第323話 我が家の風習

「あぁ、緊張する」

 ヨハンナ先生が天をあおいだ。


 紺のスーツでビシッと決めたヨハンナ先生。

 緊張するって言って足をバタバタさせるから、先生の金色の髪がさらさら揺れる。

 スーツ姿の先生が、子供みたいな仕草をするのが可愛い。

 少女の頃の先生って、こんなふうだったのかなって、ちょっと想像した。


「もう一回、トイレ行ってくるね」

 ヨハンナ先生が席を立った。


「先生、逃げちゃだめですよ」

 僕はそう言っておく。

「ま、ま、ま、まさか、に、逃げるとか、あり得ないし」

 先生が眉を引きつらせて言った。


 やっぱり、逃げるつもりだったらしい。



「先生、落ち着きましょう」

 僕は先生をソファーに座らせる。

 すると、先生が不安そうに僕の手を握ってきた。

「大丈夫ですから」

 僕は、先生の細い指を、強く、そして優しく握りしめる。




 今日、僕の両親が久しぶりに家に帰って来る。


 そのタイミングで、ヨハンナ先生と一緒に、僕達の結婚を報告することになった。

 もう電話やメールでは言ってあるけど、面と向かって報告するのは初めてだ。


 両親が帰ってくるのはお昼過ぎってことで、先生は朝からうちに来て準備していた。


 両親がいつ帰ってきてもいい時間帯になって、ヨハンナ先生のそわそわがひどくなる。


「私の服装、乱れてない?」

 ヨハンナ先生は朝からそれを何度も訊いた。


「いいえ、バッチリ決まってます」

「ホントに?」

「はい」

「髪は大丈夫? メイク、ちょっと濃くないかな?」

「大丈夫です。髪はアホ毛の一本も出てないくらい整ってますし、メイクもひかえめでいい感じです。いつもの凜々しい先生です」


「ホント?」

「はい、僕が大好きな先生です」


「えっ? 聞こえない、もう一回言って」

「僕が大好きな先生です」


「もう、塞君たら……」

「だって、本当のことですから」

 僕と先生は見つめ合った。



「あ~あ、ご馳走様。まったく、妹達の前で見せつけてくれるよね、枝折ちゃん」

 花園が言って、枝折がうんうんと頷く。


 花園も枝折も、今日は勉強の手を休めて、僕達の報告を見守るつもりらしい。

 リビングのソファーで、僕達と一緒に両親の帰りを待っている。


「結婚する前からこんなに甘々だと、結婚してからどうなるのか、先が思いやられるよ」

 花園が生意気なことを言った。



「大丈夫ですよ。両親とも、僕達のこと祝福してますから」

 僕は先生をなだめる。


「だけどさ、十歳も年下のうちの息子に、なに手を出してるのよ! とか、お母さんに言われたらどうしよう」

 先生が眉を寄せる。


「その点は安心ですよ。だって、うちの母も十歳年下の父と結婚してますし」

 僕が答えた。


「でもさぁ」

 先生が縮こまる。


 いつもの凜々しい先生もいいけど、こんなふうに困ってる先生もいいとか、思ってしまった。


「いいよね。塞君は、もううちの両親への報告は済ませてるし」

 先生が言う。


 そう、はからずも僕は、前にヨハンナ先生の婚約者として、御両親への報告は済ませていた(先生のお父さんには、それが嘘ってバレちゃってたけど)。


「先生、お兄ちゃんにぎゅっとしてもらったら? お兄ちゃんにぎゅってしてもらうと、落ち着いて、なんでも出来るっていう気持ちになるよ。花園はいつも、寂しい時そうしてもらってるし」

 花園が言った。


「そうだね、塞君、お願い」

 先生がそう言って僕に両手を差し出してくる。

 妹達の目が気になったけど、僕は先生をぎゅっと抱きしめた。


 柔らかい先生の感触を全身で感じる。


 先生の香水の甘い香りと、柔軟剤のフルーティーな香りが、僕の鼻をくすぐった。

 先生は微かに汗ばんでいる。


「うん、本当に落ち着く」

 僕の耳元で先生が言った。

 先生の言葉と吐息がこそばゆい。


「いいなぁ、あとで花園もやってもらおう」

 花園が僕達を茶化した。

 枝折は、ヤレヤレって表情で、僕達を見ている。


「先生、もうそろそろ、いいんじゃないですか?」

 抱きしめられながら僕は言った。


「あともうちょっと」

 先生は僕を放さない。


「いえ、もう、いいと思いますよ」


「もう少し、いいじゃない」


「でも、あの……」


「なに? 私をぎゅっとするの、いや?」


「いえ、いつまでもこうしていたいくらいですけど……」


「それなら、まだいいじゃない」


「それが……」


「それが、どうしたの?」


「それが、リビングの窓の外で、両親がこっちを見てるので」

 僕は言った。


 先生が振り向く。


 そこには、庭の駐車スペースに車を停めて、リビングの窓から僕達を見ている、母と父の姿があった。

 基地から急いで戻ってきたのか、二人とも海上自衛隊の制服を着ている。


「ハイブリッド車って、音小さいから」

 枝折が冷静に言った。


 紺の制服姿の母が、こっちに向けて笑顔で手を振っている。



「う、うわあああああああああ」

 ヨハンナ先生が、光の速さで僕から飛び退いた。


「な、なんで教えてくれないのよ!」

「だから、さっきから言ってたじゃないですか」


「終わった……」

 先生がつぶやく。




「おかえりなさい!」

 玄関に回った母に花園が飛びついた。


「はい、ただいま」

 母が花園を受け止める。


「おかえりなさい」

 枝折が父に言って、父が太い腕で枝折を軽々と持ち上げて、お姫様抱っこする。


「さ、先ほどは失礼しました!」

 先生が勢いよく頭を下げた。

 せっかく整えた先生の髪が乱れる。


「まあまあ、いいじゃない。仲がいいことは素敵なことだもの」

 母が言った。


「それじゃあ先に、済ませるべきことを済ませましょうか?」

 母が先生を客間に導く。




 座卓ざたくはさんで、母と父、そして僕とヨハンナ先生が対面に座った。

 僕達の横に、花園と枝折も正座する。



「なにか、話があるんでしょ?」

 母が切り出した。


「はい、私から説明します」

 ヨハンナ先生が僕を制して言う。


「このたび、御子息ごしそくの塞君に私がプロポーズをして、受け入れてもらいました。つきましては、塞君との結婚を許して頂きたく、伺いました」


「そうですか」

 母が、平板な声で言う。


「担任教師の身分でありながら、生徒の塞君とこのような関係になってしまったことへのそしりは甘んじて受けます。ですが、私は塞君を愛しています。塞君も私を愛してくれています。私は御子息のことを、私の人生をかけて幸せにしたいと思っています。一生を掛けて守ります。そして私も、塞君と一緒に幸せになりたいと思います。どうか、この結婚を許して頂けないでしょうか」

 先生がそう言って頭を下げた。


 父は終始、にこやかな顔をしてたけど、母は先生が話すあいだ、ずっと涼しい顔をしていた。

 普段、数百名の自衛隊員をまとめる、護衛艦艦長の顔だ。


 一瞬、僕達の間に緊張が走る。



「ありがとう、うちの息子のことをそんなふうに考えてくれて、本当にありがとう」

 母が言った。


「もちろん、二人の結婚は許します。謗りなんてそんな、好きになってしまったら、どうしようもないですものね。愛し合っていれば、年の差も立場も関係ありません」

 母が続ける。


「仕事柄、私達は息子にはいつも寂しい想いをさせてきました。苦労をかけてきました。これから、あなたのような人にずっとそばにいてもらえるのかと思うと、安心しています。どうぞ、息子を末永くよろしくお願いします。どうかこれから、私達の分まで、息子を可愛がってあげてください」

 母がそう言って頭を下げた。


「よろしくお願いします」

 父も続けて頭を下げる。


 先生の真摯しんしな言葉と、母の返答を聞いてたら、涙が零れそうになって、僕はそれを必死に耐えた。

 先生の横顔を見ながら、この人を一生支えようってちかう。




「さて、堅苦しい挨拶は、これくらいにしましょうか?」

 母が破顔はがんした。


「よし、それじゃあ早速、バーベキューだ」

 父がそう言って立ち上がる。


「やったー!」

 花園が父の背中に飛びついた。


「よし、じゃあ、花園も手伝え」

「うん!」


 アウトドア大好きな父親は、家に帰ってくるといつもこうだ。

 それは、冬の寒い時期でも変わらない。

 両親が帰ってきたら、こうやってバーベキューパーティーをするのがこの家のならわしになっている。

 その風習に、今日からは先生も家族として参加するのだ。


「スーツだとくつろげないから、着替えましょうか? 私か枝折の服でよかったら、着替えに使って」

 母が先生に言った。


「ああ、先生がうちに泊まるときの服が、僕の部屋にあるから」

 僕が母に言う。


「へえ、そうなの……」

 母がジト目でヨハンナ先生を見た。


「いえ、あの! 泊まると言っても、別に、塞君のベッドで一緒に寝るとかじゃなく! 私達はその、まだ、清い関係でして……」

 先生が慌てる。


「分かってます。お正月とか夏休みとか、うちの子達の面倒を見てくれていたんですよね。枝折や花園から聞いています」

 母が笑った。

 母が笑うからヨハンナ先生も釣られて笑う。


「それじゃあ、お互い着替えましょうか」

 母と先生が二階へ上がっていった。


「余計なこと言わないの!」

 僕は枝折に怒られる。




 二人が着替えるあいだに、庭では父を中心にバーベキューの用意が着々と進んだ。


 テーブルと椅子を出して、バーベキューコンロの炭に火を起こした。

 外で暖を取るストーブの上には、パエリアを作るダッチオーブンが置かれる。


 父が帰ってくるとバーベキューをしてくれるのは、そうすればその日は僕が食事を作らなくていいっていう、配慮はいりょでもあると思う。



「お姉ちゃん、これ、使って」

 着替えて二階からも下りてきたヨハンナ先生に、枝折が皿とはしを渡した。

 先生のことさっそく「お姉ちゃん」って呼んで、照れている。

「ありがとう」

 先生が嬉しそうに答えた。


「先生、飲み物はどうしますか? お酒はいける口なんでしょ?」

 母が訊いた。


「いえ、たしなむ程度で……」

 ヨハンナ先生が言った。


 おい! って突っ込みたいけど、先生が僕の方をチラッと見て、ごめんね、みたいな表情をするから黙っておく。




 日が傾いてくると、テーブルの上に灯油ランタンを置いた。

 父が焼く肉や野菜を、みんなで食べる。


 緊張しまくっていたヨハンナ先生も、お酒が入って気が楽になったのか、母と意気投合して話が弾んでいた。

 お互い、ビールや焼酎をみ交わしている。

 父が下戸げこだから、一緒にお酒を飲める相手が出来て、母も嬉しそうだ。


「十歳年下の旦那様の扱い方を、あとでたっぷり教えてあげるからね」

 母がヨハンナ先生に耳打ちしているのを聞いてしまった。


 一体、なにがレクチャーされるのか、考えるだけで恐ろしい……


 だけど、二人とも気が合って、嫁姑よめしゅうとめの問題とかなさそうで安心する。

 嫁姑問題を気にする男子高校生も、どうかとは思うけど。




「それじゃあ、そろそろ、パエリアを取り分けようか」

 父が言う。


「やったー! 先生食べて食べて、お父さんのパエリアは、すっごく美味しいんだよ」

 花園がはしゃいだ。


 ダッチオーブンの蓋を開けると、ターメリックの鮮やかな黄色と、ぷりぷりのエビが見えた。

 香ばしい匂いもするから、いい感じのおげが出来てると思う。




 結局、その日ヨハンナ先生はうちに泊まった。


 家に両親がいて、妹達がいて、僕のお嫁さんになる人がいる。

 僕は、今までで一番、安心して眠りにつくことが出来た。



 もちろん、僕とヨハンナ先生は、別々に寝たんだけど。

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