第一章 殺してくれと貴方は言った

1 復活の呪文


 グース大陸西部に位置するティエンティ山が火を噴いたのは、二百年ぶりのことであるらしい。

 噴煙が陽光を遮り、穢された大気が木々を蝕む。焼けた大岩が降り注ぎ、灼熱の疾風が山肌を焦がし、溢れた溶岩が地を炙る。麓の町はほとんど壊滅状態だという話だった。


 それから一月ほど経ち、食の街として知られるこのフィルウィーズに、火の山の災禍で家族や友人を失った人々が連日大挙して押し寄せるようになっていた。


 目指すはユートムの使徒が集うジングウ。目的は当然、である。






わがまえのゆうとむよ

 ひよつきよゆめようつつよ

 とわなるせつなる

 よろずをなすちょうじんよ

 畏々かしこみかしこみもうしそうろう


 儀式の間に響く涼やかな声。詠うは年の頃十代半ばと思しき一人の少女。


 雪白の肌。円らな瞳。淡く咲く花のような唇……息を飲むばかりに整った容貌の持ち主である。腰に届くまで伸ばされた銀髪は襟足で二つにまとめられ、それぞれが輪を成す形に結わえられている。


 膨らみかけた愛らしい胸元で揺れる、シンプルな木製の聖具。今まさに花開こうという息吹を宿したその華奢な体躯を包むは、真珠色の衣と袴――ユートム教団の神子みこ装束。


 その清廉な佇まいは冒し難い気品に溢れ、美しいというより神々しい。年齢相応の幼さの中に、類稀な美貌と聖職者としての優れた資質の片鱗を覗かせた……そんな少女だ。


われうれうはもうじゃのなげき

 われこばむはしせるつらなり

 われもとめるはゆきさるたましい

 われみちびくはおのれとうつしみ

 われうたうはいのちのよろこび


 そんな少女の眼前、精緻に描かれた浄文陣じょうもんじんの中央に、炭化した死体が安置されていた。

 高熱に晒された体は窮屈そうに縮こまり、顔は目鼻すら判別できないほどに焼き潰れている。厳然たる“死”をこれ以上無く訴えるような、凄惨な亡骸である。


めいかいのもんのはざまより

 はかなきみたまよめぐりてかえれ

 あまつちのことわりをこえて

 かみなるいりょくをあらわしたもう

 しんにしんにねがいたてまつる


 浄言じょうごんに合わせ、浄文陣の周囲で光が踊る。跳ね回り、渦を描き、思うまま乱舞していた無数のそれが、少女の眼前に倒れた焼死体へと注がれていく。


 ややあって、それが一際眩い光を放ち……閃光が収まった時、そこには傷一つ無い一人の男が横たわっていた。

 目を瞬かせ、ゆっくりと身を起こし、確かめるように己の体に触れながらキョロキョロと辺りを見回す。待機していた男の家族が、彼にワッと飛びついていった。


「お父さん! お父さーんっ!」

「良かった。順番待ちが長かったから、生き返らなかったらどうしようかと」

「聖女様! ありがとうございます、ありがとうございます……!」


 感動の再会をしばし見守り、感謝の言葉に微笑で応じる。ややあって彼らが儀式の間を去るのを見届けて、少女――東雲しののめ慈乃じのは傍らの神官に声をかけた。


「続けましょう。次に待っている方を呼んでください」






 世界ラトリウム最大の偉人、命の守護者、冥界踏破、ユートムの大きな欠片かけら……今もなお様々な呼び名で讃えられる聖者クオンが『復活の呪文』を完成させたのは、今から百年ほど前のことである。


 それは、まったく、完璧な術だった。修得に並みならぬ修練を要するとはいえ、これといった対価も代償も無く、完全な形で死者が蘇るのである。

 自身もユートムの使徒であったクオンは、復活の呪文を教団の秘術とし、弟子を育てて世に送り出した。人々は驚愕し、国家は震撼し、王は困惑し、賢者は動揺し、世界は混乱した。だが、それも『死人が蘇る』という真の奇跡の前には大した意味を為さなかった。


 いくつかの騒動と大きな波乱を経て、結局人々はこの奇跡を大喜びで受け入れた。世界はその在り方を文字通りに一変させ、暗殺者は職を失った。

 戦争で兵士が死ねば、ユートムの使徒たちが蘇生させる。病で民が倒れれば、ユートムの使徒たちが生き返らせる。災害で街が滅びれば、ユートムの使徒たちが復活させる。


 かくして、人は死を克服した。

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