間章 心配性なドラゴン
カノマが旅立ってから、ひと月が経とうとしていた。
『いかん、暇だ』
魔力溢れる霊脈の麓。
自然の窪みを巧みに加工して作り上げられた神殿にて。
青い鱗を纏う竜が、少し苛立った声を上げていた。
大地の精霊たちが騒めいた。
それも仕方のないことであろう。苛立った声の主が、その力の片鱗でも披露しようものなら、この神殿を包む霊脈ごと無残に破壊されてしまうのだから。
『しかも背中がかゆい。こやつ、微妙に届かないところじゃな』
深刻そうに呟く竜。
しかしそこにツッコミを入れる者は存在しなかった。
『うむむ……カノマがおれば、心地よく掻いてくれたであろうに……』
ぼりぼりと猫のように後ろ足で背中を掻くが、丁度いいポイントには当たらない。これは由々しき事態だった。
『そう。カノマじゃ。元気でやっておるかのう……』
ここ数年、同じ寝床で暮らした存在に想いを馳せる。
育てたのは、正直気まぐれだった。
偶然命を助けることになり、何となく連れ帰ってみたら思いの外懐いたので、ついつい可愛がってしまっていた。
少し情が移ってしまったが、まあ愛玩動物を気に入る程度の感覚だろう。
拾ってしまった手前、ちゃんと育てるのが自分の責任だと思ったので、最低限の施しは与えていた。
身体が弱かったので、寿命が延びるといわれている神霊樹の雫を水差しに常備したり。
力が無かったので、精霊の加護を与えるために深海の女神と契約させたり。
教養を身に着けさせるために、知識を溜め込んでいるドライアドの王族と交流させたり。
文化に触れさせるために、ハーピーの歌姫と遊ばせたり。
まあ、最低限の施しである。
そんなこんなで、それなりの愛情を注いで育て上げたカノマだが――さすがに人間としての生活を一切させないのもまずかろうと思い、とりあえず旅に出すことにした。
そのまま人の世界で生きるもよし、好き勝手に色々な種族と関わるもよし。
彼のしたいようにさせようと思った。
どこぞの国の言葉で、可愛い子には旅をさせよというらしいが、カノマが立派に成長するためには、過酷な環境を経験させておくべきだと判断。
適度に過酷になるよう、安全な地域を厳選し、保険として過去に助けた人間が住まう村の近くにもした。
心配することなど何もない。
カノマなら、立派にひとり暮らしをこなし、一人前に成長できるはず。
そう信じているのだが――
『……暇だ……』
何故か、胸にぽっかり大きな穴が空いてしまったかのように。
空虚な気持ちに、支配されていた。
『……ううむ。別に心配しているわけじゃないが、ちょっと暇潰しに、カノマの様子を見に行ってみようかの』
他に誰もいない神殿で、まるで言い訳するかのように独り言を呟いてしまう。
『ふむ、ヒトの村に近づくのだから、この格好は不味いだろうな。
よし、ならば変化の魔法を久しぶりに使ってみるかの。
何か入用になるやもしれぬし、ちょっとそこらの金貨や宝石もいくつか持っていくか。
……べ、別に、カノマに譲る気はないがな。うむ』
思い立ったら行動は疾く。
何故かちょっぴり上機嫌で、竜は旅の準備を始めるのだった。
と。
不穏な気配を感じ、動きをぴたりと止める竜。
そこへ。
『お邪魔するわよー。カノマー。元気にしてたかしらー?』
燃えるような赤い鱗の竜が、神殿へと突入してきた。
体躯は青い竜と同じくらいの大きさ。
纏う魔力は並ではなく、並の種族なら委縮して平伏してしまう程である。
炎と破壊を統べる神として崇められているそいつは、家主である青い竜に一切遠慮する様子を見せず、神殿の中をじろじろと見回していた。
『あれ? カノマ? いないの?
ちょっと、青。隠してるならすぐに出しなさいよ。焼くわよ?』
『焼けるものなら焼いてみろ馬鹿赤。
カノマなら此処にはおらぬぞ。旅に出した』
偉そうな口調の赤い竜に、冷ややかに返す青い竜。
しかし赤には青の答えが予想外だったようで。
『はぁ!? 何やってんのよこの間抜け!
せっかくこの私が会いに来たってーのに、いないとかフザケテんじゃないわよこの年増!』
『誰が年増だ! 貴様も大して変わらんだろうが!』
『そんなことないですー! 私の方が二千歳は若いですー!』
『たった二千ではないか。そして語尾を伸ばすな!
竜族全体がバカに見えたらどうしてくれるのだ!
可愛く見せて媚びを売ろうとしたところで、此処にカノマはおらぬというのに!』
『そもそも何勝手にあんな可愛い子を旅に出してるのよ大間抜け!
道中で馬鹿な獣に襲われて怪我とかしちゃったらどうするのよ!?
……言っててなんかすっごく不安になってきちゃった。ちょっとそこらの肉食獣全部滅ぼしてくるわ』
『やめんか大バカ者!』
ぎゃうぎゃうと言い争う二匹。
水と風を司る神として崇められている、竜族の中でも五指に数えられる存在でもある青い竜。
炎と破壊を統べる神として崇められている、青と同格の赤い竜。
世が世なら、両者の言い争いは即ち世界を巻き込む戦争となっていてもおかしくない代物なのだが――今は、一人の人間についてのみ語られていた。
『もう! 旅に出すなら教えてくれればよかったのに!
それなら私もヒトに化けて、一緒に旅ができたじゃないの!』
青にとっては非常に不可解なことなのだが、どうやらこの赤、カノマのことをいたく気に入っている様子である。
旧知の仲として、人間の子供を育てていることを教え、数回会わせはしたものの、こんな風に好かれるとは予想だにしなかった青である。そんなきっかけもなかったような気がする。何がどうこんがらがって、この赤はめんどくさくなってしまったのだろうか。
と、青が頭をひねる傍らで。
『まあいいや。カノマがいないなら、こんな苔臭いあなぐらに用はないわ。
じゃあね青。私ちょっと、カノマを探しにそこらへん焼いてくるわ』
『やめんかバカ赤。略してバカ。
カノマはヒトなのだから、ヒトとしての生活も送らせてやらねばならぬのだ。
あやつが健全に成長するためにも、我々が余計な干渉はすべきでない』
『なーにが健全な成長よ。青だって大してヒトのことなんて知らないくせに』
『ふん、貴様と一緒にするなよ小娘。儂はカノマを育てるにあたり、しっかり勉強したのだからな!』
ふん、と鼻息を荒くしながら、青は寝床の脇に転がっていた書物を見やる。
特殊な言語で書かれたそれは、竜族が神界に攻め込んだ際に奪ってきた宝物のひとつであった。
ちなみに本のタイトルは『よくわかる児童心理学』だったが、神代語に疎い赤はふーんと鼻を鳴らすのみ。
『とにかく、その書物によれば、人が成長するためには、育てる者は適度に距離を保ち、世話をしすぎず見守ることも重要とのことだ。
確かに、儂やお前が手助けしてしまっては、カノマは自分では何もできない、腑抜けた輩になってしまうかもしれんしの』
『私は別にそれでもいいと思うけどなあ。カノマかわいいし』
『いいから! カノマは今、新たな世界で努力しているに違いないのだ!
我々がそこに余計な世話を焼くわけにはいかぬ!
だから決して、カノマに会いに行こうとするなよ!?』
『ふんだ。頷いてやるもんですか。いいわよもう。焼きはしないけど適当にカノマの魔力を探すから。
――というかあんただって、旅の支度してるじゃないの。会いに行く気満々じゃない!』
『ぎくり。そそそそんにゃことはないぞ!?』
ぎゃうぎゃうと言い合いながら。
二匹は同時に、こう思っていた。
――こいつより先に、カノマに会わなければ。
と。
カウンセラーの異世界電話相談 九尾珠 @tama9bi
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