を知っているな?」

 「なんでそんな物を……」

 「答えろ」


 一層低く、ドスの利いた声で九重は迫る。大河峰は考える素振りを見せたかと思うと、横を向いて押し黙ってしまった。その様子をしばらく見て、九重は答えを待たず口を開く。


 「さっき言ったかもしれんが、俺らは雑用屋カウボーイだ。人探しに廃墟漁り、要望があれば傭兵業も。そんな仕事の中でMG研究所のあたりを根城にしている連中の話を聞いてな……。調べていく内に、そのリーダーがお前だってことに行きついたって訳さ」

 諭すように言うと、大河峰はつまらなさそうに鼻を鳴らした。


 「俺らはアヤメの母親を探している。あの子がMGになる前、まともな人間として生活していた時の母親だ。アヤメの製造記録バースデイ・メモリーを遡れば、恐らく出自が分かるデータが得られるはずだ。あの子は昔、東京に住んでいたそうだからな。だからこうして、研究所への案内インフォを頼むためにお呼びしたって訳さ」

 「そうかい……道案内を頼むんだったら、相応のやり方があると思うんだけどよぉ」

 大河峰は苛立たしげに吐き捨てる。


 「さっきも言ったが、お前が反撃しなけりゃこんな目には合わなかったんだぜ。逃げ出す前にも警告はしたはずだ」

 「誰だってあんな不気味な化け物が目の前に現れれば驚くだろうが……!」

 「だから


 思わず九重は叫んだ。その一声に、大河峰は一瞬ビクッと体を跳ね上がらせる。そのはずみで傷口がまた痛んだのか、またもやうめき声をあげた。


 「化け物じゃない、だって……?なんだってあんた、あのアヤメだかって言うMGに入れ込んでんだよ……変態野郎かてめぇは……」

 「あの子は……俺と同じなんだよ、多分」

 「どういうことだ?」

 「さっきアヤメが母親を探している、って言ったが。俺も家族を失っているんだよ、去年この辺りで起きた戦闘で。おまけに、『家族でいつか東京に行こうね』なんて約束もしてた。だから肉親と離れる気持ちも、会いたい気持ちも痛いほどわかる」

 「随分臭い理由だな、おっさん……」

 「臭いかもしれんな。でもまあ、子供だろうが俺みたいなおっさんだろうが、人間なんて実の所、そんなもんじゃないか?それが行動する理由になるんだったら十分だろう」


 そう言うと、九重は自嘲気味に笑った。


 「別に俺らは、内戦を終わらせようとか世の中を変えようなんざ思ってはいない。ただ静かに暮らせて、自分と自分の周りが幸せであればそれでいいんだ」

 「ふん……分からないでも……ねえけどな……」

 「それにだ。アヤメとは俺が家族を失ったその日に出会ったんだよ。あの子を見た瞬間、何故だか分からんが、居てもたってもいられなくなったんだ。直感って奴だろうな。笑っちまうほど単純だが」


 九重は少しだけ口を開けて笑って見せる。それなりの年だが、綺麗な歯並びだった。


 「家族を失ったとかなんとか言ってたけどな……そんな奴が別の人間を、しかもガキを守れんのかよ……まあ、MGだから何とでもなりそうだけどな……」

 「……痛いところを突いてくるじゃないか。でも、だからといって目の前のアヤメを見捨てる理由にはならんだろう?それにあの子はMGでありながら兵器を止めて人間に戻った。殊更に放ってはおけないと思うんだがね」

 「そりゃごもっともで……。ああ糞、俺は他人のことなんか気にかけてる場合じゃねえや……畜生痛え……」

 「安心しろ、お前のアジトに連れて行ってもらえるようにしっかり治してやるから。少し休んでな」

 九重がそう言い終えるのと同時に、アヤメがテントに掛けられている薄布からそっと中を覗いた。


 テントの隙間から見える彼女の姿は、先程までの異質な姿形がすっかり鳴りを潜めており、代わりに年相応の少女らしい服装になっていた。

 というのも、異彩を放っていた四肢が全て覆い隠されていたからである。


 「栄一郎、入るよー?」


 腕は指の先まですっぽりと大きめの白いカーディガンに包まれており、凶器の類は一切見えない。

 鋼鉄の両脚は青く長いフレアスカートですっかりと見えなくなっており、足首から先も背の高いブーツを履いている。汚れていた髪や顔も洗ってきたのか、少女らしい柔らかな質感を取り戻していた。


 傍から見れば、廃墟に似つかわしくない美少女そのものである。


 「おう、アヤメ。着替えてきたか」

 「うん。……そいつは生きてるの?」

 「元気だぜこいつは。何とでもなりそうだ」

 「そっか。良かったよ」

 「これからこいつの話を聞く所だ。初めて行く所だからな、迷子になっちまったらかなわん。怖いおじさんに襲われないように道案内してもらわんとな」

 「分かった。もうちょい時間かかりそうみたいだし、外で待っているよ。話が終ったら呼んでね」


 そう告げるとアヤメはそそくさとテントから離れ、外に並べられている椅子に座ってラジオをかけ、聞き入った。医療用に変形した左腕の義手は、細かな日常動作にも役立つのだった。


 ノイズに入り混じりながらひび割れたジャズのスウィングが流れる。

 今はもう新しい音楽が生まれることはほとんど無い。それ位、日本は疲弊しているのである。

 流れているこの音楽だって恐らく随分と古いもので、ラジオ電波もこっそり流されているのを拾っているだけだ。


 アヤメはラジオを聴きながら青空を見つめていたが、ふと急に泣き出しそうになってしまった。しかし大半が人工臓器と機械に置き替えられた胸が痛むことはない。

 その泣きそうな気持ちを何とか理解しようとするのだが、彼女の意識の水底にあるそれには何故かいつも到達できなかった。


 ただ、この青空の下で九重と初めて出会った時のことだけは、電子エレクトロン神経細胞ニューロンの奥底で火花を散らせながらその残滓を留めていた。

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