第287話 学ラン

「先輩」

「なんだ弩」

「先輩先輩」

「ん、どうした?」

「先輩先輩先輩」

「だから、どうしたんだ?」


 さっきから、寄宿舎の中庭で洗濯物を取り込む僕の周りを、弩がちょろちょろしている。

 わけもなく僕にまとわりついては、声をかけて顔を覗き込んできた。


 パフスリーブの白いシャツに、紺のスカートを穿いて、頭にベレー帽を載せている弩。

 今日の弩は、帽子に前髪を仕舞って、おでこを出していた。


「せーんぱい」

 弩はそう言ってちょこんと首を傾げる。


 ちょっと、可愛いって思ってしまった。


 弩はずっと水色とかミントグリーンとか、淡い色の服ばかり着てたのに、ここのところ紺色の洋服を好んで着るようになって、ちょっと上品っていうか、清楚な感じに見える(家柄は上品どころの話じゃないけど)。


「せ・ん・ぱ・い」

「だから、なにか用か?」

 まるで、仔猫にまとわりつかれてるみたいだ。


「先輩、これ、あげます」

 弩がポケットからホワイトロリータを取り出して僕にくれた。


「はっ? 大切なホワイトロリータを僕にくれるとか、弩、もしかして熱でもあるのか?」

 僕は、心配になって弩のおでこを触ってみる。

 弩の顔は、ちょっと上気していた。

 おでこがほんのりと温かい。


「熱、あるかもしれないです。あるかもです!」

 弩はそう言うと、ちょこちょこ走りながら、来たときと同じように唐突とうとつにどこかに行ってしまった。


 まったく、変な奴だ。

 本当に仔猫みたいだ。


 弩がくれたホワイトロリータ、体温でちょっと溶けている。



「弩さん、篠岡先輩が卒業してもここに残るって分かって、嬉しいんですよ」

 萌花ちゃんが言った。


 カメラを片手に裏庭に出てきた萌花ちゃんが、パチリと挨拶あいさつ代わりに一枚、僕の写真を撮る。


「昨日、先輩がここに残るって分かってから、夜もずっとあの調子だったし、111号室を先輩の部屋に決めたから掃除するんだとか言って、夜中に雑巾ぞうきん掛け始めるから、みんなで止めたんですよ」

 萌花ちゃんが続けた。


 111号室って、開かずの間で、弩と萌花ちゃんの部屋の真ん中だ。


 そこまで喜んでくれるなんて、鬼胡桃会長が言ってた、弩が僕のこと好きだっていうそれが、もしかしたら本当なんじゃないかって気がしてきた。



「まあ、私も嬉しいですけど……」

 萌花ちゃんが言う。

「えっ?」

「あ、えっと、あの、先輩の写真がまた撮れるから嬉しいってことです。また一年、継続して撮れるし。なんて言うんですか、その、学生から社会人になった男子の生きざまが、どう写るのか、それが楽しみだってことです」

 萌花ちゃんはあたふたしていた。


「あれ、あれれ、バッテリーが切れちゃうから、交換しなきゃ」

 慌てて寄宿舎の中に戻る萌花ちゃん。



「本当に、写真以外は不器用な子だよね」

 代わりに新巻さんが中庭に出て来た。

 青いシャツの上に、オフホワイトのカーディガンを羽織った新巻さん。

「写真のほうは天才なんだけど」

 腕組みした新巻さんが、萌花ちゃんの後ろ姿を目で追う。



「新巻さん、あの……」

 僕は、新巻さんにあのことを断らないといけない。


「うん、分かってる。就職先のことでしょ。いいよ、私のところで働くより、篠岡君には寄宿舎の管理人の方が合ってると思うし」

 新巻さんはそう言って肩をすくめた。


「せっかく誘ってくれたのに、ゴメン」

「ううん、よく考えてみたら、私の所で篠岡君が働くのってあんまりよくないと思うんだよね。篠岡君と二人っきりでマンションなんかにいたら、私、ドキドキして筆が進まなくなっちゃうと思うし」

 新巻さんが、ちょっとうつむいて言う。


「そんな、ドキドキするとか、僕は二人きりだからって新巻さんを襲ったりする野獣じゃないし」

 いや、二人っきりじゃなくても襲わないけど。


「えっ? あの、ドキドキってそういう意味とは違うんだけど……」

 新巻さんはそう言ったかと思ったら、突然笑い出した。


「僕、なんか変なこと言った?」

「ううん。でも、すごく篠岡君らしい」

 なんか分からないけど、納得されてしまう。


「それとも、私、留年しちゃおっかなー」

「えっ?」

「ここの環境のほうが、良い作品が書けそうな気がするんだよね」

 新巻さんが辺りを見渡す。

 林はまだ紅葉してないけど、夏とはすっかり空気が変わって、秋の匂いがした。


「ここは静かだし、古い洋館っていう雰囲気もいいし、完璧に家事をこなしてくれる人がいるしさ。学生というモラトリアムの中で、かえって自由に創作出来るかもしれない。こっちのほうがいいのかもしれないって思ったりして」

 新巻さんはそう言って僕の目を見る。

 新巻さんの目は少しうるんでいた。

 知的で、好奇心に富んだ素敵な目だ。


「だけど……ホントにいいの?」

 僕が訊くと、

「嘘嘘、冗談、冗談。ちゃんと卒業はするよ」

 新巻さんは秋の空に向けて大きく伸びをした。

 肩にかけたカーディガンが落ちそうになったから、僕が拾う。


「その代わり、時々ここに寄らせてもらうね。その時はお茶くらいは飲ませてよね。篠岡君も、なにかやらかして寄宿舎を首になったら、いつでも私のところに来ていいから」

 新巻さんはそう言って「グッ」って親指を立てた。

「うん、ありがとう」



「たのもう!」


 僕と新巻さんが話しているのんびりとした寄宿舎に、突然、ドスの利いた低い声が響いた。

 その声は玄関の方から聞こえる。


 僕と新巻さんが急いで玄関に駆け付けると、そこに、学ラン姿の三人が立っている。


 三人とも190に届こうかっていう身長で、胸板も分厚い、総合格闘技でもやっていそうな体つきだ。

 その三人が、腕組みして寄宿舎の玄関に仁王立ちしていた。

 学ランを着てるし、顔の感じからして、たぶん、僕達と同じ高校生なんだろう(いかつい顔だけど)。



 弩と萌花ちゃん、御厨が壁に隠れて三人を見ている。

 三人が手招きして、僕達も壁の後ろに隠れた。


「先生か警備員さん呼んだほうがいいですかね」

 声を殺して御厨が言った。

「なんか、因縁いんねんでもつけにきたんでしょうか?」

 萌花ちゃんが訊く。


「たのもう!」

 寄宿舎中の壁を震わせるような声が、もう一度響く。


「私、ちょっと訊いてきます」

 すると突然、弩がツカツカと三人のところへ歩いて行った。


「ちょっと待て弩!」

 僕達は慌てて弩を追いかける。

 あの三人にかかれば、弩なんて指で弾き飛ばされそうだ。


「なんのご用でしょうか?」

 弩が三人の前に立った。

 勢い、僕も三人の前に引き出された恰好になる。


 僕達は、玄関の上がりかまちを挟んで対峙した。

 弩が食ってかかりそうだったから、僕が押さえる。


 三人の学ランの、真ん中の一人がギロリと上から僕をけた。


「我らは黒龍剣山こくりゅうけんざん高校家政部。ここに、主夫部ありと聞いてまかした。尋常じんじょうにお手合わせ願いたい」


「は?」

 黒龍剣山高校、家政部?


「道場破りと思ってくれてかまわない。『主夫部』などとふざけたことを抜かす君達の鼻をへし折りに来た。家事で、正々堂々勝負してもらいたい」

 190㎝の体格がいい大男が、そんなことを言う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る