王女と王子と祭典と1

 最近なんだかよく視線を感じるのよね、とメイリーアは後ろを振り返った。年末特有のにぎやかな雑踏のなか突然立ち止まったメイリーアにルイーシャが訝しげに振り返った。

「メイリーア様、どうかしましたか?」

「いいえ、なんでもないわ」

 メイリーアは首を振ってぱたぱたと小走りでルイーシャの方へ近づいた。

 口から吐く息が白い。今日は一段と冷え込んでいるのだ。暖かい外套を着ているとはいえ外気の凛とした冷たさが頬をなでる。

 早いもので「お菓子の祭典」の開催まであと十日ほどだ。

 メイリーアも毎日当日のあいさつの練習をしたり市長と面談をして当日の流れを確認したりと忙しい。それでも忙しい合間を縫って『空色』へ立寄るのは恒例行事のようなものだった。ルイーシャはいい顔はしないけれどメイリーアを一人で外出させるよりかは一緒の方が安心らしく、なんだかんだいいつつ付き合ってくれているのである。

 それにしても、とメイリーアはルイーシャの隣を歩きながら先ほど感じた視線に思いを巡らせた。

 実は最近こうした妙な視線を感じることが多くなったのだ。

 下町が良いも早数カ月。街にもだいぶ慣れてきたし、メイリーアとルイーシャは『空色』の売り子としてこの界隈でも定着しつつあった。顔なじみも増えた分不躾な視線を送るような人はいないはずである。

 それなのに最近どういうわけか誰かに見られているような気がするのだ。

(んんん~、気になるなぁ。お兄様関係じゃあないのよね。それだったら問答無用で捕まって強制連行されてるもの)

「メイリーアちゃん、ルイーシャちゃん!」

 メイリーアが自分の世界に浸っていると少し離れた雑踏の中で頭一つ飛び出した男がぶんぶんと勢いよく手を振っていた。

「あら、レオンじゃない」

「こんにちは」

 すっかりおなじみになった友人を見つけてメイリーアは破顔した。

 続けてルイーシャも控えめに笑みを浮かべて挨拶をした。彼女も今ではレオンに慣れたもので、まだ若干尻ごみはするものの笑顔を見せて会話ができるまでに成長していた。

 大きな図体をした男が道の往来で立ち止まる様子に他の通行人は迷惑そうな視線を向けていたが相手がレオンだと分かると皆そそくさと彼を避けて逃げるように歩き去る。この界隈でレオンを知らない者はいないのだ。

「ちょうどアーシュへの用事があってね。メイリーアちゃんたちに会えてよかった。一緒に行こうぜ」

「そうなの?」

 メイリーアは無邪気に返事をした。ここ数カ月でメイリーアらの行動パターンをなんとなく読めるようになってきたレオンの涙ぐましい待ち伏せ作戦に気付くはずもなかった。彼は彼なりに下町の荒くれ者たちからメイリーアとルイーシャを守っているつもりなのである。もちろんレオン自身が十分荒くれ者に分類されることは頭から忘れ去っている。この界隈でレオンの名を知らぬ者はいないし、後ろ暗い連中にも顔が利く彼は何かにつけて「メイリーアちゃんとルイーシャちゃんに何かしたら五体バラしてミッテ河に沈めてやる」と吹聴して回っていた。どこまで本気か冗談か、おそらく本気なのだろうと思わせる殺気が怖すぎてトーリス地区ではメイリーアたちは違う意味で目立ち始めていたのだった。

「そういえばレオンもアーシュ達を手伝うのでしょう」

「まあね。といっても当日は無理だから主にこうして材料の仕入れを手伝ったり荷物運んだりっていう裏方ばっかりだけど」

「あら、そういうのだって大事な仕事だわ。せっかくだから当日もグラン広場で一緒にお菓子配ればいいのに」

「いやあ…それはちょっと…。色々あったら心臓が砕けそうだ」

 というよりもアーシュから直々に当日は屋台に近づくな、と厳命されているし色々と過去にやらかしているレオンにしてみれば国の役人どもには極力近づきたくはなかった。

 そして女子供が大勢やってくる催し物で人前に出て阿鼻叫喚の嵐にでもなろうものなら向こう数年は立ち直れない気がするのだった。

「それよりも、メイリーアちゃんさっきはどうして立ち止まっていたんだ?」

「ええと、なんとなく。最近誰かに見られている気がするのよね…」

 うーん、と唸ってメイリーアは首をかしげた。

 本当に気のせいかもしれないのだが、なんとなく視線を感じることが多々あるのだ。

「そうか…」

 レオンは深くは追求せずに相槌を打つだけにとどまった。

 そうこうしているうちに『空色』の看板が見えてきた。

「じゃあ俺はここで」

「あら?寄って行かないの」

 なぜだか片手をあげてその場から回れ右をするレオンにメイリーアは声をかけた。

「これからりんごを運ぶ手伝いをするんだ。またね二人とも」

 そう言ってレオンは大きく手を振って名残惜しそうに来た道を引き返して行った。

「送ってくれたのでしょうか」

 ルイーシャがぽつりと漏らした。

 カランと扉にかかったベルが鳴る音を聞きながら『空色』に入るとアーシュが一人で店番をしていた。

「よう」

 店内から二人が来る様子を見ていたのか軽い挨拶のみである。

 通常店番をしているはずの人物が見当たらなくてメイリーアとルイーシャは辺りを見渡した。

「フリッツなら打ち合わせと配達に行ってもらっているぜ」

「そうなの。配達ならわたしも手伝うわよ」

「いや、大丈夫だ。どっちみち配達は年内はこれでおしまいだからな。さすがに忙しすぎるし祝いのケーキは例年店頭に取りに来てもらうようにしているんだ。といっても今年は注文自体そんなにも取ってないからあんまり数は出ないけど」

 祝いのケーキとはトリステリアの年末に毎年食べられるケーキのことだ。干した果実やはちみつをたっぷり使ったケーキで日持ちがする。『空色』の場合毎年受注生産の為予約を受け付けておいて、予約が入った数のみ作って売りさばくのが常だった。人出も無いためそのほうが効率がいいからである。

 今年はアーシュいわく余計な仕事が入ったため祝いのケーキの予約は早々に締め切った。

 今は十日後に開催される「お菓子の祭典」の準備でてんやわらわなのだった。

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