第322話 すべての妹の悲劇

「弩、ちょっといいか」

 弩の部屋をノックしても、反応はなかった。


「弩、入るぞ」

 僕はそう声を掛けてドアを開ける。


 部屋の中に、弩の姿はなかった。

 だけど、部屋の真ん中に置いてあるコタツ布団のはしふくらんでいて、弩がコタツの中に隠れているのは明かだった。


 ここは、いつものあれをするべきなんだろう。


「弩、どこだ?」

 僕は、クローゼットを開ける。


「弩はここかな?」

 次にベッドの下を覗き込んだ。


「ははぁん、弩はここだな」

 最後に、チェストの引き出しを開けてみる。


「私はそんなに小さくありません!」

 弩がそう言ってコタツから出てきた。


「ああ、そんなところにいたのか」

 僕が言う。


「まったく、乙女の秘密が詰まった引き出しを、プルトップを引くみたいに気軽に開けないでください!」

 弩がほっぺたをふくらませた。


「ああ、悪い悪い」

 僕が手を合わせて謝る。



 これは、コタツの季節に僕と弩が三日に一回はやっている、儀式ぎしきみたいなものだ(チェストの引き出しを開ける代わりに、コタツの上の菓子盆かしぼんに入っているホワイトロリータを僕が食べちゃって、弩が怒って出て来るパターンもある)。


 これをやっていると、他の寄宿生や主夫部のメンバーが、またやってるよ、みたいな冷めた目で見るけど、これは僕と弩の大切なコミュニケーションだ。

 弩とくだらないり取りをするのが楽しいし、ボケとツッコミを確認できた。



 儀式が終わったところで、僕はコタツに入る。

 弩の対面に座った。



「それで、なんのご用ですか?」

 弩が、僕にお茶を入れながら訊いた。

 ホワイトロリータとミカンで僕をもてなしてくれる弩。


「うん、今日はちょっと報告があって」

 コタツ布団の下で、僕は正座している。


「どうしたんですか? かしこまって」

 弩が首を傾げた。


 僕は、あらためて弩を見る。


 前髪をぱっつんにした、長い艶々の黒髪。

 好奇心いっぱいのくりっとした瞳。

 赤いもちもちのほっぺたと控え目な唇。

 今日は白い丸襟のブラウスに、水色のカーディガンを羽織っている。


 弩は、どこから見ても、女の子女の子していて愛らしいのに、見詰められるとドキッとするような、威厳いげん、のようなものを感じた。

 それは、のちに大弓グループを率いる者の、才能の片鱗へんりんだろうか。




「弩、僕はヨハンナ先生と結婚する」

 小細工こざいくせずに、正面から言った。


「来春、この寄宿舎の管理人にはならずに、ヨハンナ先生と新しい場所へ行く」

 僕は続ける。



「はい、分かってましたよ」

 すると弩は、そんなふうに言って微笑んだ。


「分かってた?」


「はい、あの、立ち聞きするつもりはなかったんですけど、この前の金曜日、夜中にトイレに行こうとして、先輩がヨハンナ先生にプロポーズするのを聞いちゃったのです。だから、先輩の気持ちは分かっていました。もっとも、そのずっと前から分かってましたけど」


「そうか……」


「先生にプロポーズする先輩、カッコよかったですよ。あんなプロポーズされたら、誰だって、『はい』って答えますよね」

 弩が言う。


 それが、一回、反故ほごにされた。


「おめでとうございます。ヨハンナ先生は、私が今まで出会った先生の中で、最高の先生だし、仕事をする姿がカッコいいし、美人だし、包容ほうよう力があるし、その一方で、ここではだらしないし、甘えん坊だし、お世話のし甲斐がいがあるし、篠岡先輩には最高の結婚相手ですよね。先輩、主夫部として、主夫になる夢を叶えられて、重ねて、おめでとうございます」

 弩が笑って、ほっぺたに笑窪えくぼが出来る。


「ありがとう」

 喉がカラカラだったから、僕は弩が出してくれたお茶を一口飲んだ。



「私、篠岡先輩のこと、大好きでしたよ」

 弩が僕から視線を外して、湯飲みを見ながら言った。


「私、周りに友達がいないこの学校に来て、誰も知ってる人がいない寄宿舎に入って、不安で仕方ないところに、先輩と出会って、主夫部に入れてもらって、色々お世話してもらって…………先輩達のおかげで友達も出来たし、積極的にもなれたし、長い休みには、家にまでお邪魔して、ずっと、一緒にいてもらって、枝折ちゃんや花園ちゃんみたいな妹も出来て…………篠岡先輩がいなかったら、私の高校生活はどうなってたか分かりません。だから、先輩にはすごく感謝してるし、そして、大好きでした」

 弩は、真っ直ぐに、大好きでしたって言った。


「私の高校生活のあらゆるところに篠岡先輩がいましたし、これからも、ずっと、いて欲しいなって、思ってました…………だけど、これは運命です」


「運命?」


「はい、篠岡先輩は、私のお兄ちゃんなのです」


「えっ?」


「私が困ったときには、すぐに飛んできてくれて。私に世話を焼いてくれて、ちょっかい出してくれて、笑わせてくれて、嬉し涙を流させてくれて……私、一人っ子だから、篠岡先輩は、こんなお兄ちゃんがいたらいいなっていう、理想のお兄ちゃんでした」

 そんな、僕は枝折や花園からはいつも怒られる情けないお兄ちゃんだ。


「だから私は先輩の妹です。世の中のすべての妹の悲劇ひげきは、お兄ちゃんと結婚出来ないってことですよね。それは、運命だから逆らうことはできません。妹の私は、お兄ちゃんの結婚を祝福します。お二人は、本当にお似合いだし」


「弩……」


「心配しないでください。私、こう見えてモテモテなんですよ。黙ってましたけど、実はもう、三人から告白されたんですから」

 弩が言って、自慢げに胸を張る。


「私も、いつか先輩みたいな素敵な人にプロポーズしてもらえるように、頑張ります。ヨハンナ先生みたいにカッコイイ大人になってみせます。いつか母の跡を継いだら、大弓グループを世界一の財閥にしてみせます。将来、うちが世界一大きな財閥になったあかつきには、『あのときの失恋が、私を目覚めさせた』って自叙伝じじょでんに書くので、覚悟していてくださいね」

 弩がふざけて言う。


 弩は、この小さな体の中に底知れない力が詰まってるって、そう感じた。



「ふぅ、泣かずに言えました。あの夜は、本当に枕が水浸みずびたしになるくらい泣いたんですよ」

 弩はそう言って、菓子盆からホワイトロリータを取り出すと、その包みをく。


「先輩にも一本、あげます」

 弩がホワイトロリータを一本くれた。

「いいのか?」

「はい、結婚祝いです」

 弩はそう言って笑う。


 このホワイトロリータは、世界一価値がある結婚祝いだ。



「あの、これからも、私のお兄ちゃんでいてくれますか?」

 弩が訊いた。

「もちろん」

 弩は、花園と枝折と同じくらい、大切な妹だ。




 弩と二人でコタツに入ってたら、ドアの外から異様な気配を感じた。

 なんか、ドアや壁が、ギシギシときしんでいる。


 僕は、口の前に指を立てて、弩に「しー」って合図した。

 弩が無言で頷く。


 ドアまで忍び足で近づいて、一気に開けた。


 すると、寄宿生と主夫部、ヨハンナ先生と北堂先生にひすいちゃんまで、全員が弩の部屋になだれ込んでくる。


 みんな、ドアや壁で聞き耳を立てていたらしい。



「あのね、先生は、盗み聞きはいけないって、注意したんだけどね……」

 床に転がったヨハンナ先生が、口の端をヒクヒクさせながら言った。

「みんな、弩が心配だったから」

 錦織も言い訳をする。


 そこに集まったみんなが、苦笑いしていた。


「うわぁん、私、振られちゃいました」

 弩が新巻さんに抱きつく。


「よしよし、泣かずによく頑張ったね。大丈夫、世間には篠岡君よりもいい男が、ごまんといるからさ。二人で、未来のお婿さんを探そう」

 新巻さんが、そう言って弩の背中を優しく叩いた。

 北堂先生に抱かれたひすいちゃんが、真似して弩の背中を叩く。



「それじゃあ、二人の結婚はまだ発表できないから、私達だけでお祝いしましょうか?」

 北堂先生が言った。


「はい!」

 みんなが返事をして、御厨が台所へ走る。



 結局この日は、お祝いの宴会が長引いて、主夫部の男子部員もみんな寄宿舎に泊まった。

 明け方までずっと、みんなで思い出話に花を咲かせた。


 弩は自分のこと僕の妹だって言ったけど、ここにいるみんなが、僕や弩の家族なんだって思った。




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