第243話 初物

 目の前に僕の知らないパンツがある。

 水色の、リボンが付いた可愛らしいパンツだ。


 僕は、この寄宿舎にいる人物のパンツを全て把握している。

 それは、女子でも男子でも。

 新しく寄宿舎に入った宮野さんのも、新入部員の子森君のだって知っている。

 なぜなら、僕が毎日洗濯してるんだから。


 でも、僕はこの水色のパンツを知らない。

 そんな未知のパンツが、洗濯籠の中にくしゃっと塊になって残っている。


 一体、どこから紛れ込んだんだ。


 僕が毎日、せっせと洗濯にはげんでるから、神様がご褒美ほうびとして、余計に洗濯物を増やしてくれたってことは………ないだろうけど。



 僕がパンツを前に腕組みして考え込んでいたら、

「篠岡君、おはよう」

 シャワーを浴びたあとの濡れ髪のおがみさんが、脱衣所から出てきて僕の横を通った。


「ああ、おはようございます」

 僕は頭を下げる。

「ねえ、篠岡君、濃いコーヒーが飲みたいんだけれど」

「台所の御厨に言えば、入れてくれますよ」

 って、


「なんで拝さんがいるんですか!」

 僕は拝さんを追いかけてその背中に問いかけた。


 超常現象同好会の会頭かいとう、拝敬子さん。


「なんでって、昨日ここに泊まったからじゃない」

 拝さんが、当然のように言う。


「泊まったって……」


 拝さんからは、ほのかにシャンプーの香りがした。

 もう前みたいに前髪で目を隠してなくて顔は見えるけど、膝まで届きそうな黒髪と、ミステリアスな雰囲気は変わらない。


 拝さんを追うように、脱衣所から枝折が出てきた。

「お兄ちゃん、おはよう」

 枝折が、無表情で言う。


「枝折、これは」

「ああ、昨日、文化祭の準備で遅くなって帰れなくなっちゃったから、拝先輩には寄宿舎に泊まってもらったの。だって、先輩を部室の床に寝かせるわけないはいかないでしょ? もちろん、寮長のゆみゆみと、管理人のヨハンナ先生の許可は得ています」

 枝折が言う。


「あと、文化祭が終わるまで、先輩はここに泊まるから」

 枝折が続けた。


「私がいると、迷惑?」

 拝さんが訊く。

「いや、全然」

 むしろ、ウエルカムだ。


 単純に寄宿舎が賑やかになるのは嬉しい。

 洗濯物が増えて、たくさん洗濯できるし。

 それに、拝さんにはタケノコの件でお世話になっている。

 同好会の活動で枝折がお世話になってることでもあるし。


「ところで篠岡君、私のパンツはそこにあるけど、私は枝折ちゃんのを借りたから、ノーパンではないわ」

 拝さんが言う。


 いえ、別にそれは考えてなかったけど……



「ところで、超常現象同好会は文化祭にどんな展示をするの?」

 話題を変えようと、僕は訊いた。


 僕達主夫部と同様、超常現象同好会も毎日遅くまで学校に残ってるみたいだけど、何をするつもりなんだろう?

 大切な妹の枝折が関わっているだけに、凄く気になる。


「そう、それが問題だったのよね」

 拝さんが言った。

「私にとっても高校生活最後の文化祭だし、何か大きなことをして終わろうと思ったの。たとえば、この学校に巣くっている妖怪変化の類を退治してみせるとかね。百鬼夜行のパレードで、文化祭の最後を飾るとかね」

 そんな恐ろしいもので、飾らないでほしい。


「でも残念なことに、この学校の周囲は私が結界を張っていて、何もいなくなっちゃったし、めぼしい奴は退治してしまったからね」

 一体、この学校に何がいたっていうんだ。


「だから、幽霊や妖怪変化の類はあきらめたわ」

「は、はあ」

 僕は、そう答えるしかない。

「何をするかは、内緒よ。まあ、みんなの期待を裏切らない楽しい余興よきょうを見せるから、楽しみにしていてちょうだい」

 拝さんが、目を輝かせて言った。

 枝折も、拝さんの言葉にうんうんと頷いている。


「枝折、大丈夫なのか?」

 僕は、拝さんに聞こえないように、枝折の耳に顔を寄せて小声で訊いた。


「もちろん、大丈夫だよ」

 なんか、枝折もすっかり拝さんに取り込まれている。


 枝折の行く末が心配でならない。





 その日の放課後の撮影は、プール開きしたばかりの学校のプールを使っての撮影だった。


「だって、水着回は入れといたほうがいいでしょ?」

 脚本の新巻さんが、得意げにそんなことを言う。


「本当は温泉回も入れたかったんだけど、さすがにこの短い映画の中に二つを入れ込むのは無理だった」

 新巻さんはそう言って舌を出した。


 新巻さん、つまり、森園リゥイチロウの人気の理由を再確認した気がする。


「このところ、塞君に言われてビール控えておいて良かった」

 ヨハンナ先生がお腹を摩りながら言った。

 先生は鮮やかなブルーのワンピースの水着を着ている。

 水着の先生がまぶしすぎて、直視できなかった。


 ストーリーとしては、宿直で学校に泊まりになったヨハンナ先生が、マンションに残っていた僕を学校に呼び出して、二人で夜のプールに忍び込むっていう流れだ。



 暗くなるのを待って、撮影が始まった。


 先生がフェンスの鍵を開けて、僕達はプールに忍び込む。

「本当に、大丈夫なんですか?」

 僕がキョロキョロしながら訊くと、

「大丈夫、大丈夫」

 先生は、大胆にもプールサイドでパーカーを脱いで水着になった。


「ほら、塞君も、服脱いじゃいなよ」

 プールの水を胸にかけて、体を慣らす先生。


「僕、水着持ってきてませんし。ってゆうか、先生は何で水着持ってきてるんですか!」


「だって、蒸し暑いからプールもいいなって思ったし、旦那様にサービスしたかったんだもん」

 ヨハンナ先生がそう言ってウインクする。

 これが、新巻さんが書いたセリフだって分かっていても、ドキドキする。

 辺りが暗くて、萌花ちゃんのカメラに僕の真っ赤な顔が映らなくて良かった。


「ほら、来なさい」

 先生がプールに飛び込んだ。

 先生は手を真っ直ぐに伸ばして、綺麗な弧を描いて水に跳び込む。

 そのまま潜水した先生が、プールの真ん中辺りで顔を出した。


「もう、しょうがないなあ」

 僕は、上着とズボンを脱いで、トランクスでプールに入る。


 ヨハンナ先生が僕に水をかけてきて、僕はそれに応戦した。

 僕達は水の掛け合いをする。

 二人で、子供みたいに無邪気に水を掛け合った。



 一頻ひとしきり遊んで疲れたら、僕と先生は、プールに仰向けで浮かんで空を見た。

 僕達は並んで、手を繋いでいる。


 空には、月とたくさんの星が見えた。

 星が水面に映っていて、どこまでが星空で、どこまでが水面なのか、分からない。


 ヨハンナ先生が、僕の手を強く握ってきた。

 僕も、先生の手を強く握り返す。


 でも、こんな小さな演技、果たしてカメラに映るんだろうか?




「はい、カット!」

 ディレクターズチェアに座る弩が言った。


「完璧です! 綺麗な映像、撮れました」

 弩の言葉に、カメラマンの萌花ちゃんも頷いている。



「それじゃあ、今日の撮影はここまでですから、みんな、後は自由にしていいですよ」

 弩が言った。


「そうだよな。篠岡と先生ばっかり、ずるいもんな!」

 錦織が言って、着ていたシャツとズボンを脱いだ。

 錦織はその下に水着を着ていた。

 それは、御厨も子森君も同じだった。


 三人が次々にプールに跳び込む。

 プールサイドに盛大な水しぶきが上がって、それが女子にかかった。


「男子ばっかり、ずるい!」

 萌花ちゃんはカメラを置いて、服を脱いだ。

 萌花ちゃんも、服の下に黄色い水着を着ていた。


「僕も、入ります!」

 宮野さんは、フリルが付いた花柄のビキニだ。


「もう、みんなしょうがないわね」

 新巻さんも、今回は僕達に合わせてくれる。

 新巻さんの水着は、ギンガムチェックのスカートが付いたビキニだ。


「水着なんて着るの、大学の卒業旅行以来だよ」

 北堂先生まで、服を脱いで足から静かにプールに入った。

 先生の水着は、紺のタンキニだ。


「ほら、弩も来いよ」

 僕が言って水を掛けると、

「ふええ、待ってください!」

 弩も服を脱いだ。

 弩の水着は、やっぱり、胸の名札に「6の2 おおゆみ」って書いてあるスクール水着だった。



 蒸し暑い夜、主夫部と寄宿舎の住人は、一足早く、水遊びをした。

 これで、授業とか撮影とかの疲れも吹っ飛ぶ。


 夜の学校のプールでこんなふうに騒げるのも、文化祭準備期間っていう、特別な時間だからかもしれない。

 文句を言う先生はいないし、文句を言われたとしても、映画の撮影って言い訳できる。


 プールの中で泳いだり、跳び込んだりして遊んでいたら、水の中で何か硬いものが手に触れた。

 何かと思って見ると、プールの中にスイカが二つ、浮いている。


「冷やしておいたよ。今年の初物、後でみんなで食べよう」

 水着の肩紐かたひもを直しながらヨハンナ先生が言った。


 先生、いつの間にスイカとか仕込んでたんだ。


 こういうことをさらっとするから、ヨハンナ先生のことが、もっと好きになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る