第298話 すっぴん

 弓道部の部室から寄宿舎に帰ると、食堂のサンルームで、新巻さんと宮野さんがノートパソコンの画面に見入っていた。


「なにしてるの?」

 僕が訊く。


「うん、弩さんと萌花ちゃんから、写真がたくさん届いてるよ。LINE見なかった?」

 新巻さんが言った。


 スマホを確認すると、確かに、北海道で修学旅行中の弩と萌花ちゃんから、インスタに写真上げたから見てって書き込みがあった。

 僕と錦織も加わって、二人が送ってきた写真を見る。


 萌花ちゃんのインスタには、北海道の雄大な大地の風景写真がたくさん上げられていた。

 パッチワークみたいな農地の写真とか、どこまでも真っ直ぐな道路の写真。

 朝霧の幻想的な風景や、どこかの尖塔せんとうの写真。


「やっぱり、萌花先輩の写真、プロって感じですね」

 宮野さんが言う。

 確かに、さすが写真家だけあって、すごく綺麗な写真ばかりだ。

 今すぐパソコンのデスクトップに使いたいような写真が幾つもあった。



 一方の弩が上げた写真は、僕もお世話になった三鹿みろくさんと一緒に猟に出た時の写真だった。


「なにこれ……」

 写真を見て新巻さんが絶句ぜっくする。


 猟で仕留めた獲物と一緒に写る弩と三鹿さん。


 その獲物は、軽自動車くらいの大きさがある猪だった。

 山のぬしって感じの大猪。

 その猪の両脇に、狩猟用のオレンジのベストを着た弩と三鹿さんがたたずんでいる。

 猟銃を持った三鹿さんと、腕組みした弩。


 インスタ映えとか、そういう問題じゃない。


 今この日本で、この写真に勝てる女子いないんじゃないだろうか。

 この女子、最強なんじゃないだろうか。


 他にも、森の中を散策している姿や、農作業をしている写真、益子夫妻と子森君と一緒に鍋を囲んでる写真や、弩が赤ちゃんを抱いている写真なんかが上げてあった。


「あのとき生まれた赤ちゃんが、こんなに大きくなったんだね」

 新巻さんが眉尻を下げる。


「あれ、でも、あの農家民宿って、ネットに繋げたっけ?」

 思い出して僕が言った。


 こんなにたくさんの写真を上げるには、相当容量も食うはずだし、速い回線が必要なはずだ。


「確か、スマホの電波来てなかったし、WiFi飛ばすどころか、あの家インターネットの回線自体なかった思うけど」

 新巻さんも首を傾げた。


 僕達はしばし考える。


 そこで思い浮かんだのは、弩のお母さんとお父さんの顔だった。


「まさか、この3泊4日の娘の修学旅行のために、あの周辺に基地局建てたとか……」

 娘のために、あの両親ならやりかねない。

 弩にまだサンタクロースを信じさせている御両親だし。

 僕達の修学旅行では、名刺見せただけでヘリが飛んできたし。


 弩はそんなこと知らずに、ただ普通にスマホを使ってるだけなんだろうけど……


「その辺には触れないでおきましょう」

 新巻さんが言って、僕も頷く。


 なにか、恐ろしい闇に足を踏み入れそうで怖い。




 写真を見た後で、僕と錦織は夕飯の支度したくをして、保育園から帰ってきたひすいちゃんと北堂先生と食卓を囲む。


 今日は修学旅行に行った四人の他に、外で打ち合わせだと言っていたヨハンナ先生もいない。

 五人もいないと、さすがに食堂も寂しかった。


 僕はひすいちゃんをベビーチェアで隣に座らせて、ひすいちゃん用の特別メニューを食べさせる。

 ひすいちゃん用の今日のメニューは、鶏団子の中華風野菜スープだ。


 色んなことに興味があって、じっとしてくれないひすいちゃんにちゃんと食べさせるのは、結構大変だった。

 だけど、口に運んだスプーンの中身を美味しそうに食べてくれると、こっちまで幸せな気持ちになる。



「そういえば宮野さん、弓道部一年の諏訪部すわべさんって、知ってる?」

 ひすいちゃんに食べさせながら僕は訊いた。


 やっぱり、あの涙が忘れられなかった。


「はい、そんなに親しくはないですけど、何度か話したこともありますし」

 宮野さんが答える。

「なに、篠岡君、また他の部活の女子に手を出すの?」

 新巻さんが意地悪な目で僕を見た。


 そんな、手を出すとか、人聞きの悪い。


「彼女、どんな子なのかな?」

 僕は訊いた。

「真面目で礼儀正しいし、良い子ですよ。確か、クラス委員とかもやってたし」


「その子が、どうかしたの?」

 新巻さんが訊く。

「ううん、別に」

 涙のこととか、彼女の名誉に関わることだから、新巻さんといえども言えなかった。


「まあ、篠岡君の『女たらし病』は、死ぬまで直らないね」

 新巻さんが言って、みんなが笑う。


 そんな、彼女いない歴=年齢の僕に、女たらしとか言われたって……




 食事を終えて片付けが終わっても、ヨハンナ先生は帰ってこなかった。


「それじゃあ、俺、先帰るわ」

 八時を過ぎて錦織が帰る。


 僕は先生を待って寄宿舎に残った。

 北堂先生は帰りなさいって言ってくれたけど、ヨハンナ先生の顔だけ見て帰りたかった。


 明日の朝食の用意をしたり、新巻さんと宮野さんに夜食を作ったりして、時間をつぶす。

 北堂先生がお風呂に入っている間に、ひすいちゃんを寝かしつけた。




 ヨハンナ先生が帰ってきたのは、十一時過ぎだった。


「あーら、塞君、ただいまー」

 玄関で先生はいきなり僕に抱きついてくる。

 相当酔っ払ってるみたいで、お酒臭かった。


 先生の胸元から、むせ返るような香水と汗が混じった匂いがする。


 足がふらふらで僕に抱きついたままの先生を、とりあえず部屋に連れて行って、ベッドに座らせた。

 先生は、ぽいぽい服を脱いで、スリップ一枚になる。


「今日さ、久しぶりに、会いたかった人と、会っちゃってさ……」

 先生はそう言いながらベッドに倒れた。

「嬉しくて、ちょっとお酒飲んじゃった」

 そして、そのまま、すーすーと寝息を立て始める。


 いつもお酒を飲んでるヨハンナ先生だけど、こんなに正体をなくすくらい飲むのは珍しい。


 先生はお酒にはめっぽう強いのだ。


「これはもうダメみたいね。お風呂は明日の朝入るとして、お化粧だけ落として寝かせよう」

 北堂先生が言った。


 洗面器にぬるま湯を入れてきて、北堂先生と一緒にヨハンナ先生の化粧を落とす。


 コットンで先生の顔をでてたら、なんだか可笑しくなって僕は笑ってしまった。

 北堂先生が「どうしたの?」って訊く。


「はい、将来、こうやって僕のお嫁さんになってくれた人が酔って帰って来たときも、こうやってメイク落とししてるのかな、って思って」

 ヨハンナ先生のお化粧を落としながらそんな想像をしてしまった。


 職場には色んなストレスがあるだろうし、たまに羽目はめを外したくなることもあるだろう。

 正体がなくなるまでお酒を飲むことだってあるだろう。


 そんなパートナーの気持ちよさそうな寝顔を見ながらお化粧を落とすって、なんだか主夫しゅふ冥利みょうりきると思った。


 こんなこと、主夫にしか出来ない。


 すっぴんだってなんだって、全部さらけ出している。


 だから、自然と笑みがこぼれてしまったのだ。


「面白いことを考える男の子だね、君は」

 北堂先生にそんなことを言われる。


 夜中に起きて喉がかわいてるといけないから、枕元に水差しを置いておいた。


「後は私達が見ておくから、篠岡君は帰りなさい。遅くなっちゃったけど、車で送ろうか?」

 北堂先生が訊く。


「いえ、大丈夫です。一人で帰れます」

 終電に間に合いそうだったから、駅まで急ぐことにした。



 駅までの道を走りながら、僕は考えた。


 ヨハンナ先生が一緒にお酒を飲んだ、会いたかった人って一体誰だろう?

 あんなに嬉しそうにお酒を飲んだ相手って。

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