#01-3 壊れた日常


 何も分からなかった。

 なぜ大河がこんな目にあうのか。

 なぜあの化け物と大河が戦っていたのか。

 なぜ大河が自分を庇ったのか。

 そもそも、あの化け物は何なのか。


 優斗は何も分からなかった。知らなかった。

 ただ、唯一彼が理解していたことは大河がもう目を開ける事などないという純然たる事実。


 優斗は何も出来ない。

 助けを呼ぶことも、背後から迫りくる化け物から逃げることも、応戦することも出来ない。

 ただ涙を流しながら、動かない大河を見ていることしか出来ない。

 動こうとしない優斗に化け物はゆっくりと近付き、彼の背後で動きを止めた。そして、大河の体を貫いた巨大な腕を大きく振り上げる。


 それでも優斗は動かない。

 そんな彼の背中を鋭い爪が引き裂く……かと思われた。だが、化け物の爪が優斗に届くより先に轟音が響く。

 まるで雷が落ちたかのような轟音に茫然自失状態だった優斗も我に返る。


 何事かと振り返ると同時に彼の視界に飛び込んできたのは、白く細い糸のようなものでがんじがらめにされた化け物の姿。しかも、その化け物の体が大きく焼けただれ、損傷していたのだ。

 何が起こったのかなんて優斗には分からない。

 状況についていけずに目を瞬かせて化け物を見ている。そんな彼の目の前でさらに信じられない光景が広がった。


 糸から逃れようともがく化け物に数本の苦無が飛んできたかと思えば、苦無の周囲に突風が渦巻き、化け物の体を引き裂く。そして、よろめいた化け物の背後にいつの間にか立っていた一人の男性。

 彼が化け物を殴ると化け物は人形のように簡単に吹き飛び、宙を舞う。


 それは先程の化け物が大河にやったことと同じだった。違うのは地面に落下した直後、化け物が勢いよく燃え上がる炎に包まれたこと。

 赤い炎の中で化け物はしばらくもがいていたが、やがて力尽きたように動かなくなる。それと同時に炎も勢いよく燃え上がっていたのが嘘のように沈静した。


「退治完了、ですね」


 静まり返った路地裏に響いたのは冷淡な声。

 その声に優斗が振り返れば、そこにはいつの間にか三人の男女が立っていた。

 年はまだ若い、おそらく高校生ぐらいだろうか。

 白を基調とした水色のラインが引かれた詰襟を着た二人の少年と同じく白いセーラー服タイプのワンピースを着た少女。その右腕には白い線が二本引かれた水色の腕章がつけられている。

 どこかの学校の制服だと思われる白い制服を着た三人は、優斗と彼の傍に倒れている大河を見るなり、困惑顔を浮かべる。


「……どうするのかしら、これ?」

「さあな。シュウ、どうすんだ?」


 三人の中のリーダーだと思われる黒髪の少年は二人の視線を向けられて、小さく溜息をつく。それから、優斗と大河を交互に見て、もう一度溜息。


「……巫女様に報告するしかないでしょうね。一般人に学園が把握してない退鬼師たいきし。仕方ありません。弥生やよい、回収を」

「チッ。だりぃな」

「なっ!? 大河をどうする気ですか!?」


 屈強な体の強面の少年が近付いてきて、軽々と大河の体を持ち上げる。それを見て、優斗は慌てて口を開いた。

 そんな優斗を男は面倒そうに睨みつけてくる。


 その気迫に怯みそうになるが、優斗も負けじと男を睨み返す。すると、赤髪の少年は僅かに楽しそうに口角をあげた。しかし、優斗の問いに答えたのは桃色の髪の美少女だった。

 彼女は優斗のすぐ近くに顔を寄せて、妖艶に笑う。


「あは、安心しなよ。君に危害を加える気なんてないからさ。ただ、ちょーっとこの子は問題があるから、然るべきところに連れてくだけ」

文月ふみづき、喋りすぎです」

「はぁい、ごめんなさーい」


 黒髪の少年に注意されて、文月と呼ばれた少女は悪びれた様子なく謝罪の言葉を口にすると、悪戯っ子のように笑って優斗から離れる。


「貴方は何も知る必要ありません。今日の事は全て忘れて、平和に過ごしなさい。それが貴方の為ですよ」

「そんなこと出来るかよ! あの化け物は何なんだよ! お前達は何なんだよ!? 何を知ってるんだよ!?」


 気付けば、叫んでいた。

 何も分からないこの状況下で必死に状況を理解しようとするが、理解できないことが多すぎて、結局は感情任せに激昂するしかなかったのだ。

 そんな優斗の反応に黒髪の少年は僅かに目を見張り、それから小さく笑う。


「貴方の疑問はもっともでしょうね。ですが、貴方が知る必要はありません。いまの貴方は平和に過ごしているんでしょう? わざわざこちら側に足を踏み入れる必要はありませんよ」


 まるで幼子に言い聞かせるような優しい声。けれど、そんな言葉で大人しくなれるほど優斗は物分かりが良くなかった。


「俺の親友が……友達が訳の分からないモノに殺されたんだぞ! 俺にだってアレが何なのか知る権利があるはずだ!」

「チッ、面倒だ。寝かすか?」

「そろそろ結界も切れそうだしね。他の一般人に見られたら騒がれちゃうわよ」

「あまり手荒な真似はしたくありませんが……仕方ありませんか。簡単に納得してもらえそうにありませんからね」


 その言葉が合図だった。

 大河を抱えたままの少年の拳が優斗の腹部に叩き込まれる。


 ただそれだけ。

 たったそれだけで優斗はあっさりと気を失い、力を失った体は地面に倒れそうになる。だが、優斗が倒れるより先に桃色の髪の少女が受け止め、近くの壁にもたれかけさせた。


「では、行きましょう。問題は山積みです。まずはこの少年……どうしたものですかね」

「この子……トラでしょ? いつも後ろをウロチョロしてた」

「考えるのは後にしようぜ。本格的にやばそうだしな。……文月、早く学園まで送れ」

「まあ、か弱い乙女を足に使うなんて最低ね。それでも男なのかしら。お望みなら学園ではなく地獄へ送ってあげるわよ? 片道でね」

「おもしれぇ。返り討ちにしてやるぜ」

「二人とも。遊んでないで帰りますよ。やるべき事はたくさんあるのですから」

「チッ」

「はぁい」


 黒髪の青年の言葉を最後に路地裏に一陣の風が吹き、風が止む頃には既に三人の姿はなくなっていた。

 ただ一人、路地裏に寝かされていた優斗だけを残して……。


◇◆


 優斗が目を覚ました時、彼は病院にいた。

 泣きながら抱きついてくる母に優斗が真っ先に尋ねたのは大河の事だ。だが、母親は首を傾げるだけ。


 母親が話してくれたのは鈴木の遺体が見つかったという事実だった。

 鈴木と一緒にいた筈の田中の遺体は見つかっていない。けれど、現場に残されていた血の多さから恐らく生きてはいないだろうとの事。

 田中はあの化け物に遺体ごと喰われてしまったのかもしれない。そして、田中と同じく大河の遺体も見つかっていない。

 当然だろう。あの謎の三人組が『回収』と言って、大河の遺体を連れて行ってしまったのだから。


 優斗は母親や警察に全てを話した。彼が見たこと聞いたこと、全てを。けれど、そんな話は一笑に付されるだけで、むしろ通り魔事件に巻き込まれた事によって精神を病んでしまったと言われるだけだった。


 結局、優斗は何も分からなかった。

 あの化け物が何なのかも。

 あの三人組の男女が何者なのかも。

 そして、大河がどこに連れて行かれてしまったのかも。

 何も分からないまま、通り魔事件は犯人不明のまま終息を迎えるのだった──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る