ディスティニー・パラドックス

時化滝 鞘

第1話 追憶

 荒涼とした大地を、人影が一つ。

 大地には生命力が無い。辺りの枯れた草木と、散らばった骨が、かつてここにも自然があったことを示している。しかし今やこの大地を闊歩する動物もなく、歌う鳥も、虫すらもいない、死に絶えた大地だった。小さな川が散見されるが、どの川の水も流れを失い、腐ったあぶくを浮かばせている。時折吹く風が、その湿った腐臭を辺りに漂わせる。

 『魔王島』とあだ名されたこの島は、世界の全てではない。この世界は3つの大陸と、周辺の島々からなる。『魔王島』はそのうちの1つの島であり、遠く世界を見渡せば、緑豊かな森林地帯、寒さの中必死で草が生えるツンドラ地帯、荒れて見えるが必死に生き物が生きている砂漠地帯など、様々な環境があり、その中で生き物たちが息づいている。

 そんな世界の中で、ただ一つ、命の活動が失われた『魔王島』。その中央部分に、一つだけ、明らかに人工的な城が建っている。その名も、『魔王城』。

 『魔王城』は、いかにも名前に負けない異様さでたたずんでいた。石造りの壁は、下の部分を黒いツタがへばりつき、所々に苔やカビが繁茂している。明かり取りの窓は埃でくすんでいる。埋め込まれているステンドグラスは、神を祝福するものではなく、明らかに悪魔を崇拝する構図でできている。裏手に回ると、庭には花のたぐいは一切存在せず、茨がはびこり、呪われた樹木が意識を持って獲物を待ち受けている。

 この死にまみれた島を歩く人影は、明らかに真っ直ぐに『魔王城』を目指していた。少女の名残を見せる女性だった。金縁で装飾された青紫色の軽装鎧を全身にまとい、青いマントをなびかせて歩く。茶色がかった黒い長髪を、後頭部の高いところで、金の髪留めで一つにまとめて揺らしている。その手には、羽の生えた球体が先端に付いた杖を持っている。鎧は縁の所々が欠けて、マントは裾がすり切れてボロボロになっている。その姿は、幾多の戦場を駆け抜けた戦乙女を思い起こさせる。その端整な顔立ちの、つり目がちの黒い瞳は闘争心に燃えており、迷いは一切見えない。

 そう、この女性、『勇者』リリィ・クリエットは戦いに来ていた。『魔王城』には、今まさに『魔王』が鎮座している。魔王の名はメア・ヘルヘイム。人類の前に突如として現れ、魔物たちを使役し、人類の絶滅を目論む絶対悪の存在。倒すべき全人類共通の大敵。この者の指示によって、多くの人々が殺された。「魔王と、その眷属となった魔物たちを滅ぼすべし」とは、いつの間にか誰かしらから発せられ、広められた言葉である。この言葉に従い、世界中が、魔王メアを憎み、それに操られる魔物を恨み、それらを倒してくれる『勇者』の誕生を願った。そしてリリィが『勇者』として選ばれ、魔王討伐に立ち上がった。

 しかし、リリィの戦いたい、真の敵は他にあった。それは、『勇者』としてはあるまじきことかもしれない。それでも、リリィにとっては魔王以上に、憎んでも憎みきれない不倶戴天の仇敵がいた。魔王メアの腹心、その名を、カダス・ングラネク。漆黒の甲冑に身を包み、黄金のマスクで顔を覆う、謎の男。リリィたちの目の前に現れ、手にする『魔剣』を振るって大切な人たちを惨殺した怨敵。愛した人を目の前で殺された。それだけで、復讐の対象としては十分だった。

 無力だった自分を呪った。理不尽な運命を恨んだ。何よりも、大切なものを奪ったあの男を憎んだ。『勇者』に選ばれた後も、憎しみに突き動かされ、感情のままに戦った。そんな自分が『勇者』として正しいのか、そんな疑問を抱いたこともある。その苦悩も消化して、全ての憎しみを背負って、復讐の代行者として、リリィは今ここに立っている。

 リリィの心は確かに歪んでいた。魔王メアは人類の絶滅を目論んでいる。しかし、もし改心するのなら、カダスの命と引き替えに、見逃してやってもいいだろう。ではもし、カダスが命乞いをしてきたら・・・?答えは決まっている。できる限り苦しませ、なぶりなぶって、絶望を心底味わわせながら、じわじわと殺してやる。黄金のマスクの下の、醜い顔を想像し、その顔がさらに醜く歪む様を想像するだけで、えもいわれぬ快感に身が震える。その望みが叶ったときの快楽は、いかばかりか。

 その快感を想像しながら、『魔王城』を見渡せる丘に登り、いい塩梅の岩を見つけて腰を下ろす。枯れた枝を集め、火をおこして暖を取る。固いパンをかじりながら軽い食事を済ませ、周りに敵の気配を感じないことを確認して、目を閉じる。

 リリィは浅い眠りの中で、これまでの経緯を夢に見た。

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