第320話 お姉ちゃん

「いやだ!」

 花園かえんが大きな声を出した。

 家の客間で、向かい合って正座をしている、僕と、花園と枝折。


「だって、花園がお兄ちゃんのお嫁さんになるんだもん! 約束したもん!」

 花園が僕に抱きついてくる。


 学校から帰ってきて、まだ、制服姿の花園と枝折。

 客間の障子しょうじが西日のオレンジで染まっている。


 花園が大声を出したことで、客間は一気に緊迫した。




 ヨハンナ先生からプロポーズされた翌日。

 僕は、先生と結婚することを花園と枝折の二人に報告するために、部活を早く抜けてきた。

 それは二人のこれからにも関わることだし、二人にはまず報告したかったのだ。


 僕は、丁寧ていねいに説明した。


 僕とヨハンナ先生が結婚して、来春、僕は先生と一緒に新しい土地へ旅立つこと。

 僕は寄宿舎の管理人にはならないこと。

 そうなると、花園と枝折とは離ればなれになること。


「お兄ちゃんとお別れなんていやだよ! お兄ちゃん、小さい頃、花園をお嫁さんにしてくれるって言ったじゃない! お兄ちゃんの嘘つき………………って、言うと思った?」

 抱きついてきた花園が、僕を見上げて舌を出す。


「えっ?」


「お兄ちゃん! よくやった! ヨハンナ先生を嫁にするなんて、お兄ちゃん! すごいよ! とんでもないことだよ! 大金星だいきんぼしだよ! その出世ぶりは、豊臣秀吉とよとみひでよし超えたよ!」

 豊臣秀吉、超えたのか……


「賛成してくれるの?」

 花園に抱きつかれたまま、僕は訊く。


「当たり前じゃん。ね、枝折ちゃん」

 花園が枝折に水を向けると、枝折が無表情で頷いた。


「このまま一人寂しくてていくと思ってたお兄ちゃんが、ヨハンナ先生みたいな、美人で、カッコよくて、頭がよくて、面倒見がいい人をお嫁さんにしたんだよ。そして、お兄ちゃんは夢だった主夫になれるんだよ。それをお祝いしないで、なにをお祝いするのさ。ぼんと正月と、ノーベル賞授賞式が一緒に来たようなものじゃない」

 花園が言う。


 花園の奴、僕がこのまま一人寂しく朽ち果てていくって、思ってたのか……



「お兄ちゃん、他所へ行って、一緒に暮らせないけど、それでもいいの?」

 僕は訊いた。

 そんなに手放しで喜ばれると、僕と別れるのが寂しくないのかって、逆にちょっと複雑だ。


「あのね、今だって花園はお母さんとお父さんとは離れて暮らしてるでしょ? でも、二人は大切な家族だし、大好きだし、心も通じ合ってるでしょ? だから、お兄ちゃんが遠くへ行ったって、お兄ちゃんは花園の大切なお兄ちゃんだよ。大好きだよ。大大大、大好きだよ。だから、大丈夫」

 花園が胸を張って言った。


「それは、寂しくないって言ったら嘘になるけど、お兄ちゃんとヨハンナ先生が結婚したってことは、家族がもう一人増えたってことでしょ? ヨハンナ先生が私達のお姉ちゃんになったんだよ。今よりもっとにぎやかになるじゃない。それに、お兄ちゃんが幸せになるためだったら、花園だって少しは我慢がまんしないと。お兄ちゃんは今まで、ずっと花園と枝折ちゃんの面倒を見てくれたんだもん。今まで、彼女も作らずに私達の世話をしてくれてたもん」

 僕に彼女が出来なかったのは、別のところに理由があると思う(作らなかったんじゃなくて、作れなかったんだし)。


「ありがとう」


「花園だって、もうそれくらい解るよ。花園は大人だもの」

 花園がそう言って、抱きついたまま僕の胸にピッタリと頬をくっつける。

 大人は、こんなふうに甘えたりしないけど。



「あっ、そう言えば、枝折ちゃんはお姉ちゃんが出来るのって初めてでしょ?」

 花園が枝折に訊いた。


「それは、もちろんそうだけど」

 枝折が不思議そうに答える。


「お姉ちゃんって、いいものだよ。優しいし、頼りがいがあるし、妹を甘やかしてくれるし。15年間お姉ちゃんがいる経験者の花園が言うんだから、間違いない。お姉ちゃんが出来たら、きっと、もっと楽しいよ」

 花園の言葉に、「もう!」って、枝折が照れた。


 仲良しの二人を見てると、本当にほっこりした気持ちになる。



「枝折ちゃんはどう? お兄ちゃんと先生が結婚すること」

 僕は訊いた。


「もちろん、大賛成だよ。こっちのことは大丈夫。来年、花園がうちの学校に合格して寄宿舎に入れば、お兄ちゃんは私達のこと何も心配する必要はないし、お兄ちゃんの相手がヨハンナ先生なら、私達もお兄ちゃんのこと心配しなくてすむ。先生になら、お兄ちゃんを任せられる。だから、お兄ちゃんは心置きなく先生と旅立っていいよ」

 枝折が言った。


「その代わり、長い休みの時とかは、こっちに帰って来てね。長い休みじゃなくても、時々、私達の顔を見に来て」

 枝折の目が、涙でうっすらとれた。


「枝折……」

 僕は枝折を抱きしめる。

 枝折も、ぎゅって僕に抱きついてきた。


 普段感情をほとんど表に出さない枝折の涙だから、その意味は重い。

 口では、僕達の結婚、理解したって言ってるけど、本当は、寂しいのかもしれない。

 僕だって二人と離れるのはたまらなくつらいんだから、当然だ。


「もう、二人、ずるい」

 花園も抱きついてきて、僕達は兄妹三人で抱き合った。

 普段は枝折の方がしっかりしてるのに、こういう時は花園の方がしっかりしてるから、姉妹でもこんなふうに違って面白い。



「よし、花園は絶対に高校に合格しないとね。寄宿舎に入れなかったら大変だし、夕ご飯まで、勉強する」

 花園が立ち上がった。

「そうだね。お姉ちゃんも付き合う」

 枝折もそれに続く。


「ちょっと待って」

 僕は、二人を呼び止めた。


「実は、ヨハンナ先生が、近くで待ってるんだけど……」

 僕が二人に結婚を報告するって言ったら、先生、二人に反対されたとき、ちゃんと自分が説明するからって、近くに車を停めてその中で待っている。

 忙しい中、学校を抜けてくれた。


「えっ? 寒いのに、お嫁さんを家の外で待たせてたら悪いじゃない。早く、呼んであげないと」

 枝折が言う。


 僕がスマホで連絡すると、ヨハンナ先生がすぐに家まで来た。



「おめでとー」

 玄関のドアを開けて入って来た先生に、花園が飛びつく。


「ありがとう」

 スーツ姿のヨハンナ先生が、花園を受け止めた。


「おめでとうございます」

 枝折もひかえめに言う。


「お兄ちゃんをもらっちゃうけど、いい?」

 先生が花園に訊いた。


「うん。どうぞどうぞ。不束ふつつかな兄ですが、幾久いくひさしく、よろしくお願いします」

 花園が生意気なことを言う。


「枝折ちゃんも、いい?」


「はい、兄のこと、よろしくお願いします」

 枝折が頭を下げた。


「ほら、枝折ちゃん、ヨハンナお姉ちゃんだよ、お姉ちゃんに抱きついちゃいなよ」

 花園が言った。

「花園のばか!」

 枝折が恥ずかしがって口をとがらせる。


「あの、先生……」

 それでも、枝折は先生に話しかけた。


「あの、先生のこと、『お姉ちゃん』って、呼んでいいですか?」

 枝折が訊く。


「うん、そう呼んでもらえたら、すごく嬉しい」

 ヨハンナ先生がそう言って枝折を抱きしめる。

 先生は涙目になっていた。


 抱き合う三人を見ながら、僕達はきっと良い家族になれるって確信した。


「ほら、塞君もおいで」

 先生が言って、僕は抱き合う三人に寄り添った。


 今、僕の腕の中には、世界の全てがある。



「さあ、次は、主夫部のみんなと寄宿生にも、報告しないとね」

 ヨハンナ先生が言った。

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