#15.5 妙菊白
それはあまりにも唐突に告げられた。
突然すぎる呼び出しに訝しみながらも影の瀧石嶺家の当主からの呼び出しを無視するわけにもいかず、当主の間に訪れた妙菊白。
彼が姿を見せるなり、瀧石嶺万里が告げたのは彼にとっては信じられない言葉であった。
「…………は?」
長い、あまりにも長い沈黙の後、絞り出せた声はそれだけだった。
あまりにも意味が分からない。理解できない。理解したくもない。そんな言葉を告げられた。
その言葉を告げた熟年女性――瀧石嶺万里は冷え切った眼差しで妙菊白を見つめていた。
「もう一度告げる。あの子はもう瀧石嶺千里ではない。お前も新しい千里様に仕えるように」
「……な、なにを……仰っているのか、よく分かりません。どういう事、でしょうか?」
「あの子よりも相応しい人物が現れた。これはそれだけの話だ」
「意味が分かりません! 千里様よりも相応しい方など――」
「控えよ下郎。耳障りだ」
不意に響いたのは見知らぬ声。しかし、その声を耳にしただけで自然と平伏してしまいそうな威圧感がその声には込められていた。
白は緊張で体を強張らせ、その声の主を見る。
そこにいたのは年若い少年。
さらりとした黒髪に冷え切った漆黒の眼差し。野暮ったい黒縁眼鏡を掛けたいかにも優等生と形容できる容姿をしていた。
その少年を見るなり、その場にいた白以外の全員が平伏する。この瀧石嶺家を牛耳っている筈の万里までもが椅子から降りて、頭を垂れていた。
ありえない光景に白は目を見張る。
少年は白をつまらなそうに一瞥した後、ゆっくりと歩き出し、先程まで万里が腰掛けていた椅子に座った。あの椅子は瀧石嶺家の当主が座るべき場所。その場所に堂々と座った少年とそれを見ても何も言わずに頭を垂れ続けている瀧石嶺家の人間。
その光景が指し示す意味。先程万里が告げた言葉の意味。それらを繋ぎ合わせて考えれば、答えはすぐにでた。
――この少年こそが次の『瀧石嶺千里』なのだと。
彼は椅子に深く腰掛け、肘当てに肘をつき、品定めするような視線を白に向ける。
絶対的王者の裁定。そんな奇妙な居心地の悪さが白を襲う。だが、目を逸らすわけにはいかなかった。
彼は認められない。認めたくない。認めるわけにはいかない。
眼前の男が新たな『瀧石嶺千里』なのだと認めるわけにはいかないから、目を逸らさない。
目が合うだけで恐ろしくなる冷たさを宿す漆黒の双眸を真っ向から睨み返す。
やがて、少年は楽しげに口の端を僅かに上げる。
「……ふん、よかろう。この私を真っ向から睨みつける勇気に一度だけ私に対する不敬を許そうではないか」
「寛大な処置を感謝致しますわ。彼は『瀧石嶺千里』に仕える為だけに育てられた存在。どうかお傍に置いて頂けますでしょうか? 必ずや貴方様のお役に立つと思いますが……」
彼の言葉に答えたのは僅かに顔を上げた万里であった。彼女は白を一瞥してから、彼の意思をまるで無視した発言を口にする。
当然であろう。彼女にとっての白はただの道具。瀧石嶺千里に仕える為だけの道具。
自分の所有物が反抗するなど全く想像していない傲慢さ。それが瀧石嶺万里という女であった。
白が忌々しげに万里を睨みつける。しかし、彼女は白の睨みなど意に介さない。
「……千里様は何処に?」
「何を可笑しな事を言っている。千里様なら目の前にいるではないか」
「違う! 僕が言っているのは――」
「喧しい。羽虫が私の前で騒ぐな」
「っ!」
瞬間、白の全身は唐突に圧し掛かってきた重みに耐えきれず、床に倒れる。
重力で押さえつけられているかのように体が動かない。唇を噛みしめて、意地だけで顔を上げた。すると、少しばかり感心した様子の少年の顔が視界に入った。
「ほう。まだ私を睨みつける気概があったか。……まあよい。いまはお前のような羽虫に構っている暇などない。大人しくしているならばその命見逃してやろう」
ぱちん、と指を鳴らすと同時に白の全身に圧し掛かっていた重みは嘘のように消え去る。
属性の応用ではあるだろうが、他人を重力で押さえつけるような力の使い方など白は知らなかった。
彼は今まで見たどんな人間よりも危険だ。そう本能が訴える。
体を起こして、なおも眼前の少年を睨みつける。そんな白の態度に少年は楽しげに笑う。
「…………一つだけ教えてください」
「よかろう。言ってみろ」
「貴方は誰です?」
「なっ! 無礼な!」
「万里。良い」
憤る万里を抑え、少年は笑う。
ひどく醜く歪んだ笑みで笑う。だけど、その笑みにはどうしようもなく彼が本物だと思わせる説得力があった。
そして、彼はその笑みを浮かべたまま――。
「私は瀧石嶺千里。お前達が英雄と崇めている七百年前に真祖を封印した初代瀧石嶺千里の生まれ変わりだ」
そう高らかに宣言した。
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