王女と王子と祭典と8

 そして現在。

 口元と目元を布で覆われた少女が運び込まれたのはほんの十数分前だった。腕は後ろに回され縛られていた。痕が残るからできれば縛りたくはなかったが、手が自由に使えるのも困る。

先日声をかけられた男の提案に乗るのは癪だったが、これでアーシュが「お菓子の祭典」への出場を見送ると言えばそんなことはどうでもよかった。ようやくあいつに一矢報いることができるのだ。

 光を奪われた少女は泣くでもなく、ただその場に座り込んでいた。さすがに縛る真似だけはさせなかった。一応は名のある家の娘なのだろう。それは先日の姿からも分かっていたが、今日身につけている衣服もやはり仕立ての良いものだった。

 ライデンとしてはとりあえず閉じ込めておいて全部が片付いたら解放するつもりだった。酔っ払いに絡まれているところを助けたら気を失っていたので自宅に連れ帰って解放していたとか何とか、記憶が混濁しているとか言えば大ごとにしたくない彼女の実家も口をつぐむであろう。年頃の少女の醜聞はいつの時代も隠し通そうとするものである。それが嫁入り前であればなおのことだ。

 明日一日閉じ込めておいて「お菓子の祭典」当日の夕刻にでも解放してやればよい。

 これでアーシュがグランヒールから出ていけばライデンとしても万々歳だ。あとはあの男が首尾よくことを運んでいれば問題はない。いくら腕が立つとはいえ、あの男相手ではさすがのアーシュだって太刀打ち出来ないだろう。

 この目で見ることができないことだけが残念だが、アーシュにひと泡ふかせてやったので大分気分がすっきりしていた。

 この分だとこのあとの仕込みも大分調子よくこなせそうである。

 ライデンは、ほくそ笑みながら街外れの建物から去って行った。




「結論から言いますと、ノイリス殿下の捜してらっしゃるグレイアスは地下貯蔵庫に縛り付けてあります。一応元気ですよ」

 フリッツは静かに何が起こったのかを話し始めた。

 ノイリスはフリッツが店の中から持ってきた簡素な椅子に座っていた。両隣ともすでに店じまいをしているため静かだった。飲食店が立ち並ぶ通りでもないので喧騒も少ない。話をするにはいい環境といえるだろう。

「何がどうしてグレイアスは縛られているんだい?」

 まあ、おおよその予想は付いているがノイリスは一応尋ねた。後ろに控える騎士は微動だにしない。そのまま主と同じように事の真相を聞き逃すまいとまっすぐ視線を前に向けていた。

「それはこっちが聞きたい」

 カランとベルの音が鳴って扉が開いた。声の方を振り向くと男が二人立っていた。二人とも息を切らしているのか呼吸が荒かった。

 一人は暗い色の長い前髪をした男と、もう一人は大柄な男で右目に眼帯をしている男だった。どちらも年のころは二十代半ばあたりだろうか。眼帯の男の方はなぜだかフリルのついた前掛けをつけていた。

 無造作に前髪をかきあげると、青年の素顔が見えた。明かりの前に進み出るその姿にノイリスは息を呑んだ。後ろに控えた騎士も同様にしたのが気配で分かった。

 懐かしい顔だった。ノイリスが最後に兄アッシュリードの顔を見たのは六年前のことである。あれから時は経ったけれど記憶にある面影と目の前の青年の顔立ちとが重なった。

「この時期に国を離れてお出かけとはずいぶんと呑気な奴だな。お前の連れは俺にここから出ていってほしかったみたいだが。それが無理なら墓の下に入れってさ」

 その一言でグレイアスが何をしようとしたのか悟った。

 ノイリスが『空色』を訪れるより前にどうにかアッシュリードを遠ざけるか、もしくはそれが敵わないのならば永久に現れることのできないようにしようとしたのだろう。

 彼は母の母国であるラーツリンド帝国寄りの思想を持っている。この件に母が絡んでいるのかは不明だが、もしかしたらいくらかの情報は伝わっていた可能性はある。

「おい、なんかよくわらからねえけど。今はそんな話をしている場合じゃないだろ」

 込み入った話になるのを恐れたのか、アッシュリードの隣にいる大男が会話に割り込んできた。

「分かってるってレオン。お前は伝手をたどって実行犯を追いこめ。どうせどっかその辺の酒場でよろしくやってるだろうさ。小金貰ったごろつきの行きそうなところくらい心当たりあるだろ」

「ああ、とりあえず誰か一人俺の店に置いておくから何かあったら伝言を置いておく。とにかく見つけた奴らには地獄を見せてやらぁ」

 大男、レオンと呼ばれた男は最後に物騒な一言を残して夜の街へ消えて行った。

「悪いが、俺も時間が惜しい」

「兄上…」

「今のおれはアーシュだ」

 兄、アーシュは厳しい顔をノイリスに向けてきた。六年ぶりの再開も何もあったものではない。しかし、自分の部下がしでかしたことを思えば当然だろう。

「アッシュリード殿下。ノイリス殿下は何も御身を害そうとお探しになっていたのではありません」

 ノイリスが言いあぐねていると、後ろに控えた騎士、マルセートルが先に口を開いた。

「言うな。これは僕から伝えなくてはいけないことだ」

「出過ぎた真似、申し訳ございません」

「兄上、僕はただ、兄上に会いたかったんです」

 その言葉にアーシュは眉をぴくりと動かした。

 フリッツはそろりとアーシュの方へ移動をして何かあってもすぐに対応できるよう全神経を張り巡らせているのが見て取れた。

 要するにノイリスの言葉すべてをうのみにすることは出来ない、ということなのだろう。悲しかったがある意味仕方のないことだ。

「俺は今日、ハデルのおっさんのところの遣い走りから伝言を受けた。そして…」

 唐突にアーシュは話し始めた。



それは今日の午後の出来事だった。

『空色』に集まった助っ人らとともにアーシュは当日必要な林檎の甘煮を作っていた。日持ちがする甘煮は先に作っておいて損はない。何しろ三日間分、それぞれ二百食はでるのだ。

 店は今日も開店しているので店で売る菓子も作らねばならない。色々と忙しくて厨房は自然とぴりぴりした空気に包まれていた。

 そんな中、一人の少年が店に現れた。『猫の金貨』で見習いをしている少年である。アーシュとも面識がある、愛嬌のある少年は役人に頼まれたと言って伝言を預かっていた。

「おい、フリッツ。なんか役人が明後日のことで変更点があるから今から来いってさ」

 アーシュは不機嫌そうにフリッツを呼んだ。アーシュとしては極力国の役人や関係者に会いたくないのである。顔が知られてないとはいえ、一応は隣国の王室関係者である。というか王家の人間なのだがあまり自分では認めたくないので関係者どまりにしておく。とにかくそういうことで今回のことも乗り気ではなかったが、当日は前髪と無精ひげでどうにか風貌を胡麻化そうと思っていたが、髭はメイリーアに大却下されたのでしぶしぶ剃ることにした。

 心底嫌そうな顔をされた挙句にぼそり小さな声でとおじさんみたい、とか言うのが聞こえたのだ。おじさんは余計だ、とカチンときたがそれよりも心の傷の方が強かった。というわけで髭は無しな方向へ転換した。

「今からですか?」

 しょうがないですねぇ、とフリッツは外套を羽織ろうと厨房へ引き返そうとした。

「いや、ちょっと待ってよ。俺が言われたのは必ず店主を連れてくることだったよ。店主はアーシュさんだろう?」

 少年の言葉にアーシュとフリッツは顔を見合わせた。

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