arrival-C₃ 楽園の守り人

雪車町地蔵

前日譚 闇夜の鴉

1

 闇夜の廃屋の中、二条の閃光が交錯し、火花が散った。

 散った火花が瞬間的に闇を照らし、二人の人物を浮かび上がらせる。

 一人は白い仮面を被った黒衣の男、その手には緋色に染まる日本刀が握られている。

 もう一人は狂喜の笑みをたたえる少女。

 スコップ状の凶器――山菜刀〝功刀くぬぎ〟を翻し、踊るようにステップを踏む彼女は、名を姫禾ひめのぎ希沙姫きさきと云った。

 姫禾希沙姫は一般的に言う殺人鬼である。

 彼女は自らが住まう都市――真火炉まほろ町において、既に16人もの人間を殺していた。

 老若男女、一切の区別なく、希沙姫は人を殺す。

 理由はある。

 あるのだがその異常性を常人は理解できないし、また彼女自身上手く理解できていない。ただ「殺したいから」殺すのである。

 いま希沙姫が相対している男もまた、そうであった。

 どのようにして〝彼〟と、希沙姫が出会ったかは重要ではなかった。

 重要だったのは希沙姫に彼に対する殺意があり――そして彼にもまた殺意があったという事だった。

 少なくとも、姫禾希沙姫はそう信じて疑わなかった。


「――きひ」


 また一閃を交える。

 リーチの差で、希沙姫は圧倒的に不利であった。山菜刀は、どうあがいても目一杯手の平を開いた程度の刃渡りしかない。対する白面の男の刃は希沙姫の身の丈ほどもある。それでも彼女の口元から喜色に塗れた笑い声が零れるのは、その口元が半月のように吊り上るのをとめられないのは、いま希沙姫が、これまでに感じたことがない特異な感情に支配されているからだった。


「きひひ」


 少女は笑う。

 愉しくって仕方がないというように狂って笑う。

 刃に狂い、戦いに狂い――沸騰する己が血に狂う。

 絶望的なリーチの差。

 中距離にまで対応する対敵の刃。

 希沙姫の刃は超至近距離での戦闘に特化している。山菜刀という分厚く重たい刃を突き立てるためには、相手の懐深く飛び込む必要がある。

 〝功刀〟を逆手に構え、彼女は疾走する。

 頭上から唐竹割りの刃が降る――刃を斜めに掲げ、受け流す。細腕が圧し折れそうなほどの衝撃を、功刀がを発現、無理矢理に骨格を強化ししのがせる。

 まず一歩分の距離が縮まる。

 さらに一歩踏み込む――ツバメ返しの要領で、日本刀が下方から翻る――常人ならば即死しかねない速度の刃を一歩踏み込み身体を半回転させることで強引に無力化させる。

 しかし、それでもまだ、彼女の間合いには足りず、そして仮面の男の追撃は揺るがない。


「きひひひ!」


 柄打ち。

 完全に振り抜かれていたはずの日本刀が、その柄を以て彼女のこめかみを打ち抜こうと迫ったのだ。

 視界の外から繰り出されるその一撃。だが再び発現した功刀の呪いが彼女に超反射を促す。首を関節がねじ切れるほど曲げ、更に足を脱力し、スリップするようにその場に倒れ込むことで回避せしめる。

 左手を地面に叩きつけ、間髪入れず間合いを詰める。

 最後の一歩は、遂に彼女の距離へ。

 山菜刀〝功刀〟が鈍く闇の中で光る。

 右フックを放つような恰好で男の左の頸動脈を狙う――避けられる――功刀は両刃、打ち下ろしの刃が男の右の頸動脈へと肉薄、いつの間にか回転し切っていた日本刀の柄尻に弾かれる。

 緋色の刃の横薙ぎを、希沙姫は大きく飛退とびのいてかわす。

 仕切り直し。彼女にとって、またも不利な時間がやってくる。

 気が付けば、頬から流れ出る血液。

 一体いつ切られたのか、希沙姫には解らない。

 だがその血を舐めとり、彼女はやはり笑う。

 愉しさ故に。

 喜悦故に。

 絶えずじりじりと動きながら、構えを解くことなく、希沙姫は眼前の男へと言葉を投げた。


「――ねぇ」


 続くそれが、彼女が今宵、【殺しい】が始まって発した初めての意味ある言葉だった。


「あなた、名前はなんていうんすか?」


 男は。

 鴉のような髪色に、夜色の外套を身に纏う白い仮面の男は、


「――鴉樫あがし清十郎せいじゅうろう


 死者が冥府の底から呟くような陰々滅滅とした声で、そう答えを返した。そうして開いた左手を前に突きだし、緋色の日本刀を肩口に構える。

 木の葉隠し――一種の必殺剣であった。


「きひひひ――たのしいっすねぇ!」

「…………」


 姫禾希沙姫は笑って、そしてまた、間合いを詰めるために飛び出した。男は無言で、だが返礼とばかりに彼もまた奔る。


 これが、姫禾希沙姫と鴉樫清十郎が出会った始まりの夜。

 後に世界を揺るがす物語の、語られることも無い筈だった前日譚だった。

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