脱走王女と菓子職人2

「って、メイリーア様?ちょっと、どこに行くんですか」

「どこって、衛兵に見つかったのよ。撒いたと思ったのに、こんなところにまで来ていたなんて」

「この際おとなしく捕まった方が…」

「絶対にいや。そうなったらお兄様のところに連れて行かれるわ。そうしたら外出禁止になってしまうもの。一週間で済めばいいけれど」

 兄の追っても諦めていなかったようだ。

 普段は優しいメイリーアの兄であるレイスハルトは自他共に認める妹溺愛ぶりで有名だった。そろそろ年頃のメイリーアも最近ではちょっと、いやかなりうっとおしいかもと思い始めてきた兄の使わした追手だ。おとなしく捕まれば兄の元へ強制連行、一週間で解けるかどうかも分からない自室謹慎生活が待っている。ちなみに前回の謹慎は元々一週間だったのが伸ばしに延ばされ三週間ほどに膨れた。

 もうあんな目には遭いたくない。

 早歩きで行きかう人々の合間を縫うように当てもなく歩きながらちらりと背後を見やると、案の定というかやはり件の衛兵はしっかりとメイリーアの跡をついてきていた。

 メイリーアの方も負けじと素早い動きで路地を右に曲がったり左に曲がったりしていたけれど、何度目かの十字路でついに別の衛兵と出くわしてしまった。

「ああ、もうっ!なんでみんな私のこと見分けられるわけ?」

「そりゃあ姫様の顔を知っているから追手として使わされるんですよ、殿下から」

 兄王子直属の親衛隊の皆さまも日常業務の一つとして妹王女と追いかけごっこをする羽目になるとは配属当初は露にも思わなかっただろう。

「だ、だから今日…抜け出すのはやめておけばよろしかった…のに…」

 もうすでに息の上がっているルイーシャが必死の体で言葉を絞り出した。

「仕方ないでしょう!お兄様とのお茶の約束なんて、ほんっとうにするっと忘れていたんだからぁぁぁ」

 下町の細い路地にメイリーアの叫び声がこだました。




 午後の日もすこしばかり西に傾き始めたとある日、アーシュ・ストラウトは大きな箱を抱えて路地を歩いていた。

 菓子職人でもある彼が抱えている箱の中身は、彼自身で焼いた商品でもある季節のタルトだ。向かう先は菓子を卸している飲み屋である。正確にはお菓子と飲み物を提供するカフェらしいのだが店主の希望とは裏腹に集まってくるのは無差苦しい男どもばかりで、しかも飲み物もお茶やジュースよりも酒の方がよく売れる飲み屋と訂正した方がいいような店だったがアーシュは別段気にしてはいなかった。

 自分の作った菓子が売れればカフェだろうが居酒屋だろうがどちらでもかまわない。自分の作ったものを認めてくれて尚且つ、店の売り上げが順調ならばそれでいいのだ。

 歩きながらアーシュは少し首を振って伸びすぎた前髪を横に散らした。さっきから視界がうっとうしいのだ。そろそろ少しだけ切りそろえた方がいいかもしれない。短すぎるのも嫌だけれど長すぎるのもそれはそれで問題だ。などとどうでもいいことを考えつつ歩いていた。

 そうして、ちょうど十字路に差し掛かった時である。何かがアーシュの視界をふさいだ。

「うわぁっ」

 何も考える暇も無い、一瞬の出来事だった。視界を塞いできたものがアーシュの方に体当たりをしてきた。いや、出会いがしらに衝突したのだ。そう思った時には遅かった。両手がふさがっている状態では何も対処ができないまま、次の瞬間抱えていた荷物が地面に投げ出されていた。

 アーシュは自分の周りだけが時間から取り残されているように、中に投げ出された焼き菓子-中身はタルトだった-がゆっくりと空を舞うのを目撃した。

 もちろん時間にしたらほんのわずかな時間だろうけれどアーシュにははっきりと、自分が手間暇かけて作ったお菓子たちが宙をひらりと舞ってそのままボトリと地面にたたきつけられる瞬間をこの目で目撃した。

 そして。

 よける間もないまま、自作タルトの代わりに腕の中に飛び込んできたのはアーシュよりも頭一つ分くらい小さな少女だった。ふわりと舞う少しくすんだ金髪の髪の毛が視界いっぱいに広がった。

「ちょっ、おまえっ」

「お願いっ協力して」

 そう言って少女は半ば強引にアーシュを建物のすぐ横にある半地下へ通じる階段に連れて行って、アーシュを盾にするように階段に潜り込んだ。

「ちょっと待てお前っ!」

 抗議する声を伸びてきた手で塞がれてもう片方の腕がアーシュの背中に回される。傍から見ていると昼間っから物陰に女を連れ込んでいる遊び人と思われなくもない。

 慌てて離れそうとしたが少女はぴたりとアーシュの方に体を寄せてきた。

 その顔が真剣そのものでとても男を誘っているようには見えない。アーシュとは明らかに別のところを意識している、神妙な面持ちで辺りを窺っていた。

 アーシュの方も訝しげに眉根を寄せたがそれ以上何も尋ねることもなく周囲を窺った。確かに訓練された何者かが辺りにいるのが分かった。足音や独特の雰囲気で分かる。明らかにこんな下町風情ではお目にかかることはない、赤い上着を纏った男が数人辺りを睨め付けていた。普段目にする機会が無いので―何しろこのあたりを管轄する憲兵とは服装が違うのだ―何者までかは分からない。

アーシュは面倒事も権力者もきらいだったが、しかし。この思わぬ闖入者である少女には色々と言いたいことがあった。というか強引に巻き込んでおいて、人の商品を台無しにしておいて逃がすはずがない。そう思って少女の背中に腕を回して彼女の背中を壁際にぴたりとつけた。ビクッと肩を震わせたのが分かったが、少女はされるがままだった。

 これで相手がいらぬ気でも起こしたらどうするつもりだったのか。見た目だけではなく頭の中も世間知らずなお嬢様か、アーシュは呆れて胸の内で盛大にため息をついた。

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