第285話 保護者

「先輩、どうしたんですか?」

 ファインダー越しに、萌花ちゃんが問いかけてきた。

 一眼レフカメラのレンズを僕に向けている萌花ちゃん。


 僕は制服で、ネクタイをちょっとゆるめて、寄宿舎廊下の窓枠まどわくに手をかけている。

 窓から外の森を漠然ばくぜんながめていた。


「先輩?」

「あっ、そっか。ごめん、撮影だったよね」

 そこでようやく我に返る。

 僕は、窓辺に立たされてポーズをとっていた。

 萌花ちゃんの「普通の高校生シリーズ」の撮影をしていたのだ。


「あの、先輩、いつもみたいな顔してもらっていいですか?」

 萌花ちゃんが僕の顔を覗き込んで言った。

「ああ、うん」

「いつもみたいな自然な表情でお願いしますね」

 いつもみたいな顔って言われても、いつもどんな顔をしているのか分からない。


 とりあえず、顔から少し力を抜いて、微笑んでみた。

 萌花ちゃんは僕の周りを動きながら、パシャパシャと何枚もシャッターを切る。


「やっぱり、いつもと違うんですよね」

 だけど萌花ちゃんは写真に納得してなくて、首を傾げるばかりだった。

 そのうち、カメラを下げて撮るのをやめてしまう。



「あー、疲れた」

 僕達が撮影をしていたら、二階から新巻さんが下りてきた。

 新巻さんは、おでこに冷えピタを張って、眉間に皺を作っている。

 肩をぐるぐる回していた。

 執筆の途中で、気分転換に飲み物でも取りに来たらしい。


「新巻さん、篠岡先輩が変なんです」

 萌花ちゃんが新巻さんに駆け寄ってうったえた。

「どうしたの?」

「はい、篠岡先輩、なにか考え事をしてるみたいで、どこか物憂ものうげでカッコイイんです。変なんです。こんなの先輩じゃありません」

 萌花ちゃんが言った。


 カッコイイのが変とか、それじゃあ、いつもの僕はなんなんだ……


「ああ、そういえば篠岡君、いつも教室で休み時間にクラスの女子に囲まれて、キャッキャしながら嬉しそうに話してるのに、今日はなんだか窓から外を見て考え込んだりしてたよね。確かに、教室でもちょっとおかしかった」

 新巻さんが言った。


 新巻さん、僕は別にクラスの女子とキャッキャしてるわけじゃないです。

 長谷川さん達の四人組が、何かとちょっかい出してくるから、それに答えているだけだし。


「篠岡君、何かあったの? なんか、悪い物でも食べた?」

 新巻さんがまゆをひそめて訊いてくる。


 僕が物憂げに考え事してるふうな顔は、別にお腹壊してるからじゃない!



「そうなんですよね。先輩、鬼胡桃会長と母木先輩のところに行って帰って来たくらいから、なんか変なんです」

 廊下の向こうから弩が歩いて来て、僕達の会話に加わった。

 白い大きな襟がついた上品な紺のワンピースの弩。


「おかしいって、どんなふうに?」

 新巻さんが訊く。

「はい、いつもみたいに、私の大切なホワイトロリータを隠したり、中身を入れ替えたり、洗濯が終わった靴下を裏返しにして畳んだり、タンスの中のブラジャーの紐をからませて一つ取ると全部のブラジャーが出てくるみたいな悪戯を全然しないんです。だから私も、どこか体調が悪いのかなって思ってました」

 弩が答える。


「篠岡君、あなた、いつも弩さんにそんな悪戯してるの?」

「まったく、先輩、小学生ですか!」

 新巻さんと萌花ちゃんに引かれた。

 ドン引きされた。


 そこだけ切り取ると、確かに僕は変な奴だ。


 だけど、弩に悪戯するのは、なんか弩を見てるとかまいたくなるってだけのことだし。



「篠岡君、もしかして、向こうで鬼胡桃会長と母木先輩になんか言われたの? 怒られたり、説教されたりした?」

 新巻さんが訊いた。

 弩も萌花ちゃんも、心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。


「いや、そういう事じゃなくて……」

 怒られたり説教されるどころか、二人は僕の進路を考えて親身になってくれた。

 鬼胡桃会長は、就職先の世話までしてくれた。


「そういうことじゃないなら、なに?」

 新巻さんが突っ込んでくる。


「そ、それは……」

 みんなには言えないけど、鬼胡桃会長から、弩とヨハンナ先生、萌花ちゃんと新巻さんが僕のことを好きとかいう話を聞いて、僕は帰ってから四人を意識するようになってしまったのだ。


 今こうやって囲まれていてもドキドキするのだ。


 鬼胡桃会長があんなこと言うから、朝はヨハンナ先生を起こすとき緊張して、歯磨きしてあげるのに、歯ブラシに歯磨き粉を付けすぎて、先生の口の中を泡だらけにしてしまった。

 なぜか先生のくちびるが気になって、上手く歯磨きしてあげられなかった。



「あっ、そっか、篠岡君、今日、三者面談だったよね? だから緊張してるのか」

 新巻さんが気付いたように言う。

「なんだ、それでですか」

 弩が頷いた。

「相手はヨハンナ先生なんだし、先輩、そんなに緊張することないのに」

 萌花ちゃんも安心してパチリともう一枚、僕の写真を撮る。


 三人とも勝手に納得してしまったみたいだ。


 全然、そんなことじゃないんだけど……




「お兄ちゃん」

 いつの間にか僕の後ろに枝折がいた。

 僕達が話している間に、玄関から上がってきたらしい。


 セーラー服姿の枝折が、「お兄ちゃん」って言って、僕の制服の裾を引っ張っている。


「枝折ちゃんいらっしゃい」

「枝折ちゃんも、おやつ、食べてけば?」

 弩と萌花ちゃんが声をかけた。

「いえ、用事があるので、また今度」

 枝折は頭を下げる。


「どうした? 枝折」

「お兄ちゃん、今日、三者面談でしょ、ほら行くよ」

 枝折がそう言って裾を引っ張る。


「行くよって?」

「お母さんもお父さんも出られないんだから、保護者として、三者面談には私が参加します」

 枝折が言って胸を張った。


「はっ?」

「お兄ちゃんの進路は、私と花園にとっても重要なことだし、家族として私が参加するから」

 確かに、僕の進路は二人にとっても重要なことかもしれないけど、三者面談に妹を連れてくるとか、聞いたことがない。


「そうだね。枝折ちゃんはお兄ちゃんよりしっかりしてるから、保護者として出ればいいよ。枝折ちゃんにはその資格が十分にある」

 新巻さんが言って、枝折の頭を撫でた。

 新巻さんの大ファンである枝折は、「はい」って小さな声で答えて、顔を真っ赤にしている。


「ちょうど良かった。先輩、三者面談が心配で緊張してるみたいだったし、ちょっと変だったから、枝折ちゃんが付いていてくれれば心強いよね」

 弩も言う。

「いいなぁ、私もこんな出来る妹欲しいなぁ」

 萌花ちゃんが言った。


 だから、そうじゃないんだけど……



「さあ、お兄ちゃん行こう」

「う、うん」

 まあ、確かに枝折が隣にいてくれると心強い。

 母や父がいないとき、僕達は兄妹三人で肩寄せ合ってきた。

 僕が兄として枝折と花園を励まして、枝折と花園も僕を励ましてくれた。

 僕達は一心同体いっしんどうたいだった。


「それじゃあ、教室まで手を繋いでいこうか」

 僕が提案すると、

「はあ?」

 枝折に一蹴いっしゅうされた。


 き、きっと、みんなの前で、照れてるだけだと思う……




 僕の順番が回ってきて、枝折と二人でドアを開けると、放課後の教室では、ヨハンナ先生が笑顔で僕達を待っていた。

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