隣国からの訪問者8

 メイリーアはちらりとアーシュに視線をやったが、平時と変わらないように見えた。視線を彼の方にやったら、目が合ってしまい慌てて下を向いてしまった。

 メイリーアが沈黙したままだったのを答えたくないと踏んだのかアーシュはさらに言葉を重ねた。

「ま、言いたくないなら別にいいけど」

「レーンハイム公爵の所縁の家の娘よ」

「へ?」

「だから、知りたかったんでしょう。今は公爵家の持つグランにヒールの屋敷に滞在しているのよ」

 レーンハイム公爵家はメイリーアの母の出身家だ。以前から王都をふらふらしているメイリーアは姉の助言もあり、グランヒールで身元を問われるような事態に陥った場合は母の実家の名を出すようにしていた。

 所縁の家なのだから嘘ではない。現公爵家当主はメイリーアにとっては叔父に当たる人物なのだから。

「ふうん。まあ、聞いたところで俺そっち方面全然詳しくないからわからんが」

 あっけらかんとしたアーシュの反応にメイリーアはいささか拍子抜けした。レーンハイム公爵家といえばトリステリア王国の中でも屈指の名門だというのに。

「なによ。自分から聞いてきたくせに」

「いや、フリッツが少し気にしていたみたいだったからさ」

「レーンハイム家といえば一応この国の名門よ」

「俺は別にトリステリア出身じゃないからこの国の貴族の誰これがすごいとか、知らないしどうでもいいんだよ」

 ふうん、そういうものなのか。確かにメイリーアだって外国の貴族の名前とかさっぱりわからないのでそういうものなのかもしれない。

「そうか、やっぱ貴族の娘か。俺の見立ては間違っていなかったな。メイリーア偉そうだもんな」

 そう言ってアーシュはにやにやと笑った。

 なんだか非情に面白くない。

「なによ、自分だって何も教えてくれないじゃない。私の見立てによると…」

 メイリーアは仕返しをしようと一生懸命にアーシュを見つめながら考えた。目付きの悪い菓子職人以外何もでてこない。そういえば最近はこうして普通に話すようになったけれどメイリーアはアーシュのことをほとんど知らない。知っていることといえば名前と『空色』の店主で菓子職人でフリッツという名の弟子がいること、そのくらいだ。

 メイリーアはうんうんと唸りつつ、何か気の利いた言葉を頭の中で探した。

「見立てによると?」

 アーシュは面白そうに繰り返してきた。いたずらっ子のように生き生きしていた。非情に面白くない。メイリーアは頬を思い切り膨らませた。

「私の見立てによると、アーシュは意地悪だわ。ほんっとうに意地悪!口も目付きも悪いし。作るお菓子はおいしいのに、それ以外はちーっともいいところなんてないんだから」

 からかわれているのが悔しくて一気にまくし立てるとメイリーアはそっぽを向いた。もうすぐミッテ河沿いの大通りに突き当たる。

 結局子供のように大きな声を上げることしかできなくて、それが恥ずかしくてメイリーアは早足で先を急いだ。久しぶりに会ったのにやっぱり最後はこうやって喧嘩になってしまうのだ。

 背の高さがアーシュの方が高い分、歩幅もアーシュの方が大きいようでメイリーアはすぐに追いつかれてしまった。

「そんなに怒るなって。悪かったよ」

 アーシュはぽんっとメイリーアの頭の上にてのひらを置いた。とても自然な動作だった。メイリーアの言葉に怒った様子もなかった。

「なによ…」

「アーシュ・ストラウト。二十六歳。『空色』の巷で噂の天才菓子職人」

「自分で天才とか言う?」

 アーシュが胸を張ってそう言うものだから、メイリーアはおかしくなって小さく噴き出した。アーシュの手はまだメイリーアの頭の上に置かれたままだった。頭の上がじんじん熱を持っているようで、心臓がさっきから少しだけうるさい。

「いいんだよ。言う分にはタダなんだから」

「ふふっ。でもアーシュってはわたしより随分と年上なのね。十も違うわ」

 思いがけず知ったアーシュの年齢である。今十六歳のメイリーアとは十も違うということは今二十六歳というわけで、姉よりも年上だ。もうちょっと落ち着いていてもいいくらいなのに、メイリーアと一緒になって言い合うものだからちっとも年上という気がしない。

「ふーん。メイリーアは十六か。なんだガキだな」

「ガ、ガキ…?」

 なんとなく声の響きで揶揄されているような気はするんだけれど、詳細な意味まではわからない。メイリーアは眉根を寄せて考え込んだ。残念ながら今までの人生で使ったことも聞いたこともない言葉だ。

「もう、そうやってすぐに私の知らない言葉を使うんだから。ずるいわ、いつも」

 メイリーアは空いている方の手で、ぽかぽかとアーシュの腕をたたいた。きっと睨みつけてやると、楽しそうに笑うアーシュに思わずどきりとしてしまう。いつもの斜に構えたような皮肉な笑みじゃなくて、少年のように笑う彼が新鮮だった。そんな風にされたらこれ以上怒れないじゃない、メイリーアはどうしていいのか分からなくなってしまう。

「悪かったって。そう怒るな。なんか買ってやるから」

「もう、いいわよ。さっきも言ったじゃない、今日はルイーシャを置いてきているから一人だけいい思いをするなんて駄目」

「妙なところで律儀だよな」

 アーシュが感心したように漏らした。

 そうやって話しているうちにミッテ河沿いまでやってきた。ミッテ河に面した広場は相変わらずにぎわっていて馬車の往来も激しい。普段よりも近しい距離感のアーシュに困惑しきりだったメイリーアは内心ホッとして息を吐いた。理由は分からないけれど、これ以上一緒にいたら心が持たない。

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