継章 「わたししか見えてないくせに」と彼女は言った

 終業式。

 つまり、明日から夏休みという日。


 蒸し暑い体育館での終業式を終え、教室で成績表を受け取って―― 一学期最後の日を終えた僕は、馴染みの顔とともに教室を出た


 馴染みの顔とは即ち、滝沢、矢神、宝龍さんに雀さん、だ。


 いつも忙しそうにしている滝沢も、この日ばかりは特に用はなかった模様。運動部なら今日も部活があったりするのだろうが、文化系はのん気なもので、文芸部のふたりもいる。


「見事なものですね」


 僕は宝龍さんの成績表を見ながら廊下を歩く。

 惜しげもなく見せてくれた宝龍美ゆきの成績表には、とんでもない数字がずらりと並んでいた。この中どころか学年でも一位、おそらく夏休み明けの全国模試ですらそうなることだろう。


 これでなぜ留年したか不思議で仕方ないが、原因が成績とは関係ないところにあるのだから、それとこれとは別なのだろう。


「この感じだと、きっと僕がいちばん下ですね」


 同じように滝沢からも成績表を見せてもらい、矢神と雀さんに探りを入れた結果、僕はそう予想する。たぶん上から順に、宝龍さん、滝沢、矢神と雀さん。そして僕、だろう。


 滝沢は宝龍さんの前では霞むが、苦もなく上位に入る秀才タイプの人間だ。矢神と雀さんはどちらも真面目なので、こつこつ勉強して、その努力に見合った結果を残している。


「大丈夫だ。お前はそんな成績とは別の場所で、十分に頭のいい人間だよ」


 と、後ろから滝沢。


「そうね。それは勉強では伸ばせない部分よ。自信もちなさい」


 それに同調したように、宝龍さんまでもが言う。こちらはグループの先頭を切って、堂々と歩いている。隣には雀さん。


 そんなふうに褒められたところで、結局のところ、学生の価値をはかるのは学業の成績なのだ。恰好の悪い点数を取るわけにはいかない。


「宝龍さんも滝沢さんも、弓月君のことを高く買ってるんですね」


 不満げに雀さんが口をはさむ。


「おや、ナツコさんは僕が評価されるのは気に入りませんか?」

「ナツコ言わないっ」

「前々から聞こうと思っていたんですが、雀さんのお父さんって麻雀好きですか?」

「っていうほどじゃないけど、理系の研究者のくせに一時期麻雀にハマってたみたい。それがちょうど私が生まれるころ。姉が陽子と量子で、私がナツコってどうなのよ……って、そんなことはどうでもいいんですっ」


 最近わかった。雀さんは真面目な性格が災いして、ノリツッコミ体質なのだ。


「許してあげなさい。褒められて照れてるのよ、恭嗣は」

「あ、そうなんですか」


 いやいやいや。何か誤解があるような。


「ほう、そうなのか」

「いや、ですから……」

「そうよ。つき合ってた私が保証するわ」

「……」


 好き勝手言ってくれる。


 しかし、気がつけば昇降口。反論しようにも皆それぞれに靴を履き替えはじめ、その機会も逸してしまった。


 何か非常にもやもやした気持ちを抱えたまま僕も革靴に足を突っ込み、表へ出る。


「あ、やっと出てきた。おーい、弓月さーん」


 手を振るのは桜井さんだ。その横には当然のように佐伯さんもいる。この夏の暑い中、待っていたらしい。


 自然、僕と佐伯さんの目が合い――彼女がやわらかく微笑んだ。


 僕の口から嘆息がもれる。何となく嫌な予感がするな。


「仕方ない。君も一緒に帰りますか」


 僕はそう言いながら手を伸ばし、気配を殺して脇を通り抜けようとしていた浜中君の襟首を掴んで、引き寄せた。


「なんで毎度毎度、僕を巻き込むんだよっ1?」

「いいじゃないですか、一学期最後の日くらい。嫌ですか?」

「嫌に決まってるだろっ」


 涙目の浜中君。嫌われたものだ。


 しかし、「なんだ、そっちの先輩と帰るのか?」「じゃあね、浜中くん」「また電話するからな」「先輩、失礼しまーす」と、彼と同じグループらしい男女の生徒らは理解を示し、先に行ってしまった。


 浜中君も連れて佐伯さん、桜井さんに合流。にわかに大所帯となった。


「夏休みに入るとしばらく会えませんから、ご一緒していいですか?」

「いいと思いますよ。大勢のほうが賑やかですから」


 僕は桜井さんに答えておいてから、隣にいる佐伯さんに目を移す。


「じゃあ、我々も駅まで行って、買いものをすませますか」

「そうだね。それがいいと思う」


 どうせ今日はもとから買いものに出る予定だったのだ。なら、このままみんなと一緒に駅まで行ってすませてしまえば手っ取り早い。


「あいかわらず仲のいいことだな」


 滝沢に含み笑いでからかわれながら、かたまって校門を出る。


「ま、近所のよしみというやつですよ」

「とか言ってますけどね、わたしたち、ちゃんとつき合うことになったんです」


 瞬間、僕はひっくり返りそうになった。


 雀さんがぎょっとしてこちらを見、ついで桜井さんが詰め寄ってきた。


「やーっぱりそうなんじゃないですかぁ。いくら聞いてもキリカははぐらかすし、弓月さんは否定するし」

「つい最近の話です。桜井さんが僕を問い詰めていたころは、まだそうじゃなかったんですよ」


 よって、騙していたわけではない。


「弓月くん、うちの父にも会ったんですよ」

「っ1?」


 これまたよけいな爆弾を投下する佐伯さん。波紋のように動揺が広がる。いちばん動揺したのは当事者であるはずの僕だが。


「驚いたわね。恭嗣がそこまで話を進めてたなんて」


 冷静に、しかし、かすかに驚きを含めて言ったのは宝龍さんだ。ある程度の事情を知っている彼女でも、これは意外だったらしい。


「事実だけ見れば、確かにそうなんですけどね。でも、彼女のお父さんと会ったのは、たまたまです。偶然ですよ」

「あ、お嬢さんをください、とかじゃないんだ……」

「矢神……」


 いったいみんな何を想像しているのだろうな。尤も、それに近い説得はあったのだが。


 そこで口を開いたのは今まで、そして、今も不機嫌顔ながら、それでも素直についてきている浜中君だ。


「あ、でも、先輩ならけっこうあり得るんじゃないですかね。前に僕、丁寧語で脅されましたから。佐伯さんには近づかないようにって」

「君まで暴露しますか……」


 ここぞとばかりに反撃にくるとは。しかも、微妙に自爆テロだ。


「そうなの?」


 驚いて問う佐伯さん。


「嬉しそうにしないでください。……えっと、まぁ、それに近いことはあったかもしれませんね……」


 僕の口から力のない、乾いた笑いがもれる。


 それから浜中君へと顔を向けた。


「君、後で覚えておくように」

「後っていつですか? もうしばらく会わないと思いますけどね」


 彼はこちらへ睨み上げるようにしながら、ふてぶてしい態度を見せる。なるほど、退路を確保した上での反撃だったか。


「あなたたちもいつの間にか仲よくなったのね。せっかくだからふたりそろって文芸部に入りなさい。今なら夏の合宿に参加できるわ」

「だそうです。どうですか、一緒に合宿とやらに参加して、朝まで語り合いますか」

「考えなしに目の前のエサにつられてんじゃねぇよ。興味もないクラブに入る気かよ。まぁ、別に止めませんけど。僕は遠慮しておきます」


 確かに一理あるな。

 にしても浜中君、もうここでは猫をかぶる気はさらさらないようだ。


「あ、あの、宝龍さん。合宿って……?」


 矢神がおそるおそる問いかける。


「どうせ秋の文化祭には部誌を出すのでしょう? だったら、そのとっかかりとして合宿をやってもいいと思うの。計画をまとめて、近々提出するわ」

「うち幽霊部員が多いんですけど……」

「最悪、私と矢神君のふたりね」

「……」


 哀れ、矢神……って、顔面蒼白、すがるような目で僕を見ないでもらいたい。


 大部分で話題の中心にいながらやけにアウェーな気分にさせられる話を展開しているうちに、道程は終点に辿り着こうとしていた。学園都市の駅だ。


「それじゃあ、僕らはここまでです」


 改札口まで一緒に行き、そこで別れる。


「またね、ふたりとも」

「弓月、また連絡する」

「じゃっねー、キリカ。弓月さんも。休み中キリカと会うと思いますから、そのときはまた一緒に」


 口々に言って改札を抜けていく。浜中君はなぜか桜井さんに尻を蹴られていた。僕と佐伯さんは、そんな彼らがエスカレータでプラットホームに上がり、姿が見えなくなるまで見送った。


 これから夏休みに入るが、僕らは遊び盛りの高校生だ。何かつけて連絡を取り合い、会うことだろう。名残り惜しさは欠片もない。


「まったく、君は。なんであんなことを言ったんですか」


 きた道を戻るかたちで、ショッピングセンターへと足を向けた。


「どうせ黙ってたっていつかはわかることなんだから。今のうちに知っておいてもらったらいいじゃない」


 それに――と、佐伯さん。


「本当のことだしね」

「まぁ、ね」


 いや、もう、あの日は大変だった。あれから佐伯さんと一緒に家に戻り、小父さんにお願いしたのだ。多弁になっても言葉が薄っぺらくなる気がして、的確に要点だけを述べ、頭を下げて頼み込んだ。もちろん、そこに僕の気持みたいなものも含めないわけにはいかず、それこそ矢神が言ったのに近いものがあった。今思い出しても恥ずかしく思う。


 対する小父さんは僕以上に口数が少なく、こちらのお願いに二時間近く腕を組んだまま黙っていた。佐伯さんなんかいくら待っても答えが返ってこないものだから、ついには舟を漕ぎ出したほどだ。


 そうして答えが出たのは、時計の針が三周目に突入。午前三時を回ろうかというころだった。


「未だによく小父さんがオーケーしたものだと思いますよ」

「あれでお父さん、弓月くんのことけっこう気に入ってるんだと思う」

「そうですかね」


 覚えのない僕は首をひねるばかりだ。


「うん。誠実で男らしいところがあるって褒めてたし」

「買いかぶりすぎですよ」


 誰も彼も。僕を過大に評価しすぎだ。


「まぁ、おかげで君ともまだ一緒にいられるわけですが」

「『大切にお預かりします』?」


 佐伯さんが意地の悪い笑みを見せる。それは僕が小父さんに言った台詞だ。


「いちいち言わなくていいんですよ。ほら、早く買いものをすませて帰りましょう」

「でも、その前にアイス食べていこう。暑いし」


 佐伯さんが指さす先には、ショッピングセンター外周部のアイスクリーム屋があった。


「太っても知りませんよ」

「失礼な。これでも毎日努力してるんだから。女の子を舐めるなと言いたい」


 彼女は頬をふくらます。


「それに大丈夫。少しくらい太っても、弓月くんは好きでいてくれるから」

「いいんですか、そんなに信用して」

「弓月くんこそ、わたししか見えてないくせに」

「……」


 返す言葉を失くす僕に、佐伯さんは勝ち誇ったような微笑みをひとつ。

 それからアイスクリーム屋に駆けていく。


「I'll have Sherbet!(シャーベットください!)」


 よく通る涼やかな声が、僕の耳にまで届いた。


「……」


 あぁ、図星なんだろうな。


 僕はそんな彼女と一緒に暮らしているわけだ。それもとびきりの美少女。そして、彼女もまた僕に、心で、体で、好意を示してくるのだろう。果たしてこれからの毎日、理性を保つことができるのだろうか。案外、早まったことをしたのかもしれないと思わなくもない。


 佐伯さんがこちらを振り返った。


「弓月くんはなんにするー?」

「今いきますよ」


 僕は走らず、歩いて彼女のもとへ向かう。


 哀れな虜囚のせめてもの、無駄な抵抗として。

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