動き出した王太子10

「ええっ!『空色』ってあの『空色』ですか?」

 これには驚いたのかルイーシャも上ずった声をあげた。

 メイリーアと同じように何度も書類の上をなぞって、そこに書いていある文字を確かめた。

「あのあたりに他に『空色』なんて名前の菓子店があって?それにほら、店主の名前がアーシュ・ストラウトってなっているわ。住所もわたしたちの知っている『空色』と一緒だわ。カール通り三十六番ってなっているもの」

「…本当ですね。確かにこれは『空色』で間違いないようですね」

「一体どうして…」

 メイリーアは青ざめて呟いた。何かの間違いだと思ってさきほどから穴があくほどに渡された書類を凝視しているが、残念ながら『空色』の名前に間違いはないようだ。

まずい。非情にまずい。

なにがまずいって、アーシュにはメイリーアがこの国の王女だということを隠しているのだ。「お菓子の祭典」では規模は小さいながらも開会の式典が執り行われる。その時メイリーアは市長の隣で挨拶をする段取りになっているのだ。もちろん観客以下当日出店する菓子店関係者もこの式典は目にするだろう。

ということは『空色』が「お菓子の祭典」のメンバーに選ばれた時点でメイリーアの正体がばれる。それはもう思い切りばれてしまうだろう。

メイリーアの頭の中はぐるぐると回っていた。珍しく外は晴れているのに心の中では今にも雷が落ちてきそうな気配だった。一番大きいのが一発直撃しそうな勢いだ。

「このままだとばれてしまいますね」

 ルイーシャの方が幾分冷静だった。あっさりとメイリーアが考えたくない事実を指摘した。その言葉にメイリーアは頭を抱えた。

「いやぁぁぁぁぁ」

「姫様、叫ばれても事態は解決しませんよ」

「そうだけどぉ…」

 主人がこれだけ取り乱しているのにどうして侍女のルイーシャだけが落ち着いていられるのか。思わず座りこんだメイリーアを確認してルイーシャはため息をひとつついた。そうしてすこしばかり行儀の悪い格好をしているメイリーアを立たせようと腕をつかんだ。

「姫様そもそもがおかしいことだったんです。一国の王女であるメイリーア様が身分を隠して街の菓子店で売り子のまねごとをするなんて。それがそもそもの間違いなんです。これを機にすぱっとおやめになってください」

「…でも、せっかくお仕事にも慣れてきたのに。まねごとじゃないわよ。しっかり真面目に取り組んでいたもの」

 ルイーシャが少しばかり強い口調でメイリーアのことを諭すものだから、メイリーアもついむきになって反論をした。

「そもそも王女である姫様が真面目に売り子業に励むのがおかしいのであって」

「なによ、王女が売り子をしてはいけないなんて決まり事なんてないじゃない」

「それは…そうなんですけど」

 メイリーアの切り返しにルイーシャは素早く対応できずに口ごもった。こういうときのメイリーアは口が良く回るのだ。ルイーシャはどうやって主人を説得したものかと思案気に視線を宙にさまよわせた。

「王女たるもの、市井の暮らしを知ることはとても重要なことよ。国民が何を考えて日ごろどういった気持ちで暮らしているか知るいい機会だもの」

 メイリーアは得意になって話を続けた。確かに考えてみたらいいことなのだ。宮殿の奥に閉じこもってばかりだと分からないことだらけだった。掃除一つ出来なかったのに最近では大分板についてきたし、王都グランヒールの地理だって詳しくなってきた。お客さんと話すのも世間を知るにはいいことだとメイリーアは自分に言い聞かせた。

「それは分かりました。けれど姫様、結局アーシュさんたちにばれるのはばれますよ。「お菓子の祭典」の本番ではメイリーア様が市長の隣に立って挨拶するんですから」

 ルイーシャの一言で得意げに胸を張っていたメイリーアは再び谷底へ突き落されたような気持ちになった。

「それ、いまから無しにすることできないかしら。お姉さまに代わっていただくとか」

「いまさら何をおっしゃっているんですか」

「…そうよね」

 一応駄目元での提案だったがルイーシャに即断即決で却下されたところをみるとやはりというか当然姉に申し出ても覆らないだろう。だったら当日気合いで熱でもだそうか、などと考えていると即座にルイーシャから突っ込みが入った。

「姫様。熱を出そうなんて私が絶対に許しませんしさせませんよ。そんなことになったら私の首が飛びます」

 この侍女は超能力でも持っているのか。メイリーアは密かに感心した。けれどルイーシャの首が飛ぶのはメイリーアも勘弁願いたかった。こんなにも話の分かる話し相手はそうそうはいない。この場合の話の分かる相手というのは脱走に文句を言いながらも付き合ってくれるという意味である。

「そうよね。不可抗力はしょうがないとして、駄目よね。ああ、絶対にアーシュに怒られるわ。だって言う機会がなかったんだもの。王女様って聞かれたこともなかったし、向こうは向こうで勝手に貴族の娘なんて思い込んでいるのだし」

 以前アーシュよりさりげなく素姓を聞かれた時、母の実家であるレーンハイム公爵家所縁の娘と名乗ったことは完全に忘れているメイリーアである。

「アーシュやっぱり怒るかしら」

 メイリーアはおずおずと切り出した。

「そんなこと私に聞かれても答えられるわけないじゃないですか」

 ルイーシャはなんとも取りつくすべもない返事をよこした。そこ答えにメイリーアは息を吐いた。その様子を確認してルイーシャは何かを言おうとしたが、一拍二拍間が空いただけで結局何も口に出さなかった。

「そうよね。確かにそうだわ。でも待って、まだここに記載されている『空色』があの『空色』って決まったわけじゃないもの」

 そう言ってメイリーアは続きの間へと繋がる扉へ手を押しつけた。寝室へと続く部屋に移動しようかと足を踏み出したときルイーシャの慌てた声が後ろから響いた。

「姫様?何をするおつもりなんですか」

「決まっているでしょう。今から確かめに行くのよ」

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