第241話 丸裸

 今日は早朝から洗濯機を三回回した。


 寄宿舎の住人が増えて仕事は多くなったけど、朝起きてすぐに洗濯が出来るのは、幸せでしかない。


 駅まで歩いたり、電車に乗ったり、そんなわずらわしさから解放されて、起き抜けで、早朝の澄んだ空気の中に、のびのびとセーラー服を干すことが出来るのだ。

 柔軟剤の香りに包まれるのだ。

 登校の時間を、すべて家事に当てられる。


 もし僕が本物の主夫になったら、こんなふうに妻になった人のために、毎日、朝から色々としてあげられるんだろう。

 それを想像して、顔がニヤけてしまった。

 まだ、結婚相手もいないし、それどころか、彼女だっていない僕なのに……



 他の部員も、僕と同じように楽しんでるみたいで、生き生きとしていた。


 台所の御厨は女子達にたくさん食べさせるって張り切って料理してるし、錦織は、枝折と花園のために涼しげな部屋着のワンピースを作ってくれた。

 子森君の窓拭きも、廊下の雑巾掛けにも気合いが入っている。


 この生活が、2週間の文化祭準備期間だけで終わってしまうのはちょっと寂しい。


 やっぱり、文化祭は当日が来ないで、ずっと準備期間が続けばいいって思ってしまう。




 御厨が作る味噌汁の香りが寄宿舎を満たす頃、食堂で枕を並べて寝ていた女子達が起きてきた。


「塞君、おはよう」

 Tシャツにショートパンツのヨハンナ先生が、僕を認めて挨拶する。


「おはようございます」

 僕が返すと、先生、なぜか僕を見てクスクス笑った。


「どうしたんですか?」

 僕が訊くと、

「ううん、なんでもない」

 先生はそう言って、僕の髪を手でくしゃくしゃにして、洗面所のほうに向かう。


 なんだろう?


 僕達、主夫部男子みたいに、文化祭の間は女子もテンション高めなのか?



「篠岡君、おはよう」

 ヨハンナ先生に続いて、ひすいちゃんを抱いた北堂先生が食堂から出てくる(ひすいちゃんは、先生の腕の中でまだおねむだ)。

 おかしなことに、北堂先生も僕を見て笑って、ニヤけた口元をひすいちゃんで隠した。


「先生、どうしたんですか?」

 僕が訊くと、

「ううん、今日もお天気いいなぁと思って」

 北堂先生は誤魔化ごまかして、ひすいちゃんのオムツを替えるんだって、行ってしまう。



「おはよう、篠岡君」

 その次に出てきた新巻さんは笑いをこらえていて、挨拶するのに僕と目も合わさなかった。

 ここまで笑われると、僕の顔に何か付いてるんだろうかって心配になる。

 僕が無理に目を合わそうとすると、新巻さんは「もう!」って怒って、二階に上がってしまった。



「おはようございます。篠岡先輩!」

 次に食堂から出てきた萌花ちゃんも、例にれず笑っていた。


「私、いつも先輩の写真撮ってるから、先輩のこと知ったつもりでいたんですけど、本当は、何も知らなかったんですね」

 萌花ちゃんが起き抜けに意味が分からないことを言う。

「私、今日から先輩の撮り方が変わると思います。もっと、先輩の魅力的な写真が撮れると思います」

 創作に対して熱心なのはいいけど、朝からどうしたんだ。

「お、おう」

 僕は、萌花ちゃんに上手く答えられない。



「篠岡先輩、おはようございます。僕、僕、篠岡先輩のこと……」

 萌花ちゃんに隠れるように後ろにいた宮野さんは、何か言いかけて、ほっぺたを真っ赤にした。

 恥ずかしそうに、逃げるように洗面所に向かう。


 宮野さんまで……


 一体、女子達の間で、何が起きているんだ。



「おはよう、篠岡君、あなたって、見かけによらないのね」

 薄いシルクのパジャマの天方リタが、上から下まで僕をめるように見て、意味ありげに微笑む。

 御厨の母親だけど、ちょっとクラッとした。



「お兄ちゃん、おはよう」

 枝折は、いつもと変わらない無表情で挨拶をしたように見える。

 でも、口の端が1ミリくらい上がっていた。

 朝からこんなに機嫌がいい枝折を見るのは久しぶりだ。


 枝折あとに食堂を出てきたのは花園だった。

「おはよう、お兄ちゃん。それでも私は、お兄ちゃんのこと大好きだよ」

 花園が、僕の肩をぽんぽんと優しく叩く。

 なんで僕は花園にはげまされてるんだ?


 やっぱり、女子達の様子がおかしい。



 そう言えば、昨日の夜、女子だけで食堂で寝るんだって、僕達男は食堂から追い出されたけど、そこで何か話してたのか?

 みんな眠そうな目をしてるし、ガールズトークで明け方まで盛り上がったのかもしれない。

 一体、みんなで何を話してたんだ?



「篠岡先輩、おはようございます! プー、クスクス」

 最後に食堂から出てきた水色のパジャマの弩は、僕を見て笑い顔を隠さなかった。


 プークスクスって、擬音を発音するな!


「弩、みんな変だけど、なんかあったのか?」

 当然、僕は訊く。

「いえ、何もないですよ」

 弩はそう言ってしらばっくれた。


「本当は、なんかあったんだろう?」

 僕が問い詰めて、弩の頭を撫で繰り回すと、弩は、「分かりました分かりました」って、くすぐったがって白状する。

 最初から、そうしていればいいものを。


「夜、女子だけで色々話してたら、篠岡先輩の話になって、それがことほか、盛り上がったんです。先輩は鈍感すぎるとか、先輩は優しすぎるとか、先輩は女子に甘すぎるとか、みんなで思ってること話しました。篠岡先輩に対する愚痴ぐちを言い合ったんです」

 弩はそう言って思い出し笑いした。

 その話、よほど面白かったらしい。


「枝折ちゃんと花園ちゃんが、家での先輩のことを色々と教えてくれるし、各々が先輩と二人でいたときのエピソードとか話して、みんなで先輩の情報を共有しました。先輩のこと、改めて色々と知りました。今や先輩は、寄宿舎の女子達の間で丸裸です」

 弩は笑い続ける。


 女子だけで何やってるんだ………

 ガールズトーク、恐るべし……


 だけど、枝折や花園は、何を話したんだろう?

 ヨハンナ先生と弩とは、夏休みとか冬休みとか、ゴールデンウィークも一緒に過ごしてるし、新巻さんとは修学旅行を二人で過ごした。

 僕のいろんなことが知られている。

 それを、全員で共有したって……


「大丈夫です。愚痴っていっても、全部、愛ある愚痴ですから。みんな先輩のこと大好きですし」

 弩が、偉そうに言った。


「それから先輩。先輩のパソコンの『世界の昆虫』フォルダ。あれ消したらしいですけど、その移動先が、64ギガのUSBメモリで、机の天板の裏にガムテープで貼り付けてあるのは、もうバレてますよ。エッチなのはいけないと思います」

 弩が続ける。

 そんな、いつの間に……

 あれは、枝折だって花園だって知らないはずだし、僕の部屋に入らないと……


 その時僕は、先日、ヨハンナ先生とアンネリさんを二人で家に泊めたことを思い出した。


 ヨハンナ先生………


「えっ、先輩? 何するんですか?」

 なんかくやしいから、とりあえず弩のパジャマのパンツのひもを、固結かたむすびにするの刑にしょす。


「ふええ」

 久しぶりに弩が「ふええ」って鳴くのを聞いた。



「先生! ヨハンナ先生!」

 僕は、急いで先生の部屋に行ってドアを開ける。

 だけど、ヨハンナ先生は気配を察したのか、部屋から忽然こつぜんと消えていた。


 探さないでください。


 ヨハンナ先生が書いたそんな書き置きが、テーブルの上に残されているだけだった。


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