王女と王子と祭典と9
どうにも含みのある言い方だった。それに今までフリッツが責任者として会議に出席していても何も言われなかったのだ。
今回に限って店主に用があるとは何だろう。
「そうですか。時にエリー、伝言を寄こした相手はどんな人でしたか?」
「つーかエリーじゃないし、エリクだって。…普通に役人みたいだったけど?背が高くて灰色がかった暗い髪をしてて、って別にこれといって特徴はなかったけど」
女顔の為、エリーという愛称で親しまれている少年、エリクはその時のことを思い出すようにゆっくりと答えた。
「ふうん…」
アーシュとフリッツは互いに目配せをした。
「あ、あと。金色のなんか、なんだっけ?金色の花がどうのって言ってたな」
急にひらめいたようにエリクが大きな声を出した。
「金色?金貨なんてうちには縁の無い話しだぞ」
アーシュが思い切りエリクを睨みつけた。とんだとばっちりを受けたエリクは泣きそうである。子供からしてみてもアーシュは顔面凶器なのだ。
「知らないよ!とにかく伝言は伝えたからな」
エリクは半泣きで言いたいことだけ言ってさっさと出て行ってしまった。
フリッツはエリクに同情的なまなざしを向けた。やはりこの師匠は子供受けが悪い。
「どうしたもんか…」
アーシュは思案気な顔をした。
気にかかることは確かにあった。ここ最近ライデンが殺気を隠さずもせずに人の店のあたりをうろちょろとしていたが、それにうまく紛れ込ませるようにして別の何者かの気配を感じることがあったのだ。アーシュは特殊な出生柄、一応その辺の訓練は積んでいた。十代半ばからアーシュに付き従っていたフリッツも同様である。
その二人が切り盛りをしている店である。きな臭い匂いがすればどちらかが気づく。
あからさま過ぎるライデンの方にばかり気を取られて油断をしていたのか、そっちのほうは全く気にしていなかった。「お菓子の祭典」の準備もあり慌ただしかった、ということも理由に挙げられるが、ともかくここは一度相手の素姓と出方を見極めた方がいいだろう。
と、ざっくりこれらのことを考えること数十秒。
「よし。行くか」
「って、ええぇぇ?」
簡潔に答えてアーシュは出かける準備をした。白い作業着にエプロンのまま、ケーキ用の包丁を携帯した。なにかあれば役立つだろう。その上から外套を羽織った。
「いや、師匠それ持っていくんですか」
「ああ」
フリッツはなんとも微妙そうな顔をしたがアーシュは頓着しなかった。とりあえず何かしら持っていたらどうにかなるだろう。
「じゃあ出かけてくるわ」
そう言ってアーシュは片手をひらひらと振って『空色』から出て行った。
フリッツはしばらくの間沈黙していたが、自身も階段を上がり荷物を持ってきて、そして慌ただしく出て行った。店番と厨房の番はよろしく、と頼んだので少しの間なら二人が留守にしても大丈夫なはずである。
アーシュはまっすぐに指定された場所へと向かっていた。
相手はこのあたりの地理や治安をしっかりと下調べしたのだろう。まあ、己の意図を隠すつもりも無いのだろう。アーシュはトーリス地区からさして遠くもないアルロス地区へとやってきた。このあたりは移民も多く、昼間から酒を飲みたむろしている輩も多い場所だった。そして無関係の争いごとに無関心、無人の建物も多い場所だった。このあたりで顔が利くのはレオンくらいなものだ。
アルロス地区へ差しかかると、途端にあたりの空気が一変する。通り一つ変わるだけで空気が変わるのだ。それはガルトバイデンでもさして変わらない。
アーシュは用心深く辺りの気配を窺った。
呼び出された場所を聞いた時から思っていたが、こんなところ普通の役人は選ばない。
さて、どうしたものか、とアーシュは内心考えた。最後の金色のなんとか、についてはさっぱりだが、とりあえず一度くらいは相手の話は聞いておくべきである。内容次第によってはここから出ていくことも選択肢としてあった。
刹那。
アーシュは繰り出された剣戟を交わして相手の背後に回った。最初から飛ばしてくるとは、相当せっかちな相手である。
「さすがにちょっと急ぎ過ぎじゃあねえか」
アーシュは懐からケーキ用の包丁を取り出した。こんなものでも持ってきておいてよかったと思った。
かわされたことに驚いたのか、それでも男はすぐさま次の攻撃を繰り出してきた。切っ先がアーシュをからめとろうとするのをなんとかかわしていく。さすがにケーキ用の包丁では剣を受け止めきれない。はじいてかわすだけで精いっぱいだ。持久戦に持ち込まれたらやっかいだな、と冷静な部分で分析する。とりあえず手短な建物に入ってその辺に転がっていた棒きれで応戦する。
「おまえ、どこのやつだ」
アーシュの問いかけにも男は反応を示さなかった。
どこの誰かも分からない相手に殺されるのは本望ではない。しかし、先ほどから剣を交わしてみて思ったけれど、目の前の相手からは微妙に本気度が感じ取れなかった。
下手をしたら返り討ちに合うかもしれないのに随分と呑気なものである。それともこちらの技量を見誤っているのか馬鹿にしているのか。
アーシュは部屋の中にあった椅子を思い切り蹴飛ばして、相手がひるんだすきに思い切り腹を蹴飛ばした。結構な距離を吹っ飛ばして、彼の方に近づいて行った。
「で、どういうつもりで俺に喧嘩を吹っ掛けた?まさかライデンの遣いってわけじゃねえよな」
気絶するような玉でもなさそうな成りをしていたのが、そんなことはなかっただろうか。アーシュはその場で微動だにしない男を見下げた。灰色がかった濃い色の短い髪の男である。顔までは見えなかった。
アーシュは眉をひそめた。
「おい、聞いているのか。それとももう気絶か?」
まさか本当にライデンが気まぐれで雇ったごろつきだろうか。確かにあいつならその手のことをやりそうだが、まさか本当にそこまでの小物だったとは、とアーシュは思ったが、いややっぱりあいつは小物だったと一人で自己完結した。
てっきりアーシュ側の都合に寄与する相手かと思っていたのだが違ったのか。
アーシュがもう一歩近づいた時だった。
気絶でもしていたのかと踏んでいた男が驚くべき素早さを発揮してアーシュの足を払い、ついでにアーシュの包丁を持つ手に手刀を入れ包丁を振り落とし、そのまま押し倒した。形勢逆転であった。
首のすぐ横に剣を突き刺された。
アーシュは己の甘さを後悔して内心で舌打ちをした。最後まで実力を温存していたのか。こっちに甘さがあったにせよ、相手もなかなかに食わせ者だった。
「お久しぶりです。アッシュリード第一王子」
その一言で相手の素姓が分かった。
「誰の手の者だ?第一王妃か?」
アーシュの質問に男は答えなかった。しかしアーシュの推測は近いところにきているだろう。
「二日後の「お菓子の祭典」から手をひいて、出て行ってください。この国から」
すぐに殺れるくらいの至近距離なのに男が発言したことは意外な内容で、アーシュはいささか拍子抜けした。
「…おまえ何が目的だ?」
「…要求を飲んでいただけないようなら死んでいただきます」
出ていけ、から死ねとはまた随分と極端な方向転換である。いや、どうせ最初から殺す気だったのだろう。
アーシュは自由な方の手で辺りをまさぐった。そんなアーシュをあざ笑うかのように男はアーシュの鳩尾に一発拳を叩きこんだ。
「ぐっ…」
アーシュは肺の中の空気をすべて吐き出した。胃液が上がってくる嫌な感じがする。
視界が白くなる。もう少し用心しとくべきだった。ここ数年平和過ぎて感が鈍ったらしい。
男は床に刺した剣を抜いてアーシュに突き刺そうとした。
(思えば実践っつても、喧嘩くらいしかしてなかったしな…)
アーシュは混濁する意識の中、最後の力を振り絞って男へ向かって膝を突き上げた。どうにか相手に一発入れられたようだ。
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