王女殿下と菓子職人 ~今日から看板娘始めます~

高岡未来@3/23黒狼王新刊発売

プロローグ

 ガシャァァァンッ!

「おまえっ!何度注意されたらちゃんとできるようになるんだ。もうちょっとしっかりやりやがれっ」

 耳障りな金属音と床に散らばった焼き菓子。

 金属音が鳴りやんだ後に響いたのは大きな怒号だ。菓子店『空色』の若き店主でもあるアーシュの声である。

「…わかっているわよ」

 それに応える売り子、メイリーアの声は元気がなかった。

 勤務初日から毎日絶賛失敗記録更新中なのだ。今日こそは頑張る、と意気込んで来たのに今日もまた記録の更新だった。

「わかってないだろ。昨日はケーキの型を盛大にばらまいて、その前は予約の日付を聞き間違えるわ、商品を落っことすわ、掃除はまともにできないわ…」

端正な顔を盛大にゆがめて怒りに震えているのはアーシュ・ストラウト。

この小さな菓子店の店主を務める青年である。黒に近いくらい濃い茶色の髪にうすい茶色の瞳を持つ、一見すると端正な顔立ちの青年だが目付きが鋭く傍から見るといちゃもんをつけているちんぴらに見えなくもない。菓子職人にしては長い前髪のおかげで目付きの悪さも三割増しである。後ろに伸びた髪は一応食品を扱う職種の為一つにまとめている。

「だから、それも全部謝ったじゃない」

 ばつが悪そうにメイリーアはさらに言葉を重ねた。確かに勤務初日から数日、彼女のやらかした失敗は軽く片手では済まないような数になっていた。

「謝って済むじゃないだろ。なんだよ、ほんとうに使えねえヤツだな」

 そう言ってアーシュは盛大に息を吐いた。

「な、なによ。そんな言い方しなくたっていいじゃない」

 自分の失敗を棚に上げてついてでた言葉はせめてもの強がりだった。

「ったく、口だけは一人前だな。てかさっさと片付けをしろ!突っ立ってないで体を動かせ」

 広くはない厨房の床にぶちまけられたのは先ほど焼きあがったばかりの焼き菓子だった。店舗で売り子をしていたメイリーアが客から商品の焼きあがりの時間を尋ねられて、それをアーシュらに確認しようと厨房に足を踏み入れた、まではよかった。

 狭い空間内でうっかり何かに腕を引っかけてしまった。運悪くそれがオーブンから取りだしてまだあまり時間の経っていない天板であったため、思わず身を引いた衝撃でバランスが崩れて落っことしてしまったのだった。

 甘い芳香を漂わせた丸い焼き菓子が商品にならないことも、人の口に入らないことも一目瞭然だ。メイリーアは蒼白の顔のままその場に膝まずいた。

「何、一つ一つ拾おうとしているんだ」

 上から降ってきたアーシュの声にえっ?と声を上げようと思った瞬間横から箒が差し出された。

「これを使ってください。あと、大丈夫ですか。やけどなどしなかったですか?」

 メイリーアの視線に合わせるようにかがんでいたのは店主であるアーシュの弟子であるフリッツだった。アーシュとは違い物腰の柔らかい彼の顔は特に怒っているわけでもなく、少しだけ困ったように微笑んでいるだけだった。

「ありがとう…。うん、平気。かすっただけだったし、もうそんなにも熱くなかったから」

 お礼を言ってメイリーアは箒を受け取った。

 メイリーアの言葉にアーシュの方は何か言いたそうに眉根を寄せたが、結局は沈黙したままだった。

「そうですか。大事にならなくてよかった」

「ありがとう。でも…」

 散らばったクッキーの残骸に視線をやってメイリーアはシュンと項垂れた。当然のことながらこれらはもう商品にはならないし、自分たちだって食べるわけにはいかない。廃棄処分だ。

 その様子を三歩ほど距離の空いたところで眺めていたアーシュはチッと舌打ちをして厨房の隅にある扉を開けて外に出て行ってしまった。

 少しばかり乱暴に扉が閉まる音がしてメイリーアは肩をしぼめた。

 ああ、これは相当怒っている。言い方は腹立たしいけれど、やっぱり失敗続きなのはメイリーアの方なのだ。今日こそは大丈夫、やれると意気込んできたのに結局はこのざまだった。

「…ごめんなさい」

「まあまあ、失敗は誰にだってあることですよ。最初から全部がうまく行く人なんていません。とくにあなたは今までこういうことをしたことなんてなかったんでしょう。それがいきなり最初から完璧にできる、なんて思っていませんから大丈夫です」

 優しいんだか突き放しているんだかわからないような言葉でメイリーアを慰めるフリッツは床に転がったままの天板を拾い上げて流しの中に置きに行った。

 明るい茶色の髪に同じく茶色の目の柔和な顔立ちの青年なのだが、やっぱり心の奥底ではアーシュと同じように怒りに震え立っているのだろうか。おおよそ外見からは何も感じとれないのだけれど。

 そんな風に思いながら床を掃いていて、うーんと曲がった腰を伸ばそうとした瞬間店舗の方から顔をのぞかせていたもう一人の売り子の少女と目があった。

 今にも泣きそうな顔をしている少女は目だけで訴えていた。

-どうして、姫様がこんなことをしなければいけないんですか、と。

 トリステリア王国の王都はグランヒールの下町トーリス地区に構える菓子店『空色』。入り組んだとある路地の、小さな店で売り子として働いているのは正真正銘トリステリア王国第三王女であるメイル・ユイリィア・ユースノース・トリステリア本人であった。

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