最果ての国で、僕、私。
お
プロローグ
プロローグ
最果てたる荒城に、暗雲漂う空の切れ目から、月光が差し込んでいた。
艶やかに入り込む明媚な光は、まるで。天使の梯子のよう。
しつしつと、降り注ぐ真っ白な雪は、穢れを知らぬ白銀の世界へと誘う。
口から漏れる吐息は、白く染まっては空の彼方へ消えてゆく。
この手を伸ばしても、届くことのない。知らないどこかへ。
背後から、白く染まった吐息が微かに視界へ入った。
紺碧色の可憐なドレスを着こなった少女。
まだ、幼く。けれど、青い瞳は全てを見透かしてるかのよう。
白銀の世界は、彼女をお膳立てするために施された舞台。
僕には、そう思えた。
そんな、あり得ぬことを脳に巡らせながら、彼女へ振り向く。
「さぞ、寒いでしょうが、もう少しの辛抱です、我慢しててくださいね」
と、笑顔を見せ、手を差し伸べた。
「なにをしているの?」
と、首を傾げて問われる。
「寒いので、微小な力ではございますが、温まってくれるかと」
「馬鹿なのかしら、これぐらいでは、温まることはできないわ」
そう、微笑を見せるが僕の手を握り、無邪気な声で、
「早く行きましょ」
と、呟いた。
彼女は一国の王女。
ゼフィランサス・ロゼッタ。
もう、一国と表すのは間違えなのかも知れない。
滅び、死に絶え、人々の歴史が目に見える形とだけになった国。
併合と言う名の、殺戮に見舞われた国。
僕は、この国が赤く染まった日を鮮明に覚えている。
体から、溢れ出す血液。下半身が消し飛び、腸をぐしょりと撒き散らる青年。街が焼け、人が焼け、思い出が灰になり、喜びも悲しみも、全てが何処へ旅立ってしまった日。
あの日は雪が降っていただろうか。
紅に染まる、死滅の世界を覆い隠すかの如く。
この世界は残酷だった。
嘆き悲しむ懇願さえも、忘れ去れら、忘却の彼方へ歩ませるにだから。
忘れられた記憶の断片は明滅を繰り返しては姿をくらませる。
それは、忘れてほしいと願わんとばかりに。
けれど、忘れようとするから、忘れられないのだ。
記憶が僕の脳をかきむしるか如く、輪廻を繰り返す。
なのに、悲しみも喜びも思い出せぬのだ。
清澄な、透明な壁に隔てられるかのようで。
感情が、言葉や文字系列として思い出されると言うのに、この手では掴むことのできない、実像を持たぬような気がして、僕の積み重ねた歴史が嘘のように感じるのだ。
誰かの書いた物語のようで、
見知らぬ傍観者に視聴される劇のようで。
それなのに、喜劇なのか悲劇なのかも分からず。
人形劇のような歪な踊りを見せては、魅力する哀れな操り人形のよう。
そんな、理由を持たぬ空虚な想像を膨らませていても、時間は過ぎ去ってゆく。
一歩、二歩、三歩。足を歩ませては雪の世界に足跡を残す。
それは、ここに僕らがいると証明するたった一つの手段なのかも知れない。
それでも、この世界は冷徹で。足跡は降っては積もる雪に上書きされる。
君たちはここで朽ちる運命だと。
そう、銘じるかの如く。
「そろそろね」
と、ゼフィランサスは言う。
溶けていなくなってしまいそうな、脆い世界に、たくさんの十字架が列をなしているのが見えた。
木材を二枚組み合わせた陳腐な十字架。
何人もの骸がいて、
何人もの骸がいない。
僕の記憶に爪痕を残した、彼らの存在は、偽りだったのかも知れない。
僕はいつか死ぬ。
死んで、骸になって、埋葬され。忘れられる。
僕がいた。そのことさえ、余りにも曖昧で。皆の記憶から消えてしまえば、僕は居なかったことと変わりないのだ。
物質として、この世にあり続ける十字架は、死にゆく者の儚い遺書なのかも知れない。
僕は、この世界にいたと。
忘れないでおくれよ、と。
そう、暗示するための遺書。
僕は、涙をぐっと堪える。
涙など溢れぬというのに。
いつしか、感情が分からなくなった。
感情を殺し続けたから、僕が僕でなくなってしまいそうだから。
悲しいから、涙をこぼし、
嬉しいから、笑顔を見せ、
泣いては笑う、恨んでは憎む。
僕には雲を掴むようなこと。
怖くて、恐ろしくて。誰かの為にと見捨てた仲間を思えば、僕に泣く資格はなかった。
見当たらなかった。
過去を追憶しても、未来を夢想し続けていても。
地面を見ても、空を見上げても、何一つないんだ。
名の知れぬ騎士が永眠する、十字架を通り過ぎる。
「アレク、しさしぶりね。ここに来るのは」
と、ゼフィランサスは言う。
「そうですね、王女さま」
「お母さんも、お父さん元気にしてるかな」
と、ゼフィランサスは無理して笑った。
今にも、泣き崩れてしまいそうな、彼女。
彼女を見つめ、言葉が喉を詰まらせる。
僕には、励ます言葉が見当たらなかった。
だから、道化師を演じるのだ。
それは、嘘まみれで、何一つ彼女のことを理解していない、証しだった。
「元気にしてますよ、僕たちを見守ってくれています」
「それなら、いいね。」
と、言うとともに握っていた手をひらりと離す、両親が眠る墓へ、 彼女は急いだ。
金色の髪が、風に攫われるかのように靡く。
荒くなる呼吸が白く、雪に同化するのが見えた。
ゼフィランサスが、雪の世界に消えてしまいそうで、融けてしまいそうで、僕は小さな背中を追いかけた。
「危ないですよ、王女さま!」
そう、忠告をするが、聞く耳を持たず、
「大丈夫よ、これぐらい」
と、ゼフィランサスは答える。
けれど、雪に埋もれた石に躓いたようで、頭から倒れこむ。
僕は、ゼフィランサスに駆け寄り、
「大丈夫ですか?」
と、ため息と共に手を差し伸ばす。
「また、私を温める手段がそれなの?」
と、悪気が無さそうに尋ねてくる。
「転んでる人に手を差しのばしているだけです」
「普通なら、そうよね」
ゼフィランサスは、一つ頷き、手を握る。
僕は、彼女の手を引っ張った。
華奢な体、軽い体重。いとも容易く、持ち上げられそうな彼女。
僕が数多の命を犠牲にし、唯一助けることのできた命。
ゼフィランサスは、乱れた裾を正す。
手を離さぬよう、強く握り締めた。
それは、淡い希望のよう。
そして、僕は彼女に異存している。
孤独が怖いからじゃない。
彼女が好きだからじゃない。
もっと、もっと。不純な理由で、自分勝手な浅はかな理由。
見殺しにした仲間に許してもらいたい。
ただ、それだけなのだ。
誰もいなくなった、二人ぼっちの国に、僕の罪を責める人はいなく。
野放しにされた罪悪感が肥大化し、僕の喉を締め上げる。
ただ、罰がほしいだけ。
枯れ果てた、砂漠の大地で水を求める旅人のようで。
妙に悲しくなるのだ。
心に小さな穴が開いたような。
そこから、隙間風が音を奏で吹き抜けてくような。感覚。
でも、それは。
無音を聞こうとするほどに、無謀で不確かなこと。
視界の中にぽつりと、豪華絢爛な十字架が見えた。
それでも、元国王が眠る墓としては、余りにも味気なく。砂を噛むような雰囲気。
四方八方、十字架が並んでいる。
僕らが一歩前へ歩むと、十字架は凱旋式のように僕らを迎えいれる。
歓喜の声は、ひとつたりとも聞こえてはこないのに。
「お久しぶりぶりです、国王さま」
と、無機質な物質に問いかけた。
言わずもがな、返答はない。
「お父さん、お母さん。私は元気にしてるよ、そっちはどう?」
雪は、せせら笑うか如く、この世界を白くする。
国王が眠る、十字架に。
雪は、無慈悲に積雪する、刹那。
がたりと、物音たてて墓は崩れ去った。
装飾は飛び、木の板は、雪に覆い隠された。「あー、あ。壊れちゃったね」
と、ゼフィランサスは悲哀溢れる、哀しげな声で、溜息を交えながら言う。
「仕方ありません、少し待っててくださいね」
そう、言いながら雪をかき分け、板を探した。
すると、ゼフィランサスは雪に浸かりかけている手首を握り、
「そんなことしたら、手が駄目になっちゃうわ、私を守れるのは貴方だけなのだから。剣を握れるのじゃ貴方だけなのだから。もう、帰りましょう」
と、笑顔を見せ、言った。
作り笑いだとは気づいている。
彼女が、無理をしていることも、強いていることも。
なのに、気付かぬふりをするのだ。
「そうですね、帰りましょう。今日は、身の芯まで温まる夜ごはんにしましょう」
立ち上がり、先導する彼女の背中は、とても小さく、とても、悲しかった。
なのに僕は、涙を流せなかった。
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