第11話 天運を持った男
※ ※ ※
「元々はよォ。あんたと一緒にいた兄ちゃんの方に用があったんだよ」
遠山ヒズミと名乗った少年は、開口一番に、そんなことを言い出した。
カフェテリア。
カジノとは関係のない、船の中の施設の一つに入り、向かい合う形で真樹とヒズミはテーブルに座っていた。
お互いスイーツのイチゴタルトを注文し、さらに真樹の前にはエスプレッソ。ヒズミの前にはイタリアンローストが置かれている。
ヒズミのオーダーを見て、真樹は心の中で『負けた』と思ったのだが、どうでもいい張り合いだった。
エスプレッソの苦みを口にしながら、真樹は前に座るヒズミをじっと見る。
帽子を被った少年の様子は、どことなく幼く、悪ガキ然とした空気がある。
見たところ中学生、よくて高校生と言ったところだ。
しかし、その堂々とした態度や、間髪入れずにイタリアンローストなんかを注文する慣れた様子など、見た目と精神に随分と乖離があるように感じた。
少し高い声色で、乱暴な口調。本来なら、その分不相応さは癇に障るところだろうが、ヒズミのそれは自然で、無理のないものだった。
そんな彼の口から、匡の名前が飛び出たのだ。
「なあなあ『お姉ちゃん』。そのよォ。近江匡って兄ちゃん、今どこにいるか知らね? オレさ、あの兄ちゃんに会いたいから、あの辺うろうろしてたんだよ」
驚くべきことに、どことなく近江匡を連想させる少年は、匡を探しているのだという。
「えっと」
どうにもついていけない思考を必死でまとめながら、真樹は慎重にヒズミに尋ねる。
「その、ヒズミ、くんは、どうして近江さんを探しているの?」
「ヒズミでいいぜ。『お姉ちゃん』」
不敵に笑いながらそう言い、ヒズミはイチゴタルトにフォークを伸ばす。丁寧に切り分けて口に含む姿は、中性的な顔立ちも相まって少女じみている。
しかし、口を開けば乱暴な少年のそれである。彼は可愛らしい表情を悪そうに歪める。
「どうしてったって。そんなもん、昨日のブラックジャック見てたからに決まってんだろ。あんなキレたギャンブルできる奴が、四階なんかにとどまってんのは気に入らねェんだよ。だから、直々に上に招待してやろう、って思って来てやったんだ」
「上に、招待?」
「おうよ」
大仰な態度で、彼はポケットに手を入れると、一枚のカードを取り出した。
それは船内で使うIDカードに似ていたが、色は黄色で違うものだ。
「こいつがありゃ、上に行ける。ま、配られる条件はあるが、あのお兄ちゃんなら構わねェ。その代り、オレと勝負してもらう。だからよ、どこにいるか教えてくんねェか?」
「はあ。どこにいるかって、言われても」
真樹はヒズミの言葉を飲み下し、今朝のことを思い出して、緩慢な動きで天井を見た。
カフェテリアの天井は、木造の森の家の様なデザインで、蛍光灯も目立たないように設置されている。そのさらに上、五階には、例のカジノ、ヒズミのいうところの匡のいるべき場所があるのだろう。
「なんていうか、もう近江さん、上にいるし」
「……は?」
呆けたヒズミの様子が可笑しくて、少しだけ真樹は笑ってしまった。
「実をいうとね。近江さんの目的も、『上』だったの。そのために昨日いろいろやって、そのカードと同じものを手に入れてきてた。だから今頃は、『上』に言ってるんじゃないかな」
そう。
真樹を置いて、一人で。
何とも女々しい感傷を抱きながら、他人事のように真樹は言った。
それを聞いたヒズミがテーブルを叩いたのは、次の瞬間だった。
「んだって!?」
目を丸くしながら立ち会った彼は、本当に驚いているようだった。
「ちょっと待てよおい。近江匡の財産は、それこそ昨日のブラックジャックを入れても五百万に届かねェはずだぞ! それに、ただ五百万あってもブローカーがそう簡単に渡すはずが――いや、そうか、昨日のバカラの負け。あれか!」
その驚愕の顔が、やがて喜悦に変わるのは時間の問題だった。
「あっはっは! こりゃあいい! こんな底辺でくすぶってるのは面白くねェって思って引き上げてやろうと思ったのに、こいつァ自分からのし上がりやがったのか! あははははッ! それでこそだ。それでこそオレが相手をするに相応しい!」
一通りまくし立てた後、彼はぱくりと一口でイチゴタルトを平らげた。そして、味わう様子もなくイタリアンローストを飲み干し、それから真樹を見た。
「おい、何してんだよ」
「え?」
きょとんとした顔で言われたが、それは真樹の方も同じだった。いきなりなんのことかと思えば、彼は真樹の手元を見ている。
「あんたも早く食えよ。オレは早く行きたいんだから、待たせんなって」
「い、行くってどこに」
「そんなもん、決まってんだろ。上だよ上」
さも当然のように。毒々しい笑みで、先が楽しみで仕方がないといった様子の彼は、真樹を引っ張るような口調で言う。
「『お姉ちゃん』もいくんだろ? 近江匡のトコに」
その提案。
断るには、あまりにも魅力的すぎた。
※ ※ ※
「――龍光寺比澄って知ってるか?」
近江匡のその言葉に、榎本友乃絵は、目を丸くして黙りこんだ。
榎本友乃恵には、人の関係性が視えた。
それは、相対した人間の背後から延びる『線』と、その先にある『影』という形で榎本の瞳に映る。
子供の頃から見えたそれは、どうやら人の思いを視ているらしかった。誰かに対する思いの形が、線という形で、観測される。
線の太さ、色、長さと言った要素で大体のつながりは分かる。人と人の間にある関係、因縁、感情。そういったものが、その線には詰まっている。
それを読み解くことこそが、榎本の『占い』の正体だった。
榎本友乃恵は、緩い瞳を細めて、鋭く光らせた。
近江匡がその名前を出した瞬間、榎本の目から遊びの色が消えた。
代わりに、探るような、慎重さが顔を出した。
果たして、この男は、どこまで知っているのか。
近江匡が信用に足る人物であることに疑いはない。だからこそ、自分が知っている事情を話すことには抵抗がないのだが――もし、これから話す内容を『彼がすでに知っている』のならば、それは、どこからか情報が漏れているという事実に帰結する。
龍光寺グループが。
そして何より、龍光寺晴孝が、己の持てるすべてを利用して隠蔽しようとしている、ひとつの事実が、筒抜けになっているという恐れがある。
匡の背後を延びる無数の線は、通常の人間の何倍もの数に上る。
彼こそは、榎本がこれまで知り合ってきたどの人間よりも多くの関係性を持っている男である。だからこそ、その糸の群から、無作為に真実を読み取るのは難しいと言えた。
「なあ、匡君」
慎重に、導火線の先をたどるような気持ちで、榎本は尋ねる。
「あんはんの質問に答える前に、うちの質問に答えてくれへんか?」
「ん? そりゃいいが」
急にテンションの下がった榎本を見て、匡は怪訝そうに顔をしかめる。
彼は異常なほど学習能力が高いので、ちょっとしたヒントでもすぐに真相に至りえる。すでに彼は、榎本の様子から、ただ事ではないということを察していることだろう。
未だ、どこまで話すべきかわからないまま、榎本は尋ねる。
「龍光寺晴孝の、直系卑属。あんはんが知っているだけでええから答えてや」
「おかしなこと聞くんだな。えっと」
いぶかしげな瞳を向けながらも、言われた通りに匡は知っていることを話す。
「そもそも龍光寺晴孝は子宝に恵まれなかったから、外部から養子をとったって話は有名だろ。そいつが龍光寺比澄。あと、実子って意味なら、確かあとに娘が一人生まれたって聞いたな。こっちは表舞台にまったく出てこないから詳しくは知らないが、今十一か十二ってところだろ。それくらいしかおれは知らねぇが、まさか隠し子でもいんのか?」
「いや。そんなんはおらへん」
本当に、この男は知らないのか。
近江匡の演技力は折り紙つきなので、一概に判断するのは危険なのだが、それでも彼の様子に嘘は見えない。
榎本の瞳に映る、無数の線も、匡に反応している様子はないので、『龍光寺比澄』に関して、匡が外部から情報を得た様子はない。
そこまで確認して、榎本はふっと緊張を解いた。
「匡君、ひとつ確認したいんやけど。あんはんが龍光寺比澄を探しとるんは、やっぱり例の、『出来ない』探しの一環なんか?」
「……ああ。そうだ」
否定せずに、正直にうなずいてきた。
それだけ真剣なのだということがわかる。
はじめ、この船で匡と再会した時に、彼の背後に見えたのは別の因縁だった。牧野真樹とともにこの船に訪れたのは、別の目的があってのことだし、それこそが主題だったはずだ。
しかし、裏があったのだ。
――まだ、続けているのだ。
榎本が匡と出会ったのも、『出来ない』探しが一端だった。あのとき、萩原明日奈という同系統の才能を持つ師を得て、決着はついたはずだった。
しかし、時が流れ、成長し、力を付けるたびに、彼は世間から乖離していく。
近江匡は、出来過ぎるのだ。
たとえ不可能が目の前に転がろうと、それが人の手で可能なことならば、匡にできないことはない。天賦の才――いや、凶悪なまでの学習能力。それは、彼から生きる喜びを失わせるほどに凶悪なものだった。
人の真似ではなく、より高度なレベルで習得をする。
物事の再現がうまかった萩原明日奈ですら、匡の学習能力の前には、最終的に敗れたのだ。それは、匡が並び立つ存在を失った瞬間でもあった。
だからこそ、近江匡は出来ない探しをする。
人にはできて、自分にはできないことを、探しているのだ。
なんて――痛々しい。
榎本は、突き放す意味も込めて、自身が知っている事実を話した。
「残念な話を一つしたるわ」
「ん? 残念って、何が」
「あんはんが探しとる、龍光寺比澄な」
一攫千金のギャンブラー。
天運に愛され、技術を磨いた男。
誰よりも神をけなし、誰よりも自身を信じていたその男は。
「もう二年も前に、死んでるんよ」
そんな、面白くもない現実だけが、目の前に提示されたのだった。
■ ■ ■
「あなたは、自分の命が、賭けるに値するものだと思いますか? 占い師さん」
薄暗い部屋だった。
初めは、雰囲気を出すためだけだったのだが、今ではその空気に飲まれそうになっている。暗く、昏い、心の奥底のような深淵の空間。かすかな明かりだけが、二人を照らしている。
目の前にいる『彼』。
その問いに、占い師・榎本友乃恵は肩をすくめながら言った。
「うちの命なんて、賭けたとしても二束三文にもならへんよ。もっとも、特定の誰かに限定すれば、いくらでも跳ね上がるかもしれへんけどな」
「そうですか」
そんな榎本の詭弁に、『彼』は淡々と相槌を返す。
自分から尋ねた質問であるにもかかわらず、答えなど気にしていないような態度である。
「私は、どんな命も、どんな場面であろうと、賭けるに値するものだと思います」
抑揚のない口調は、年齢を感じさせない無機質なものだ。
その冷え切った瞳は目の前の榎本を見定めている。
その命の相場を。
その魂の価値を。
『彼』は、淡々と、自身の主張を行う。
「そもそも、人生とは命をチップにして生きるゲームではないかと私は思います。確かに、命そのものを危険にさらすようなことは、そうそうありません。しかし、同等のことは日々起きている。人は、『生』を犠牲にして、生きています。生きる時間を勉学に使い、生きる時間を就業に使い、生きる時間を死ぬために使う。ねえ、占い師さん。仕事をするっていうのは、命をお金に換えていることと、同じだと思いません?」
「思わんよ。そないなこと」
普段の榎本を知る人間からすると意外に思うほどに、彼女はつっけんどんな様子で『彼』の言葉を切り捨てた。
「命はチップやないし、生活はゲームやない。あんはんが言うてるんは、一意的な見方でしかあらへんわ。暴論も暴論。ゲームと現実の区別はつけな」
「何を言っているんです?」
理解できないとでもいうように首を振りながら、『彼』はぬけぬけとこういった。
「現実はゲームでしょう? 区別も何もありませんよ」
「……ああ、そうやな。そもそも、価値観が違うんやったな」
まいった、と榎本はかぶりを振る。
それから彼女は、探るような調子で尋ねる。
「うちへの依頼は、別にあんはんを納得させることやないから、別に構わへんよ。どんだけキレた考え持っていようと、その価値観で何人射殺しようと、関係あらへん。けどな――」
じぃっと。榎本は、『彼』の背後を視る。
その後ろにある関係性の糸をたどりながら、検分していく。
途中で二つの糸が絡まりあっているのが見える。あまりにも複雑なそれは、解くのは難しそうだ。
「あんはんのその意見は、いったい誰の意見なんやろうな?」
榎本のボヤキに近い言葉に、『彼』は小首を傾げる。
「それは、どういう意味です」
「言葉通り。あんはん自身が思おてることなんか、それとも」
テーブル越しに対峙する二人は、真剣勝負の最中のように張りつめた空気を放っている。
さて、どこから攻めていこうか。
そんなことを思いながら、まずはジャブから、と思う気持ちを切り替え、いきなりストレートに持っていく。
「その考えは、龍光寺比澄の考えなのか。それとも――」
『彼』の瞳に鋭さが増す。
場はより張りつめて、一触即発となった。
榎本友乃恵と、『彼』は、まっすぐに睨み合った。
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