隣国からの訪問者6

「アーシュじゃん。こんなところで何油売ってんの?」

 明るい茶色の髪の毛を揺らしながらこちらに向かって手を振っているのは、確かメリージェインという女だった。『空色』開店当初、アーシュの見てくれに騙されて何人か降って湧いた売り子志望のうちの一人である。そして他の女たちと同じく、仕事中のアーシュの鬼店主ぶりに幻滅をして早々に逃げたした一人でもある。

「あぁ、メリーか。ひさしぶりだな。俺だってたまには外で飯を食うことくらいあるよ」

「ふうん。珍しいこともあるもんだね。昔はあんっなに誘っても仕事中の一点張りだったのにさぁ」

 メリージェインはささっとアーシュの横に並んで親しく体を寄せてきた。仕事中は鬼のように怖いアーシュだがトーリス地区での人気は相変わらず高い。ただし、売り子に名乗りを上げる女は皆無だったが。

「別に」

「そういうところも相変わらずだよね。あ、そうだ。そういえば新しい売り子辞めちゃったんだって」

 アーシュはうんざり顔で横を向いた。どうしてどいつもこいつも口を開けばメイリーアのことばかり話題にするのだ。メイリーアを関連付ける言葉にアーシュ自身が過剰反応しているだけに過ぎないことはまだ本人は気付いていなかった。

 眉根にしわが寄ったのは本人無自覚である。それを見てメリージェインが少しだけ怯んだ。見てくれはいいのに長い前髪とこの目付きのせいで印象ががらりと冷たくなる。

アーシュは低い声でぼそりと呟いた。

「別に辞めてねえよ。ただ家が忙しくて来ていないだけだ」

 自分自身でもどうしてこんなにいらいらするのかわからない。完全な八つ当たりだ。

「そうなんだ。てっきり辞めちゃったんだとばかり思っていたからさ」

 メリージェインとしてもアーシュの店に女が入り浸っているのは面白くないのである。新しい売り子がどういう素姓でアーシュが彼女のことをどう思っているのか、これを聞きだすことはこの界隈の女たちの念願でもあった。メリージェインは次の言葉を探すように唇を開けたり閉じたりしていた。

 アーシュは道端でばったり出くわした知人にもう興味を失ったように足を速めた。せっかくの気分転換も台無しだ。散歩でもしようかと思っていたが会う人間に同じような質問をされたのでは敵わないしいちいち答えるのも億劫だ。

「ちょっと、ねえアーシュってばぁ」

 メリージェインは何かほかに言いたいことでもあるのかまだアーシュの横にまとわりついてくる。

「ああ、じゃあな。俺もう戻るわ。おまえもちゃんと働けよ」

 それが面倒なので、アーシュはぶっきらぼうにメリージェインを振りきって『空色』のほうへ足を向けた。こうなったら帰ってレオンへの差し入れでも作っていたほうがましである。明日は店の定休日の為、今日は夜通しでレオンの店でカードをする予定なのだ。砂糖をまぶした揚げ菓子でも作ろうかと思い描く。おそらく店の中に残っている材料で事足りるだろう。

 そうしてつらつらと菓子づくりの手順などを考えながら午後の、適度に人出のある通りを歩いていると何かが勢いよく近づいてくる気配がした。相手は気配を隠そうともしていない。常人よりもそういった人の気配に敏感なアーシュはそれが至近距離に迫る前に背後を振り返った。

 振り返るとすっかり目になじんでしまった濃い色の金髪が目に入ってきた。頬を少しだけ紅潮させた顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

「やっぱり、アーシュだわ!久しぶりね」

 息を少し切らせながら弾んだ声をあげているのは十日ぶりに姿を見せたメイリーアだった。



「お久しぶりです。メイリーアさん。今日はルイーシャさんはどうしたんです?」

 フリッツが差し出したグラスの水をこくこくと飲み終えて、一息をついてメイリーアは答えた。

 『空色』の厨房である。息を弾ませたメイリーアにフリッツが用意してくれたのだ。少しだけレモンを絞ったのか、ほんのりと味のついた冷たい水が喉に心地よかった。

「今日はお留守番してもらっているの。私一人が精いっぱいだったわ。彼女まで連れてきちゃうと抜け出したのがばれちゃうから」

 ノイリスがアルノード宮殿に滞在してからというもの何かと理由をつけては面会を申し込まれ、宮殿の中を案内したり一緒に図書室で読書をしたり、温室で苺を狩ってみたりと忙しい日々が続いたのだ。どうしてこうもメイリーアにちょっかいをかけてくるのだろう。そうアデル・メーアとルイーシャに零すも、二人にはあっさりと「あなた目当てにトリステリアに来たんだから当たり前でしょう」と返されるのだ。午前中は勉強や刺繍の授業があって自由にできないのに、お昼を過ぎた後も毎日捕まっていたんじゃそろそろ身が持たない。ストレスが臨界点を突破しそうだったのでルイーシャだけ置いて宮殿を抜け出してきたのだ。彼女には悪いがしばらくの間時間を稼いでいてもらう。

「それで一人で来たのか。なんつーか、怖いもの知らずというか」

「あら、平気よ。昔からよくグランヒールをお散歩していたもの」

「いや、でもな」

「ああでも、今日はそんなにも長く働けないのよ。ルイーシャがごまかしてくれているとして、それでもせいぜい二時間が精いっぱい。それでもいいかしら」

 アーシュの苦言をメイリーアはあっさりと受け流してメイリーアは時間制限つきである旨を伝えた。アーシュは面白くなさそうに膨れたがメイリーアには何がいけなかったのかよくわからなかった。

「やっぱり駄目かしら?」

「別にダメじゃねーよ」

「アーシュったら怖い顔しているわ」

 だって眉間にしわが寄ったままだ。

「別になんでもない。ほら時間ないんだろう。さっさと売り場に行ってこい」

アーシュの言い方には若干引っかかったがメイリーアはそのまま売り場へ続く扉を開けた。フリッツだけが何かをこらえるように口をふさいでいた。こちらからはあまり表情は見えなかったがアーシュがフリッツの頭を軽く小突いているのが確認できた。

 こうして売り子のお着せを着てここに立つのも久しぶりだ。

 カウンター側からの視界は客としてのそれとはまったく違う景色だ。迎え入れる側も楽しくて大好きだ。美味しそうなお菓子に囲まれて、お客さんが思い思いにお菓子を選んで、時には予算と相談しながらうんうん唸っていたりするのだ。そんなお客さんを見るのも好きだし、一緒に何がいいか悩んだりするのも楽しい。優しく声をかけてくれたり、挨拶をしたり。宮殿とは違った、生身のメイリーアに接してくれるこちらの生活もいつの間にか思い切り大好きなモノになっていた。午後の、ゆっくりと流れる世間から隔絶されたような空間に佇んでいるのがいつの間にか好きになっていた。窓の外では人々がせわしなく行き来しているのに、扉一つ隔てたこちら側は外とは関係のない時間で回っているようで。

「ようし!今日も張り切って売り子するわよ」

 メイリーアは自分に言い聞かせるように声を出した。

「頼もしいですね」

 フリッツがメイリーアの隣で柔和な笑みを浮かべた。

「任せておいて」

 元気よく答えたメイリーアに呼応するようにフリッツも頷いた。そうこうしているうちに客がちらほらと入り始めた。昼食の時間をいくらか過ぎたころになると、お茶請け用の菓子を買い求める客が店を訪れる時間帯になる。メイリーアも意気揚々と接客に励んだが、十日の空白は思いのほか重かった。客の要求通り焼き菓子を袋に詰めようと意気込むもトングでクッキーを割ってしまった。

「あああっ、まただわ。ごめんなさい」

 繊細なクッキーは力加減を一つ間違えるだけですぐにぽろりと形が崩れてしまうのだ。前にも同じようなことが何度かあってアーシュに特大の雷を落とされたことがある。

「いいのよ、気にしないで。がんばってね」

 メイリーアが謝ると目の前の夫人は優しい声で慰めてくれた。

「僕がやりますよ。メイリーアさんはこっちをお願いします」

「ううう…ごめんなさい」

 やっぱりもうちょっと宮殿でも練習しておけばよかったと、心の中でため息をついた。先の園遊会でも招待客にメイリーア手はずからお菓子を皿に盛ったりして、練習のようなことをしてみたのだけれどあまり好評ではなかった。王女自らの給仕に皆恐縮しきりだったのだ。

 メイリーアに比べてフリッツはなんでも器用にこなす。トングで器用に繊細なクッキーをつまんで紙袋の中に入れていく。そしてそのまま代金の暗算までしてしまうのだから尊敬してしまう。

 メイリーアは別の客が注文したマードレーヌをより分けて袋詰めしていった。こっちだって大切な仕事だ。それに木の実の入ったものと入っていないもの、ちゃんと数を間違えないようにしないといけない。気を抜いていると間違えてしまいそうなのでメイリーアは落ち込むことは後にして目の前の作業に集中した。

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