2 港町


 グース大陸の南西に位置する南部半島は、世界最大の半島である。南へと突き出た後、今度は東に向かって広がっていき、さらに枝分かれして複数の半島を形作るという、なかなか奇抜な地形をしている。


 海上交易が盛んな地域であり、複数の海路が交差する地には決まって大きな港がある。海運都市クアンプールはその代名詞のような存在だった。

 フィルウィーズと同様の都市国家で、白の魔王の時代以降に興った小国家である。とはいえ南部半島東部に位置する小国家群の盟主的な立場にあり、アルメルティやかつてのズの国とも長年に渡って丁々発止の外交を繰り広げている。


 純白の壁にカラフルな色の屋根という組み合わせの建物が多く、都市の雰囲気は非常に明るい。港には何十もの帆船が錨を下ろし、市場には近海の魚や遠方から輸送された珍品が山と並ぶ。一方で荒くれの船乗りを相手にする店が多いため、治安はよろしくない。


 人の出入りの激しさから、ここを潜伏先に選ぶ犯罪者も多く――実際にとある大国から身柄を狙われる青年とその一行が、この活力と享楽の都市に逃げ込んでいたのだった。




   ○   ○   ○




「ライゴウ様、おはようございます。ご気分はいかがですか?」


 ノックして部屋に入り笑顔で問う。ベッドに座り込んでいた青年が小さくごちた。


「良くもないが悪くもない。まさか、病人にさせられるとは思わなかった」

「も、申し訳ありません……どうかもうしばらく辛抱なさってください」


 謝罪する。何やら見詰められていることにそこで気がつき、慈乃は首を傾げた。


「……どうかされましたか?」

「いや、別に。ただ珍しい格好をしていると思ってな」

「ああ、これですか? 神子装束のままではユートムの使徒だとすぐに見破られてしまうので、変装してみたのです。港で働く船乗り見習いに見えますでしょうか?」


 言ってクルリと回ってみせる。上は半袖の水夫服、下は膝丈のズボンという涼しげな姿で、長髪は頭の後ろで束ねて水夫帽を乗せている。動きやすくて、悪くない。


「せいぜい船乗りゴッコしてるガキってとこだな。御嬢にしちゃ悪くない知恵だけどよ」


 見知った顔が窓からぬっと現れる。ここは二階なのだが、この男には関係無いらしい。


「変装すんなら、これくらいはがんばれよ。別人に見えるだろ?」

「そうですね、確かに初めてお会いした時とは印象がまるで違います……というより」


 ヒゲを剃り、簡素なシャツとズボンという格好をしているザンを繁々と見る。


「正直もっと年配の方だと思っていました」

「なんだよ、悪いかよ。オレはこれでも十七だぞ」


 憮然とした様子で答えてくる。ヒゲで人相が隠れていたのでまったく分からなかった。


「ちっと調べてみたんだがな。アルメルティの連中、諦める気配がまるでねェぞ」


 ザンが紙の束を差し出す。ライゴウの名と似顔絵が描かれたアルメルティ発行の手配書だ。王都の城と国境の砦で多くの兵士を殺害したと罪状の部分には書いてある。


「今じゃあっちこっちの宿や酒場にコイツが貼ってある。クアンプールにまで手を回してくるとはご苦労なこった。晴れて金貨三百枚の世界的賞金首だ、良かったなライゴウ」

「どこをどう解釈すればその言葉に繋がるのですか……そもそもここに書かれている罪状は、全てあなたの成した悪行ではありませんか。少しは己を省みなさい」

「オレに指図すんじゃねェ。ンなことより、これからどうするよ?」


 市場の土産だろうか、手にしていた珍しい果実を慈乃とライゴウに投げて渡してザンが尋ねてくる。自身も一つ平らげると、懐からさらに一つ取り出して頬張り始めた。


 アルメルティの王都から脱出した後、慈乃たちは東の国境を目指して逃げ続けた。


 しかし相手は五大国の一つで、魔法王国の名で知られる国である。その魔法を利用した情報網は一夜にしてライゴウの存在を国中に伝え、どこに逃げても追手が現れた。

 追い立てられるまま逃げ回り、次第に南へ南へと進路を変更。南東の国境を越えて南部半島に渡り、クアンプールに潜伏して今後の方針を検討することになったのだが。


「……どうすれば良いのでしょうか?」


 不死人――ライゴウの存在は世界に混乱を招く。今のラトリウムが正しい姿なのかどうかは慈乃には分からないが、だからといってみだりに乱していいものでもないはずだ。

 これ以上の混乱は避けなければならない。それはいいとして、しかしどうすればいいのかは分からない。どこかのジングウに保護を求めたところで、“不死人がそこにいる”と分かれば、アルメルティほどの大国なら必ず何かしらの行動を起こしてくる。


 実際、アルメルティ国内を逃げ回っていた時にそういうことがあったのだ。兵士がジングウに押し掛け、ザンが狂喜しながらそれを切り刻み、結局は逃げ出すしかなくなった。

 他国にいるとはいえ油断はできない。正規の兵士を動かすことはできずとも、人を雇うなり外交的な働きかけでこの国を動かしたりと、いろいろと方法はある。


 加えて、ライゴウは死を望んでいる。他に優先すべき事柄があるとはいえ、それを無視することも慈乃にはできない。さらに黒渦の存在も忘れてはならないところだ。


 最後に、もう一点。


「うぐっ」


 不意に手足に痺れを覚えその場に倒れる。食べかけの果実が床の上をコロコロ転がる。見ればライゴウも同様にベッドに伏し、ザンが嬉々として彼に躍りかかっていた。


「引っかかったなああ!? 死ね死ね殺す死ね殺す殺す死ね殺す死ね死ね死ねぇえええ!」


 肉が潰れる骨が砕ける鮮血が舞う。痺れ薬を盛られたらしい。ザンの食べかけの果実が落ちているのに気付き、懸命に手を伸ばしてそれを掴んだ。


「ぐげっ! ぐげ、げげげげげげげげげげげげげげ!」


 顎も思うように動かず、必死に果汁を舐め取る。この中には解毒薬が仕込んであるはずだ。予想通りに慈乃の手足から痺れが抜けてきた頃、ザンはようやく動きを止めた。


 困難な仕事を成し遂げたかのような、実に爽やかな笑顔を浮かべて汗を拭う。


「やった! さすがにこれ絶対に死んだ! 仕留めた! ライゴウを殺したぞ!」

「……そう簡単に死ねれば苦労はせん」


 惨殺体が蠢き、穴だらけの衣服だけはそのままに、ライゴウが事も無く復活する。喜悦に酔い痴れていたザンの顔が、苛立ちと屈辱に歪んでいった。


「なんで死なねェんだよ! 死ねよ! オレがお前を殺せばスッキリ片付くだろうが!?」

「あなたなりの矜持もあるのかもしれませんが、いいかげん諦めては如何ですか? そもそも、その程度でライゴウ様が死ぬのであれば、このような騒ぎにはなっていません」


 諭すように告げるが、ザンは耳を貸す気は無いようだった。とりあえずあの男が渡してきたものには今後二度と口をつけないようにしようと心に決める。


 このザンという少年、殺戮に愉悦を感じるという傍迷惑な嗜好の持ち主であり、しかも他者を殺傷することに関して天賦の才に恵まれている。組み合わさってはならない資質と才能を兼ね備えている上に、どうやらそれを抑えるつもりがさらさら無いらしい。

 殺意のままに生命を奪い、一度暴れ出せば数十人単位で人を殺す。余程悔しかったのか今はどうやってライゴウを殺すかで頭がいっぱいのようだが、放置できる相手では無い。


 といって今の慈乃にはザンを力で押さえることは難しく、せいぜい目の届く距離で目を光らせて、彼が人を殺すのをその都度やめさせるくらいしか打つ手が無い。

 ライゴウのこととは別に、このザンという奇怪な少年をどう扱えばいいのかも、慈乃にとって頭の痛い問題なのだった。






『お忍び旅行中、病に倒れた某国貴族の三男坊。看病はこちらで行います』


 以上が“病人ライゴウ”の筋書きである。とにかく今後の方針が決まるまで彼には極力人目を避けてもらうしかないが、ずっと宿に籠らせるのもそれはそれで耳目を集める。

 そこで急病を患ったことにして、宿の離れを借りたのである。主人は気のいい人物で、『他の従者が報告と治療費の用意に帰国したため、一人だけ残った付き添い』である慈乃にも親身にしてくれている。路銀稼ぎや情報収集にも集中できるというものだ。


 船乗りの多くが買い求めるために海難避けの護符が人気だと聞いて、それを作る仕事を引き受け――できあがったものを納める時、慈乃はライゴウを連れて宿を出た。


「何を考えている。俺は賞金首の立場だぞ」

「実は、宿の方が悩んでいらっしゃるようなのです。部屋から出られないほど重病なら、いつまでもここで寝かせていていいものか、と。ある程度快復しているように思っていただいた方が良いかと考えました。追手の方は……少しくらいなら大丈夫ですよ、きっと」


 ちなみにザンは港で荷物運びなどの力仕事をしており、寝泊まりもそちらでしている。手っ取り早く商店を襲おうと主張していたのだが、それは断固としてやめさせた。


 護符を卸してその代金を受け取り、ついでに食事を済ませようと市場へ向かう。料理屋を覗くと、慈乃とライゴウを見た店主がニコニコと話しかけてきた。


「おお、かわいらしい水夫さんじゃないか。そっちのお兄さんと逢引きの最中かい?」

「あ、逢引き……? 違います、私とこの方はそのような関係では」


 慌てて否定する。気を悪くさせてはいないかと、背後のライゴウをチラリと見やった。


 フードを目深に被って顔を隠し、その表情は分からない。この店主にそう見えたということは、この場にいる他の者の中にも同様に考えているものがいるのだろうか。

 逢引き。男と女。自分たちが、そんな風に見えて――


「…………?」


 不意に鼓動が高鳴る。胸の奥が弾む。甘く心地良い夢想。これはいったいなんだろう?


 港の外れで木箱に腰掛け、行き来する船を眺めながら、パンに肉や野菜を挟んだ料理を口に運ぶ。南国の海は陽光を浴びて煌びやかに輝き、爽やかな潮風が一時の涼を運んだ。


「……一つ、尋ねても構わんか」


 不意に尋ねられる。ライゴウの口調に、今までに無い何かの気配を感じた。


「俺を狙うあの男がそうするのはともかくとして、お前はどうして俺に同行する? 状況は悪くなる一方、これ以上はお前もただではすまん……それくらいは分かるだろう」

「あなたを野に放てば世界は混乱する、神官長はそう仰せられました。そしてそれは今、現実のものとなりつつあります。ユートムの使徒として、放っておくことはできません」


「……信仰というものが、時に道理を超えることは俺も知っている。だが、お前の場合はそうは聞こえん。別にある本心を隠すためにその理屈を用いているのではないか」


「……私が同行するのは、ご迷惑ですか?」


「そうではないが……不死人となって以来、俺は死ぬことだけを求めて生きてきた。その俺にここまで深く関わろうとしたのはお前が初めてなのでな。それが不思議だった」


 自嘲か、自虐か、寂しげな物言いだった。それでもライゴウとこうやって話をしていることが嬉しくて、慈乃は自分からも彼に問いを投げかけた。


「ライゴウ様。あの黒渦という怪物、冥界の魔物と仰っていましたが……もう少し詳しく教えてはいただけませんか? もしかして、何か因縁のある相手なのでは……」

「ああ。冥界に踏み込んだ俺を打ち負かし、冥王の前に突き出したのがアイツだ」


 あっさりと言う。予想していなかった回答だった。


「では、その……いわゆる宿敵といったような御関係なのですか?」

「そんな高尚な間柄ではない。黒渦は不死という罰を受けた俺が、苦しんでいることを見届けるための獄卒だ。アイツなら俺を殺せるのではないかと期待したこともあったがな」


「……いずれあの魔物と戦うことも考えねばなりませんね。剣や槍では難しいと思いますが、浄言はいくらか効果があったようです。何か策を講じておきましょう」


 話題が途切れる。他に何か話の種は無いかと思案して、好奇心のままに口を開いた。


「冥王というのは、どのようなお方だったのですか?」

「……思い出したくない。それほど恐ろしい怪物だった。この体になってから、もう一度冥界に行くことも考えたが、そうしなかった理由の半分はヤツが恐ろしかったからだ」


「それほどまでの……理由のもう半分は?」

「入口が消えていた。まぁ、冥界の者たちが塞いだということなのだろうな」


 珍しく会話が弾む。軽い気持ちで、慈乃はふと胸に湧いたその質問を口にしていた。


「ところで、そもそもどうして冥界に行こうとなさったのですか?」


 ライゴウの動きが止まる。彼の周囲の空気が一変する。

 何か良くないことをしてしまったのだと気づいて、ライゴウの顔を見やる。凍りついた表情の裏に、痛みと苦しみと、後悔と悲しみと、そして絶望が渦巻いていた。


「……生きている者が死者の世を訪れる理由など、一つしかないだろう」


 絞り出すように言葉を吐く。聞いている方が辛くなるような声。


(ということは、ライゴウ様は死んだ誰かに会うために……)


 もしかして――


「……ユキナ=エウクレイデス」


 そう呟いた瞬間、ライゴウが慈乃を見た。出会って初めて、慈乃を見た。ここではないどこかではなく、今ここにいる慈乃を、力の限りに凝視した。


「どこでその名を知った」


 こんな目をしている彼を始めて見た。真摯で真剣で、熱意とも怒りともつかぬ強い光を帯びた目だった。今まで一度だって、自分をあんな目で見てくれたことはなかった。


「答えろ。どこでその名を知った」


 彼にあんな目をさせた人を想う。名を出すだけで、彼をああまで動揺させた人を想う。どうしてそれは自分ではないのだろう。どうして彼は、その人をそこまで想うのだろう。


「…………」


 どうして――


「……なぜ泣いている」


「え?」


 ライゴウに指摘されてようやく、己が涙を流していることを知る。慌ててそれを拭い、再び顔を上げた時にはもう、ライゴウの目はいつも通りに彼方へと向けられていた。


「……すまん」


 どう答えればいいか分からず、沈黙する。胸の中に苦い何かだけが残っていた。

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