ケース1 カウンセリングマインド CL:オーク

 


 ――人がいる。

 それが、村に辿り着いたときに、カノマの脳裏に最初に浮かんだ言葉である。

 自分以外の人間を見たのは、とても久しぶりだった。

 

 村外れから突然現れたカノマに村人たちは警戒の視線を向けていた。

 それでも、カノマにとっては、久しぶりに見た自分と同種の生き物に、ついつい感激してしまう。

 

 言語は竜が気遣って合わせてくれたため、そのまま使っていた。ので、会話は通じるはず。

 一般的な常識も、以前の記憶や竜の教えにより、最低限は習得している。

 なので、あとは話しかけるだけ。

 

「あの、すみません」

 

 思っていたより、すんなり言葉が出てきたことに、カノマも内心びっくりしていた。

 もっと緊張すると思っていたのに。

 昔は、こんな風に気軽に他者へ声をかけられる子どもじゃなかったのに。

 

「――はい。何か?」

 自警団らしき若者が、一歩前に出て受け答えしてくれた。

 手には棒。盗賊の類だと思われているのか。まあそれも仕方ない。

 明らかに余所者。格好はちぐはぐ。どう見てもまともな人間ではない。警戒されるのも当然である。

 

 しかし、カノマとしては、そもそも今日食べるものすら当てがない状況である。

 今は恥も外聞も関係ない。とにかく、最低限寝泊りするところだけでも確保しなければならない。

 とりあえず、相手の納得しやすそうな言い分を用意して、まずは村に入り込まねば話にならない。

「えっと、わけあって旅をしている者なのですが」

 言い出しながら、これってお尋ね者が言いそうなことだよなーと、自分でツッコミを入れたくなってしまう。

「寝泊りするところがあったら、お貸し願えないでしょうか。

 仕事は何でもやります。薬草や治療の知識もある程度あります」

 言いながら、竜の住処で蓄えた、いくつかの治療薬を懐から取り出した。

 

「流浪の薬師か……ふむ」

 自警団の若者は、何やら少し考え込む。

 

(……あれ? 予想以上に良い反応?)

 カノマの予想としては、もっとなんというかこう、怪しまれるのが当然だと思っていたのだが。

 

「食堂の一室が空いているらしいから、短い間なら泊められる。

 長い滞在になるのであれば、馬屋の一角を貸すことになるけどな」

「あ。馬屋で大丈夫です」

 そもそも竜と一緒に寝泊りしていた身である。馬と一緒でも大差ない。たぶん。

 

「村の薬師がその薬を鑑定することが条件だけど、それでもいいか?」

「はい。もちろん。薬の質は悪くないと思います」

「仕事はそれなりにあると思う。すまないが、働いてもらうよ」

 なんと。仕事もあるらしい。

 どうやらこの村、薬師の需要が高いようだ。

 予想以上に明るい先行きに、カノマはついつい表情を緩めてしまう。

「何でもやります。お任せください。ありがとうございます!」

 心からのお礼を言う。

 そんなカノマに。

 

「あ……ああ。よろしく頼む」

 何故か少し気まずそうに。

 若者は目線を逸らして、そう返した。

 

 

 

 

 

「――あなたが旅の薬師様? はじめまして。ここの馬屋を管理しているリモラといいます」

「あ、よろしくお願いします。薬師のカノマです。お世話になります」

 

 案内された馬屋にて。

 薬師と名乗るのに少々照れながら、カノマは馬屋の管理人と自己紹介を交わしていた。

 

「随分と広いんですね」

 馬屋の中を見回しながら、カノマは感心した風に呟いた。

「はい。近辺の街や村を馬便で繋げている都合上、複数の馬が留まれるようになっているんです」

「馬便。そういうのがあるんですか」

 竜には教えられなかった知識に、興味深そうに食いつくカノマ。

「そうです。本国で数年前から始まったものですので、他国の方には馴染みがないかもしれませんね」

「はい。初めて聞きました。自分の出身地では、旅人さんに手紙を託すのが主流でしたので」

 言いながら、ふとカキヤは思った。自分の生まれた場所から、ここはどれくらい離れているのだろうかと。

 草原までは竜に運ばれてきたので、具体的にどれくらい離れているのかはわからないが、少なくとも山をいくつか超えていた気がするので、徒歩では難しそうである。

 村の雰囲気から、戦火が近い様子は見受けられないので、そういった安全な地域を竜が選んでくれたのかもしれない。

(青さん……ありがとう)

 胸の内でお礼を言いつつ、カノマは管理人の少女から、馬便についての説明を聞く。

 少女も、自分の家が所属している馬便ネットワークを自慢できるのが嬉しいのか、積極的に説明してくれた。


 と、初対面としては和やかな雰囲気の会話の中で。

 

「――でも、最近は村外れのことがあって、あまり馬が来なくなちゃったんですけどね」

 ふと。

 深刻そうな表情で。

 少女が、悩みを漏らしていた。

 

「村外れ? 何かあったんですか?」

 仲良く話していた少女の表情が曇ったことに引っかかり、カノマはつい訪ねてしまう。

 少女は、少し逡巡した後、おそるおそる口を開いた。

 

「薬師様にも関わると思うんですけど、実は今――」

 

 少女が何かを言おうとした瞬間。

 

 

「おい! 旅の薬師はいるか!?」

 

 誰かが、慌てた様子でカノマを探しに来た。

 入ってきたのは中年の男性。

 その表情は険しく。

 見ると――むき出しの肩に大きな擦過傷があった。

 出血こそ大したことはないが、範囲が広く、腫れも生じている。

 何か大きなものをそれなりの勢いでぶつけられたように見受けられた。

 

「はい。ここにいます。少々お待ちください」

 

 傷を見て。

 カノマの動きは速かった。

 

 脇に置いたカバンの中から、目当ての小瓶と練薬を取り出す。

 馬屋に置いてある水桶から、水をひとすくい。

「え?」と止まった男性の肩に水をかけ、小さなゴミを取り除く。

「動かないでくださいね」

 とだけ注意をし、肘を掴んで肩を固定。練薬を塗り込み、小瓶の液体を上から染み込ませた。

「――痛っ!?」と男性が小さな悲鳴を上げたときには、既に処置は終了していた。

「お前、何をす……って、あれ? 痛くない!?」

「痛みは薬でごまかしているだけなので、無理に動かさないでくださいね。これくらいなら、数日で治りますから」

 安心させるように微笑んで、カノマは薬を鞄にしまいこんだ。

「すごい……早い」

 感心したように、管理人の少女が呟いた。

「これくらいの怪我ならいつでも訪ねてください。すぐに処置しますので――」

 と、営業活動を始めようとするカノマを遮り、

 

「そ、そうだ! とにかく、早く来てくれ!」

 

 おや、とカノマは首を傾げた。

 怪我をしたから駆け込んだというわけではなさそうである。

 であれば、いったい何が。

 

 

「村の外れで、オークが暴れてるんだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * * * * 

 

 

『――多くの人を巻き込んで暴れている奴がいるんです。止めるにはどうしたらいいですか?』

 

 

 ――暴れている、とは穏やかではないな。

 


 臨床心理士の辰幸は、唾をごくりと飲み込んだ。

 相手の発言から、状況の緊急性を察知する。

 悪戯の演技っぽさや、妄想の過剰な抑揚が感じられないので、事実の可能性が高い。

 

 こんな夜中に暴れるということは、酔っ払いか、それとも。

 

「わかりました。話を聞かせてください。私が一緒に対処します。安心してください」

 

 嫌な予感もしたので、まずは詳しく話を聞くことにした。

 とにかく情報が欲しい。助言をするには、まずは現状を正確に把握しなければいけない。

 通話の相手は、とても慌てている様子。もし辰幸の嫌な予感が当たっていたら、対処するケースワーカーは冷静にならなければ危険である。

 情報収集と話し相手の鎮静化を兼ねて、導入手続きを開始する。

 

「まず、あなたの名前を教えてください」

 

『あ、はい、えっと――カノマといいます』

 

 カノマ。鹿野間か狩俣とでも書くのだろうか。珍しい名字だと辰幸は思った。

 だがまあ、それはそれ。相手の話す気を途切れさせぬように、細心の注意を払う。

 

「カノマさんですね。ありがとうございます。私は成川といいます」

 

『その、ナリカワさん! 僕はどうすれば――』

 

「どうすべきか考えるのは、とても大事なことですよね。

 一緒に考えていきましょう。そのためにも、まず最初に重要なことを確認させてください」

 

『は、はい』

 

「暴れている方とは、距離を取っていますか?」

 

『えっと……いちおう』

 

「他に近づいている人はいませんか」

 

『今は、いません。さっきまでは何人かいましたけど』

 

「でしたら、他の人が近づかないようにしてください。もし近くに協力できそうな人がいたら、そうお願いしてください」

 

『はい! ……えっと、リモラさん、ちょっと』

 

 電話の向こうで、他者に依頼している気配。

 深夜だが、他にも多数の人がいるのか。良いのか悪いのか微妙なラインである。

 話し方からみて、不良の類ではなさそうだが。

 

「カノマさん、充分な距離が取れたら、その暴れている方について教えてください。暴れている理由等はわかりますか?」

 

『僕も少ししか聞いてないんですけど……えっと。

 最初は普通に話しかけてきたみたいなんですけど、途中で急に怒りだして、暴れ始めたそうです。話し相手は何も変なことは言ってないそうです』

 

 辰幸の嫌な予感が的中した。

 十中八九、パニックによる自傷行動だろう。

 

 

 パニック。

 状況に対して自分でうまく対処できず、混乱して異常行動に出てしまっていることを指す。

 その異常行動が暴れるという形で表れている。対応の難しいケースである。

 今回のケースは、途中まで平常状態であったのに、突然暴れ出したという。

 突然。

 それがキーポイントだ。

 フラッシュバックのように、過去の嫌な記憶が突然蘇り、パニックを起こすケースもある。

 しかし、今回の場合は、もうひとつの可能性を考えなければならない。

 

 

 他にいくつか現場の状況を確認するが、

 どうやら周囲に心理関係の専門家はいない様子。

 ならば――このカノマという青年に、対応してもらうしかなさそうだ。

 

「カノマさん。その暴れている方は、貴方より体格は優れていますか?」

 

『はい。かなり』

 

 力ずくは無理か。

 ならば、対話してもらうしかない。

 辰幸の仕事用携帯にかけてくるということは、最低限の知識は持っているはずなのだから。

 

「では、対話で落ち着かせましょう。カウンセリングマインドでお願いします」

 

『かうんせりんぐ、まいんど?』

 

 おいちょっと待て。素人かよ。

 今どき一般採用のケースワーカーでも知ってるはずだぞ。

 大学の授業や職場の研修で習ったことを忘れちゃってるタイプだろうか。

 

 内心で毒づきながら、辰幸は言葉を選んでいく。

 

「相手の話をじっくり聞いて、落ち着いてもらうんです。

 ただ、聞き方に注意が要りますので、それを今から説明します」 





 


 

 * * * * * 



 カノマが男性に連れていかれた先。

 そこでは。

 

 一匹のオークが暴れていた。

 

 豚の頭に鋭い牙。

 体格は人間の3倍はある。

 重厚な肉体が手足を振り回し、村の柵を破壊していた。

 

 辺りには、柵の破片が直撃したのか、気を失って倒れている村人の姿もあった。

 オークの膂力は、人間とは比べ物にならないほど強大だ。もしあの手足が直撃したら、即死は免れないだろう。

 どうやら、人間には直接襲い掛からず、柵に向かって己の手足を振り回しているようである。


 連れてこられる間に、大体の事情は聞くことができた。

 あのオークは最近、村の周りに出没するようになったらしい。

 最初は友好的なのだが、やりとりをするうちに突然怒りだしてしまうため、村人もどう接すればいいかわからないとのこと。

 今日はその暴れ方が特にひどく、負傷者まで出てしまったそうだ。

 

「あんた、薬師なんだろう!? あのオークを落ち着かせる薬を作ってくれよ!」

 

 そんな無茶な。とカノマは思ったが、村人たちは本気だった。

 本気にしなければならないくらい、追いつめられていた。

 オークは、人間が対抗するにはあまりにも強すぎる存在である。

 近くの山に集落を作っている彼らとは、今まで波風立てないように穏やかに交流を続けてきた。

 はずなのに。

 一匹のオークが理不尽に暴れるようになり。

 それだけで、村は多くの機能を失ってた。

 馬便で国の中央に助けを求めもしたが、村人が殺されたわけでもないので騎士団は辺境に向かわせられない、と冷たい返答だけ帰ってきた。

 

 人間の力ではどうにもならない。

 誰も助けに来てくれない。

 

 そんな中、とても怪しい薬師が現れた。

 ひょっとしたら、この薬師なら、あのオークを鎮静化させられる薬を作れるかもしれない。

 そう考えた村人たちは、半ば現実逃避のように、薬師を村に受け入れたのだった。

 

 

 鎮静化させる薬。

 知らないわけではない。

 しかし、調合するには、自分の住んでいた竜の巣に生えていたような、特殊な薬草が必要になる。

 現状の手持ちでは調合できない。

 竜の巣にも徒歩では戻れない。

 正直、できることはなかった。

 

 

 でも。

 

『ちくしょおおおおおっ!!!

 ぐうおおおおおおおおおっ!!!!!』

 

 叫びながら暴れるオーク。

 柵に身体を打ち付け、ときには寝転がって頭をぶつけている。

 

 迫力こそあるが、そこに悪意は感じられず。

 声色の中に、どうしようもないやるせなさが感じ取れた。

 

 とても、辛そうだった。

 このオークの力になりたいと思った。

 

 そのとき。

 

 首元に下げた奇妙な箱から。

 淡い光が生じていた。

 光は、箱の一面から生じていて、その中央に見慣れぬ文がつづられていた。

 

 知らない文字。

 しかし、何故か意味が分かった。

  

 

<スライドでロック解除>

  

 

 そう、書かれていた。

 スライド? 横に滑らせるように振ってみたが、何も起こらなかった。

 光の面に触れてみる。

 触れた指の動きに合わせて、文字が揺れた。

 ひょっとして、と指を横に滑らせたら。

 

<1840802853****>と、謎の数字の羅列と。

<発信>という緑のボタンらしきものが表示されていた。

 どちらも、書いてある意味はわからない。

 でも、

 下に書いてある文字の意味は、なんとなく理解できた。

 

『然るべきときに、神の悩みすら解決できると云われている、この世にふたつとない宝だぞ』

 

 竜の言葉が脳裏に蘇る。

 これは「悩みを解決してほしい」という意味なのだろう。

 そう確信したカノマは。

 震える指で、<発信>のボタンを、押した。

 

 すると。

 不思議な響きの音が鳴り、

 

 

『はい。こちらナリカワタツヨシです』


  

 誰かが、箱の中から語りかけてきた。

 宝は、本物だった。










 箱の中の人は、不思議とこちらが落ち着く話し方をしてくれた。

 促されるまま現状を説明する。

 と、箱の中の人――ナリカワさんは、不思議な指示を出してきた。

 オークの話を聞けというのだ。しかも、ただの聞き方では駄目らしい。

 

『その方の話を、遮らずにじっくり聞いてください』

 

 遮らずに聞く? それだけ?

 

『ただし、自分の意見は控えめに。最後の最後あたりでいいです。合間には相槌を打ち、相手が気持ちを述べたところでは必ず「そうですね」か「そう思ったんですね」と返してください』

 

「とにかく相手を認めればいいんですか?」

 

『認め方が重要です。決して、相手の気持ちを言い換えたり、遮って持論を出したりしてはいけません。相手がそう思っていることを認める、そういう姿勢でお願いします』


「話し合う……というわけではなく、話をひたすら聞き、そういう考えもあると認めるということですか?」

 

『そうです。あと重要なのが、相手のペースを崩さないということです。無言で沈黙してもかまいません。聞き取れないほど早口になってもかまいません。抱えている問題を解決する必要もありません。相手のペースでとにかく話させてください』

 

「……わ、わかりました」

 

『大事なことは以上です。よろしくお願いします』

 

「は、はい。頑張ります」

 

『あと、最後に』

 

「?」

 


『その方は、気持ちをわかってほしいだけなのだと思います。

 それができずに苦しんでいるんです。

 あなたが気付くことができたのは、その方にとって、幸せなことだと思います』

 

 

「!」

 すとん、と何かが落ちた気がする。

 今までずっと纏っていた、もやもやのようなものが。

 この人は凄いな、と心の底から思った。

 だから。

 

「ありがとうございます!」

 

 全力で、お礼を言った。



『っ!』

 何故か箱の中から動揺する気配。

 そして、光が消えてしまった。

 

 相談は、終わりということだろうか。

 それでも、必要なことは聞くことができた。

 あとは、それを活かすだけ。

 

 だから。

 

「――あの、オークさん。お話を聞かせてくれませんか?」

 

 暴れるオークに歩み寄り。

 ゆっくりと、声をかけた。

 

 

 

 

 

 * * * * * *




『ありがとうございます!』

 

「っ!」

 

 曇りのない感謝の言葉に。

 つい、反射的に終話ボタンを押してしまった。

 あわててかけ直そうとするが、相手が非通知のためリダイヤルできない。

 

 いきなりのことに、心臓が激しく跳ねている。

 夕方に振られたことがどうでもよくなるくらい、衝撃的だった。

 

「……心からのお礼って、いつ以来だろう……」

 

 辰幸が臨床心理士を目指したのは。

 こういうお礼を聞きたかったからだ。

 久しぶりの失敗で、少なからず落ち込んでいたところに。

 カノマの言葉は、強く響いていた。

 

「――その方にとって、幸せなこと、かあ」

 

 自分も。

 悩みを持つ人を“幸せ”にしたいと思っていた。

 だからカウンセラーという、心の相談に応じる職を目指し、臨床心理士の資格を取得した。

 

「……俺も、頑張らないとな」

 

 ぽつり、と呟く。

 よくわからない突然の相談。

 それでも真剣に応対したら、最後に大きなご褒美が待っていた。

 

 失敗がなんだ。

 失恋がなんだ。

 

 明日も、別の施設で仕事がある。

 自分にできることは山ほどあるのだから。

 それに全力で取り組まなければ。

 

「……途中なのは、気になるけど。

 どうしようもないし、もう寝よう!」

 

 念のため仕事用携帯の音量を最大にして。

 辰幸は、就寝の準備を始めることにした。

 

 

 

 結局、布団に入って目をつぶるまで、携帯に着信はなかったが。

 辰幸は、それほど心配してはいなかった。

 何故なら。

 

「……あんだけまっすぐな礼を言える奴なら、話を聞いてもらった方は、絶対安心できるだろ……」

 

 今回の案件は。

 おそらく、クライエントが己の話を聞いてもらえないことへの不満が爆発した形だろう。

 突然、というのはあくまで片側の主観でしかない。

 おそらく暴れている者は、本人なりの言葉で話そうとしていて、しかしそれが上手く伝わらず、不満を溜め込んでいた可能性が高い。

 会話を上手く受け取れない相手は、多くの場合こう言うのだ。「こちらは何も変なことを言ってないのに、急に変わった」と。話の中身をうまく聞き取れず、責任をその者に被せてしまうのだ。

 自分は努力してるのに、それを無碍に否定されれば、その人はまず間違いなく怒ることになる。

 それを鎮静化させるには、怒るほどの「話を聞いてもらえなかった」という失敗体験を、「話を聞いてもらえた」という成功体験で上書きする必要がある。

 暴れまわるほど怒っている者が、自分の話し方を変えるのは難しい。

 だから、聞く方が、聞き方を変えるのだ。

 それが、カウンセリングマインドである。

 

 電話の相手、カノマなら。

 きっとできると思っていた。

 

 自分も見習わなければ、と思いながら。

 辰幸はそのまま、眠りについた。







 

 * * * * * *




 オークは話してくれた。

 カノマは、それを一生懸命聞き続けた。

 

 オークの話は、うまくまとまっておらず、何度も関係ない方向へ話が飛んだりもしていたが。

 カノマはナリカワに言われた通り、遮ったりせず、ひたすら話を聞くことに徹していた。

 幸い、長話は育ててくれた竜で慣れている。あっちこっちに話の飛ぶオークにも、急かすことなくゆっくり対応することができた。

 

 話を聞く限りだと。

 オークは彼らの里でも、周囲とうまく会話を続けることができず。

 気付けば先ほどのように、大暴れしてしまうとのこと。

 それでだんだんと居場所がなくなり、話し相手のいない寂しさから、人間の村に来てしまったと言っていた。

 

『すまんなあ……自分でも何とかしなくちゃいけないと思ってはいるんだが……どうしても、話をまとめるのが苦手で、それを聞き返されるとカッとなってしまうんだ』

「そうなんですね」

『おいらだって頑張って話をまとめてるのに、それを聞き返されると腹が立つんだ。自分にも周りにも』

「なるほど。自分にも周りにもそう思うんですね」

『そうなんだよ! 俺も頑張ってるのに、なんでこいつらはわかってくれないんだろうって! 頑張ってるんだよ! 難しいけど頑張ってるんだよ!』

「頑張ってるんですね。凄いと思います」

『……あんたは、怖くないのか? 人間なのに。他の奴らは怖がってるのに』

「怖いかどうかはよくわかりませんが、今はとても嬉しいです。あなたが話をしてくれて」

『……お前、いい奴だな……。……暴れて、ごめんな』

 

 気付けば、オークは落ち着いていた。

 カノマとしては、特別に何かをしたわけではない。

 ただ、話を聞いていただけだ。

 これだけで落ち着くということは。つまり。

 

 ――その方は、気持ちをわかってほしいだけなのだと思います。

 

 ナリカワの言葉を思い出す。

 気持ちをわかってもらえない、というのは辛いこと。

 自分が、わかる相手になることができた。そういうことだろうか。

 

「僕は、あなたと話ができて、嬉しかったです。ありがとうございました」

『……おいらも、嬉しい。話せるのって、すごく楽しい。……嫌われたく、ない』

「そう、思ったんですね」

『ああ。……他の人間達にも、謝りたい』

「わかりました。伝えておきます」

『柵はちゃんと直しておく。信じてくれ』

「もちろん」

 

 オークが立ち上がる。

 そこに先ほどまでの威圧感はなく。

 彼は遠巻きに見守っていた村人たちの方を向き。

 ぺこり、と頭を下げてから、その場を去っていった。

 

 

 カノマはその背中を見守りながら。


 ――あなたが気付くことができたのは、その方にとって、幸せなことだと思います。

 

 自分が、人の幸せを作ることができたことに。

 今まで感じたことのない“嬉しさ”を覚えていた。

 

 気付いた時には、全力で叫んでいた。

 

 

「また! お話、しましょうね!」

 

 

 その叫びは届いたのか。

 オークは立ち止まり、小さく手を振り返していた。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。

 

 破壊されていた村の柵は、わずか数日で完璧に直されていた。

 それだけではなく。

 人間にとっては貴重な種類の獣皮や鉱石が、定期的に村まで届けられるようになっていた。

 

 併せて。

 村人が皆仕事を終え、自宅へ入った夜更けに。

 ひとりのオークが、馬屋にこっそり入ることが、たまにあったりなかったり。

 その夜は、楽しそうな話し声が、かすかに外に漏れていたそうな。

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