時の七鍵≪セプティマ≫ ―― Mephistoの蝶 ――

にーりあ

epilogue あなたに命が戻るなら――

猫耳族の少女は回想する。


強大な闇の力を開放し闇の化身となった主人。彼は計画通り英雄を仕留めた。


彼は世界を闇で覆い尽くし、神の加護から人間を切り離した。


だが――英雄は死と引き換えに、神によって心臓に隠されていた光の玉を解き放った。


光の玉が、一瞬の隙をつき彼の闇の衣を剥ぎ取る。


神々の仕組んだ最後の罠。光の玉は勇者の身を砲身として2015発の光弾を魔王に打ち込んだ。


突き叩き込まれた72億7552万100E/Lエーテルパーローレンツの光エネルギーが、彼を光にする。


その一瞬で、勝敗は覆された。


彼はその余力の大半を配下や亜人種を守る為の対干渉防壁に割いていた。


故に彼は、闇の衣を失った事による防御隔壁の補完に演算力を回す事が出来なかった。


もし彼が、自分達四柱を前面に立て、その身を守る事に徹してくれていたならば――。


猫耳族の少女は思う。


彼の敗北は在り得なかったはずだ、と。


彼にはまだ、奥の手である[這い寄る混沌]が残っていた。ほんの少しだけ、余力さえ残していれば、彼は――。


あっけない程あっさりと消し飛ばされてしまった彼。


彼の心ない呪いにより地の底に秘せられた小さな棲家へと飛ばされてしまった自分たち。


守りたかったのはお互い様だというのに。彼はどうして、わかってくださらなかったのか。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




眠らされていた彼の子らは、一人、またひとりと目を覚ます。


彼らが目を覚ましたそこは、生存に必要な全ての要素を満たした移動要塞。永久機関[シェルター]だった。


一つの「街」となっていた移動要塞。


その中央広場に、彼は残した子らの為に[碑文]を建てていた。


「君達がこの碑文を読んでいる頃には、恐らく俺はこの世にいないだろう――」


彼による[お約束]が、そこには残されていた。


碑文には施設の諸注意や[『命令守って欲しい事』]がつまらないダジャレギャグとともに書かれていたが、どういう訳か誰もが皆、それを見ても彼の事を思い出す事はなかった――いや正しくは、彼の具体的な見た目や人柄について思い出す事を阻害されていた。


それこそが彼の、最後にして最大の――猫耳少女にしてみれば最悪な――いらぬ気遣いであった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



しもべ達はしばらくの時間、そこで平和に暮らしていた。


彼の残した知恵の遊戯、とりわけ彼の残した『ファミ魂』と『クソゲー』、『浪漫画』や『兄芽』は魔物達を魅了した。


猫耳族たる彼女とて例外ではなかった。


だが。どうしてか。


彼女は他の仲間達よりも夢から醒める速度が早かった。


楽しさに夢中となりながらも、心の何処かに穴が開いている様な感覚がいつもあって、溜まっていくせっかくの楽しい夢がその穴からどんどんと漏れて、直ぐに無くなってしまうのだ。


いつしか彼女は考えるようになる。


自分の中にある、拭い去る事の出来ない違和感。


彼女は自己を分析する。そんな気持ちになる心当たりはなく、思い当たることも特にない。


だとするとこれは。なぜ自分だけが日常に飽きてしまっているのか。こんなにも楽しい娯楽が溢れているのに。この飢えるような気持ちのしびれは何なのか。


彼女は惑う。


それから数日後のある日――。


彼女は物語の筋が特定方向に向かう『兄芽』や『怒羅間』や『浪漫画』を見る事で、その感情の再現性が高まるのに気がついた。


彼女の胸を締め付けるその感情を、彼女は彼の残した知恵の遺品を漁る事で、漸く仮説としてまとめ上げることに成功する。


彼女は全てを忘れていたが、だけは覚えていたのだ。


その感情とは彼の残した知恵の書の一説いわく――『愛』と呼ばれる物であった。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 2 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




彼女の中の「引っ掛かり」。具体的に思い出せないそのを深く[愛していた]という記憶。彼女はぐるぐると思考を重ね、堂々巡りを繰り返し、答えを求めて恋愛[怒羅間]の視聴に逃げるという日々を続ける。


だがそれもいよいよストックが尽きると――そもそも彼の遺品の中でもこの種の物は他の物に比べ極端に数が少なかった――彼女は答えに辿り着く事が出来なかった宿題に、漸く向き合う覚悟を決めた。


彼女は、一つの可能性にかけてある決断をする。


「そうだ。外に出よう」


彼女は外へ出る事にした。


それは棲家に住まいし者達にとって犯すべからざる禁忌だ。碑文には[決して外へ出てはならない]という文言が[命令]として書かれている。当然仲間達は反対した。


彼の残した娯楽の溢れるこの街を出て外の世界に出たがるなど正気の沙汰ではない。

頭がオカシイ事で定評のあるガラハドでさえ「お前、熱でもあるのか」と言った程だ。


だが猫耳族の少女は碑文に書かれた末文を指差して、碑文に記されている末文を読む。


【まぁみんな、とにかく自由に楽しく過ごしてほしい――】


そこには確かに、そう書かれていた。


碑文に書かれている文言が遵守すべき命令だとするならば、自分は自由に楽しく過ごすため行かなければならないのだ。ここにいるだけではもう、自分はから。


仲間は皆一様に【外の世界を価値のない不毛な場所】だと思い込んでいるが、自分はそうではない。その違いの理由が気にならないではなかったが、そんなものよりも彼女が欲しかったのは外に出るための理由だ。自分の内から湧き上がる衝動の解消こそが彼女にとっては最優先すべきことだった。


自分は何ら命令を犯してはいない。彼女は仲間にそう告げる。


詭弁なのはわかっている。


けれどももうどうしようもなかった。気持ちが溢れて、これ以上は居ても立っても居られないのだから。楽しく過ごす為に自分はもはや行かざるをえないのだ。


彼の言葉を尊重し、彼女の想いを慮った仲間達は、とうとう彼女を許し、彼女を外の世界へと送り出した。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 3 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




夜の闇に彼女を置いて、動く街は再び地に潜る。


彼女は何もない荒野を、目的も無くあてど無くただただ歩いた。


彼の作った地下を走る楽園には有用な物が沢山あったが、彼女は何一つ持ち出す事無くその身一つで外へ出た。


否。


彼女は一つだけ持ちだしていた。


それはあの場所で大きく育まれた――怒羅間が描いたハッピーエンドのような――胸の中に育つ期待の芽。


自分には、この一つだけあればいい。


この感情だけあれば、街にあったどんな物より有用に自分を支えてくれるだろう。


はっきりとした確かなモノではないけれど、これさえあればどんな困難にも立ち向かっていけるだろうことを彼女は疑わなかった。


そしてもしかすると、自分の想像以上の何かに出会えそうな予感すら彼女は覚えた。


最後までわからなかった宿題にもきっと答えを見いだせる。


少なくとも、この胸のつかえは外せるだろうと。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




猫耳族の少女は四柱王の最たる権能[四枚羽テトラリフラクティブグラム]を失ってはいたが、地上を征服するには十分な戦闘力を残していた。


彼女は世界征服を目指した某大帝の故事に習い、東へ向かって歩く。


道の途中で従えた供は最初数人だったが、数週間で数部族にまで膨れ上がっていた。


川を越え、山脈を越え、やがて行き着いた大森林を掌握し、森の主を従えた頃には、供の数はゆうに千を超えていた。


いつだったか、それを危険視した元竜王を名乗る女がちょっかいをかけてきた事もあった。


勿論、彼女はそれすら余裕で撃破し生け捕りにした。


しかし尋問の中でその女が[宿題]への手がかりを持つこと知った。


彼女は女を開放し、過分な待遇を持ってその情報の提供を乞うた。


猫耳族の少女はそこで初めて、【魔王】という存在を知った。


失われた記憶。竜が語る隠された世界の歴史。


登場する役者を自分たちに重ね合わせても整合性は失われない。彼女は知識を整理し、パズルの組み合わせをするようにそれらを検証する。そうやって考えを詰めていく工程で、彼女はひとつの出来事に注目した。


【魔王】の降臨したといわれる場所。


それは、その者の、スタート地点。


そこに行けば。


その風景を見れば。


この心に巣食う難題について何か判るかもしれない。


何をやっても満足できない飢えから、彼女はいつだって逃れたかった。


どんなに楽しい事もどんなに素敵なものも【宿題】のせいで、全てが一過性の虚しいイベントに思えてしまう。心が潤うことはなく、いつまでも乾き続ける。


彼女は全てを放り出して、一縷の望みに手を伸ばした。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 4 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




その場所には強力な結界が張られていた。


【魔王】と【勇者】が消滅した後に張られた結界だと竜は言っていた。


何もない所に結界など張る必要があるのか。


彼女は自らの危険を顧みず結界をこじ開けにかかる。


多大な傷を負いつつも、隠された秘密を暴きにかかる。


自己の傷を再生出来なくなるくらい力を使い果たし、重症を負った体を引きずりながらも、彼女はとうとうその場所にたどり着いた。



森の中だというのに、その場所だけは開けていた。


―― 特異点  世界の継ぎ目invisible seam ――


その場に立ち、ふと視線を上げれば、そこには沢山の小さな星々が煌めく夜空が見えた。


彼女は、ただただその場に立ち尽くす。


時が経ち、やがて空は白みだし、向こう空が黒色から鷺色へと変わり始めた頃――そこに星が流れた。


それを目にした途端。疲弊によってぼんやりとしていた彼女の頭がクリアになる。


同時に――記憶が差し替えられた。




訪れた突然の既視感。


この場所で――自分は――彼と会っていた。


呼び起こされた記憶の風景は夜明け。


会話の記憶と共に蘇った全ての光景。


【彼】の面影。


記憶が少女の頭の中で、パタンパタンと音を立てて


出会って間もない頃の彼とのやり取りが鮮明に浮かび上がってくる。



――その星は導きの星っていってね。季節によって星々は配置を変えるけど、その星だけはほとんど動かないんだ。異世界に来ても同じ様な星があるなんてちょっと感動だな――


夜空に見える少し明るい大きな星。


北極星みたいな星――彼がそう呼んだ星を視界に収めた彼女の眼から、涙が吹き出す。


「あ……あぁっ、はっ、ぁあああああああぁッ!」


止めどなく溢れる涙が世界を滲ませる。


呼吸がうまく出来ない。


出るのは割れて歪んだひどい声だ。


無様に歪んでいく顔を抑えられない。体の震えを止められない。立っていられない程に彼女の鼓動は早まり、その身は震えた。


彼女はその場で号泣する。【宿題】の答えを見つけた彼女は、内にあった心の澱を全て吐き出さんとするかのように絶叫する。


どうしてか実感を伴わなかった認識がその衝撃で色を取り戻す。


見えるのは涙に滲んだ鮮やかな世界。


めくれ返る記憶が佳境を迎える。


彼女は身を固くし、最後に蘇るだろう記憶を予感してその連鎖を拒絶した。


必死に、懸命に、全力で、目を背けようとした。


けれども抵抗は失敗する。それを止めることができないという事は、他でもない彼女自身が一番わかっていた。何故ならその予感こそが彼女の心に焼き付いていた、彼女をおかしくしてしまっていた元凶そのものであったからだ。



そうして。彼女はすべてを思い出してしまった――





――彼が死んだその瞬間ときを。

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