Chapter 2:Part 04 あかいあくま、襲来

 それは、ルーシーの重大な頼みを聞いた翌日の夜の事。

 もっとも、その重大な頼みとは同人ショップでの荷物持ちと陽月島の観光案内だったが。だが、なかなか悪くない時間だったと、統哉は実感していた。

 統哉はリビングでソファに寝転がってゲーム誌を読んでおり、ルーシーはコンビニへ行くために出かける支度をしていた。ちなみに、今の服装は昨日買ったばかりのタンクトップとハーフパンツだ。本人曰く、ドレスもいいけど、動きやすい服装も嫌いじゃないよ、嫌いじゃないよ! との事。

「統哉、ちょいとコンビニへアイスを買いに行ってくるけど、何か欲しいアイスはないか?」

「うーん、そうだな。たまにはハーゴンダッツが食べたいかな」

「ハーゴンダッツだと!? して、何味だ!?」

 ルーシーが目を見開いて統哉に顔を近付ける。その勢いに統哉はソファから転げ落ちそうになるのを堪えつつ答えた。

「何味って、ストロベリー味だけど」

「ス、ストロベリー味だと!?」

 全身をわなわなと震わせるルーシー。もしかして、地雷を踏んでしまったかと統哉が思った時――

「……いいセンスだ! その選択、イエスだね! ついでにルーシー査定、プラス1だ!」

 ルーシーが金色の瞳を輝かせ、笑顔で統哉の両手を掴んで上下にぶんぶんと振る。よくわからないが、統哉とルーシーのアイスの好みがマッチングしたらしい。というか、ルーシー査定とは何なんだろうか。

 ちなみにハーゴンダッツとは、巷で流行りの少々値は張るがその分風味も豊かなカップアイスクリームの事だ。

 バニラ味や抹茶味を始め、このアイスクリームは何かとバリエーション豊かなのが特徴だ。念のために断っておくが、邪教の神官とは何の関係もない。

 そして、ルーシーは財布を持って外に出た。時刻は夜十一時半。今日も陽月島はからっとした天気で、夜風が心地良く感じられる、そんな夜だった。夏の夜風が彼女の頬を撫でていく。その風を受け、ルーシーは――

「……空気が、騒がしいな……」

 ただ一言、そう呟いた。




 それから、ルーシーは街灯が照らす夜道を鼻歌混じりに歩いていた。彼女は住宅街近くのコンビニエンスストアで目当てのアイスクリームを手に入れ、八神家への帰路を急いでいた。夜道はやはり人っ子一人歩いていない。

「うんうん、やはりハーゴンダッツはストロベリー味に限るよなー♪ それがわかる統哉は、違いのわかる男だという事だな」

 コンビニエンスストアのビニール袋を右手に提げながらルーシーは満足そうに頷いた。

「……しかし、暑いな~……」

 夜にもかかわらず、周囲の気温はまるで猛暑日のように高い。その体感温度は下手をすると、三五度以上はあるかもしれない。

「地球温暖化の弊害って奴かな~……ひどく暑い……」

 ぼやきながら歩き続け、やがてルーシーは一声発した。

「……でさ、いつまで金魚のフンのようにくっついてくる気だ?」

 その声は、誰もいない住宅街に朗々と響き渡った。そして、その者の名を口にする。


「――ベリアル」


 ルーシーが呼びかけると、何もない中空からパッと、炎のようなツインテールをなびかせ、真紅のドレスに身を包んだ小柄な少女が現れ、地面に降り立った。頭には緻密な細工の施された金色のティアラが乗っている。そして、全身からは紅いオーラのような熱が放たれている。

「……おや、ばれたか」

 悪戯がばれた子供のような軽い口調で、ベリアルと呼ばれた真紅の少女がルーシーを見据えた。

 ベリアル。その名は「無価値なる者」を意味し、一説ではルシフェルの次に創造された炎の堕天使とされる。そして、かつてソロモン王に仕えた七二柱の堕天使達の内、序列六八位を与えられし者。そんな大物堕天使がルーシーの目の前に立っている。

「ふん、こんな魔力がだだ漏れな、わかりやすい高熱結界を張るのは今も昔もお前しかいないだろう。それも、私が外に出た時から<結界>を張っていたな? まったく、せっかくのハーゴンダッツが溶けてしまったらどうしてくれる」

 ビニール袋を近くに放り、ルーシーは指をパチンと鳴らした。みるみる内に、夏物の服が漆黒のドレスへと物質変換されていく。変換が完了すると同時に、ルーシーは戦闘態勢に入った。それを見たベリアルも見に纏う熱を激しくする。

「一つ聞かせろ。以前近くの繁華街で、三人の男を目も当てられない風にしたのは、お前だな?」

 ルーシーの質問に、ベリアルは肩を竦めてみせる。

「それが何か? 先に絡んできたのはあいつらだ。最初は軽くあしらってやったが、しつこかったから手を下したまでだ」

「最初はまさかと思ったが、ニュースで『あかいまくま』という単語を聞いて、ティンと来た。そこまで病的なまでに赤を好むのは、私の知る限り、お前しかいないからな」

「ニュースか。たかが低俗な輩三人にヤキを入れただけであの騒ぎよう。全く、人間というのはしょうもない事で大騒ぎする事が好きなのか? まあいい。そんな事は気にしても『無価値』だ……さて、下らないお喋りもここまでにしよう。ルシフェル、永きに渡る因縁にピリオドを打たせてもらおう」

「ふん、どうせならその命にピリオドを打ったらどうだ?」


 そして、黒と赤が交錯した。




「……ずいぶん時間がかかってるな、ルーシーの奴」

 ソファでコミック誌を読んでいた統哉が呟いた。ふと時計を見ると、三十分以上は経過している。自宅からコンビニまでは歩いても十分かかるかかからないかなのに、やけに遅い。

「……まあ、あいつの事だから、コンビニで食玩をまとめ買いしているか、店中のマンガを読み耽っているんだろ。全く、しょうがないな」

 そして、統哉は再びコミック誌に目を戻した。




 ルーシーとベリアルの戦いが始まってから数分後。二人の力は拮抗していた。

 ルーシーは得意の体術とスフィアを交えた高機動戦法で、ベリアルは炎の魔術による圧倒的な火力で相手を攻め立てる。だが、力を封印されている事もあってか、ルーシーの方が劣勢に立たされていた。一方のベリアルはルーシーの力に合わせて手加減をしているように見える。全く、底意地の悪い奴だと、ルーシーは思っていた。

 その時、ベリアルの動きに僅かな隙が生じた。ルーシーがそれを見逃すはずもない。

「もらったぁ!」

 ベリアルよりも一瞬速く、ルーシーがその頭部めがけてハイキックを繰り出す。しかし、その足は後から掲げられたベリアルの手によってしっかりと掴まれていた。

「どうした? これがあの天界を震撼させたルシフェルの蹴りか? まるでスットロいぞ?」

 なんて事ないようにベリアルがルーシーに語りかける。そして次の瞬間、勢いをつけて近くのコンクリート塀めがけてルーシーの体を投げつけた。

 ルーシーは頭からコンクリート塀に突っ込み、轟音と共に塀を破壊した。

「いってぇ~……すっげえいてぇ~……」

 ややあって、ルーシーが瓦礫の中から身を起こした。瓦礫にぶつけたのか、頭から一筋の血が流れている。

「……体捌きも鈍い。本当に弱くなったな、ルシフェル。ベリアルもお前の力量に合わせて手加減していたが、それでも欠伸が出そうなくらいだ。ぶっちゃけガッカリだよ」

 どこか失望感が漂う口調でベリアルが嘲笑う。ルーシーも、頭の血を拭い、笑い返す。

「私に合わせて手加減していた? ふん、私も舐められたもんだ。今までのはウォーミングアップだよ。今ので私のモーターのコイルもいい塩梅に温まった。ここからが本番さ」

「そう来なくてはな。ベリアルがわざわざヨーロッパから出向いてきた意味がない」

「そいつはご苦労なこった。それじゃあ次は月までぶっ飛ばしてやろうか? 片道オンリーのさ」

「それもいいな。だが、お前に炎獄への片道切符を渡してからな」

 一言言い放ち、ベリアルは両腕をすっとルーシーに向けた。次の瞬間、ドレスの袖の内部が赤く輝いた。

「――フレアショット」

 言い終わるや否や、両袖の空洞から巨大な火球が放たれた。

「――うおっ!?」

 ルーシーはそれを横に転がって間一髪で回避した。外れた火球は住宅の一つに命中し、それは一瞬にして大きな火柱へと変じた。<結界>内だからいいものの、実際には大惨事だ。

「ちっ、外れたか」

「相変わらずえげつない火力だな……」

 全焼した住宅を横目で睨みながらルーシーは呟いた。フレアショット。ドレスの両袖にある空洞に魔力を素早く充填し、それを巨大な火球として放つベリアルの得意技。シンプルだが、燃費もよく威力も高い。天界にいた頃、よくこの技で不意打ちを受けた記憶がある。もっとも、あの時は回避しつつローリングソバットを叩き込んだり、火球を足で蹴り返して逆に直撃させたりしていたが、今の自分の力では不可能だろう。

「それそれ、お嬢さん、お逃げなさいっと」

 ベリアルは歌うような口調で、フレアショットを乱射する。

「逃げろと言いながら、追い詰めにかかるなよ!」

 言い返しながら、ルーシーは次の手を考えていた。長い事高熱の<結界>内にいたせいか、体の水分の蒸発がいよいよ危険域に迫ってきた。

(……くそっ! いよいよやばくなってきたか! 流石に力の差がありすぎる……長期戦は危険だ。次の一瞬で決める!)

 考えるや否や、ルーシーは行動を開始していた。フレアショットを飛び上がって回避しつつ、右足に魔力を集中する。シューティングスターキックの構えだ。

 眼下を見ると、次の火球を放とうとしていたベリアルが訝しげに両手を見ていた。どうやら、撃ちすぎで魔力切れに陥ったらしい。

(相変わらずだ。後先考えずに撃ちまくってガス欠を起こす、お前の悪い癖は改善されちゃいない!)

 ルーシーの顔に笑みが浮かんだ。

「ひゃは! 案の定ガス欠起こしてやんの! 次の準備が整う前に、お前の顔面にブーツの跡を刻んでやんよ!」

 このまま押し切る! ルーシーは急降下しながら決心した。そして、ベリアルに必殺キックが炸裂するかと思われたその瞬間、ベリアルの顔に嘲りの表情が浮かんでいる事に気付いた。

(――しまった、ブラフだ!)

 そう思ったがもう遅い。ルーシーめがけて、内部が赤く輝いたドレスの袖が向けられる。軌道修正しようにも、もう間に合わない。


「残念なお知らせだ。準備が整った」


 獰猛な笑みを浮かべたベリアルが言い放つ。直後、放たれたフレアショットがルーシーに直撃した。




「――――ッ!?」

 統哉は直感的にルーシーに何かがあった事を悟った。まるで、額に稲妻がキュピーン! と走ったかのような感覚だった。

 何があったのかはわからないが、よくない事が起きたというのは明らかだ。

「……何かあったのかよ、あの馬鹿!」

 統哉はコミック誌を放り出して、急いで外に飛び出していった。もちろん戸締まりはきちんとして。




「つまらん」

 興味をなくした声で、ベリアルは吐き捨てた。その足元には、荒い息と膝をついているルーシーの姿があった。鎧の役目を担っている漆黒のドレスはあちこちが焼け焦げ、白磁のような肌には火傷の跡が痛々しく残っている。特に右足はほとんどが炭化し、辛うじて足首から皮一枚で繋がっているだけの極めて危険な状態だった。

「……ガス欠に見えたのは嘘かい……」

 ベリアルを睨みつけながら、ルーシーは呟いた。

「以前のベリアルと同じだと思うなよ。そして、フェイントやブラフはベリアルの得意技だという事を忘れていたな?」

「……そうだったな。そういうのはお前の十八番だもんな。私とした事が、すっかり忘れていた」

「そうだとも。ベリアルだからな。それに、よく言うだろう。人は日々成長するものだと」

「お前は堕天使だろうが……あーちくしょー、ドレスはボドボド、そして、私の玉のような肌に傷をつけやがって……」

「まだ減らず口をきく元気があるのか。だが、それまでだ。しかし、いくら力を失っているとはいえ、その程度とはな。期待していたベリアルが馬鹿だった。老いぼれたな、ルシフェル」

「老いぼれ言うな……」

 軽口を叩き続けるルーシーだが、実際に受けたダメージはかなりのものだった。ドレスを貫通した強烈な火炎の魔力、体の大部分に負った火傷、地面に叩きつけられた際の擦過傷や打撲。高熱の<結界>による水分の喪失。そして右足の惨状。水分以外はしばらく休んでいれば自然治癒するだろうが、それを許すほどベリアルは甘くない。その事実をルーシーはよく知っている。現にベリアルはルーシーにトドメを刺そうと行動を起こすところだった。

「……それじゃあ、案外呆気なかったが、そろそろこの因縁ともおさらばさせてもらおうか」

 ベリアルが両腕を掲げる。両手の間に太陽をミニチュアにしたかのような巨大な火球が生み出され、まさにルーシーめがけて投擲されようとしたその瞬間――

「――む?」

 突然、ベリアルは作り出した火球を消し、きょろきょろと辺りを見渡した。目を瞑り、眉をひそめて感覚を集中させる。

「……何か別の所から、上質な魔力の気配がする……これは……人間の男……? だが、この気配は生命力と魔力に満ち溢れている……!? しかも、お前との間に契約のリンクが結ばれているようだが……?」

 目を閉じたベリアルの顔が期待と喜びに満ちていく。

「ほほう? 好都合な事にこちらに近づいてきているな。あの様子だと、誰かを探しているみたいだが……」

 ベリアルはちらりと目を開ける。ルーシーの顔に焦りが浮かんだのをベリアルは見逃さなかった。それを見てベリアルは目を完全に開き、凄絶な笑みを浮かべた。

「……なるほど。何があったのかは知らないが、どうやらお前のお友達らしいな。よし、決めた。このままお前を殺すのもいいが、先にそのお友達の全てを奪い、お前に絶望を叩きつけた上で殺してやろう! その方が楽しそうだ!」

 ベリアルは軽く舌なめずりをした後、空高く飛び上がった。そして、両手を広げて飛び去っていった。

「統哉が、危ない……!」

 ルーシーはすぐに右足首を見やった。炭化した皮膚がはがれ落ち、その下で新しい皮膚が生じつつある。皮一枚で繋がっている足首もゆっくりと再生を始めていた。なんとか開いた穴は塞がったらしいが、その下の筋肉や腱はまだ再生に時間がかかるようだった。しかし、今は悠長に再生が終わるのを待ってはいられない。

(なんとか、動かす事はできるか……)

 それを確認したルーシーは何とか立ち上がり、走り出そうとした。だが、足がもつれてすぐに倒れてしまった。直後、激痛がルーシーを襲う。ベリアルとの戦いはほんの数分間だったが、ルーシーの消耗は激しかった。今の状態では、人間並の速さで走るのがやっとだろう。それも、痛みに耐える事ができれば、の話だが。

(くっ……! 何とかして統哉を逃がさなくては……! 間に合ってくれ……!)

 ルーシーは目を閉じて精神を集中し始めた。

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