隣国からの訪問者7

 その後も細々とした仕事を手伝ったり、店の外の掃き掃除をしたりしていると時間が経つのはあっという間だった。気がつくと最初に宣言をした二時間が経過していた。仕事をするのが楽しいなと思っているだけに余計に時間が経つのが早く感じる。店の外で箒を持っていると道行く人から次々と声を掛けられて、それも新鮮だった。何度か店に足を運んでいる人や近隣店舗で働くおかみさんや子どもたち。ほがらかな笑顔で言葉を交わして、二言三言会話をする。王女として生活をしていただけでは、街を散策していた時には味わったこともない不思議な感覚だった。こうして行き交う人々と同じように街に溶け込んでいる自分が不思議だった。それでもなにやらこそばゆくて、メイリーアは胸の奥が熱くなるのを感じていた。なんだか街に受け入れられたみたい。そんな気がするのだ。

 売り子の制服から自分の私服へと着替えて厨房へ戻ってくると、アーシュが調理している後ろ姿があった。金属製の網で棒のようなものを手に持っている。傍らには紙が敷かれた皿が用意されていた。

「なあに。お菓子?」

 メイリーアは物珍しそうにアーシュの方に寄って行き、彼の手元に視線を落とした。丸い鍋の中に入っているのは油だろうか。こういう風に誰かが何かを作っているという光景がメイリーアには新鮮でつい手元を凝視してしまう。宮殿にいたら絶対に見ることはないであろう裏方の仕事だ。

 アーシュは傍らにいるメイリーアに少しだけ視線をやって自分の手元へと戻した。フリッツは店番をしているから今ここにいるのはメイリーアとアーシュの二人きりである。出会った当初は険悪すぎた二人の仲だったが今は別段取り立てて悪いわけでもない。

「ああこれか。明日は定休日だから今日は夜通しでレオンのところでカードやるんだよ。そんときの差し入れ用」

 アーシュは手元から目を離さずに答えた。きつね色になった棒のような物体が油から揚がった。これだけでは甘いものなのかおかずなのかよくわからない。長さはみんなばらばらで、形も曲線を描いている。メイリーアが今まで見たこともない形状をしていた。

「レオンに会うの?いいなぁ。わたしもカード?というものに参加してみたいわ」

「やめとけ。男だけで集まって酒飲んで騒ぐだけだ」

 アーシュに止められるまでもなく夜に宮殿から抜け出すなんてことはまず無理なのでメイリーアは黙っておいた。でもお友達と遊戯をするなんて面白そうだ。男同士のカード遊びがどんなものか分かっていないメイリーアは呑気に考えた。実際はいくらか小遣い程度に金銭も賭けるし話す内容は下世話なモノばかりでおおよそ女性には聞かせられないようなことばかりなのだが、そんなことメイリーアの知る由もなかった。

 アーシュは皿の上の載せた物体の上に予め溶かしておいた砂糖を匙ですくって、高く上げた場所からかけはじめた。すると砂糖がまるで線のようにきつね色の棒の上に描かれていった。アーシュはさらにその上からナッツを振りかけていった。こうしてみるとお菓子以外の何物にも見えなくなるから不思議だ。

「ねえねえ、これなんていうの?こんなの初めて見るわ!」

 メイリーアは出来たてのお菓子を目の前に興奮冷めやらぬまま叫んだ。アーシュの手元を覗きこみぴょんぴょん跳ねる。

「これは南のカスティレート国の菓子でチューロスっていうんだ。こういった下町、旧市街なんかには沢山店があって。みんなおやつに買うんだよ」

 カスティレート国はトリステリア王国の南に位置する大国だ。国の面積はトリステリアと変わらない。しかし南に位置するだけあって夏は非常に暑い、ということくらいしかメイリーアは知らなかった。隣国のお菓子かあ、とメイリーアは物珍しげにしげしげと眺めた。油で揚げるお菓子なんて今まで食べたことない。

「それにしてもアーシュってば物知りなのね。他の国のお菓子まで作れるなんて」

 小さな世界しか知らないメイリーアにとって南の隣国など本の中や従兄の話でしか知らないまさに遠くの異国の話なのだ。従兄の領地はカスティレートの近くにあるが、実際に領地にも行ったことがないし、そもそもグランヒール以外の地を踏むことがメイリーアにとってはまれだった。

「昔色々と回ったことがあるんだよ」

「そうなの?他の国も?」

「…まあな。それよりも一つ食ってみるか」

 アーシュの言葉にメイリーアが首を傾げたのでアーシュは言いなおした。宮殿育ちのメイリーアにとって下町言葉、とくにアーシュの使う言葉は難解なのだ。単にアーシュの口が悪すぎるだけなのだが。

「食べてみるか」

 目の前の皿には出来たてのお菓子があった。最近のアーシュはこうして菓子を進めてくることも少なくない。この間だって手はずからトリスティ・ブレッドを作ってくれたくらいだ。確かに未知のお菓子に対する興味は多大にあったけれど、メイリーアは首を横に振った。

「今日はやめておくわ」

「どうしたんだ。いつもは目の色変える癖に」

 アーシュは予想だにしていなかったメイリーアの辞退に面食らったようだった。

「そりゃあ、とっても名残惜しいけれど。今日はルイーシャを置いてきたんだもの。わたしだけ美味しいお菓子を食べるわけにはいかないわ。だからお土産を買っていこうかと思っているの」

「ふーん。結構侍女思いなんだな」

 メイリーアの返答に納得したのかアーシュはそれ以上何も言ってこなかった。

「じゃあ少しだけおまけしておいてやるよ」

 アーシュは少しだけ口の端を緩めた。

 思いがけず柔らかい表情を見せられて、メイリーアは少しだけ反応が遅れてしまった。普段は怖い癖に不意打ちでそういう表情を見せるから困るのだ。




 どうしてこんなことになったのか。メイリーアは隣を歩く青年をこっそりと見上げた。まだ空は明るい。といってもこの時期日が暮れるのは早いので油断をしているとあっという間に夕暮れになってしまうのだけれど。

 メイリーアはアーシュと二人きりでミッテ河へ向かって歩いていた。馬車も通れない狭い道や飲食店が立ち並ぶ混雑した道を歩いていく。

 こんな状況になったのはフリッツの一言のせいだった。

 ルイーシャへのお土産を選んでお会計をしたあと、フリッツはメイリーアを送っていくと申し出た。もちろんメイリーアは断ったのだ。何しろ自宅は宮殿なのである。身元を内緒にしているのに家まで送ってもらったらばればれだ。しどろもどろにいつもミッテ河沿いで辻馬車を捕まえているから大丈夫と説明をすると、せめてそこまでついていくというのだ。今日はメイリーア一人ということで心配しているのだろう。ルイーシャの方が年下なのに自分ひとりだとそんなにも危なっかしいのか、なんとなく釈然としない思いでいるとアーシュの方が「俺が送っていく」と言ったのだ。

 思わず驚いてフリッツと二人でアーシュの方を凝視してしまった。「明日は槍が降ってくるかもしれないわ」と思わず口走ると買ったお菓子を取り上げられそうになったが。そして案の定怒られた。

 それでも店主の責任だ、何だと言って今に至る。非情に気まづい。

 気まづいのに先ほどから人ごみの中、メイリーアのことをちょいちょい気遣う姿勢を見せるものだから余計に居心地が悪いのだ。人にぶつかりそうになると肩に手を回してきてアーシュの方に体を寄せられたり。腕を取られたり。ぶっきらぼうなのに、その手は思いのほか優しくて、いじわるなのか親切なのか分からなくなる。どうしたらいいのかわかならくてメイリーアはさきほどから何度も手元の箱ばかりに目をやっている。小ぶりの箱の中身はメイリーアが選んだルイーシャへのお土産だ。多めに選んだのはもちろん自分の分も含まれている為である。

 こういうときアデル・メーアだったら気のきいた言葉の一つや二つ簡単に出てくるんだろうな、とメイリーアは考えた。実際は気の利きすぎた皮肉が口から飛び出すのだが、それはメイリーアの知らない話である。彼女の脳内姉はあくまでも完璧な淑女なのだ。

「そういえばおまえ、どのあたりに住んでいるんだ?」

 先に口を開いたのはアーシュの方だった。彼もこの微妙な空気に耐えられなくなったのだろうか。それとも単に好奇心だろうか。

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