第263話 空飛ぶ車

「分かってないの、僕だけ?」

 僕が言ったら、寄宿舎の住人(ひすいちゃんも含めて)全員が僕をジト目で見る。


 ヨハンナ先生が竹取物語のあらすじを話したあとで、寄宿生がうんうんとうなずく中、僕だけが取り残されてしまった。


「先輩、本当に分からないんですか?」

 弩が、あきれ顔で僕の前に立つ。


「うん、残念ながら」

「まったく、これだから……先輩は、鈍感なこと山のごとしですね」

 そんな、武田っぽく言わなくても……


「それじゃあ、私が説明してあげましょう」

 弩に言われても、この状況では言い返せない。


「まず、正解から言います。この六面の彫刻のうち、『からくり』の鍵となる正解の面は、これです」

 弩が、手に持った箱の、一つの面を僕に見せた。


 それは、十二単じゅうにひとえではなく、ふわふわした衣装を着たかぐや姫が、無表情で正面を見ている彫刻の面だった。


「それが、正解なのか?」

「はい、そうです」

 弩が言って、他の寄宿舎の住人が頷く。

 やっぱり、みんな分かってたらしい。


「先輩、この彫刻の箱があったのは、どこですか?」

 弩が僕に訊く。

「えっと、二階に上がった壁の、レリーフが並んだ最後のほう」


「そうです。これは、階段の一階、竹から赤ちゃんが生まれるシーンから続いた彫刻の最後のほうの場面です。さっき、ヨハンナ先生が話してくれたあらすじで、かぐや姫は最後、月に帰る前にどうなりましたか?」


「ええと、『月のころも』を着て、記憶をなくして、空飛ぶ車で月に帰って行くんだっけか」


「そうです。だから、この、十二単ではない、ふわふわした衣装で、無表情のかぐや姫が正解なのです。月に帰るかぐや姫は、最後に『月の衣』に着替えました。だから十二単を着ている三つの面は、除外します。そして、ふわふわの『月の衣』を着ている三つの面のうち、感情を表現している面も除外します。なぜなら、かぐや姫は『月の衣』を着たら、記憶をなくし、感情をなくして月の人になってしまうのです。『月の衣』を着ている面から、泣いている面と、微笑んでいる面を除いた、この無表情なかぐや姫の面が正解なのです」

 弩が得意げに言う。


「なるほど」

 くやしいけど、弩の説明に納得させられてしまった。


「そして、『月の衣』を着たかぐや姫は空飛ぶ車で月に帰ります。ということはつまり、あの、空飛ぶ車のレリーフがあるバルコニー、あれが空を飛ぶのです。正解の面を壁に入れてレリーフのスイッチを押せば、空飛ぶ車に見立てたバルコニーが、月に向けて飛び立つのです! それが、この館に仕掛けられた青村喜多郎の『からくり』です!」

 弩がそう言い切った。


「ま、まさか……」

 いくら天才建築家でも、バルコニーを空に飛ばすとか……

「まあ、飛び立つといっても、バルコニーが展望台みたいに高く上がるだけでしょうが」

 弩が付け加える。

「なんだ」

 まあ、それくらいだったら、あり得る。


「床下の必要以上に頑丈な基礎といい、壁の構造とは関係ない柱といい、たぶん、弩先輩の言う通りだと思います。僕は今、謎が解けてドキドキしています」

 宮野さんは、興奮して少し上気している。

 青村喜多郎のファンで、入寮以来、ずっとそれを探していた宮野さんにとって、感慨かんがい一入ひとしおだろう。


「それじゃあ、弩さんのその答えが正しいのか、試してみましょうよ」

 ほろ酔いでうとうとしていたヨハンナ先生が、目を覚ました。


「今からその箱を壁に入れてみて、バルコニーのスイッチを押しましょう」

 先生が言って、僕達みんなが頷く。




 壁の穴に箱を入れる役割は、僕達を代表して宮野さんがやることになった。

 ふわふわした「月の衣」を着て、無表情なかぐや姫が彫られた面、それを正面にして、壁に箱を差し込む。

 宮野さんは、壁の奥のピンにしっかりと届くように、ぐっと箱を押し込んだ。

 箱は、元々そうだったみたいに、壁の面にぴったりと納まった。


「あとは、バルコニーのスイッチを押すだけだね」

 新巻さんが言う。

 新巻さんもいつになく興奮していて、鼻息が荒かった。


 僕達はそのままバルコニーに移動する。


「私とひすいは、見守っておくね」

 ひすいちゃんを抱いた北堂先生は、二階に残った。

 何が起こるか分からないし、そのほうがいいと思う。


 みんながバルコニーに乗って、見送る北堂先生がドアを閉めた。

 レリーフのスイッチを誰が押すかとなって、みんなで押すことにした。

 みんなでレリーフに手をえる。

「それじゃあ、押します!」

 宮野さんの号令で、声をそろえてカウントダウンした。


「5・4・3・2・1……」


 0で、僕も力を入れてレリーフを押し込んだ。

 今までびくともしなかったレリーフが、すっと奥に引き込まれる。

 5㎝くらい後ろに動いたところで、カチャリと、何か金属の部品が噛み合った音がした。

 「バ○ス」のことが頭をよぎって、僕は身構みがまえる。


 五秒くらいは、そのまま何も起きなかった。


 しかし次の瞬間、バルコニーが細かく振動し始める。

 バルコニー自体がブルブルと震えたかと思ったら、カタン、カタン、カタンと、上下に一定のリズムを刻みながら揺れた。


「バルコニー、上がってますよね?」

 宮野さんが訊く。

 確かに、周りを見てみると、一回揺れるたびに、少しずつバルコニーが上に登っているように思えた。

 その動き方は少しずつだったけど、確かに上がっている。


 空飛ぶ車というには少し優雅ゆうがさに欠けるかもしれない。

 でも、月に近づいているのは間違いなかった。


 カタン、カタンと、バルコニーは上がり続ける。


 そして、とうとう、バルコニーは寄宿舎の屋根の高さを超えた。

 手すりに掴まって下を見ると、バルコニーが四本の柱でしっかりと支えられているのが分かった。

 その柱が、少しずつ少しずつ伸びている。


 寄宿舎を囲む木々の高さを超えたあたりで、カタンと、一際ひときわ大きな音がして、振動が止まった。


 今、バルコニーは屋根から五メートルくらい上にある。

 だから建物の高さを足すと地上から十五メートルくらいにあるんだと思う。


 寄宿舎は学校の校舎よりも高台にあるし、視界をさえぎる物がなくて、見晴らしが良かった。


 月と満天の星空が近くに望める。

 月は、半分よりも少し満月のほうに傾いたくらいの大きさだ。


「本当に、月の使者の空飛ぶ車みたいです!」

 月明かりに照らされた弩が、月をあおいで言う。


「僕は今、感動しています!」

 宮野さんの目に溜まっている涙が、月明かりにキラキラと光った。


「ほっ、本当に、すごいわね」

 手すりを強く握っている新巻さんは、腰が引けている(新巻さん、高いところが苦手みたいだ)。


「三脚持ってくればよかった」

 萌花ちゃんは光がないところでカメラをぶらさないように、わきを締めて夜景を撮っていた。



 このからくりが出来た当時は、まだ高い建物がそんなになかっただろうし、林の木々も今くらい高くなかっただろうから、こんな高さに上がるバルコニーを見た人は、びっくりしただろう。

 だけど、大勢の人がこの「からくり」を見ていたら、うわさになったはずだし、バルコニーが上がるっていう話も残っていたはずだ。

 そんな話が後世に伝わってないってことは、新巻さんが言うとおり、この「からくり」は青村喜多郎が、ひそかにしたっていた後援者の娘、「小夜さよ」だけに見せたとか、そんなふうに考えられる。


 そう考えると、すごくロマンチックだ。



「あーあ、ビール持ってきて、月見酒にすればよかったな」

 ヨハンナ先生が言う。


 やっぱり、先生はそこか!


 僕達は各々が想いをめぐらせながら、しばらくそこで、夜空を眺めた。




「あのう、それでこれ、どうやって下りるんですか?」

 本当はこのまま、いつまでも涼んでいたいけど、僕は明日の朝食の下準備とかしないといけないから、そろそろ下りたい。


「下りる方法は、もちろん、分かってるんですよね」

 僕は、女子達に訊く。


「えっ?」

 ところが女子達が顔を見合わせた。


 まさか、優秀な寄宿舎の女子達に限って、下りる方法を考えてなかったなんてことは、絶対にないと思う。

 あれほど僕を鈍感だとか言ってたんだし。

 うん、絶対にない。


「やば、トイレ行きたくなっちゃった。さっき、ビール飲みすぎた」

 ヨハンナ先生が、ぼそっと言う。


 まずい、緊急事態です!

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