3.「今度、ゆっくり案内してください」
日曜日、
学校がある普段より一時間以上も遅い、八時くらいに起きたのはいつも通り。だが、今日は出かけなくてはいけない用事があり、僕も佐伯さんも朝食後、協力して雑事を簡単にすませ、それぞれ身支度をはじめた。
「おまたせー」
佐伯さんのほうが時間がかかるのは、これまたいつものこと。
部屋から出てきた彼女は、ブルーのデニムのロングパンツに、黒のプリントシャツという格好だった。
「今日はまた、ずいぶんとシンプルですね」
そのくせファッション雑誌から抜け出てきたかと思うほど様になっているのは、佐伯貴理華という素材がいいからだろう。シンプル故に着ているもので誤魔化しが利かないというか。スタイルのよさも際立っている。
「そのへん、お父さんがうるさいから。はしたない格好をするな、とか」
「なるほど。だったら、それくらい無難なほうがいいですね」
ふたりとも準備が整ったところで、戸締りを確認して家を出る。
なぜ佐伯さんのお父さんの目を気にするのかというと、今日は彼女の両親が帰国する日で、まさにそのお父さんと今から会うのである。僕までついていくのは、持って帰ってきた荷物の整理や、家の片づけに駆り出されるからだ。これは佐伯さんのお父さん――佐伯トオル氏直々のご指名なので、拒否するわけにはいかない。尤も、拒否する理由もないが。
学園都市の駅に向かって歩く。
長い髪を揺らし、弾むように歩を進める佐伯さんの姿がきれいだ。
九月も中旬に入り、もう残暑と呼ぶべき時期に入っているはずなのだが、相変わらずの猛暑が続いていた。ただ、今日に限っては何の気まぐれか、それも鳴りを潜め、過ごしやすい気温になっている。
「おしえてもらった感じだと、ここから一時間半ってところでしょうか。君の実家は」
「そうなのかな?」
と、首を傾げる佐伯さん。
自分でもわかっていないのは、彼女が家と学園都市を行き来したことがないからだ。昨冬、両親よりひと足早く帰国した彼女は、親戚の家に世話になりつつ、入学試験や面接などはそこから行ったのだそうだ。
「これからは気をつけたほうがいいよぉ、弓月くん」
佐伯さんは強気な口調で告げる、
「何がですか?」
「わたしを怒らせると、伝家の宝刀『実家に帰らせてもらいます』が出るから」
「勝手に帰ればいいでしょうに」
一時間半といえば、僕の家よりも近い。とは言え、毎日通うには少し辛い距離だろう。僕は去年、片道二時間かけて水の森に通っていたが、さすがに音を上げた。
「そんなこと言って、わたしが出ていったら寂しいくせに」
「……まぁ、部屋が広く感じるのは確かでしょうね」
物理的にも、気持ち的にも。
「ほーら、わたしがいないとダメなんだから」
勝ち誇ったように言う。
「何を言ってるんですか。それはお互い様でしょう」
「うん、そう。お互い様」
そして、笑った。
そういうことを抵抗もなく言えるのは羨ましくもあるな。
気がつけばもう学園都市の駅が見えてきていた。
学園都市から一旦、一ノ宮へ出る。
そこからJRに乗り換え、方角的には以前に佐伯さんと出かけた繁華街、ひいては僕の家とは反対方向へと向かうことになる。新快速でしばらく行ってから、普通電車へ乗り換えだ。
車内は比較的空いていて、僕らはボックス席に向かい合わせに座った。
進行方向に向いて座る佐伯さんは、家が近づくにつれて懐かしい風景が増えてきたのか、よく窓の外に目を向けている。僕にとっては車窓を流れていく景色は初めて見るものばかりだ。
「ところで、佐伯さんのお母さんってどんな方ですか?」
佐伯さんのお父さんとは以前一度だけだが会っていて、だいたいの人柄は掴んでいる。真面目な方だ。だが、お母さんのほうは今日初めて会う。初対面にあたって予備知識がほしいところ。
「えっと……わたしのお母さんです」
佐伯さんは車窓から僕へと向き直り、そう答えた。
「そんなことはわかってますよ。どんな感じの人かおしえてほしいんです」
「うん。だから、わたしのお母さん」
「……」
再度繰り返したその言葉の意味を、僕は考える。
つまり、佐伯さんを生んだ母親であり、佐伯さんを形成する遺伝子の半分を提供した人物、ということなのだろう。
「……それは怖いですね」
「どーゆー意味!?」
言うまでもなく、そのままの意味だ。佐伯さんと同系統、下手をすると彼女をパワーアップさせたような人が出てくるかもしれないのだ。怖いに決まっている。
「それより、ちゃんと練習してきた?」
彼女は不意に話題を変える。
「何をですか?」
「『お嬢さんを僕に――」
「するわけないでしょう」
今日はそんな目的で行くわけではない。
「ものは試し。言ってみたら? 案外すんなりいくかもよ?」
「……」
思わず真面目に考えてしまった。
「おー、懐かしい」
目的の駅に降り立つ。
所要時間は予想の通り一時間半ほど。各駅停車の普通電車しか止まらない駅なので小さいところかと思っていたが、小ぢんまりとした感じはなかった。
佐伯さんのここにきての第一声は、先のようなもの。
「そう言えば、君は帰国してからこっち、家には帰ってないですよね?」
片道一時間半なら行き来できない距離でもないだろうに。
「うん。まぁ、そうなんだけどね。でも、帰ったところで何もないし。家族のいない家なんて、寂しいだけだから」
確かに。
「それに未来のダンナ様の世話もあるし?」
「言ってなさい」
僕は改めて辺りを見る。
駅の規模としては学園都市の駅と同じくらいだろうか。どちらもそんなに大きい駅ではないが、駅周辺の空間を大きくとっているのが共通している。それにここ何年かのうちに増改築したのだろう、非常にきれいだ。ただ、駅前にこれといった施設はないようで、少々閑散としている。ロータリィには運悪く一台のバスの姿もなく、タクシーが数台とまっているだけだった。
――ここが佐伯さんの住んでいた街か。
そう思えば不思議と興味はわく。
「どうかした?」
周囲を見回す僕に、佐伯さんが問うてくる。
「よければ今度、ゆっくり案内してください」
「? 別にいいけど?」
彼女はうなずきつつ怪訝そうな顔をした。もしかしたらここで生まれ育った佐伯さんにとっては何でもない街で、興味を示すことが不思議なのかもしれない。僕だって彼女が関わっていなければ、単に寂しい駅だと思っただけで終わっていただろうと思う。
「じゃあさ、さっそくアイス食べてく? すぐそこにいいお店があるんだ」
「家に行かなくていいんですか?」
「早く帰っても手伝わされるだけだと思うけどなぁ」
確かにそうかもしれないが、とは言え、その片づけるものの中には佐伯さんの荷物だってあるのだ。自分のものは自分でやらないと、いつまでたっても終わらないだろうに。単におじさんの手伝いである僕はそれでもいいが。
でも、まぁ、それくらいの寄り道はかまわないだろう。たいして時間をとるわけでもなし。佐伯さんお気に入りの店というのも興味がある。
と、思っていたら、
「貴理華! 弓月君!」
よく通る渋い声。
「こっちだ」
見ればロータリィのバスやタクシーの邪魔にならない場所に一台の車が止まっていて、その脇に立つ人物が手を上げてこちらに合図を送っていた。
小父さんだった。
「……うわ、迎えにきてるし」
佐伯さんがげんなりしたように零す。
それから僕らは顔を見合わせて苦笑した。どうやらアイスクリームはお預けのようだ。
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