#08-3 鬼との遭遇
「おいおい、ひののん。これはちょーっとやばくないか?」
「ちょっとじゃなくて、かなり。ここは隙を見つけて撤退した方がいい」
「ならば、我も手を貸そう」
「は、晴……」
「大丈夫だ。お前はそこで見ていろ」
背負っていた聡を優しく降ろし、不安そうに引き留めた彼の頭を優しく撫でる。そして、花音達の元に歩いていき、鬼と対峙した晴は先程まで聡の頭を撫でていた人と同一人物かと疑いたくなるくらい、殺気を全身に迸らせていた。
鬼と睨み合う三人。まさに一触即発な雰囲気だ。
どちらかが一歩でも動けば、この緊迫は壊れ、再び先程の戦闘に突入するだろう。
戦闘員ではない優斗は同じく非戦闘員の聡と共に固唾を呑んで見守った。幸太郎だけは興味なさそうに眺めているだけだったが。
一触即発な空気がどれほど続いたのかは分からない。短かった気もするし、長かった気もする。正確な時間はともかく大事なのは、ソレは呆気なく壊れたということだ。
「ふんっ!」
全身に炎を揺らめかせ、地面を抉るほどの殺傷力を持つ拳が振るわれる。しかし、鬼は機敏な動きでそれを避ける。だが、鬼が避けた先には既に刃を振るっている嵐がいた。
鬼は鋭利な爪でその刃を受け止めると嵐の体を踏み台にして、大きく跳躍する。
「おわっ!」
踏み台にされた嵐は勢いを殺せず、地面に倒れたが、鬼がその体に追い打ちをかけることはなかった。何故なら、それどころではなかったから。
跳躍した鬼に向かって鬼より高く跳躍していた花音が大剣を振るったのだ。
空中では避けられないであろうと思われた一撃は紙一重で避けられ、逆に花音は鬼の巨大な腕によって地面に叩き落とされてしまう。
「花音!」
思わず声を上げてしまったのが悪かったのか。それとも手近な所にいたのが悪かったのか。はたまた非戦闘員だと鬼が理解していたのか。本当の理由は分からないが、空中にいた鬼は真っ直ぐ優斗を見据えて急降下してきた。
鋭く伸びた鋭利な爪を煌めかせ、巨大な口から生える鋭い牙を見せびらかせ、爛々と輝く目は次なる獲物を捉えて、鬼は降ってくる。
「優斗君!」
「ツッキー!」
仲間達に名を呼ばれても優斗は動けなかった。ただ襲い来る脅威から目を離すことが出来ない。
爛々と輝く赤い瞳から目が離せない。
(……苦しい? 悲しい?)
逃げなければいけないと分かっているのに、何故か優斗は動けない。迫り来る脅威の元が……感情の読めない筈の赤い瞳が苦しみを訴えていた気がした。
「ゆ、優斗くん!」
「っ!」
間近から聞こえた声に優斗は我に返る。だが、もう遅い。鬼はもう眼前まで迫ってきていた。
避けられない。
優斗もそう確信して、せめてもの抵抗に腕で顔を隠す。しかし、聞こえてきたのは重量のあるものが何かにぶつかる音だった。
不思議に思って目を開けば、優斗を取り囲むように水の壁が出来ていた。
「……え?」
優斗が状況を理解できずに目を丸くさせていると、彼の周りを囲んでいた水の壁は徐々に勢いを無くして、消える。
「……う、うまくいったぁ」
へなへなと力を失ったように崩れ落ちる聡。そこで、優斗はある仮説を思いつく。
「も、もしかして、いまのって聡の?」
「う、うん。鬼が突撃する直前に水の障壁をつくったんだよ。一か八かだったけど、うまくいって良かった……あ、ゆ、優斗くんは大丈夫!? け、怪我とかない?」
「あ、ああ。大丈夫だ。ありがとう、聡のおかげで助かったよ」
「えへへ」
優斗を助けられた安心感か、それとも褒められて嬉しかったのか、聡は嬉しそうに表情を緩ませた。
「優斗君無事っ!?」
「ツッキー! 平気か!?」
「ああ、聡のおかげでな」
焦ったように駆け寄ってきた花音と嵐に優斗は笑顔で頷き、聡に視線を向ける。
視線の先の聡は晴に頭を撫でられており、満足そうに笑っていた。
嵐は優斗に倣うように聡に目を向けて、それから思い出しかのように目を輝かせた。
「そうだ! サトルン、あれすっげぇな! ツッキーの周りにいきなり水がブワーってなってさ!」
「た、たまたまうまくいっただけだよ」
「またまたー! そんなに喧嘩するなよ」
「謙遜だろ」
嵐の言葉に訂正をいれたところで、優斗は急激に周囲の気温が下がったのを感じて辺りを見渡す。すると、視界に飛び込んできたのは一目で怒っていると分かるほどの殺気を滲ませた幸太郎の姿。
「ゆ、雪野……?」
興味なさそうに傍観していた筈の幸太郎は、何故か青筋を立てて怒りに肩を震わせながら、ある一点を睨みつけていた。
優斗もその視線の先が気になり、視線を移すとそこにいたのは水の障壁によって弾き飛ばされた鬼の姿。
別段、変わった様子はない。ただ、弾き飛ばされた際、乱れた毛並みに何かが引っかかっているのが見えた。
目を凝らして黒い毛並みに引っかかった物の正体を確かめる。遠目の為、確信は持てないが月の光に小さく反射したソレはキーホルダーのように思えた。
まさかと思った優斗が幸太郎を見るのと、怒りに震えていた幸太郎が何かを構えるのは同時だった。
「汚らわしい鬼の分際で、マリリンに触るなぁああああああ!」
怒号と共に鬼に向かって放たれたのは一発の弾丸。
攻撃された事に気付いた鬼は即座に体勢を立て直し、弾を避けようとしたが一歩遅く放たれた弾丸が鬼の腕に命中した。
弾は鬼の腕に当たると同時に水が弾けたかと思えば、直後弾けた水が凍る。
あっという間に鬼の左腕が凍り付き、氷は物凄い速さで広がっていき数秒経たずに鬼は凍り付いてしまった。
その現象に優斗は目を見開く。いや、正確にはこの現象に驚いたのは優斗だけではない。花音達も優斗同様に驚いていた。
「な、なんだいまの!? なあなあ、サトルン! いまの何が起こったんだ!?」
「た、多分、幸太郎くんは水の弾を銃に込めて放ったんだろうけど……ぼ、ぼくも初めて見た。水を氷に変えられる人」
「長い歴史の中、水属性の性質を持った人間の中で稀に氷属性を発揮出来る退鬼師がいたって聞いた事がある。タロー君はその性質を持っているって事?」
「た、多分……」
聡自身もそんな事を出来る人間が本当にいると思っていなかったのか半信半疑といった様子で小さく頷く。
全員の視線が自然と幸太郎へと向かう。しかし、肝心の幸太郎は鬼が凍り付く直前、ちゃっかりと鬼から奪い返していたキーホルダーに頬擦りしている。
「ああ、マリリン! あんな汚らわしい鬼の元にいたなんて本当に可哀想な事をしました! でももう安心ですよ! もう二度と馬鹿烏に奪われるなんてことしませんから!」
一人でキーホルダーに話しかけている幸太郎に若干引きながら、優斗は気を取り直すように笑う。
「ま、まあ、良かったな。探し物が無事に見つかってさ」
「……ふん。結局、貴方達は騒がしいだけで何の役にも立ちませんでしたがね。……ですが、一応礼は言っておきましょう」
「『一人は皆の為に。皆は一人の為に』ってばあちゃんも言ってたからな! 礼は不良だぞタロー!」
「不良ではなく、不要でしょう。それから何度も言いますがタローって呼ばないでください。貴方がそう呼んでいるせいでどさくさに紛れて他の人まで呼んでるじゃないですか。迷惑です」
「はっはっはっ! 照れるなよタロー!」
馴れ馴れしく肩を組んだ嵐に幸太郎は心底不愉快そうに彼の手を払いのける。それでも嵐は気を悪くした様子なく楽しそうに笑っているのだから、彼は本当に大したものだと優斗は小さく感心した。
そんな彼等の後ろにいた氷漬けされた鬼の表面に小さなヒビが入った事に一番近くにいたけれど鬼に背中を向けている嵐と幸太郎は気付かない。
彼等から少し離れた位置に立っていた優斗達も気付かない。
聡は水を氷に変えられる幸太郎に感心していたし、晴も嬉しそうな聡に満足そうに笑っていた。
誰も異変には気付かない。
ただ一人、氷漬けにされていた鬼を興味深そうに観察していた花音以外は……。
「っ、後ろっ!」
異変に気付いた花音が声を上げるのと嵐達の背後にいた鬼の氷が砕けるのは同時だった。
花音の声に二人が弾かれたように振り返るが、その一瞬の隙は明らかに嵐達よりも格上の鬼にとっては致命的なものだ。
避けられない。
即座にそう悟ったのは白に戦闘に関しては天才的と評価された嵐だった。だからだろうか、彼は鬼の腕が完全に振り下ろされる直前、隣にいた幸太郎を突き飛ばした。
突然嵐に突き飛ばされた幸太郎は受け身もとれず、地面を転がる。それと同時に鬼の巨大な腕が嵐を襲った。
鬼の腕によって人形のように吹き飛ばされた嵐が地面に落下する。
「嵐!」
顔面を蒼白にさせ、優斗は嵐の元に駆け寄る。そして、彼の姿を目にするなり息を呑んだ。
地面に倒れ込んでいる嵐の背中に大きく切り裂かれた三本の傷跡。そこから夥しいほどの血が流れ、白い制服と地面を赤く染めていく。
「……あ、あら、し……」
声を掛けても嵐は反応しない。
その光景に優斗の脳裏にフラッシュバックするのは、三ヶ月前の出来事。
鬼の爪に貫かれた大河の姿。
「あ、ああ……あああ……」
自然と口から声がこぼれ落ちる。けれど、それが優斗自身が出そうと思って出していない事は明白だった。
優斗は目を見開いたまま、倒れている嵐を見つめている。
目の前の嵐と記憶の中の大河の姿が重なった。
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