第31話 形振り構わぬ真剣勝負



 ※ ※ ※




 十一月に入って、空気は一気に冷え込んだ。


 近江匡は、身を切る冷たさに体を丸くしながら、事務所までの道を歩いていた。


 冬が近づいている。


 寒くなってくると、匡は自然とあの一週間を思い出す。十年前の、都市伝説を追いかけていた高校時代の自分。

 彼の心は、いまだにあのころから抜け出せていない。


 しびれるような快感は、感じなくなって久しいのに。





 サングローリー号から帰った真樹と匡を迎えたのは、安曇編集プロダクションの面々の、暖かくもにぎやかな出迎えだった。


「せんぱいせんぱい! 見てください! ツチノコですよツチノコ!」


 今回の発端である成瀬は、沖縄から帰還していた。

 ……ツチノコの抜け殻とかいう、わけのわからんものをお土産にして。



「おい」

「すっごいですよね! 本当にツチノコがいるなんて、やっぱり沖縄ってすごいなってわたし思いました! ねえねえ、すごいでしょ、すごいでしょせんぱい!」

「おいこら成瀬」

「むっふー。羨ましくっ立って、あげませんよ。だって、すっごく苦労したんですっから。一週間くらい、沖縄中を駆けずり回ったんです。あぁ、でも、せんぱいの言うように、あきらめないで探すって重要なことなんですね!」

「……これ、いくらした?」



 白状させたところ、五万円したらしい。

 どう考えても魚の干物を縫い合わせたようにしか見えない物体に、五万円もの大金を支払った大馬鹿娘に、次の機会にでも社会勉強として風俗の見学に行かせることを心に誓う匡だった。



 続けて。

「おいこら近江! てめぇギャンブルだってのにこの俺様を呼ばないとは、どういう了見だ!」

「おかえり、近江君。なんだか大変だったみたいだね。ごめんね、力になれなくて」

 足立と広瀬がそれぞれの言葉で迎えてくれた。


 足立には純金製の一筒を。

 広瀬には、サングローリー号内で売っていたお土産の菓子を渡した。

 足立は喜んでくれていたようだが、おそらく転売にかけることだろう。



 そして、社長である安曇梓紗からは。

「近江くん。ちょっといいですか?」


 にっこりとした顔で連行された匡は、そのままにっこりとした彼女に、お説教を食らった。

 どうやら森口経由で、匡のもくろみ、並びに、船の中での無茶がばれたらしい。


 おそらくは森口の精いっぱいの意趣返しだったのだろう。

 安曇からは、何を考えているのか、会社のピンチを個人の裁量で云々と、まあ普段怒らない彼女からすると面白いくらいの小言が出てきた。


 最後に、彼女はふぅとため息をついた。


「まあ、無事だったのでいいです。牧野さんが」

「あ、おれの心配はなしですか」

「あなたは死んでも死なないでしょうから、心配するだけ無駄です」


 澄ました顔で言う安曇だったが、それでも安堵してくれていることだけは分かった。

 そうして、安曇編集プロダクションの危機は免れた。

 匡自身は、本懐を達成することこそできなかったが、その代わり、六千万と言う大金を手に入れた。


 だが、その金を使う当てはない。

 そもそも、金銭にそこまで執着のない男である。

 まあ困った際に使えればいいか、という程度の気持ちで、複数の口座に分けて貯金することにした。



 あとは、真樹のことである。

 サングローリー号から帰って以来、真樹はどこか様子がおかしかった。

 匡が話しかけても上の空で、何かを考えているようであった。

 そのまま一週間。真樹の様子は戻らず、しかし大した問題が起こるわけでもなく、淡々と日々は過ぎ去っていった。




 ※ ※ ※




 匡の心は、空虚さがひたすらに大きくなるだけだった。



 サングローリー号から帰ったその日の夜。


 自宅の明かりをつけた瞬間、匡は自分の心の中に押し寄せてくるものを感じた。


 それは、絶望的なまでの郷愁だった。

 ホームシックになどなったこともなく、また具体的に帰りたいと思う家があるわけでもない。家族は随分前に離散しているし、父に至ってはとうに死んでいる。母とはたまに連絡を取り合うが、どちらかと言えば苦手で、唯一気を許している兄とも、長いこと連絡を取っていない。



 それなのに、匡は『帰りたい』と思った。



 どこに? と問われても困る。

 だって、それは具体的な形を持たないものなのだ。


 家と言う形がある人間は幸せだ。

 人という形がある人間は幸せだ。

 記憶と言う形がある人間は――幸せだ。



 近江匡は、かつての自分に帰りたかった。



 まだ未来を信じていて、きらきらと輝いていた日々。

 毎日挑戦することが楽しくて、毎日くたくたになるまで駆けずり回った。

 一つの出来事に一喜一憂し、事件にぶつかるたびに目を輝かせた。この世にはまだまだ自分の知らないことがいっぱいあると、無邪気にも信じていられた頃に、戻りたかった。





 





 事件が起こるたびに落胆し、一つの出来事を終えるたびに、寂寥感を味わった。

 あえて言うならば、都市伝説に挑んだ一週間こそがそれに近いが、それだって、結局はすぐに夢は終わってしまった。

 匡が帰りたいのは、終わらない夢の中にである。


 アパートの一室が、あまりにも広く感じた。蛍光灯の明かりは、そんなちっぽけな自分を控えめな明かりで照らしている。


 その日、匡は初めて、一人の夜を苦しく思って、涙を流した。


 何が天才だ。何が学習能力だ。


 そんなものがいったいなんになる。そんなものがあるから、自分は独りではないか。肩を並べる友人はいても、支え合える親友はいない。親しい異性はいても、気を許せる恋人はいない。ともに仕事をする仲間はいても、安らげるような家族はいない。


 空っぽの心を埋めるように、匡は嗚咽を飲み込んだ。

 どれだけ飲み込んでも、その穴は埋まらない。ずっとだった。十年前から。いや、その前からずっとだ。物心ついたころから、自分はずっと独りだった。分かっていた。それを分かった上で、なお楽しむと決めたはずじゃないか。


 なのに、この体たらく。


 誰か構ってくれ、と匡は叫んだ。


 誰でもいい。自分をどうにかしてほしい。暴力でもいい。姦計でもいい。どうぞ襲ってくれ。どうぞ騙してくれ。この胸の空虚さをまざまざと思い知らされるくらいなら、そんな無駄なことを考えずに済むくらい、めちゃめちゃにしてほしい。



 なまじ、中途半端に期待が応えられた分、その郷愁は激しかった。




 ――やっと、出会えたと思ったのだ。




 人生の同士に。

 思いを共にする友人に。



 実際、ヒズミは匡と同じだった。

 自分の才能を制御しながら、才能に振り回され、そして失敗した。

 匡はヒズミに会いたかった。けれど、結局会うことができたのは、彼が死んだ後だった。


 また、独りだ。

 どうしようもなく独りだ。



 この世界に、自分と同じような人間はいるかもしれない。ヒズミがいたのだ。ほかにいないはずがない。

 けれど、それといつ出会える? 十年後? 二十年後? もしかしたら明日にでも出会えるかもしれないが、一生出会えないかもしれない。



 帰りたい。



 けれど、帰り場所のないところになんて、帰れない。

 匡は孤独を埋めるように、その夜だけは、ただ泣くためだけに使った。





 ※ ※ ※





 カジノ合法化法案。


 ここ数年それが騒がれて久しい。賛成の意見も多く、推し進めようとする議員も多いが、まだまだ利権関係や印象の問題などで難しい側面もあり、今後どう動くかはわからない。


 特に、利権関係が問題だ。

 日本における公営ギャンブルと呼ばれるものは、ほとんどが控除率が高く、胴元側が儲かるようにできている。しかし、カジノの控除率はそれらに比べてかなり低い。この問題は、現在の日本の娯楽市場を大きく変える恐れのある問題である。


 また、もう一つ大きな問題がある。


 裏賭博。

 カジノが合法化された際に、一番割を食うのは裏カジノである。その多くは、完了の天下り先であり、更に突き詰めていけば、暴力団などが利権を握っている。彼らが黙っているわけがない。


 その日、近江匡は森口の紹介で、とある人物と会合をしていた。


「ポーカーの代打ちだ。裏社会での、ちょっとした大勝負になる予定だ」


 カジノ合法化に向けて、邪魔となる人間がいる。

 それらと利権を賭けて勝負をするので、仲間になってくれないか、と言うのが話の内容だった。


 話し合いなどでは白黒つけることのできない、裏の社会の問題。


 これまで、裏社会とは適度に折り合いをつけて生きてきたつもりだった。


 森口と関わるのも、最低限にお互いを尊重し合う関係であり、一方的に利用することはなかった。

 しかし、今回のサングローリー号での活躍は、やはり問題があったらしい。

 目立ち過ぎたのだ。

 近江匡の名は、これ以上ないというくらいに売れてしまった。


 潮時なのかもしれない、と匡は思った。





 冷え込んだ空気が胸の空虚さを吹き抜けていく。

 正直、気乗りしないのだが、もはや、このむなしさを埋めるには、常に命を張った状態でいるしかないのかもしれないと思った。

 自身を限界まで追いつめ、ぼろぼろになるまで走り続けるくらいしか、今の自分にできることはないのかもしれない。


 そう。

 それこそ、スラム街で死んだ龍光寺比澄のように。


 結局その日は、回答を先送りにした。

 だが、おそらくは受けることになるだろうと匡は思っていた。森口への借りもあるし、何より、このまま安寧の日々に身をおく自信がなかった。

 その時には、安曇編集プロダクションは辞めて、身一つになって裏社会に入り込むことになるのだろう。



 そう思って、安曇編集プロダクションの事務所の扉を開けると、なんだか新鮮な気分だった。



 安曇に誘われてこの事務所を立ち上げたのが、二年と半年前。

 最初は、匡と安曇と広瀬の三人だけの事務所だった。

 それから、足立が入り、真樹を誘い、そして、成瀬が入ってきた。

 あと二人くらいは社員を増やしてもいいかな、などという話を安曇としていた時には、この事務所こそが自分の居場所なのだと、そう感じたくらいだった。



 もしかしたら。

 もっと長い時間を過ごせば、こここそが、自分の『家』だと思えたのかもしれない。



「……と。誰もいないかな」


 土曜なので当たり前か、と思ったが、しかし明かりはついている。暖房も効いているみたいだった。


 この日は、榎本が来る予定だったので、匡は出社しているのだった。

 なんでも、折り入って話があるらしい。

 電話口では話せない内容だと言われたら、素直に待つしかない。



 ほかの誰かがいるのだったら、話をする場所は考えなければ、と思いながら、匡は事務所の中を歩いて回る。


 事務所の奥には、印刷室があった。

 七畳ほどの広さで、そこに大きな印刷機と、多くの書類がまとめて置かれている。ちょうど人が二人座り込んで多少余裕があるくらいのスペースがあって、そこを好む人物が一人だけいるのだった。



「よ。真樹ちゃん。休日にお疲れだね」



 床に座っているのは真樹だった。

 彼女は、床に将棋盤を置いており、本を片手に駒を動かしていた。



「近江さん。おはようございます」

「ん。おはよ」


 匡は印刷室の中に入る。

 熱気が肌を撫でるが、今日は冷え込んでいるので、外から入ってきた身からすればむしろ心地よいくらいだった。


「将棋盤なんか出して、こんなところで何やってんの?」

「面白い詰将棋の本を見つけたので、ちょっとやってみようかなって。うちには将棋盤がないので、事務所に来たんですよ」


 事務所の共用の将棋盤だ。これを使って、よく社員同士でちょっとした勝負を行っている。

 匡自身も何度か真樹の相手をしたことがあるが、なかなか鋭い読みをすると思っていた。


「こんなところでやんなくても、休憩室空いてたよ?」

「移動するのがちょっと面倒だったんで。あと、ここ暖かいから」


 印刷室は、事務所の構造的に空気の流れが悪いせいか、熱気がたまりやすい。

 印刷機の稼働時は、冷房を使って冷やすという本末転倒なことをしなければならないくらいだった。


 実際、今は暖房をほとんどきかせていないのに暖かい。これは思わず地べたに座り込んでしまうのも分からない話ではなかった。



「近江さん、どうせですし、一局やりません?」

「あー。構わないけど、この後一時間くらいで、榎本が来る予定なんだ」

「だったら、早指しでいいですね。最初から、一手三十秒で行きましょうか」



 匡に相手をしてもらえるのがうれしいのか、真樹は嬉々とした様子で対局時計を用意する。

 なんとこの対局時計、事務所の経費で買ったものだ。

 そもそも将棋盤も経費で買ったものなのだが、よくこれでうちの経理は回っているものだと思う。


 というわけで、大の大人が二人して、印刷室の地べたに座って将棋である。



 真樹の打ち筋は、基本を押さえていながら、時々トリッキーな動きをするから侮れない。

 おそらくは読みが深いのだろうが、十手以上後にじわじわと効いてくる一手を当たり前のように打ってくる。

 とくに中盤戦でその技術を発揮し、相手を消耗させていくという戦法をよくとるのだった。


 こういった、運の絡まない、戦略がものをいうフェアな勝負において、真樹はその地力をいかんなく発揮する。



 出会った当初、匡は、真樹のことをメンタルの弱い普通の女の子だと思っていた。

 しかし、その評価を匡はすぐに撤回することになる。

 確かに真樹は、突発的な出来事に対して打たれ弱い一面を見せる。ただし、いつまでもそれを引きずらないだけの切り替えの良さを持っている。


 一度の失敗の痛みを、その感覚を保ったままで切り替えることができるのだ。


 彼女と初めて出会った事件でその様を見ていた匡は、傷つきながらも前を向く彼女に魅せられた。

 確かに真樹は、へこたれるし、傷ついて膝を抱えることも多い。けれど、ちゃんと自分の中で一度折り合いをつけるだけの強さを持っている。


 だから、匡は彼女と行動を共にすることを好んだ。


 それまで匡の周りには、彼のことを利用しようとする人ばかりだった。匡の才能を頼り、何もかもを匡に任せようとする周りに、辟易していた。

 だからこそ、真樹のように、匡のそばにいながら変わらない人間が、心地よかったのだ。



 実をいうと、真樹をこの会社に誘ったことを、匡はひそかに後悔していた。


 真樹くらいの器量があれば、どこに行っても、そこそこ成功したはずである。

 彼女は、現状に適応する人間だ。その環境が良ければいいほど、彼女の才覚は伸びていく。それを、こんな小さなところでつぶしてしまったのではないかと思えてならなかった。


 どうしてこの子が就職活動に失敗したのか、疑問すら覚えるくらいだが、まあ馬鹿正直に自分の専攻を役立てようなどと考えていたのだろう。

 もともと、自己評価の低い子である。

 もっと視野を広げれば、彼女には無限の可能性が広がっているのに。



 例えば、この将棋のように。


 ちょっとしたミスを犯した真樹に、匡は容赦なく攻め立てる。

 守りが崩れたところをジワリと囲っていこうという匡の考えだったが、それに対する真樹の対応は、匡の隙をつくというものだった。

 攻め手に転じた瞬間の隙をつかれて、匡の陣営は破たんを始める。負けじとこちらも攻めるが、どちらが詰みまでに早いかは瞭然だった。



 ミスをただのミスにせず、しっかりと役立てる。


 それは彼女が将棋をある程度嗜んでいるからできることなのかもしれないが、こうした切り替えの良さは、やはり彼女自身の器量なのだろうと思う。

 今はまだ、未熟で知らないことも多いがゆえに、人に使われるので精いっぱいだが、それこそ成長すれば、人を使う立場としてその才覚をいかんなく発揮することだろう。


 その姿を、自分は見ることができるだろうか。



「投了。やっぱりあの攻めがまずかったな」


 遊び程度の感覚だったため本気とは言えなかったが、それでもなかなか面白い勝負だった。

 一度は真樹とも本気で勝負してみたいものだと思うが、もし本気を出して勝ってしまったら、二度と彼女と戦えなくなると思ってしまうので、ここはその衝動を抑えることにする。


 勝ったり負けたり。

 五割程度の力でそれが続けられるのなら、それに越したことはない。


「しっかし、暑いな。ちょっと、暖房効かせすぎじゃないか?」


 気が付くともう少しで一時間が経とうとしていた。汗をかいているのを忘れるくらいには熱中していたらしい。



 室内の空気はムッと立ち込めていた。



 狭い中に二人もいて、その上暖房が利いているので、酸素が薄くなっているように思う。

 とりあえず暖房を止めて、換気扇でも回そうかと思って、匡は立ち上がる。


 事務所の暖房関係は、全部一か所で管理されていた。なので、いったん部屋を出なければならない。




 と。その時だった。

 



「うん?」



 開かない。

 鍵でもかかっているのかと思ったが、その様子はない。

 がちゃがちゃと動かすが、ドアノブは回るものの何かがつっかえになっているように動かない。



「なあ真樹ちゃん。この扉って、たてつけ悪かったっけ?」




 振り返って真樹を見ると、彼女はペットボトルのお茶を飲んでいた。


 こくり、こくりと彼女の細い首がお茶を嚥下する様子が見える。

 それを見ていると、思い出したように匡の喉も渇きを覚えた。


 真樹は中身を三分の一ほど残して「ふぅ」と一息つくと、ぼやくように言った。



「榎本さんが来る時間。そろそろですよね」

「ん? ああ。確かに」



 携帯端末で時間を見てみると、榎本との待ち合わせ時間になっていた。

 なおさら、早いところ外に出ないといけない。


 そこで、匡は奇妙なことに気付いた。



 アンテナが立っていないのだ。



 山奥じゃあるまいし、電波が届かないなんてことがあるはずがない。これは、一体――?



「榎本さんなら、もう帰りましたよ」



 淡々とした、真樹の声が匡の疑問に覆いかぶさる。



「もともと、そういう約束だったんです。近江さんを呼び出して、閉じ込める。だから、もう帰っていると思いますよ」

「……真樹ちゃん。何を考えているんだ」



 ここにきて、ようやく匡は現状を把握した。


 狭い印刷室の中の暖房の温度は、低く見積もっても三十度をこえている。

 そうでなければ、冬にこれだけの熱気を保つことなど出来るはずもない。


 そして、この室内の出入り口は一個だけで、そこはちょっと押しただけでは開かないようにされている。


 そして何より問題なのは、換気扇。


 ちらりと確認してみたところ、見たことのないカバーがかけられていた。

 ネジでとじこんでいるのを考えると、使わせる気はないのだろう。



 狭い密室で、熱気にさらされた状態で閉じ込められた。



 真樹は取り乱すことなく、ペットボトルのふたを開けると、残りの三分の一を飲み干す。

 こくり、こくりと。最後の水分を味わうように喉が上下し、そして、彼女は空のペットボトルを放り投げた。


 まっすぐに、彼女は匡を見つめてくる。

 その瞳は、覚悟の決まったものだった。




「ねえ、近江さん」




 その時、匡はようやく、己が真樹を侮っていたことに気付いた。


 この女は、侮っていいような人間ではない。


 今は確かに未熟だろう。

 しかし、その地力は本物だ。


 いずれ経験を積み、研鑽をつめば、匡ほどではないにしろ、いっぱしの成功を収めるだけの力がある。


 ここで主役は交代する。

 古い世代は去り、新たな世代が目の前に立つ。






「ギャンブルを、しましょう」







 そうして、牧野真樹は、近江匡の前に立ちはだかった。




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