Chapter 1:Epilogue
統哉とルーシーが力を合わせて守護天使を倒し、最初の<欠片>・<理解>を奪還してから一時間後。時刻は深夜三時半。
統哉は自宅の風呂で戦闘の疲れを癒していた。
ルーシーは「君の方が疲れているだろうから、先に入っておいで。何、私は後から入るよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて先に入浴を満喫している。
今頃ルーシーはリビングでコミック誌を読んでいるのだろう。
「はあぁ~~~~っ……」
湯船に肩まで身を沈め、統哉は心の奥底から、それはそれは深い溜息をついた。やはり疲れている時には風呂に限る。日本人でよかったと、つくづく思う。
両手で湯を掬い、顔にかけ、その後、ゆっくりと目を閉じる。入浴剤から漂う
(……それにしても、たったの数日で色々な事がありすぎたな……)
がらっ。
ここ数日の事を思い返してみる。
裏山に墜ちた流星。そこから現れた堕天使ルシフェル。天使と呼ばれる異形の怪物。圧倒的な力で天使達を一蹴したルシフェル。直後に負った瀕死の重傷。ルシフェルとの契約。自分に宿った大きな力。ルシフェルに「ルーシー・ヴェルトール」という自分でも中二的な名前をつけた事。突如始まったルーシーとの同居生活。実戦訓練。守護天使との死闘……日常からかけ離れた事柄が多すぎて頭がどうにかなりそうだ。
まるで超高速のジェットコースターに乗せられて、遊園地のアトラクション全てを一つ一つ回されているかのような感覚だ。
シャアァァッ……。
確かに、自分は平凡な日常に退屈していた。両親を失ってからというもの、自分にとって平凡な日常はまさに生き地獄と言ってもよかった。だが、自分の命を絶つような度胸などなく、今日まで生きてきてしまった。
それをぶっ壊してしまったのが、ルーシーだった。まさかそれが、些細なレベルではなく、一気にスケールの大きな話にまで発展してしまうとは思わなかったが。
(それも観客としてではなく、当事者、だもんな)
「あー、髪が多いと洗うのに手間がかかってしょうがないなー。でも私の自慢の一つだからしょうがないけど」
まさか、自分がとんでもない力を手にして、天使達と一戦交えるなんて思いもしなかった。
(しかも、まだ終わりじゃないんだよなぁ……)
まだ<欠片>は九個も残っている。全ての<欠片>が集まるのはいつになるのか。まあ、助けてもらった命だ。大事に使わせてもらわなければ。そうあっさりと死んでしまってはあいつに申し訳が立たない。
「――統哉、ちょっとずれてくれないか。私が入れない」
「ああ、悪い……」
統哉はそう言って浴槽の脇を見た後、顔を元に戻した。
(……今、俺は何を見た?)
視線を戻してから、統哉は今見た光景を分析し始めた。目の前にあったのは、仁王立ちしている人体。白磁のように透き通った白い肌。ウエストは細く、無駄な肉がついていない、見事なものだった。ぶっちゃけセクシー。肝心な所は湯気で見えなかったが。
そして、すっかり聞き慣れたソプラノボイス。
ちーん。
たった今、統哉の中で結論が出ました。
つまり今自分が目にしたのは、ルーシーの真っ白な素肌だったわけで。
「――ルーシー!? ナズェイルンディス!?」
超スピードで壁の方を向き、統哉は絶叫した。
慌てていたあまり、凄まじく上ずった奇声が出てしまった。統哉自身、何語だこれ、と思わざるを得なかった。
「え? 普通に入ってきて、体と髪を洗っていたが? まさか君、今まで気付いていなかったのか? 君、ツッコミだけじゃなくてボケまで上手いんだな。笑いの才能があるよ」
「どうでもいいよそんな才能!」
人間というのは、見てはいけないものを見てしまうと、自我や正気を保つために視界から対象を削除する事があると、どこかで聞いた事がある。今の状況がまさにそれだった。
いや、ぶっちゃけ見てはいけないものではなく、統哉もそういったものに興味があるお年頃なわけだが、いきなりその手のものが何の準備もなく、ポンッと目の前に現れたら脳が受け付けられなくなるのも当然なわけで。
統哉にしてみれば、今日ほど「湯気」というものの存在に感謝した事はなかった。もし湯気がなければ、今頃統哉の理性はゲシュタルト崩壊へと導かれていたであろう。見てしまったのがウエスト部分のみでよかったと、統哉は心の底から思った。
「な、ななな、なんでお前、ここにいるんだよ!? それに、なんでタオルも何も巻いていないんだよ!?」
壁を向いたまま、統哉が叫ぶ。
「ん? 言ったじゃないか、『後から入る』と。それに、一緒に入った方が節約になるだろう? 私もあちこち行ったが、楽して浮く光熱費がないのはどこも一緒だな」
「『後から入る』って、そういう意味かよ!」
「そして、二つ目の質問だが、風呂に入る時に男も女もタオルは巻いてはいけない決まりではなかったか?」
「確かにそうだけど……! 何事にも例外ってものがあってだな! 頼むからタオルを巻いてきてくれ!」
「だが断る」
「おいィ!? お前それでいいのか!?」
「やだよ面倒くさい。もう髪も体も洗ったから、入るぞ」
「ちょ、待てっ……!?」
統哉の訴えも空しく、ルーシーは浴槽に半ば強引に入ってきてしまった。まさにゴーイングマイウェイである。
「あ~……生き返る~……死んじゃいないけど」
「それはよかった! じゃあ俺は出るから!」
「まあ待ちたまえ。せっかくだからゆっくりしていけ」
立ち上がろうとした統哉の肩をルーシーが押さえつける。それはまるでプレス機のような力で統哉を浴槽に戻してしまった。あの細腕のどこにこんな怪力が詰まっているのかと統哉は信じられない思いだった。
「……うーん、流石に二人はちと狭いか。じゃあこれなら……よっと」
ルーシーが背中をくっつけてくる。正直、それだけでも心臓が早鐘を打つ。
(落ち着け、落ち着くんだ……素数を数えて落ち着くんだ……1……2……待て、1は素数だったか!?)
必死に心を落ち着かせようと四苦八苦している統哉をよそに、ルーシーは心底心地良さそうな溜息をつく。
「ふぃ~っ……それにしても、君も変わっているな。風呂に他人が入っている時は壁に向かって話すのが癖なのか?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ、どうしてこっちを見ないんだ?」
「正直言って、目のやり場に困るんだよ!」
埒があかないので統哉は正直に告白した。
それを聞いたルーシーが固まったのが背中越しに伝わってくる。が、やがてルーシーは笑いだした。
「あはははは! なんだ、そういう事か! まったく、ウブだな君は!」
可笑しくてたまらないといった様子でルーシーは笑う。ソプラノの笑い声が風呂場にこだまする。
「……わかった。じゃあそのままでいい」
ひとしきり笑った後、ルーシーは再び背中をくっつけてくる。奇妙な沈黙が風呂場を支配する。
「統哉、ありがとう」
「……え?」
突然沈黙を破ったルーシーに礼を言われて、統哉は反応に困った。
「正直言って、私一人では守護天使を相手にして<欠片>を奪還するのは上手くいかなかっただろう。だが、君の助力があったおかげで上手くいったと思うんだ。だから、君には心から感謝している。だから統哉、ありがとう」
そう言って、ルーシーはさらに背中をくっつけてくる。
「……どういたしまして」
そう答えた統哉は、なんだかくすぐったい感覚を覚えた。心なしか、頬がさらに熱くなった気がする。
「てなわけで、これからもよろしく頼むぞ」
「うん、よろしく頼まれたから早く解放して!?」
そんなこんなで、夏の夜は更けていった――。
その頃、陽月島から少し離れた位置に浮かぶ人工島に建設された「陽月国際空港」へヨーロッパからの飛行機が降り立った。
タラップが取り付けられ、続々と乗客が降りてくる。外国人旅行客、サラリーマン、親子連れをはじめとしたその中に、一人だけ異様に目立つ少女がいた。
その少女は百五十センチあるかないかの身長に、気だるげな表情が特徴だった。そして頭には、小さいながらも見事な細工の施された、金色のティアラが乗っかっている。
何よりも目立つのは、頭の両サイドで結んで垂らす、いわゆるツインテールにまとめた長い髪、瞳、身に纏っているゴシックロリータ調のドレス――全てが深紅に染まったその外見だった。
誰がどう見ても異様極まりない出で立ちだが、不思議な事に誰も気に留める様子がない。
「……ここが噂に名高い陽月島か。噂には聞いていたが、なるほど、確かに素敵な島だな……まあ、無価値だがな」
少女が呟く。だが、その響きは億劫そうで、喋るのも面倒だという印象を与えるものだった。
少女はロビーに到着した後、退屈そうに大きく伸びをした。そして、コンベアから流れてくる荷物の中から、これまた深紅に染まった、やたらと大きい旅行鞄を手に取った。
「とりあえず、どこか宿を探さなければ……ふわぁ……やっぱり飛行機は疲れる……眠い……」
そう呟き、紅ずくめの少女は眠たげに目を擦りつつもしっかりとした足取りで、深紅の旅行鞄を引きずり空港を出た。
だが、気だるげな表情とは裏腹に、その内面には地獄の業火の如き熱がたぎっていた。
(……もうすぐだ。いよいよ、まみえる)
この島に、「彼女」がいる。
永きに渡る因縁に決着をつけなければならない。大いなる存在の手によって、「彼女」の次に創造されて以来、知識、魔力、カリスマ性など、あらゆる分野において「彼女」の次席に甘んじていたが、もうそれも終わりだ。
かつて、幾度となくその座を狙い、不意打ちに闇討ち、騙し討ちなど多くの策を弄してきたが、その度に見破られ、鉄拳制裁を食らってきた。だがそれでも、少女は「彼女」を上座から引きずり下ろす事に執着し続けた。
「彼女」に敵愾心を抱いた理由などもう忘れた。だが、今の自分にはこれぐらいしか生きる目的がない。かつてはその力で二つの人間の街を堕落と退廃の都へと変えた事もあったが、今はそんな事などするつもりはない。
「彼女」が異世界からこちらの世界に来てくれたのは自分にとってまさに僥倖だった。そして、その存在が極東の小さな島国の片隅にある、この小さな島にいる事も乙女の肌よりも鋭敏な感覚でつかんでいる。
そして、彼女は「彼女」の名を呼ぶ。
「――待っていろ、ルシフェル」
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