#01-2 壊れた日常
それから数日。
事件について大した進展はなく、生徒達も不安を覚えつつも緩やかに事件の事を忘れていきそうになっていた時の事。
新たな被害者が出たのだ。
今度は高校生だという。そして、最悪なことにその高校生は亡くなってしまったのだ。
これには事件を風化しそうになっていた生徒達も顔を青ざめさせた。
警察が発表した同一犯の仕業が高いということも不安を煽る一因だった。
いつものように大河と二人で登校してきた優斗達。
そんな彼等の元に数日前と同じように教室に入るなり、鈴木が駆け寄ってくる。しかし、この間と違うのは彼の隣に田中の姿もあるということだ。
「なあ、二人も聞いたか! あの噂……」
お調子者の鈴木が普段の明るい顔を消して、神妙な顔で告げた言葉に優斗と大河は互いに顔を見合わせる。
鈴木が言っている噂が何のことだか分からなかったのだ。
二人が噂を知らないと先に見抜いたのは鈴木ではなく、田中だった。
「その様子じゃ知らないみたいだな」
「ああ、噂ってなに?」
優斗が尋ねれば、鈴木が待ってましたとばかりに頷く。それから、他の人に聞かれないように顔を寄せて小声で噂を口にする。
「なんでも三組の高野さんを襲ったのも高校生を襲ったのも……『鬼』だって噂だよ」
「鬼っ!?」
大河が驚いたように声をあげた。
その声に反応したように教室の至る所から視線を向けられてしまう。
あまりにも突拍子もない言葉に大きな声をあげてしまうのも無理はない。大河が大声を出していなかったら優斗が声をあげていただろう。
「わっ! 馬鹿! シーッ!」
鈴木が静かにしろとばかりに自らの口の前に人差し指を立てる。隣にいる田中も全く同じ動作だ。
「ごめん」
二人に諫められ、大河も素直に謝罪する。
「それで? 鬼ってどういうこと?」
冷静に考えれば、現実にはいない架空の存在をあげられてもとうてい信用できないが、あまりにも鈴木と田中の顔が真剣だったので、茶化すこともできず話を聞くことにしたのだ。
「なんかさ、警察は公にしてないんだけど……被害者二人の傷って人間には不可能なものらしいんだ」
「不可能?」
そこで優斗は気付く。
ニュースでも被害者がどんな凶器で襲われたかを言っていなかったことに。
「そう、なんか獣とかに食いちぎられたみたいな」
「しかも、大型のな。野犬とか熊とかそういうのでもないらしい」
そもそもこの辺りで野犬や熊が出たなどという話は聞いたことがないが、それでもその異様さに念を押すために田中は、あえてそう言ったのだろう。
「……そういえば、田中。高野さんが襲われた時、化け物に襲われたって証言したって言ってたよな」
「ああ、言ったな」
確かめるように田中にそう尋ねた大河は彼の返答を聞くなり、黙り込んでしまう。何かを考えているようだった。
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもない! 夜に出歩けないなんて闇に生きる者として辛いなって考えてただけだ!」
「ああ、はいはい」
普段と様子が違う気がして声をかけたのだが、返ってきたのはあまりにも普段通りの返答で優斗は呆れたようにそれを聞き流すのであった。
その日の夜。
優斗の携帯端末が着信を告げた。
時刻は八時に差し掛かろうとしている頃。夕飯を食べ終え、勉強していた時のことであった。
「鈴木?」
画面に表示されているのは鈴木の名前。
こんな時間に何の用だろうかと不思議に思いながら、優斗は通話ボタンをタッチする。
瞬間──。
「た、助けてくれ!」
端末の向こうから聞こえてきたのは悲痛の叫びだった。
「どうしたんだ!? なにがあった?」
尋常ではない様子の鈴木に優斗は尋ねながらもその理由を想像してしまった。
当たってほしくない最悪の想像を。
「ば、化け物が……た、田中がっ!」
「田中? 田中も一緒なのか!?」
「ひっ! く、来るな!」
「鈴木? おい、鈴木!」
「ぎゃぁあああああああ!」
鼓膜が破れてしまうのではないかと思うほどの大絶叫がスピーカー越しに聞こえてきた。
生まれてから一度も聞いたことのない悲鳴に自然と体が震えて、端末を落としてしまう。
床に落下した端末はもう何も言わない。
全身から血の気が引いていくのが分かった。
たったいまこの電話越しに起こった何かを想像して恐怖する。
何かを考えている余裕はなかった。
ただ優斗は部屋を飛び出していた。
家を出るときに母親から声をかけられたが、それに返事をする余裕もなくそのまま夜の町へと駆け出す。
危険だと思った。
いますぐ引き返すべきだと思った。
それでも体は勝手に動いていた。
鈴木達がどこで襲われていたのかなんて分からない。けれど、優斗は迷いなく走る。
毎週金曜日のこの時間、同じ塾に通っている二人が通るであろう道を脳裏に思い浮かべ、優斗は駆ける。
通行人が脇目もふらず走る中学生に何事かと振り返るがその視線すらも無視して駆け抜ける。
賑やかな繁華街を抜けて、閑散とした住宅街へと入り込む。何度も遊びに行っている鈴木の家までの道のりを思い出す。
そんな時だった。
硬い金属同士がぶつかる金属音が聞こえて、優斗は足を止めた。
もしかしたら鈴木達を襲った犯人がいるかもしれないと考えたのだ。そこでようやく、優斗は自分の愚かしさに気づく。
本当に鈴木達を襲った犯人がいるならば、ただの中学生の自分には何も出来ないということを。
武道を習っているわけでも喧嘩が強いわけでもない、むしろロクに喧嘩なんてしたことがない体格も平均的な優斗が行ったところで、新たな犠牲者が出るだけだということを。
今更ながらに体が震える。
その震えを押さえながら、優斗はゆっくりと静かに曲がり角をのぞき込む。
すると、彼の視界に飛び込んできたのは……。
身の丈、二メートルは越えていそうな巨体。優斗の胴体ほどの大きさの腕からは鋭く長い爪が伸びている。大きく開いた口からも鋭利な牙が見えていた。
月光に晒されたその姿は現実味を帯びておらず、悪い夢でも見ているのかと思う。
明らかに人間ではないと分かる化け物。
その姿に恐怖を覚えると同時に優斗自身も何故自分がそう感じたのか分からないほど、微かに感じた感情。
(ただ、目の前の化け物の姿を懐かしいと思った。……悲しいと感じた)
化け物はその巨体からは想像がつかないほど、俊敏な動作で動き回り、誰かと戦っているようだった。
優斗はその誰かの正体を確かめようと視線を凝らして……そして、彼が目にしたのは星野大河の姿だった。
一瞬、自分が何を見ているのかを理解できなかった。
月明かりに照らされた夜の住宅街で、二本の剣を構えた親友と化け物が戦っている光景など誰が予想できたであろうか。
化け物の巨大な腕が大河の体を引き裂こうと大きく振りかぶる。
大河は、それを二本の剣で防御する。
その剣の周囲が微かに輝いて見えたのは優斗の見間違いだろうか。
大河よりも一回りも大きい巨体のくせに化け物の動きは素早い。次々と鋭い爪で大河を引き裂こうと攻撃を繰り出してくる。だが、大河もその攻撃を双剣で受け止めながら、攻撃に転じようとしていた。
それでも、化け物の動きについていけず、大河の体にいくつもの傷がついていく。
その様子を目撃して、優斗は唐突に閃いた。
毎日のように新たな怪我をしていた大河。その怪我の本当の理由はもしかしたら……。
そこまで考えたところで、優斗の思考は途切れさせられる。
化け物の攻撃に耐えきれず、大河が吹き飛ばされたのだ。
「大河!」
気付けば、駆け寄っていた。危険だなんてことを考えている暇もなかった。
「優斗!? なんでここに!?」
優斗の顔を見るなり、目を見開く大河。けれど、それも一瞬のことで、すぐさま見たこともないほど厳しい目つきになる。
「ここは危ない! 早く逃げろ!」
「け、けど……」
「いいから家に帰れ! それから今日見たことを全て忘れるんだ! お前は何も見てない。何も知らない。そうして普段通りの日常に戻るんだ!」
今まで一度も聞いたことのない真剣で厳しい声。その気迫に優斗は気圧された。
無意識に後ずさろうしていた優斗だったが、それよりも早く大河に突き飛ばされて地面に転がる。
顔をあげれば、大河が双剣で化け物の爪を防いでいたところだった。
大河が庇ってくれなければ、優斗の体はあの鋭い爪によって引き裂かれていただろう。
いま自分が死にかけていたのだという事実に気付き、血の気が引く。
「早く行け!」
地面に倒れ込んだままの優斗に大河の厳しい声が放たれる。けれど、優斗がその言葉に従うことはできなかった。
恐怖で体が動かなかったのだ。逃げることも、大河に加勢することもできず、ただみっともなく地べたに這い蹲ることしかできなかったのだ。
優斗は見ていることしかできない。
徐々に化け物の手によって傷だらけになっていく大河の姿を見ていることしかできない。
「っ!」
不意に化け物の爪が大河の双剣を弾き飛ばした。
丸腰になってしまった大河には化け物の攻撃を防ぐ手段がない。それを知っているかのように化け物は容赦なく腕を振り上げる。
「大河!」
自然と飛び出していた。
いままで体が動かなかったのが嘘のようにすんなりと体が動いていた。
突然飛び込んできた優斗を見るなり、目を見張る大河。そんな彼を見ながら、優斗は死を覚悟した。
しかし──。
優斗の体に襲った衝撃は鋭い爪によるものではなく、突き飛ばされる痛みだった。
先程と同じように地面に転がる優斗。けれど、先程と違うのは彼の体に何かが降り注いだということだ。
「……え?」
ゆっくりと顔をあげれば、優斗を庇うように立っている親友の姿。
彼は優斗が無事なことを確認すると安心したように笑う。だが、優斗は笑う気など全く起きなかった。むしろ、目の前の光景が信じられなくて目を見張る。
「……たい、が……」
化け物に背を向けて立っている大河の腹部を貫く腕から目が離せない。
月明かりに照らされた鋭い爪から滴る赤いものから目が離せない。
化け物は緩慢な動作で、自らの腕に突き刺さったものを邪魔だとばかりに放り投げる。
「大河!」
放り投げられた大河の体は地面へと落下する。その体の下から赤いものが流れだし、アスファルトを汚していく。
優斗は化け物など目もくれず、大河に駆け寄った。
「大河! しっかりしろ!」
「……は、はは、悪い。しくっちまったな」
「ま、待ってろ。いま救急車を」
ポケットに入っているはずの端末を取り出そうとして、目的のものがないことに気付く。
鈴木から着信があった時に部屋に落としたままだったのだ。
「……俺のことはいい、から……逃げろ」
「何言ってんだよ! そんなこと出来るわけないだろ!」
親友を置いて逃げれるわけなどない。だからこそ、優斗は叫んだ。
そんな優斗の手を力強く大河が握りしめる。
「頼む。言うことを聞いて……お願いだ、優斗」
徐々に小さくなっていく声に大河はもう助からないのだと嫌でもわかってしまう。でも、そんなこと認めたくなくて、優斗は何度も首を横に振る。
「今日の事なんて忘れて……お前は『鬼』なんか……無関係に生きて……それが俺……願い、だから」
声が小さすぎて、ところどころ何を言っているか聞き取れない。それでも優斗は首を振り続ける。
そんな優斗の反応が分かっていたのか大河は仕方ないなとばかりに笑う。それから、どこか遠くを見つめ、小さく言葉を紡ぐ。
「……悪い……約束、守れなかった」
「……大河? 大河!」
大河が放った謝罪は誰に向けられたものだったのだろうか。
優斗に対してのものなのか、それとも虚空の先に見据えた誰かだったのか優斗には分からなかった。
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