第190話 五目いなり寿司
「どうかな?」
新巻さんが訊いた。
「まだ、三人とも、ちょっと照れがある感じがする」
僕は答える。
白いレースの、ふわふわな衣装に身を包んだ、新巻さんと萌花ちゃん、そして弩の三人。
踊り終わって、三人は息を切らせていた。
底冷えがする食堂でも、汗をかいている。
「三人が恥ずかしがってると、それが見てる側にも伝わって、こっちが恥ずかしくなるから、もっと堂々とすればいいと思う。みんな、本物のアイドルだと思って、思いっきり可愛さを前面に出して踊ればいいよ。大丈夫、三人とも、すごく可愛いんだから」
僕はアドバイスして、三人にタオルとスポーツドリンクを渡した。
「えっ? ちょっと最後、聞こえなかった。もう一回、言って」
新巻さんが言う。
「うん、だから、照れずに踊ろう。すごく三人とも可愛いんだから」
僕は繰り返した。
「あの、先輩、最後、聞こえません。もう一度言ってください」
今度は萌花ちゃんが言う。
「うん、だから、三人とも、すごく可愛い」
「先輩、最後聞き逃しました。もう一度お願いします」
弩が言った。
「三人とも、すごく可愛い」
言ってもらいたいだけか……
弩と萌花ちゃん、新巻さんの三人は、三年生の送別会で披露する歌の練習をしている。
サプライズで「Party Make」の新曲「寄宿舎を抜け出して」を披露する予定だ。
弩は「ほしみか」役、萌花ちゃんは「な~な」役、新巻さんは「ふっきー」役をする。
三人が着ているこのレースの衣装は、錦織に作ってもらった。
「Party Make」の衣装を作っていた錦織が作った衣装なんだから、ある意味、本物といえるかもしれない。
寄宿舎、食堂での練習で、僕は曲を流したり、振り付けのお手本映像を流したり、飲み物やタオルを渡したり、三人の手伝いをしていた。
三人とも、歌も振りも完璧に覚えてるし、あとは恥ずかしがらずに思いっきりやれば、三年生に喜んでもらえると思う。
「それじゃあ、五分、休憩にしようか」
僕がそう言って、「はーい」と三人が返事をした。
萌花ちゃんが廊下に出て行こうとして、ドアを開けて、すぐに閉める。
「大変です! 縦走先輩が来ます!」
萌花ちゃんが小さい声で言った。
玄関から、縦走先輩がこっちに向かっているという。
三人が「Party Make」の曲を歌うのは、先輩達にサプライズで見せたかった。
今、衣装を着ている三人が見つかったら、バレてしまう。
全ての荷物を運び出して実家にいるし、先輩達は卒業式までの間、もうここに来ることもあまりないだろうと、僕達は安心して食堂で練習していたのだ。
「どうしよう!」
先輩がこっちに向かって歩いているから、もう、廊下には出られない。
着ている衣装はすぐに脱げない。
「カウンターの後ろ! 隠れよう」
新巻さんが言って、三人が食堂の隅の、配膳用カウンターの中に隠れた。
タオルや、スポーツドリンク、スマートフォンやスピーカーが置きっぱなしだったから、僕は急いでそれを隠して、カウンターに潜り込む。
一畳くらいの広さで、高さも1メートル程しかないカウンターだから、四人で入るとぎゅうぎゅう詰めで狭かった。
僕は、弩と新巻さんの間で、ぴったりくっつくような形になってしまう。
衣装のレースのふわふわが、僕の鼻をくすぐった。
でも、考えてみれば、僕は衣装とか着てないんだし、隠れる必要がなかったのかもしれない。
そんなこと考えている間に、食堂のドアが開いたから、もう、出られないけど。
古いカウンターの木の隙間から覗いていると、食堂に入ってきた縦走先輩が見える。
先輩は、紺のウインドブレーカーの上下を着ていた。
トレーニング中にここに寄ったんだろうか?
先輩は食堂の中で屈伸運動したり、手足を伸ばしたり、ストレッチをしている。
僕達には気付いてないようだ。
すると、ほどなくして、御厨が食堂に入って来た。
台所で夕食の支度をしていたはずの御厨は、制服のシャツの上からモスグリーンのエプロンを身につけている。
「先輩、ご用だそうで」
御厨が言った。
御厨は、縦走先輩に呼び出されたらしい。
「うん、すまないな。忙しくなかったか?」
縦走先輩が訊く。
「はい、平気ですけど」
先輩の背が高いから、御厨が先輩を見上げる格好になった。
向かい合った二人は、仲の良い姉と弟って感じだ。
「それで、お話ってなんですか?」
御厨が訊いた。
「ああ、実は、御厨に料理を習いたくて、呼び出したんだ」
縦走先輩が言う。
「ほら、私は春から、実業団の陸上部の寮に入るわけだろう。食事は寮で出してくれるから、どうにかなるとしても、社会人として、料理の一つも出来たほうがいいと思うんだ。私は、その、料理とか、できないし」
縦走先輩が少し頬を赤くした。
「私が、御厨が作ってくれる『五目いなり寿司』に目がないのは、知ってるだろ?」
「はい」
「あれ、美味しいから、作れるようになれば、休みの日なんかに、自分で作れると思ってさ。同じ陸上部の先輩方にも、お裾分けできるし」
縦走先輩が、頭を掻きながら言う。
「だから、教えてくれないだろうか? 今のうちに習って、卒業式までに覚えられれば嬉しい」
大きな先輩が、体を縮こめるみたいにしていた。
なんか、二人の様子が微笑ましい。
隣の弩と新巻さんも、ニコニコしながら、二人を見ていた。
「教えてくれるか?」
縦走先輩が訊く。
ところが、
「嫌です」
御厨が言った。
きっぱりと、縦走先輩の要求をはね付ける。
「えっ?」
先輩も断られるのを予期してなかったみたいで、驚いていた。
顔から、笑いの要素がすっと引く。
「駄目か?」
「はい、だって、教えたら先輩が帰ってきてくれないじゃないですか。僕は、縦走先輩に時々帰ってきてほしいから、教えません」
御厨が言った。
「御厨……」
「先輩、僕の五目いなり寿司が食べたかったら、先輩は、僕のところに帰って来るしかありません」
「そうか、それは困ったな」
縦走先輩が腕組みをする。
「あの五目いなり寿司は、僕がおばあちゃんから習ったもので、レシピも独特だし、調理の仕方も、コツがあるので、僕以外、再現できません」
御厨が、縦走先輩を見上げて言った。
「あの味は、誰にも出せません」
「そうか、それじゃあ、私は、あれが食べたかったら、君のところに帰るしかないのか」
「はい、そうです。帰って来るしか、ありません」
「まいったな。あれ、時々、無性に食べたくなるんだ。これからずっと、そうなのか?」
「はい、ずっとそうです。だから先輩は、あれが食べたかったら、僕をずっと側に置いておくことです」
御厨が言ったら、弩が「はっ」って声を出しそうになったから、僕が弩の口を手で塞ぐ。
だけど、弩がそんなふうにびっくりするのも無理はない。
だって、御厨のその台詞は、プロポーズって受け取られても仕方がないような、台詞だったし。
「君をずっと側に置いておけばいいのか? そうすれば、いつもあれが食べられるんだな?」
縦走先輩が訊いた。
「はい、ずっと、置いてください。そうすれば、食べられます」
御厨が答える。
先輩が、少し考えてから、
「そうだな、御厨と一緒にいれば、一生ずっと、美味しいものを食べていられるかもしれないな」
そう言った。
「はい、僕は、一生ずっと、先輩に美味しいものを食べさせます。お腹一杯になるまで」
御厨の目が、潤んでいるように見える。
一生の別れではないとはいえ、毎日一緒にいた先輩と、もうすぐ離れ離れになるんだから、当たり前か。
お腹が空いたって言っては、すぐに台所の御厨のところに行く先輩と、それを笑顔で迎えて、何か作って食べさせる御厨。
ここでは、毎日のようにそんな二人の姿が見られていた。
「分かった。そういうことなら、私は、料理を習うのを諦めよう」
縦走先輩が言って、腕組みを解く。
「はい、生意気言ってすみません」
「いや、いいんだ」
縦走先輩がそう言って、御厨の頭を撫でた。
撫でられて、御厨の髪が揺れる。
相変わらず、御厨の髪はサラサラだ。
隣で、弩や新巻さん、萌花ちゃんも、目を潤ませている。
僕も、目頭が熱くなったけど、なんとか耐えた。
「ふう、話したら、なんだか、お腹が減ったな」
縦走先輩が、笑いながら言う。
「それなら、僕、何か作ります。先輩、台所に行きましょう」
「ああ、そうだな」
二人は並んで食堂を出て行った。
最後に縦走先輩が御厨の手を取って、二人が手を繋いだように見えた。
でも、カウンターの板の隙間からだったから、それ以上見えなかった。
二人が行ってしまったのを確認して、僕達はカウンターから這い出す。
カウンターから出た女子達が、うっとりとした目をしていた。
「なんか、御厨君、カッコイイよね」
新巻さんが言う。
お風呂に入っていたみたいに、新巻さんの顔が少し赤くなっていた。
「ホントに、カッコイイです」
弩も、萌花ちゃんも、うんうんと頷いている。
「御厨君、誰かさんと違って、はっきりしてるしね」
新巻さんが、僕を見ながら言った。
「ホントですよね。誰かさんと違って、縦走先輩がびっくりするくらい、ぐいぐい行ってましたね」
萌花ちゃんも、僕を見ながら言う。
「ね、篠岡君、そう思わない?」
新巻さんが訊いてきた。
「う、うん」
僕は、曖昧に返すしかない。
「でもでも、その誰かさんにも、たくさん、良いところありますよ!」
弩が言った。
弩があまりに真剣に言うものだから、新巻さんと萌花ちゃんが笑う。
「よし、じゃあ、練習再開するよ。良いもの見せてもらって、吹っ切れた。もう、照れてないで、可愛さ全開で踊っちゃうし」
新巻さんが言って、弩と萌花ちゃんが頷く。
「それじゃあ、行くよ」
僕は、オケを流した。
三人が踊るダンスを見ながら、僕は考える。
その時が来たら、僕は御厨みたいに、勇気を出して言えるんだろうか、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます