第1話 ファーストオーダー 1/2

 モノトーンで構築されたかのような暗く淀んだ空。

 そんな空の下、コートに身を包んだジュリア・ベルトハインは落胆に肩を落とした。


 彼女は、大都市――ロック・シティのはずれに立っている。

 半世紀ほど前の建造物が並ぶそこは住民たちに見放された廃虚同然の区画で、文字通り、時代に取り残されていた。


「ここで、合ってる……よね?」


 呟いてから手の中にある紙を穴が空きそうなほど凝視する。

 ジュリアの持つ紙には、『助手募集中! 限定一名、どんな方でも大歓迎! 給与、応相談』と安っぽいフォントで書かれていた。


 来るんじゃなかった。


 添付された地図に従ってきたジュリアは静まりかえった目の前の建物――赤銅色のサビに蝕まれたガレージ付き事務所を見上げる。

 不気味さ漂う面持ちにジュリアはここへ来たことを今更ながら後悔したが、来てしまったものは仕方がないと存在感の薄い外付け階段を登ってドアをノックした。


 しばらく中からの返事を待つが、何も起こらない。もう一回ドアをノックするが結果は同じだ。


 いつまでも反応がないことにじれったくてドアノブに手をかける。

 すると、ドアは何の抵抗もなくすんなりと開いた。


 まるで招き入れられているかのような展開に薄気味悪さを感じつつ、隙間から中を覗きこんでみる。

 二階はブラインドから差しこむ光で乱雑に積み上がったファイルや書類のシルエットが確認できた。


「あ、あのー、求人募集の紙を見て、こちらにお伺いしたんですが……」


 声をかけつつ室内に足を踏み入れる。

 中に入るとタバコ特有のヤニの匂いが鼻をついた。


 デスクの手前には応接用のソファとテーブルが置かれ、よく見るとソファの片方に掛けられている毛布が盛り上がっていた。

 ジュリアは人形のふくらみにゆっくりと近づいて毛布に触れようする。


「あのー……」


 その瞬間、バッと毛布が跳ね上がり、ジュリアの眉間には拳銃の銃口が突きつけられていた。


 なんの前触れもなく突きつけられた拳銃に、ジュリアは反射的に両手を上げて相手に視線を移す。

 鈍い銀色の銃をこちらに向けているのは三十代後半といったところの男だった。


「おっと、すまない。泥棒かと思ってね」


 男はジュリアの顔を見ると、眼光を緩め、拳銃をホルスターに収めた。

 突然の命の危機が去ったことにジュリアは内心胸を撫で下ろす。


「求人の紙を見て、来たんですけど…………」

「あー、うん? 紙って、助手募集の?」

「は……はい。ジュリア・ベルトハインと言います」


 ソファから立ち上がり、デスクで何かを探す男に向かって自己紹介をする。

 その時、彼が寝ていたソファに転がっている電子端末が音を立てて振動していることに気付く。


「あの、これ……」

「ん? あぁ、そこか」


 男は駆け寄ってきて端末に通話ボタンを押して話しだす。

 手持ち無沙汰になったジュリアは男を横目で盗み見た。


 無造作な黒髪に鋭い眼光、皺のあるシャツからでもわかるしなやかな体から発せられるオーラは軍人か、警察官を思わせるところがある。

 ジッと男を観察していたジュリアは彼が会話を終えると同時に顔を背けたが、その肩にポンッと手が置かれた。


「それでは早速お仕事開始だ。よろしく頼むよ、新米助手君」

「え? ちょ、ちょっと待ってください!」


 ジュリアが疑問の声を上げる隙もなく、男はデスクの椅子に掛けていたスーツの上着を羽織る。


 面接も書類審査もないスピード採用にジュリアは呆然としていたが、ハッと我に返って男が消えた部屋の隅にある螺旋階段を駆け下りた。


 シャッターの閉まっていた一階はガレージになっており、ケースから溢れた工具やオイルの汚れが残るツナギが無造作に放置してある。

 だが、そんな荒れた光景の中で存在感を放ち続ける一台の漆黒の車があった。


「……いい車ですね」


 思わず口に出してしまうジュリアに男は興味深そうに目をむけてくる。


「こいつが分かるのか?」

「ミュートモーターズが生産していたクロスラインですよね。確かこのタイプは、二十一世紀前半ごろに発売された五代目じゃありませんでしたっけ?」

「よく知ってるな。今時の人間にしてはかなり珍しい」

「父親がレーシングドライバーで昔から車は好きだったんです。よく一緒に眺めていたりしたので……」


 車のオイルの匂いはジュリアにとって、父親との思い出を鮮明に思い出せるほど嗅ぎなれたものだ。


 父親はプライベートでも車を乗りまわすタイプの人間で、幼い頃からドライブにつきあっている間にジュリアも自然と車に詳しくなってしまった。


 想起された父の姿を浮かべながら、ふとなぜ会ったばかりの人間にこんな家族の話をしているのだろう、と首を傾げる。

 男がキーを差してエンジンを始動させると、黒のボディに真紅のラインが走り、アクセントとなってさらに存在感を際立たせた。


「他人の知らないことを知っているというのは君にしかない武器だ。それは誇りに思っておけ。さぁ、君も来い」

「私もですか!? 面接もなにもしてないんですけど……」

「採用か不採用か、それをこれからテストする」


 キッパリと告げてくる男になにをするかまったく聞いていないだが……という言葉が喉まで出かかったがジュリアは堪えた。


 わざわざここまで来たのだから、今さら辞めるなんて言えない。

 心配することはない。もしマズい仕事なら、そこで断って別の道を探せばいい話。

 それくらいは自分一人でもできるはずだ。

 そう言い聞かせ、ジュリアはクロスラインの助手席に飛び乗る。


「それでこれから一体どこに向かうんですか? えっと……」

「ベックだ。ベック・オーウェル」


 そっとベックから差し出された手を握りかえす。

 その手は戦士のようにゴツゴツとしていながら、どこか労わるような優しさがあった。

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