第282話 再会

「よう、篠岡!」

 東京駅の新幹線改札口で、母木先輩が手を振って僕を出迎えてくれた。


 ネイビーのテーラードジャケットに、白いVネックのTシャツ、黒いパンツの母木先輩。

 背が高いし目立つから、駅の人混ひとごみの中でもすぐに母木先輩って分かった。

 相変わらず爽やかだし、カッコイイ。

 着こなしとかも、すっかり大学生って感じだ。


「お久しぶりです」

 僕は頭を下げた。

「篠岡、ちょっと、たくましくなったんじゃないか?」

 母木先輩はそんなふうに言ってくれる。

「部長になって頑張ってるからかな」

「いえ、そんな」

 お世辞でも嬉しい。



「それじゃあ、まず、昼ご飯でも食べようか」

 母木先輩に、そのまま東京駅近くの海鮮丼のおいしい店に連れて行ってもらった。

 平日の昼時はビジネスマンで行列が出来る有名店らしい。

 山盛りの海鮮丼を食べたあと、鯛茶漬けまで味わえる上に、値段も手頃なお店だった。


 僕が知らない土地で、こんなお店に自然にエスコート出来る母木先輩が、すごく大人に見える。



 昼ご飯のあとは、渋谷のCDショップで、「Party Make」の新曲の店頭ディスプレイを見て回った。

 地方だと中々見られない派手なディスプレイが楽しい。

 どこも新曲のCDは店内の一番目立つところに大々的に展開していた。

 僕達が見ている間だけでも十数人がCDを手に取ってレジに向かっている。

 あのスキャンダルの影響はまったくないみたいで安心した。


 次に新宿に移動して、西武新宿駅前の大型街頭ビジョンに流れる「Party Make」のプロモーションビデオを見る。

 人であふれる新宿の街で「Party Make」の三人を見るのが感慨かんがい深かった。

 たくさんの人が足を止めて画面に見入ってくれるのが自分のことみたいに嬉しい。


「他に、どこか行きたいところあるか?」

 母木先輩が訊いた。

「いえ、特には……」

 人混みで、ちょっと疲れた。

「そうか、それじゃあ、家に行くか」

 母木先輩は、そんな僕の様子を察してくれたみたいだ。




 新宿駅から、中央線で国立駅の母木先輩と鬼胡桃会長が暮らすマンションまで移動する。

 二人が暮らすマンションは、駅からも大学からも十分以内で歩ける、便利な場所にあった。

 周囲が閑静な住宅街って感じで落ち着く。


 ダークグレーの比較的新しい五階建てマンションの、四階一番奥が二人の部屋だった。

 エレベーターで四階まで上がると、表札には「鬼胡桃」ってある。

 そっか、僕はまだ普通に母木先輩って呼んでるけど、二人は結婚して母木先輩も鬼胡桃の姓になったんだ。

 前から分かってたことなんだけど、こんな表札でそれを実感した。


「お邪魔します」

「どうぞ、入って」


 僕は母木先輩に続いて部屋に入る。

 部屋の中は、母木先輩が暮らすだけあって、ほこり一つ落ちてないくらいに綺麗だった。


 玄関からすぐにキッチンで、反対側にバスとトイレ、正面に八畳の洋室があって、その隣に六畳の寝室っていう2Kの間取りだ。


「これ、つまらない物ですが」

 僕は、ヨハンナ先生に持たされた菓子折を渡した(僕は荷物になるし、いらないって言ったのに、ヨハンナ先生が手土産は礼儀だから持って行きなさいって強く言った)。

「どうも、ご丁寧に」

 母木先輩がそう言って受け取る。


 なんか、僕と先輩でこんな他人行儀たにんぎょうぎなやり取りをしているから、どちらからともなく笑ってしまった。


「さあ、自分の家だと思ってくつろいで」

 先輩に八畳の洋室に案内される。


 部屋には、壁際のチェストの上にテレビがあって、その前にテーブルと二人掛けのソファーがあった。

 あとはタンスと机で、机の上にノートPCが置いてある。

 カーテンとかテーブルクロスとか、部屋全体がネイビーで統一されていた。

 差し色にオレンジのクッションが転がっている。

 家具の一つ一つとか、壁に貼ってある現代アートのポスターとか、さすが、母木先輩が選んだだけあって、センスが良かった。

 インテリア雑貨のパンフレットに載っていそうな部屋だ。


 僕は先輩にソファーを勧められて座った。

「今、統子はアルバイトに行ってていないんだ。もうすぐ帰ってくると思うけど」

 母木先輩がお茶を出しながら言う。

 お茶には、先輩が作ったチーズタルトのお茶請けがついていた。


「鬼胡桃会長、なんのアルバイトしてるんですか?」

「うん、家庭教師だよ」

「へええ」

「あの性格だろ。バリバリやるから、親御さん達には好評らしい。実際、受け持った子達の成績も上がってるみたいだし」

 母木先輩が苦笑する。

 すごく、鬼胡桃会長らしいって思った。


「統子、あんまり親に頼りたくないからって、がっつりバイト入れてるし、それでいて、学校の方だって今まで一つの講義も休んだことないんだから。彼女の行動力は、大学生になってどんどん増してるよ」

 母木先輩はそう言って肩をすくめる。

 鬼胡桃会長のことを言うときの母木先輩は、すごく嬉しそうだ。



 お茶とタルトを頂きながら、僕は先輩達が去ってからの寄宿舎のことを話して、先輩はここでの生活について話した。

 先輩がお薦めの台所用クレンザーの話をしたり、僕が百円ショップで見付けたすぐれものの洗濯ネットの話をしたり、男子高校生らしい話題でも盛り上がる。


 久しぶりに会った母木先輩とお茶しながら話してると、主夫部の部室や寄宿舎の食堂でおやつを食べてる時みたいな、温かくて緩い空気感が戻ってきた。

 取り留めもないけど、充実した時間だ。


 窓の外には洗濯物が干してあって、秋の乾いた風にそよいでいる。


 ああ、あれ、鬼胡桃会長のパンツだ。

 なつかしい……


 って、勝手に人のパンツを懐かしがってたら怒られるかも。


 洗濯物からは、前に嗅いだことがある香りがした。

 これは、僕が鬼胡桃会長をイメージして作った柔軟剤の香りだ。

 寄宿舎を出るとき、鬼胡桃会長が気に入ってくれたこの柔軟剤のレシピを母木先輩に渡したけど、気に入って作ってくれてるらしい。


「ちょっと、ごめんな」

 母木先輩が席を立って洗濯物を取り込み始めた。

「僕、手伝いましょうか?」

 僕も立ち上がろうとすると、

「いや、篠岡はお客さんなんだからいいよ。それに、僕はせっかくの家事の楽しみを、他に譲る気はない」

 母木先輩が笑いながら言う。


 先輩は取り込んだ洗濯物を隣の部屋に持っていった。

 そこで洗濯物を畳んでタンスに仕舞う。


 隣の寝室はこっちの部屋と違って、カーテンや絨毯が薄いピンクで統一してあった。

 真ん中に大きなダブルベッドがあって、それにも薄ピンクのシーツと布団が掛けてある。

 ダブルベッドの上では、枕がぴったりくっついて置いてあった。


 先輩は何も言ってないのに、のろけられてるみたいで照れてしまう。



「ただいまー」

 ドアが勢いよく開いた。

 この声は、鬼胡桃会長だ。

 会長がバイト先から帰ってきたみたいだ。


 僕はソファーから立ち上がった。


 久しぶりに会う会長は、しかし全然今までと違って、僕は一瞬戸惑う。


 栗色でパーマがかかった会長の髪が、黒髪のショートカットになっていた。

 鬼胡桃会長といえば制服代わりのボルドーのワンピースだったのに、紺のスーツにタイトスカートだ。

 スーツの下に着ているシャツの襟が、切れそうなくらい鋭かった。


「ああ篠岡君! 久しぶり!」

 鬼胡桃会長がそう言って僕に近づいて来たと思ったら、肩に掛けていた黒いトートバッグを落として、いきなり僕を抱きしめる。


 鬼胡桃会長に抱かれて、汗と柔軟剤が混ざった匂いがした。


 これは、働く女性の匂いだ。


「よく来たね」

 会長が言った。


 ところで鬼胡桃会長、母木先輩の前で僕なんか抱きしめていいんでしょうか?

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