#15-5 生離死別
「な、んで……?」
意味が分からなかった。
目の前の事実が理解できなかった。
優斗の問いに田中はニッコリと笑う。その笑みがどこまでも冷え切っていて、悪意に満ちたものだと気付くのに数秒遅れた。そして、その数秒の油断が優斗の命を脅かす結果となる。
田中の姿が消えたかと思うと同時に腹部に感じる熱。
「……え?」
深々と腹部に突き刺さっている白銀。
優斗はその白銀を見て、一拍遅れて自分が刺されたのだと理解する。同時に灼熱の痛みが優斗を襲う。
「……ああ、失敗した。心臓を狙うつもりだったが、ずれてしまったか」
響くのは無情な声。
腹部に突き刺さっていたものを抜かれて、優斗は力を失い、膝から崩れ落ちる。
その姿を目にして、花音の目が大きく見開かれる。
彼女の感情が大きく乱されたのが傍目からでも分かるほど、震えていた。
「おい小娘! おちつ――」
ムツキの言葉は最後まで続かなかった。
その言葉が紡がれるより早く、花音の悲鳴が響き渡る。
「いやぁあああああああああああああああああああ!」
瞬間、花音を中心に莫大なエネルギーが爆発した。同時に花音の中にムツキが吸い込まれる。
その姿を見て、田中は愉悦の笑みを浮かべた。
「ほう、やはり貴様が『傲慢』であったか」
「……かの……ん……」
まだ意識がある優斗は狂乱状態の花音に向かって手を伸ばす。だが、その手は花音に届くことはない。
彼女は優斗に手を伸ばされたことすら分からないほど、錯乱しきっていた。
「なんだ、まだ完全に封印が解けたわけではないのか。あの程度なら抑え込むのは容易い」
パチン、と指を鳴らす。途端に花音の周囲を水の膜が覆う。
錯乱しきった花音がその膜を壊そうと自属性の闇で反発するが、花音の闇は水の膜の中に現れたもう一つの闇に吸い込まれた。
目を見張る花音の全身に電流が流れる。
「あああああああああっ!」
悲鳴を上げて、意識を失う花音。彼女が気を失うと水の膜が壊れて、花音の体は地面に放り出された。
その様子を退屈そうに一瞥して、田中は黒服達に命じる。
「あの娘を捕らえろ。他の真祖を呼び出す餌にする」
「はっ!」
訳が分からなかった。
何故田中が生きているのか。
何故田中が怪しげな黒服の連中を従えているのか。
何故自分が刺されたのか。
分からなかった。理解できなかった。
おそらく花音と大河が知っていた何かがこの状況を引き起こした。
月舘優斗は何も分からない。何も知らない。だが、このままでは花音が捕らえられるのだけは理解していた。
花音は助けられる筈だった大河を殺した。それは事実だ。
何故彼女がそんな事をしたのか優斗には分からない。だけど、花音が今まで何度も優斗を助けてくれていたのも事実だ。
優斗が何度も助けてくれた花音達を守りたいと思っていたのもまた事実だった。だから、優斗は立ち上がる。
(……こんな時に守れなくてどうするんだ。いつまでも役立たずでいるわけにはいかない。花音が、大河が何を知っていたのかなんてこの際どうでもいい。なんで田中が生きてるのかもどうでもいい)
今にも気が遠くなりそうな痛みを堪えて、立ち上がる。
花音を捕らえようと動き出した黒服から彼女を守るように立ち塞がった。
(花音はいつも俺を助けてくれた。花音だけじゃない。嵐、晴、聡、幸太郎。俺はいつもみんなに守られてた。けど、そのみんなが動けないなら、俺が立ち上がらなくてどうすんだ!)
ぜえぜえと呼吸も儘ならない、肩で大きく息をする優斗は脅威にすらならない。嵐達を音もなく気絶させた黒服達を足止めする事すら出来るはずがない。
「…………」
それなのに、強い覚悟を宿した漆黒の瞳に気圧される。
黒服達も何故自分がこんな瀕死の少年に怯えているのか分からない。ただ下手に彼に近付くのは危ないと本能的に感じたのだ。
死にかけの猛獣が一番危険という考えが彼等の脳裏に過る。
そんな黒服達の怯えを感じ取ったのか田中が冷え切った眼差しを黒服に向けた。
「痴れ者が。其奴はただの反逆者。真祖を庇う大罪人。退鬼師の……いや、全人類の敵だ。……瀧石嶺千里の名において命じる。殺せ」
冷酷な声に黒服達は覚悟を決めたように動き出す。
眼前に迫ってくる黒服達を見て、優斗は目を瞑った。
諦めたか。そう判断して黒服の一人は一気に間合いを詰める。そして、優斗を取り押さえようとしたその腕が切り落とされた。
「え?」
男の声はそこまでだった。続いて、男は勢いよく顎を強打され、意識を失う。
気を失って倒れた男の傍に立っていたのは優斗だ。彼は全身に光を纏い、その手には光り輝く双剣を手にしていた。
その双剣は大河が持っていたものと同じだ。その武器を目にした瞬間、田中――いや、瀧石嶺千里は忌々しげに大河を睨みつけた。
「羽虫の分際で小癪な真似を……」
「…………田中。俺には良くわからない。お前が何を言ってるのかも。何で花音を狙うのかも。けど、花音は何度も俺を助けてくれたんだ。だから、俺も花音を助ける。ずっとそう決めてたんだ」
優斗は静かに告げて、双剣を構える。その顔は血の気を失い、蒼白だ。ドクドクと流れる血が彼から体温を奪っている。それでも、千里を見つめる瞳はどこまでも強く輝いていた。
優斗の顔を見て、千里は表情を歪ませる。心の底から優斗を憎んでいると分かる憎しみに満ちた眼差しが優斗を睨みつけた。
「またしてもお前は私の邪魔をするのか!」
その言葉の意味を優斗は理解できなかった。
激昂する彼に怯むことなく真っ直ぐ彼を見返す。
その静かな瞳が更に千里の逆鱗に触れる事になるのだが、彼が声を出すより早く水の膜が優斗を包んだ。
突然の事に驚く優斗の前で黒服達が音もなく倒れていく。そして、優斗を取り囲んでいた黒服達を一瞬で昏倒させた少女は優斗を振り返る。
見知らぬ顔だった。
明るい茶髪をポニーテールにした少女。気の強そうなこげ茶の瞳が水の膜に包まれた優斗を射抜く。
「珠洲。その子お願い」
「言われんでも分かっておる。吾輩の命に代えても彼は殺させん」
続いて聞こえた声は優斗も聞き覚えのある声だ。視線を横に向ければいつから其処にいたのか分からない少女。
肩まで伸びた空色の髪をツーサイドアップにした小柄な少女――水無月珠洲は優斗と目が合うと、小さく笑う。
「安心せい。お主は決して殺させぬ。……
「早く行って。花音をアイツに渡すわけにはいかないんだから」
「そうさせてもらう。……死ぬなよ」
「誰に言ってるのかしら?」
皐月と呼ばれた少女は勝気な笑みを浮かべ、その表情に珠洲は笑う。そして、気を失っている花音の体と彼女の傍で横たわっていた大河の遺体を水の膜で包む。
ぱちん、と彼女が指を鳴らすと同時に優斗を含めた三つの水の膜が消える。
「逃がすはずがないだろう?」
「ほほ、主は変わらぬな。七百年の時が経とうが醜悪のまま。よくぞその醜悪さで鬼とならぬものよ」
倒れていた黒服達が起き上がる。その体は何かに操られているように彼等の意思というものを一切感じなかった。
「お得意の人形か。相も変わらず悪趣味よのう」
「ったく、鬱陶しいのよ! いいから、あんたは早く行きなさい! 朔の馬鹿だけだとアイツらを抑えられないかもでしょ!」
「分かっておる。……瀧石嶺千里よ。疾く退散させてもらうぞ」
一瞬にして、珠洲の体が消える。
珠洲を追いかけようとした黒服を皐月の鉄扇が跳ねのける。次々と倒れる黒服達だが、いくら倒しても倒しても起き上がる黒服に少女は苛立たしげに舌打ちをした。
「……取引をしようじゃないか。『強欲』の真祖よ」
「お生憎様。あんたの言う事は信じないって決めてるのよ。七百年前からね!」
「随分と嫌われたものだ」
「自分の胸に聞いてみなさい。七百年前、あんたが私達に何をしたのか。あんたが実の弟に何をしたのか!」
皐月の言葉に千里は軽く肩を竦める。
彼女を見つめる漆黒の双眸はどこまでも暗く冷たい。それでも皐月は目を逸らすことなく、千里を睨みつけていた。
「……交渉決裂か。まあ、最初から君を助ける気などなかったけれど」
「この外道!」
「鬼に言われたくはないな」
倒しても倒しても起き上がる黒服が皐月を襲う。何度も致命傷を与え、立てる筈などないのに黒服達は痛みなど感じていないかのように何度も立ち上がる。
キリがなかった。適当に蹴散らして逃げようと思ってもそれを許さない。
千里の顔に浮かぶのは愉悦の笑み。
逃げられるものなら逃げてみろとでも言いたげな顔だった。その顔を忌々しそうに睨みつけたあと、皐月は逡巡する。
ここから逃げ出すのは彼女が本来の力を発揮すればそう難しくない。けれど、それは危険を伴うものだ。下手をしたら彼女の自我は奪われ、欲望のままに世界を壊す鬼に成り果てる。
最悪な事に他の面々も危うい状況なのだ。彼女が鬼と成り果てれば、他の面々もその影響を受けてしまう。
一か八かの賭けに出るか。皐月は悩む。
そんな彼女に救いを出したのは、轟音と共に黒服達に降り注いだ雷光。
「え?」
「なにっ!?」
明らかに第三者による介入だった。
皐月が振り返ると其処に立っていたのは白髪の少年。
彼は雷を纏う鞭を何度も地面に打ちながら、真紅の双眸で千里を睨みつけている。
「……妙菊、白……?」
何故此処に彼がいるのか。そもそも瀧石嶺家に仕える彼が瀧石嶺千里に牙を剥くなど考えられない。
混乱する皐月とは違い、千里は得心がいったように頷く。
「ふん。お前は出来損ないのあの娘につくか」
ひゅん、と風を切る音と共に鋭い鞭が振るわれた。千里はそれを軽く避けると彼が先程まで立っていた場所に稲妻が走る。
「……僕はあんたを瀧石嶺千里とは認めない」
「お前が認めずともこれは瀧石嶺家の総意だ。あの小娘は最早用済み。そもあの程度の者が『千里』の名を騙るなど片腹痛い」
「うるさい!」
もう一度鞭が振るわれる。その度に雷光が走り、空気が電気を帯び始めた。
黒服達がその身を稲妻に焼かれ、倒れ伏したのを確認すると白は皐月に視線を向ける。
「
「は、はい!」
鋭い声と共に皐月は逃げる隙を見つけ、素直に従って白と共に駆け出した。
遠ざかっていく二人を追いかけようにも空気中に含まれた電流が動こうとする度に放たれてくる。
千里はため息をついて、追いかけるのを諦めた。二人の姿が完全に森の中に消えると彼の周囲の電流も霧散する。
「千里様」
声を掛けられて千里は振り返る。その先にいたのは跪く熟年の女性と彼女に付き従う老執事。
その二人を見て、千里はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「……万里か。奴らは逃げた」
「やはり真祖は復活しておられたのですね。……我が娘ながら本当に使えない子。あの子の処遇はどうなさいますか?」
「捨て置け。あの程度の小娘には何もできまい。それよりも今は真祖探しだ。この学園に必ず奴らはいる。七百年前の再来になる前に奴らを何としても殺すのだ」
「御意」
恭しく頭を下げた熟年女性――瀧石嶺万里を瀧石嶺千里はやはり退屈そうに一瞥するのだった。
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