隣国からの訪問者1
アーシュがメイリーアとルイーシャを『空色』で雇い入れてから約一月が経とうとしていた。雇い入れたというか最初は人の商品を台無しにした挙句、適当な謝罪―あくまでアーシュ目線である―で済ませようとした貴族の令嬢に落とし前をつけさせるべく働かせたのだが、まさかそのまま順調に売り子を続けるとはさすがのアーシュも予想だにしなかった。
「で、なんでまだ呑気に働いているんだおまえらは」
秋も深まって朝晩の冷え込みが一段と厳しくなってきた今日この頃。いつものように元気いっぱいな様子で店の扉を開けて、当然のようにお着せに身を包んでカウンターの前に並んで立つメイリーアとルイーシャにアーシュは突っ込みを入れた。
「え、なんでって。だってわたしたちは売り子でしょう」
「ええと、メイリーア様が通うので…」
二人とも深いえんじ色のスカートに襟首の詰まった厚手のブラウスを着ている。襟元には刺繍の施されたリボンをきゅっと結んで、外に出かけるとき用にスカートと同じ色のケープまで用意されている。用立てたのは『私の花園』という名前のカフェを経営するレオンという男である。
「いや、俺としては別にほんのちょっと働いて世間の厳しさを知ってもらえればよかったわけで…」
厨房と店を隔てる扉に手を掛けて早くも脱力気味につぶやくアーシュである。まさか居着いてしまうとは思わなかった。
これにはフリッツも苦り顔である。彼の場合そこまで嫌がってはいないのだが。やはり店に女っ気があったほうが場が華やぐし大分売り子業に慣れてきた二人が店の方の仕事をやってくれると助かる面もあるのだ。
「いいじゃない。わたしも大分立派になってきたでしょう」
「どこがだ。ついこの間だって釣銭の計算間違ったって、慌ててお客を追いかけていったくせに」
「あ、あれはちょっと…その」
アーシュの言葉にメイリーアは下を向いてごにょごにょ呟いた。ちょうどアデル・メーアらとのお茶会の前日の勤務中、常連客に渡す釣銭を間違えてしまいアーシュから雷を落とされたばかりなのだ。それから数えて四日たった今日である。
ちょうどその時ベルの音とともに客が一人店内に滑り込んできた。
眼帯を着けた大男、すなわちレオンである。飲み友達でもあり取引先でもあるレオンは以前はあまり『空色』を訪れることはなかったのに最近しょっちゅう店に顔を出すようになった。
「やっほー、メイリーアちゃん。来ちゃった」
「いらっしゃいませ。レオン」
熊殺しとか百人切りだとか、何かと物騒な異名を持ちトーリス地区の地獄の番人などと言われている強面の男が満面の笑みを顔に張り付けて手を振っている。
なんだ、この光景。思わずそう突っ込んでしまいたくなる光景だ。
メイリーアの方もすっかり慣れたのか笑顔のままレオンを迎えた。ルイーシャだけはまだ少し慣れていないのか笑顔の口元が若干ひきつっていたが、それでも初対面の時のように気を失うということもなかったし、最近では少しずつ会話をするようにもなっていた。
「俺が用意した新しい制服はどう?そろそろ寒くなってきたから暖かさ重視で選んでみたんだぜ。あとエプロンとリボンの刺繍は俺のお手製」
可愛いものが大好きというレオンはその大柄に似合わず自ら縫物だとか刺繍だとかレース編みだとかを器用にこなすのだ。この冬用の制服も数日前にやってきたレオンが強引にアーシュに押しつけていったのだ。
「ありがとう。とっても可愛いし、暖かいわ」
「あ、ありがとう…ございます」
二人とも素直にお礼を述べた。ルイーシャは少しだけメイリーアの陰に隠れるように、小さなこえだったけれどレオンの耳には届いたようだ。
「いいんだよお礼なんて。それより今度一緒にケーキ食べに行こう」
「なんだ、狙いはそっちかよ」
アーシュがぼそっと呟いた。
「いいじゃねーか。俺だって女友達ときゃっきゃしながらケーキ食べに行きたいんだよ」
「あっそうかよ」
大体これまで、こんなにも頻繁に人の店に顔を出すなんてしたことがなかったのに、最近はやたらとちょっと近所まで来たからと店にやってくるのである。
「もう、アーシュったらレオンに態度悪いわよ。お友達でしょう」
メイリーアがアーシュの方を振り返って窘めるような口調で言った。
「そうだよ、もっと客を敬え」
「つーか、メイリーア。おまえは仕事中だよ。接客以外の無駄口をたたくな」
「なによう、さっきはどうしてここにいるんだ、みたいなことを言っていたくせに」
「なんだよアーシュお前、メイリーアちゃんたちをクビにするのか。だったらうちで看板娘やる?二人とも」
一応レオンには二人を店に置いた経緯は話してある。確かにこのまま『空色』に居続ける必要はないと踏んだのか、レオンはちゃっかり勧誘を始めた。
メイリーアとルイーシャは二人で目を見合わせた。
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