5 別離
走る、駆ける、跳ぶ、馳せる、進む、突破する――
「不死人だ!」
「取り囲め、決して逃がすな!」
廃墟の街角から、路地裏から、続々と追手が現れる。ザンの剣は一人斬り伏せた時点で呆気無く砕け散ったが、相手が持っていた剣を奪ってライゴウは後続を迎え撃った。
斬りつける。受け流す。斬り捨てる。突き進む。防ぐ。蹴りを入れる。斬り倒す。
無数の剣戟、飛び散る鮮血。勝手知ったる街だ、地の利は彼にあった。待ち伏せを回避し、数の優位を殺し、縦横無尽に刃を振るいただひたすらに時を稼ぐ。
命を巡る刹那の駆け引き。無数の死を積み重ね、しかし追撃は止まらない。死に対する恐怖が彼らは鈍い。便利な呪文一つでいくらでも蘇ることができるからだ。
こうも容易に死が覆る……まったく、ふざけた時代になったものだ!
(……なぜだ?)
不意に疑問が胸に湧く。どうして自分は、こんなことをしているのだろう?
死ぬことだけ考えた二百年。そのためだけに続けた長い旅。不死の秘密を解明すべく、彼らに身を委ねるも一つの手。そんな自分の言葉を、思惑を、自身の行いが阻んでいる。
死にたいのではなかったのか――今でも死を望んでいる。
自身に死をもたらす者を選り好みしたいのか――別に誰でも構わない。
ならば、早々に彼らに囚われてしまっても――それは受け入れられない。
少しでも長く我が身に追手を引きつける。義務か責任か、それとも他の何かかは分からないが、そう望んでいる。そんな熱量がまだ自分の中に残っていたことが意外だった。
敵、敵、敵……見渡す限りが全て敵。森羅と万象を相手に回し、我頼るは剣一つ。
(昔……ずっと昔にも、こんなことが……)
不意に郷愁めいた想いが浮かび――それを踏みにじるが如く新たな騎士が歩み寄る。
長身のライゴウより、さらに頭一つ分は背の高い巨躯である。鮮やかな緋色の首巻き、翡翠のように輝く全身鎧。兜から伸びた一角は、伝説の悪神を意匠したものだろうか? 昨夜戦ったインダラという国の騎士たちに、似ているといえば似ている。
手には長大な穂先の槍……いや、異様に柄の長い大剣か? 一見無造作に見えて足運びに揺らぎが無い。その巨躯を活かして一気に間合を詰め、片手で轟然と得物を振るった。
「ぬうっ!」
咄嗟に飛び退く――間一髪で回避! 尋常でなく鋭い一撃。あれほど重量のある武器をここまでの速さで振り回せるということは、とんでもない怪力の持ち主ということだ。
さりとて、この騎士の相手だけしていればいいわけでもない。矢が降り注ぎ、雨あられと魔法が放たれ、新手の騎士が迫る。舌打ちしてその場を離脱、裏路地に敵を誘い込む。
ここなら一度に襲って来られる人数は限られる。飛び道具で狙うにしても死角が多い。
早速突撃してきた騎士が二人。迎え撃とうと構え……猛烈な悪寒を感じて半歩退く。
「……っ!?」
二人の騎士のさらに後ろから、翡翠の騎士がライゴウ目掛けて得物を振るった。それは鎧を着た騎士二人を両断し、のみならず路地に面した建物の外壁をも易々と切り裂いた。
危ういところで避けることはできたが――鎧を着た騎士二人と左右の石壁を丸ごと薙ぎ払う膂力、それを為す精神、どちらも常軌を逸している!
「当代の豪傑というわけか!」
崩れた壁を通って建物の中へ。翡翠の騎士がそれを追う。振り向き様、内壁を切り裂きながら渾身の横薙ぎを胴へ……得物を翻して防がれるが、しかしこの場合はそれでいい。
防御のため一瞬足を止めた翡翠の騎士の脇を駆け抜けつつ、ふくらはぎを踏みつける。膝をつく翡翠の騎士を尻目にライゴウが外に出ると同時、建物が音を立てて崩れ落ちた。
先ほどの横薙ぎは、建物を倒壊させることを狙ったものである。翡翠の騎士に攻撃したのはその意図を悟らせないことに加え、防御させることで足止めする目的からだった。
(瓦礫の下敷きだ、生きていたとしても動くことはできまい。これで厄介な敵は……!?)
背後から轟音。瓦礫を跳ね除けて、翡翠の騎士が起き上がっていた。
さすがに唖然としたその瞬間、超重の得物が振り下ろされる。咄嗟に受け流す――気付いた相手が強引に剣筋を変える。刃と刃とが噛み合い、今度は自分が足止めさせられた。
四方から殺気が迫る。このままでは狙われ放題だ。この難敵を優先して倒すしかない。
全力で相手をする、一瞬で切り伏せる――翡翠の騎士に全ての意識を向けたその瞬間、ライゴウは自分へと向けられた複数の殺気の一つが急に大きくなったのを感じた。
硬くて尖った何かが胸を貫く。一瞬遅れて破裂音。心臓を破壊され、大量の血を失い、体から力が抜けて崩れ落ちる。前に立つ翡翠の騎士が、何故にかその場を退いた。
致命傷だろうがすぐに治る――しかしそれを黙って眺めているほど相手も甘くはない。騎士たちが殺到し、ライゴウの体に刃を突き立て大地に縫い付け、縄で鎖で縛りあげる。
苦痛と失血で朦朧とする中、ライゴウは己を貫いたものの正体に思いを馳せた。
(殺意は感じた、気配は無かった。飛び道具か? 矢……ではない、もっと小さな礫だ)
しかし、人の胸板を貫く威力の礫など存在するのか? 存在するのだとしたら、それは二百年前には無かった力だ。自分が産まれ、人として真っ当に生きた時代には。
時は十分に稼げたのだろうか。あの二人は無事に逃げおおせることができただろうか。そんな思考を最後に、ライゴウの意識は闇に落ちた。
○ ○ ○
意識を取り戻す。赤髪の女騎士が、キリィに背を向けて座っていた。
「トドメが欲しいか、性悪女」
「……もしかして、そんなことを聞くために残っていたの?」
「まぁ、情けだ。なんだかんだで知らん仲というわけでもないからな」
日没まであと少し……といったところか。もっともそれまで自分はもたないだろうが。
「まさかお前みたいな小娘にやられるなんて……知らない内に衰えたものね」
「おう、眠れ眠れ。お主のような軟弱者は、生きておっても残念な気分になるだけよ」
共に満身創痍でありながら、一方は生気に満ち溢れ、一方はこうして死に瀕している。これが生きるということに対する意欲の差なのだろうかと、吸血鬼はふと考えた。
「……あの人を追うの、アルメルティの犬」
「聞くまでも無かろう。今の陛下がそのようにお望みだ」
「憐憫は感じないの? 引け目は、同情は。お前も彼の事情は知っているでしょう?」
「それはそれ、これはこれだ。某は託された命を果たすのみ」
体力の回復を待っていたか、それとも言うべきは言ったと判断したか、女騎士が静かに立ち上がって歩き出す。去り行くその背に、吸血鬼は最期の問いを投げかけた。
「ねぇ……彼は、救われると思う?」
女騎士が足を止める。振り返ることなく、少し考える素振りをして、言う。
「……聖女殿、あれは間違いなくライゴウに惹かれておるな」
愉快で堪らないとばかり、その頬が緩む。
「ひょっとするとそういうこともあるのかもしれんぞ。とはいえユートム教団の神官は、清らかな身であることも条件の一つ。聖女殿が身の振り方をどうするのかは見物だな」
返事は無い。吸血鬼の体から漂う死臭が、嗅ぎ取れなくなっていることを確かめる。
復活の呪文は人間専用。死霊である吸血鬼を引き合いにしていうのも妙な話だが、それ以外の生き物は蘇らせることができない……妙な付き合いだったが、これまでだ。
「さらばだ吸血鬼。お主に代わり、事の顛末は某が見届けてやろう」
あとにはただ、静寂だけが残された。
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