脱走王女と菓子職人7

それより、あなたもレイスとの約束くらいちゃんと守りなさい」

「だぁって…。グランヒールのお菓子屋さん『小鳥屋』の月一限定ケーキセットの日だったのよ。どぅしても食べたくって。先月も逃してしまったんだもの。今月もこれを逃すとあとまた一月待たなければいけないのよ。もうちょっと早く戻ってくる予定だったんだけれど、思いのほか並んでいて…その…あの、…ごめんなさい」

 メイリーアの説明は最後尻すぼみになり、最後にもう一度謝罪を付け加えた。たしかに約束を忘れていたのは自分なのだ。それでこの騒動なのだら非はメイリーアの方にあるのだ。

「わかっているならいいのよ。外歩きもほどほどにするのよ。いつまでもかばってあげられるわけじゃないんだから」

「はぁい」

 言葉はお説教のようだが、軽い抱擁とともに耳に落ちてくる声音はとても柔らかくて、メイリーアはくすぐったさと一緒に姉を抱きとめた。

 なんだかんだいいつつメイリーアに甘い、この姉のおかげで自由気ままにさせてもらっているのだ。

 アデル・メーアはメイリーアとの抱擁を解いて傍らに控えるルイーシャの方を向き直って言葉を紡いだ。

「それからルイーシャも。主人の暴走はある程度は止めてあげてね。って言っても止まらないのよね。苦労をかけるわね」

「いいい、いいえ。申し訳ございません」

 優しい声音で声をかけられたルイーシャが恐縮しきりの様子で頭を下げた。メイリーアに仕え初めて約二年。第一王女殿下にお目通りする機会は多々あれど、ルイーシャにとってはやはりいまだに雲の上の人なのか、いつまでたっても緊張した姿勢を崩さないのだ。



 心配した謹慎処分とか外出禁止とか面倒事にはならずに済んで、一安心して姉の部屋を辞したメイリーアとルイーシャだったが、二人きりになった途端にルイーシャが思いつめた声で尋ねてきた。

「やはり、やるのですか姫様」

 メイリーアの私室に入り、人払いをしてからのことである。

「もちろんよ。こうなったら絶対に引かないわ。絶対に体で返すに決まっているでしょう!あの人ったらっ!人のことをさんざん馬鹿にしたのよ。絶対、何があっても私は引かないわよ」

 あれだけ馬鹿にされたのだ。これでお金で解決なんて出来るはずがない。そんなことをしたら貴族の令嬢なんて所詮そんなもの―そもそも貴族の令嬢じゃなくて一国の王女なのだが―、とアーシュが高らかに笑ってくるのが目に見えている。それは王女の沽券にかかわるゆゆしき問題なのだ。

「しかし、体で払うって意味分かっているんですか?」

 いつもはメイリーアの暴走をいまいち止められていないが、今回ばかりはルイーシャも必至である。

 ルイーシャを吟味するようにメイリーアはしばしの間沈黙をした。

 体で払う…、体…。払うものがないのだから自分を差し出すのだろう、多分そんなところだ。

「ええと、わたしが代金の代わりかしら。あら、そうしたらわたしは売られてしまうってこと?」

 いまさらながらにそのことに気がついたメイリーアは青ざめた。さすがに売られるのはまずいかもしれない。売られても姉だったらちゃんと見つけて買い戻してくれるかもしれないけれど、おそらく自室軟禁の刑が待っているだろう。とか心配をしてみるけれど、実際売られるという話になって、どういったところに売られるのかは皆目見当もつかないのだけれど。

「いや、その…。相手もさすがに売りはらうことはしないと思いますが。この場合お金の代わりに働けとか、命令を聞けとか、そう言うことだと思います」

 ルイーシャも質問をされるのはいいけれど、具体的なことはよくわからない。侍女として宮殿に上がって入るけれど、彼女の実家は男爵なのだ。爵位を貰ってまだ二代目だが、それでも男爵家の娘として育てられてきたので、世間知らずさ加減で言えばメイリーアといい勝負なのだ。

「ふぅん…。だったらあの口うるさい男の鼻をあかしてあげるんだから!だいたいちょっと顔はいいかもしれないけれど、ずぅっと眉間にしわ寄せちゃって愛想ってものがないのよ」

「姫様よくそんなところまで見てましたね」

「だって向こうが睨みつけてきたのよ。わたしだって負けたくなかったのよ」

 端正な顔立ちをしていたので、怒った顔はちょっと怖かったけれど、とは言わないでおいた。ちょっとくらいは侍女の前でいい格好がしたいのだ。

 それにあれだけ人のことを馬鹿にしてきたのだし、約束したからにはやり通さないといけない。これはメイリーアにとって負けられない勝負なのだ。決意も固くメイリーアはぐっと握った手に力を込めた。

 けれどもメイリーアとルイーシャがそろって宮殿を抜け出すことができたのはそれから三日後のことで、四日目のお昼すぎにようやく『空色』に現れた二人を待ち受けていたのは雇い主アーシュからの、「ようよう遅い出勤で。さすがは貴族のご令嬢は違うよな」という嫌味な第一声だったのだ。

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